第71話
バックス商会副支配人、カリーニ・ゾンバートと名乗った。
牛の角みたいな口ひげを鼻の下に生やし、金糸や銀糸でごてごてと刺繍の施された服を着ているので、コール以上にわかりやすい貴族の身なりだが、それゆえに気になることがある。
こんな辺境の島にわざわざ副支配人がやってくる、その理由だ。
「州都の港に、こちらの領地で大変なことが起こったようだと、船がやってきましてなあ」
ノドンがコールをもてなしていた商会の貴賓室に、ひとまずカリーニを迎え入れた。
イーリアたちは屋敷のほうで、貴顕の受け入れ準備をしている。
「なんでも竜が出たとか」
カリーニの隣にはコールが座り、その後ろには私兵が二人控えている。
船にも兵がまあまあ乗っていたようで、港で待機している。
こちら側の戦力は、ドドルたちと、まさに自分たちの頭上の天井裏に、ゲラリオとバランが完全武装で控えている。厄介なことになりそうならば、即座に床をぶち抜いてカリーニとコールを確保する手はずだ。
「はい。幸いに討伐することができまして」
「素晴らしい。腕利きの魔法使いがいるとお聞きしましたよ」
どういうつもりなのかよくわからないので、曖昧に笑っておく。
それと、こちらからもボールを投げてみた。
「その討伐した竜の販売のことで、ご相談したいのですが」
「おお、実に素晴らしい。まさに我々はその話もしにきまして。なあ、コール」
カリーニがコールに声をかけると、いつもは胸を逸らしてすべてを見下している風のコールが、おとなしくうなずく。
上司の前で居心地が悪そうにしているその姿は、青年というより少年に見えた。もしかしたら思っている以上に若いのかもしれない。
「それと私はバックス商会副支配人として、一度そなたにお目にかかりたく」
「私、ですか」
「私腹を肥やすことしか頭になかった悪人を追い出し、この領地全体を賑やかにしているのはそなただと、コールから聞きましてな」
表敬訪問? いや、この世界の連中は誰も彼もがこすっからい。
もしかしてこのカリーニも、ノドンとの癒着に一枚噛んでいたのではないか?
ノドンがいなくなり、失ってしまったキックバックの儲けを、コールの代わりに取り戻しにきたのではないか。
様々な疑念が渦巻く中、どうにか返事をしておく。
「いえ、私はやるべきことを為しただけで……コール様にも多大なるご助力をいただきまして」
念のために持ち上げておいてからコールを見やるが、コールはこちらを見ない。
「なんと謙虚なお人だ。コール、お前は実に良いお人と商いをさせてもらっているようだ。このめぐりあわせを神に感謝しなければな」
コールは借りてきた猫のように、そのとおりですとか、神の御心のままに、みたいなことを答えている。
「しかもヨリノブ殿は、魔石加工工房も経営しているとか」
やや背筋が伸びる。
魔石はこのジレーヌ領のすべてを支える心臓部。
「まだまだの工房ではありますが……」
「ご謙遜めされるな。腕の立たない職人たちを集め、目覚ましい成果を出していると耳にしました。州都でももちきりの話題です」
どこまで本当かわからないが、すくなくともジレーヌ領の内情は思った以上に向こうに伝わっているらしい。あるいは密偵みたいのがいるのだろうか?
「ただ、その実績があまりに目覚ましく、コールではなかなか捌ききれなくなったということで、私が足を運んだ次第ですな」
思わず、あっと言いそうになった。
工房を立ち上げ、うまく回り始め、魔石の加工がゴリゴリ進み始めた後の取引のこと。
積み上げた魔石の木箱の山を見て、コールは言葉を失っていた。
しかもこれからもっと増えるかもという話に、魔石の買いつけは現金だから、金貨の手当てに苦労しそうなことを言っていた。
バックス商会から買いつけているほかの商品の代金で、魔石の代金を相殺するという提案もしたのだが、バックス商会内部では取引品目で縄張りがあるらしく、コールの一存では相殺の決済ができないと言っていた。
そういう前提を踏まえて、もう一度彼らの立場に立って、考えてみる。
鉱山から竜が出て、しかも無事に討伐できたらしい。魔石加工は爆速で行われている。取引はこの先も拡大する一途。
それらを耳にしたバックス商会の幹部が、なにを思うか。
自分はてっきり、貪欲な悪徳商人がジレーヌ領を丸ごと分捕りにきたのでは、と思ったのだが、もう少し人を信じてもいいのかもしれなかった。
「いかがですかな。この後、領主様とも話し合いたいと思っておりますが、この際、魔石取引をドーンと拡大してみるなど」
資金はいくらでも必要だ。
このバックス商会が態度を豹変させて敵対する時に備えても、金貨は手に入れられるだけ手に入れておいたほうがいい。
「我々はありったけの魔石を買いつけるために、船をたくさん引き連れてきましてな」
カリーニは貪欲な商人らしい笑顔を見せたが、それはある意味で頼りになる笑みでもあった。
◆◆◆◇◇◇
もしかしたら、コールは肉屋と畜産の関係を狙っていたのかもしれない。
つまりタカハシ工房のおかげで山ほど魔石の加工ができるようになったが、買い取る側が買い控えれば、こちらとしては値下げしてでも買ってもらわねばならなくなる。
コールからすれば、手を組んでいたノドンがいなくなり、キックバックもなくなった。
私腹を肥やせなくなったコールが儲けを取り戻そうとすれば、そういうことをもくろんでいてもおかしくない。
そのために、金貨の手当てが難しいとかなんとか言いだしたのではないか。
けれどバックス商会の幹部たちも馬鹿ではなく、港を通じて入ってくるジレーヌ領の話を耳にして、コールがなにやら怪しい動きをしていると察知した。
そこでコールへの叱責と、ジレーヌ領との取引拡大をするため、わざわざ副支配人が出張ってきた。
そんなところだろうか。
「ふふん。あいつがイーリア様のことを、イーリア様と呼ぶ日がくるなんてな」
カリーニとコールの表敬訪問を受け、型通りではあったがそれなりに和やかなイーリアとの謁見が終わった後、厨房でクルルが嬉しそうにしていた。
カリーニはもちろん、イーリアのことをノドンと一緒に嘲っていたコールもまた、クルルが用意した食事を食べていた。それはつまり、コールがこちらの礼儀に従った、ということだ。
「魔石も売れるだけ売れると聞いたぞ。カリーニとかいうのは話が分かるな」
「とにかくお金が必要ですからね、買取の話は本当にありがたいです」
そう言ったのは、ジレーヌ領のためにまたひとつ計画を進めることになっていたから。
それが新しい港の設置だった。
今の港とは少し距離を空け、有事の際にはそこを拠点にできるような、いわば軍港に近いものが必要だと、竜騒ぎのことを思い返して痛感した。
それに、自分たちの商会の取引がこの先もどんどん増えていけば、さらに獣人を雇い入れなければならなくなるが、それは人の手で荷物を取り扱う者たちの仕事を奪うことにもなる。
カッツェたち荷揚げ夫との軋轢を回避するため、港を分けられれば仕事を巡る懸念も緩和できるだろうという目論見があった。
「だが、工房を見せたのは良かったのか?」
鍋をお湯で軽く洗っていたクルルは、湯を捨てて大きな鍋を置くと、手を拭きながら言った。
「構いませんよ。ゲラリオさんの話を聞く限り、魔石は帝国中の権力者を支える土台です。多少増産したくらいでは、そう簡単に値段も崩れないはずです」
クルルのみならず、ゲラリオなども、カリーニの訪問は工房の秘密を暴きにきたのが真の目的ではないか、と言っていた。けれど自分は、カリーニに隠さず工房も見せ、増産の秘密を明らかにした。
そこには、鉱山をこちらが抑えているから、という理由もあった。彼らが魔石の加工速度を上げるのなら、いずれにせよ魔石の原石が必要になる。どう転んでもこちらの商いは不利にならないという目算があった。
それにここで従順なところを見せておけば、ゲラリオの力を借りて魔石の密輸をする際も、向こうは油断してくれるだろう。
「お前は……いい奴なのか悪い奴なのかわからないな」
顎を引いてやや上目遣いにそう言うクルルは、なんだか悔しそうな顔をしていた。
「それはそうと、肩はどうですか?」
クルルの耳がぴんと伸びる。
「まだ湯浴みなんかすると痒くなるが……だいぶましだ。まったくひどい目に遭った」
不服そうに言うクルルだが、右手で入れ墨のあたりを撫でる顔は思いのほか柔らかかった。
「ただ、不思議な感じはするが」
「不思議?」
クルルは緑色の瞳をこちらに向け、照れくさそうに細める。
「お前がノドンのところで働き始めた時は、どうやって噛み殺そうかと思ったものだが」
「ああ……その節は……」
会うたびに敵意むき出しの顔を向けられ、ものすごい勢いで凄まれた。
クルルはくつくつと笑い、もう一度自身の肩を撫でる。
「まったく不思議だよ。今はこれを誇らしいと思うんだから」
「……」
そう言った時のクルルの顔に、つい見とれてしまっていた。
慈しむように自身の肩を撫でるクルルは、イーリアよりよほど乙女だった。
「お前も彫ってやろうか?」
そこに、クルルが言った。
はっと我に帰れば、にやりと牙を見せて笑っているので、こう答えるしかない。
「絶対に嫌です」
「なんでだよ! お前も苦しまないと私だけ損だろう!」
「だからですよ、自分は魔法使いじゃないんですから」
クルルがばしばしと叩いてくるのを防いでいたら、こんこんと木を叩く音がした。
クルルと一緒にそちらを見れば、開けっ放しの厨房の扉に寄りかかり、冷たい目をしたイーリアがいた。
「お客様がお帰りよ? 私にだけ仕事させるつもりかしら?」
領主としての仕事をこなし、すっかり不機嫌なイーリアだ。
クルルはお前のせいだというような顔をしてから、前掛けを外してイーリアの機嫌を取りにかかる。
自分もやれやれとその後を追いかけながら、クルルに入れてもらう入れ墨か……と思ったが、にやにやしながら針を構えるクルルの姿を想像し、怖さのほうが勝って身震いしたのだった。
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