第72話

 結局、カリーニはいつもの三倍の量の加工済み魔石を船に運び込んだ。恐るべきことに帝国金貨の一括払い。

 なるほどこの金貨を守るためだけでも、複数の船と兵が必要なわけだ。


 一方のコールは、こんなに魔石の在庫があったのかと明らかに驚いていたので、工房の生産力をみくびっていたらしいことがわかる。

 それにカリーニが意気揚々と船に乗り込んで、わずかに上司のお目付けが外れたその瞬間。

 コールがこちらの服を掴み、声を潜めて言った。


「大至急魔石を加工しろ。それと……次からはカリーニ様の手の者がきても、全部渡すなよ」


 苦しそうな、どうにか絞り出した負け惜しみ。

 上司の目から隠した魔石でなにをするつもりなのか、とは言わないし、冷ややかな視線も向けない。仰せのままに、と頭を下げておく。

 カリーニの目があれば、コールも行いを改めるほかなくなるだろうから、言わせておけばいい。


「出港!」


 船乗りが声を上げ、バックス商会の船団が港を離れていく。

 彼らに敵意がまったくないのは、魔石を買い上げるための金貨をきちんと積んでいたことだけでなく、騒ぎの間に滞っていた貿易用の商品も積んできてくれたことで明らかだ。


 品薄になっていたあれこれが市場に供給され、しばらくはひと息つくことができる。

 竜の肉やらについては余りに予想外だったため、いったん戻ってからすぐに金貨を手配するとのことだった。

 バックス商会の副支配人は、利に敏いがその分信用が置けるという意味で、教会の司祭みたいなものなのかもしれない。

 自分たちが州都の教会の催しの際に訪れる計画を告げたら、歓迎するので是非商会を訪問して欲しいと言われたし、いわば領主権を取り戻したイーリアを改めて商会の面々に紹介したい、とも言われた。

 イーリアの渡航は考えていなかったが、いよいよジレーヌ領の正統なる領主として、外の世界に知らしめる時なのかもしれない。


 そんなカリーニの後ろでコールが表情を押し殺していたのは、頭越しに話を進められるのが不服だからだろう。

 彼の蜜月は終わったわけだ。


 大きな懸念が去り、商会の倉庫には大量の商品が、金庫には金貨が溢れかえり、竜討伐以来なんだかようやく心の底からほっとできた気がする。

 イーリアも陳情の類や徴税の話をひととおりまとめ終わり、中庭で惰眠をむさぼっている。


 そんな中、自分はクルルと一緒に、イーリアが寝ている中庭を見下ろせる部屋にいた。


「ほら、こんな感じだ」

「十分機能しますね」


 クルルの掌の上で、赤い炎が揺らめいている。

 合成魔石は出力を抑えられ、旅館の晩飯で出てくる固形燃料みたいにゆっくりと灰になっていく。


「ただ、使い切るのはちょっと難しいんだよな。見てろ」


 ゲラリオに師事し、魔法の使い方を教えてもらっているクルルは、かなり自在に魔法を操れるようになっている。

 魔法の炎が出力を上げたかと思うと、ふっと消えた。


 クルルの掌の上には、形の崩れた合成魔石があった。


「この素材だと、途中で魔法陣が形を維持できなくなる。一瞬の全力でやれば使い切れるが、そうなると反撃の機会は一度だけになる」


 クルルは手のひらの上で無力になった合成魔石を握りつぶす。

 試していたのは、新しい素材の合成魔石だ。


 当初、合成魔石の製作には、動物の腱や皮を煮込んだ原始的な接着剤である膠を使っていたが、膠を作るのには手間がかかる。

 そこで様々な材料で試し、どうにかよさそうなものを見つけたのだが、改善点は多々あるという感じだ。

 試行錯誤は手間暇がかかる。

 人を雇うべきなのだが、信用、というところがネックになっている。


「まあ、いささか不安は残るが、ないよりましだ」

「そうですね」


 クルルは握りつぶした新素材の合成魔石をこちらに放り投げ、手を拭っていた。


「で、この後は買い物だったか?」


 州都ロランの渡航に向け、あれこれ買いそろえなければならないものがある。


「ですね。船は食べ物飲み物が自腹の持ち込みだそうですから、その手配と、あと、イーリアさんからは別途、厳命を受けています」

「厳命?」

「新しい服を新調すること」


 クルルはものすごく嫌そうな顔をしていた。

 フリル騒ぎの時に可愛い可愛いと言われておもちゃにされたことを思い出したのだろう。


「服なんていらないだろ……」

「いりますよ。バックス商会にも挨拶しに行かないとなりませんし。イーリアさんの横で、みすぼらしい恰好をするつもりですか?」

「挨拶にはお前だけいけばいい」


 子供みたいにそっぽを向いてそんなことを言う。


「じゃあイーリア様が、従者の一人もつけない侘しい領主だと思われてもいいんですか?」

「うっぐっ……」


 クルルは唸り、諦めたようにがっくりと肩を落としていた。



◇◇◇◆◆◆



 ひととおりのものは商会の在庫で揃えられるが、護身用の短剣などは鍛冶屋の工房などに赴かないとならない。ゲラリオに師事しているせいか、あれこれ物騒な知識を吹き込まれているクルルは、実に楽しそうに短剣と鞘の組み合わせを試していた。

 放っておくと日暮れまでそこにいそうだったので、半ば追い立てるようにして服の仕立て職人の工房に向かった。


「これはこれは」


 フリルの独占販売で大儲けした仕立て職人は、下にも置かない扱いだ。


 お洒落が気恥ずかしいのか、しばらくクルルは不機嫌だったが、なんだかんだ女の子だった。慣れてくれば自分からも注文を出すようになり、結局最後には服の仕立てを楽しんでいた。

 ざっとした仮仕立てではあったし、イーリアが町の祭りで身に着けるほどではないが、普段のお仕着せよりかは明らかに布が多く、ふんわりとしたシルエットの服を身に着けたクルルは、しっかりと美少女だった。


 仕立て職人の工房にあった見本の服を見やったクルルは、満足げにうなずいていた。


「これなら多少の装飾品も目立たなくなるか」


 けれどクルルの笑顔は、意味深で、にやりとしたものだった。


 護身用の短剣やらと合わせ、クルルと自分は鍛冶職人に特別な装飾品の注文を出している。

 装飾品向けの細工を請け負う職人たちは、なぜこんな注文を? と不思議がっていたが、その秘密を知るのは限られた者だけ。

 出番がなければそれに越したことはないが、用心はすべきだ。


「あと靴ですね。多分仮の仕上げができてるはずですから、具合を確かめませんと」

「ああ、忘れていた。しかし踵が高い靴なんて、イーリア様もよく履けるな。足をくじきそうで怖いんだが」

「慣れてください。大事なことですから」

「お前も同じ靴で足をくじけばいい」


 クルルの甘噛みに、肩をすくめておく。

 ジレーヌ領よりも大きい州都では、きっとここ以上に身分制の世界を目の当たりにすることだろう。

 ノドンの商会で働いている時には、せっかく異世界にいるのだから観光をしてみたいなんて思っていたが、今は州都ロランのことを考えると、いささか気が重くなる。


「ふふ」


 ただ、クルルの小さな笑い声が聞こえて物思いから戻ると、町の目抜き通りを歩いていたクルルは、なんの気なしにこう言った。


「楽しいな」


 仕事のための準備と言えばそうだが、呑気に町中を買い物して歩けるというのは、確かに今までなかったことかもしれない。

 特にこの、クルルにおいては。


 今でこそ権威を取り戻しつつあるイーリアの従者ということで、獣の耳と尻尾をそのままにして町を歩いても、人々は冷たい視線を向けてこない。

 だが、今までの生活ではそうではなかったはず。


 クルルとイーリアの頭上を覆う分厚い黒い雲を、少しでも取り除けることができた。

 クルルの楽しそうな笑顔を見て、自分はそれだけでもこの世界にきた意味があったと思うことができた。


「イーリア様もくればよかったのに」

「ロランでは昼寝する暇があるかわかりませんからね。たっぷり寝ておいてもらいましょう」


 一日の大半を寝ているのは猫のはずなのに、イーリアとクルルはちょくちょくちぐはぐだ。

 とはいえそれなら、年上の男の自分が、年下の少女のクルルから何度男前の台詞を向けられたかわからない。

 ちぐはぐさでは、人のことをとやかく言うことはできない。


「ヨリノブは、前の世界ではよくこうしていたのか?」

「?」


 言葉の意味を掴みかねてクルルを見やれば、クルルは少し視線を逸らしながら言った。


「買い物」

「ああ、いえ……あんまり、買い物には行きませんでしたね」


 クルルの耳がぴんと立つ。


「ネットばかりだったかな」


 そしてその耳が、片方だけ力なく垂れる。


「ねっと?」

「あ~」


 オンライン通販の概念を説明すると、クルルはしばし不機嫌そうな顔をしてから、魔法ではないかと言っていた。

 それは現役の魔法使いとして、なにか勝負に負けたような気がするのかもしれない。


「まあ、少し安心した」

「安心?」


 聞き返すが、クルルは聞こえなかったのか、返事をする代わりにこちらを見やる。


「せっかく市場まできたんだ。飯を食っていくだろう?」


 楽しそうなクルルの笑顔。

 その笑顔を見て、黒雲の一部が晴れたのは、なにもクルルたちだけではないと、自分は苦笑交じりに思った。


「どうした?」

「いえ」


 前の世界では、女の子からこんなに楽しそうに食事に誘われた経験など、ついぞなかったのだから。


「ロラン行きの前ですから、あんまり無駄遣いはできませんが」

「なあに、イーリア様の名を出せば誰も彼もが飯を差し出すだろう」


 悪そうに笑うクルルに手を引かれ、自然と手を繋いでいる自分に気がついた。

 まるで学生時代に戻ったよう。


 もちろん本当の学生時代は灰色だったわけだが、そこはそれ。

 自分はそんな午後のひと時を、クルルと共に楽しんだのだった。

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