第69話
さて、魔法使いの入れ墨である。
本来は帝国の管理する魔法省や、教会が魔法使いを養成する正邪省などで一定の訓練の後に入れるもので、一目見れば魔法使いとしての格がわかるらしい。
が、世の中には野良の魔法使いも多くいて、もちろんこちらは好き勝手に入れるわけだ。
例えば様々な理由で魔法省や正邪省からドロップアウトした少年たちは、せっかく故郷の村から送り出してくれた両親たちに合わせる顔もなくなって、結局行きつく先は戦場だという。
そういった少年魔法使いが、年上の歴戦の野良魔法使いから戦いのイロハを教えられ、そのついでに、ある種の仲間入りの儀式みたいな感じで入れ墨を彫るのが通例となっているという。
その際には焚火の残りの炭と、魔石の粉を唾液で混ぜて、裁縫用の針で彫っていくらしい。
そんな杜撰な方法で……と思ったら、やっぱり二人に一人は彫ったところが膿んで高熱にやられると、ゲラリオは笑って言っていた。
いや、笑い事ではない。
抗生物質がない中で感染症にやられ、破傷風にでもなればそれこそ神頼みをする羽目になる。
そういうことを延々とクルルに説明したのだが、顕微鏡が発明されていないここでは細菌の概念など通じない。クルルは完全に無視し、黙々と火を焚き、炭を砕き、魔石の粉と竜の脂を混ぜていた。
イーリアは物珍しそうにその様子を見物しつつ、用意された針のごつさにやや尻尾を丸めていた。
「左肩で」
そう言ったクルルは、服をはだけると髪の毛を前側にかき寄せ、こちらに背中を見せた。
ゲラリオは左手に彫っていたが、魔法使いの身体で無事に残りやすいのが左手だから、というのがその理由らしい。魔石を握っていることの多い右手は、魔法の威力を見誤った時には真っ先に爆散するし、略奪目当ての敵にも狙われるからだそうだ。怖い。
「この辺かしら。火の魔法陣だったわよね?」
「骨に当たると痛そうなので、もう少し下でお願いします」
「じゃあこの辺ね」
イーリアが羽ペンを手に、クルルの背中側の左肩に下書きとして火の魔法陣を描いていく。
獣人の血を引くクルルが魔法使いとばれると色々面倒なので、服などで隠れる目立たない場所がいい。それとこの世界でも入れ墨は色々な意味を持つようで、腕や脚だと奴隷を示す場合もあるため、消去法で肩になった。
「ちょっとクルル、じっとして!」
「んふ、くすぐったくて……ん、うっ」
半裸のクルルが尻尾の先端を震わせながら耐えている様は、実に扇情的だ。
対するイーリアは魔法陣を描くのに夢中で、尻尾をぱったぱったさせていた。
「あんまり大きいと彫るの大変そうだから、こんなもんかしら。あ、そうだ」
羽ペンが肩から離れてクルルがほっとしたところに、イーリアがちょちょんと描き加える。
「どうせなら工房の看板と同じにね」
魔法陣に加えられた、獣耳を表す三角形。
クルルは肩に描かれたそれをどうにか見ようとしているが、もちろん見れるはずもない。
「はい、ヨリノブの出番よ」
イーリアから針を渡される。
今更断るとなおのことクルルから怒られそうなので、針を受け取るしかない。
「覚悟はできたか?」
肩越しにクルルがそう言ってくるが、台詞に対して、明らかに立場が逆だ。
「できてませんし……それに、うまくできなくても本当にしりませんよ」
「なに言ってるんだ。豚の皮で練習したのを見たが、普通にできてたじゃないか」
「なっ」
ゲラリオがばらしたのだろう。
なぜか勝ち誇ったような顔で尻尾をくねくねさせているクルルは、さっさとうつぶせになって寝てみせる。
「はあ……なんでこんなことに」
小さく呟いていると、イーリアから肩をポンポンと叩かれる。ずいぶん楽しそうで、やっぱりイーリアはいい性格をしている。
「わかりました。それじゃあ、煮沸したお湯と、火鉢をお願いします」
「はーい」
イーリアが軽やかに返事をして、いそいそとその両方の準備に取り掛かる。
針をあぶって消毒し、煮沸したきれいな水で洗う。これでいくらか感染症の危険は下げられるはず。竜の脂も傷が膿むのを防いでくれる効能があるらしいので、多分殺菌性のなにかが入っている。
ただそれらの準備をしても、眼下に広がる綺麗な背中を見て、やはり怖気づく。
傷をつけるのがもったいないくらいに綺麗なのだ。
それに、どうしたって肌と直接触れ合わなければならなくなる。
背中に模様を描いた時は指先だけだったが、針を打つにはほとんど覆いかぶさるようになるので、その様子を想像するだけで照れくさい。
酔った挙句に同じ毛布で寝ていた時のことは、なにも覚えていないのでノーカウント。
素面の上で、まともに女の子と肌を接するなんて、いつ以来だろうか。
多分、前々世から前世に降臨した直後、つまりは赤ん坊の時くらいではなかろうか。
それはそれで悲しい人生だったなと思いつつ、これは大事なことなのだと言い聞かせる。
魔法の反動は、へたをすると術者の身体を容易に破壊する。
それを防ぐためなのだ。
「では、いきますよ」
「……うん」
手が止まったのは、いつものぶっきらぼうな返事じゃなかったから。
なんでこんな時にそんな女の子っぽい返事をするんだと思いながら、最初の針を打ったのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます