第七章
第68話
細く削った木の棒の先に火をつけ、吸い口のついた小さなおちょこみたいなものに盛られた葉っぱに火を移す。
ゲラリオはご満悦な様子で吸い口から煙を吸い、数拍溜めて、吐き出した。
要はたばこで、嗜好性のあるものを見つけるのはどの時代のどの国の人間も一緒。
ただしジレーヌ領やその周辺では出回っておらず、輸入しようと思えば非常に高価なので、おそらく島では唯一ゲラリオだけが、たしなんでいる。
ゲラリオはもう一度甘い香りのする濃い煙を吸い込んでから、言った。
「戦場で緊張を解くには、これが一番だ」
『ワレは戦場を思い出すから好かん』
ツァツァルが鼻をすぴすぴ言わせながら、不服そうに言った。
クルルも顔をしかめ、匂いが濃すぎるのかしきりに鼻をこすっていた。
自分たちがいるのはゴーゴンの家で、家主はゲラリオから分けてもらったたばこを小さな陶器にしまっていた。鎮痛や鎮静といった効果があるらしいので、治療に使うのだろう。
「んで、俺たちの使ってる魔石だったな」
わざわざゴーゴンの家を借りて集まっているのは、あまり人に聞かれたくない話をするためだった。
「バランもそうだが、つけてるのは身体能力向上の魔石だ」
籠手に嵌めている魔石を、手を掲げて見せてくれる。
煙に顔をしかめていたクルルは、たちまち好奇心旺盛な猫の顔になった。
「魔石を起動させると、手が動いたりするのか?」
「いや、印象としては、目が覚めて、気合が入る感じだな」
麻薬に近い効能なのかもしれない。
あるいは魔石鉱山で死者が蘇ったり、トカゲが竜になったりする話からすれば、生命力そのものが流れ込む感じか。
「この島でこんな魔法陣を知っている者はいなかった。なぜお前らは知っているんだ?」
商会にあった魔法陣の底本には載っていなかったし、工房の職人たちもゲラリオたちの持っている魔石の魔法陣は知らないものだらけだった。
「その手の魔法陣は結構多いぜ。要は、採算が合わないんだな」
ゲラリオは手首を返し、自身の籠手に嵌まる魔石を眺めてから話を続けた。
「まともな魔法使いなら、この魔石に火力の魔法陣を刻めば、でかい魔法をぶっ放せる。なのにちまちま身体能力を向上させて剣で切り合いなんか馬鹿らしいだろ。そういう野蛮な仕事は、筋肉馬鹿がやればいい」
冒険者のパーティーは、獣人の前衛と、支援役と、火力役の魔法使いが最低セットらしい。
そしてまさにその野蛮な仕事を請け負った結果、もはや戦場に出られなくなったツァツァルは、苦笑するように肩を揺らしていた。
「この魔石も、誰かに彫ってもらったものじゃない。辺境の遺跡にはちょくちょくこの手のが残されててな、戦場で人から人の手を渡ってる。削り落として売り飛ばしてもいいんだが、金貨は敵を倒してくれないからな」
ゲラリオがどうやってそれを手に入れたのかは、あえて聞かないでおく。
この魔石を発動させる暇もなかった、哀れな誰かの話を聞くことになるだろう。
「魔法陣の解析をしたいって話だったよな」
ゲラリオは燃え尽きかけている葉っぱに気がつき、慌てて煙を吸ってから、名残惜しそうに言葉とともに吐き出した。
「こんな田舎じゃなければ、もっと幅広い魔法陣を載せた写本は探せばある。魔石の見本も手に入る。入手の手伝いなら昔なじみの伝手を辿ってできるが」
「伝説の魔法陣は?」
クルルの問いに、ゲラリオはちょっと眉を上げてから、にやりと笑った。
「戦場で仲間を失った奴らは、怒りに任せて常にその夢を見る」
クルル自身、新しい魔法陣解析の話をした時は真っ先に、イーリアを傷つけてきた奴らをまとめて吹き飛ばしてやりたい、と言っていた。
「だが、古代の伝説の魔法陣は、ほぼインチキだろうと言われてる」
クルルは子供っぽい好奇心と見せけかて、ゲラリオにその問いを向けている。
だから自分たちが「本気で」解析しようとしているなんて、ゲラリオは思っていないだろう。
「なぜだ?」
「まず、魔法陣の組み立てが妙だ。つじつまが合ってないことが多い」
命がけで魔法を使うゲラリオのような者たちは、魔石職人以上に魔法陣に対して敏感だ。手にした魔石に間違った魔法陣が刻まれていたら、それで一巻の終わり。
詳しくもなろうというものだ。
「それに、やたらと文字装飾が多い。今は失われた言葉で誰も意味がわからないんだが……お前ら魔法陣の文字装飾が無意味だって知ってるか?」
その問いには、自分がうなずく。
「ええ。実際にはなくても起動しますよね」
「そう。けど、文字装飾はいかにも厳めしくて、ありがたみが増すから、今でも規格化された魔石には必ず刻まれている。というかこの装飾が魔石の起動に必要不可欠だと、戦いになんか使えないからな」
自分とクルルが顔を見合わせると、葉っぱの燃えさしを悲しげに見つめたゲラリオは、ちゅうちゅう吸い口を吸って、咳き込んでいた。
「げっほ……だってそうだろ。こんなの、ちょっとぶつけたらすぐ欠けちまう」
「た、確かに」
「魔法陣はその点、結構融通が利く。多少の傷がついても、核となる部分が無事なら起動してくれる。まあそんな具合だから、教会に残ってるようなバカでかい魔法陣は、無知な民衆をびびらせるための代物だってのが常識だ」
ゲラリオはため息をつき、葉っぱを捨てて、服の裾でおちょこのような吸引器具を拭い、懐にしまった。
「それに、あんな巨大な魔法陣を刻む魔石が存在したとは思えん。俺が見たことのある最大のものでも、このくらいだな。有名な戦役の、年代記にも記されるような巨大魔法だった」
ゲラリオの手つきは、赤ん坊を抱いたくらいの大きさだ。一級魔石か、あるいはそれ以上か。
いずれにせよ、両腕を広げても収まりきらないような天然の魔石は、やはり夢物語のようだ。
「後は単純に、反動に耐えられないだろ」
ゲラリオの左手には、手のひら側の親指の付け根辺りに入れ墨がある。
「入れ墨無しで魔法をぶっ放した感覚なんてもう忘れちまったが、クルルちゃんはどうだい」
クルルは正式な魔法使いとしての教育を受けておらず、何度か使用した際には反動で服や髪の毛が焦げたり、吹き飛ばされたりしていた。
それで竜討伐の際は、背中に即席の模様を描いて戦いに臨んだ。
魔力の通り道となるらしいその模様の威力を、クルルを後ろから支えていた自分も実感した。
ただ、やはり肌に魔石の粉を塗ったものではきちんと通り道が開いていなかったらしく、風の魔法を使ったとたんに内蔵ごと外に出ていくかのような感覚に見舞われた。
ゲラリオ曰く、浅くてでかすぎる穴のせい、とのことだった。
入れ墨のように狭く深くすることで、もっと円滑に魔法が使えるようになり、精妙な制御もできるようになるらしい。
とにかくあの時の感覚を、自分以上に鮮明に体験しただろうクルルは、重々しく言った。
「誰も生きていられないはずだな」
「だろう? 状況証拠から、伝説の魔法陣はただの伝説」
とはいえ、これは推測でしかない。合成魔石の知識があれば、魔法陣の構築そのものは可能なことを自分たちは知っている。魔法陣としてつじつまがあっていない、というのは理論研究の結果だろうが、実際に起動させてみたらどうなるかはわからないはず。
反動については……使用者が命を懸ける、生贄みたいなものだったとしたらあり得るかもしれない。
「もっとも……」
頭の後ろで手を組んだゲラリオは、壁にもたれかかる。
それまで静かにしていたツァツァルが、ふと笑った。
『魔法の神髄を追いかける者は、後を絶たん。このゲラリオも伝説の魔法陣にはずいぶん熱心だった』
「おいっ」
ゲラリオが咎めるように言うと、ツァツァルは肩を揺らしていた。
『死者復活、時間の逆転、あるいはすべてを灰燼に帰す魔法……それらは魔法に携わる者ならば、一度は夢見るものだ』
そのうちのどれをゲラリオが追いかけていたのかはわからないが、どれも楽しい理由からではないだろう。
『だが、魔法陣の解析には費用が掛かるし、魔法使いの協力が無ければできない。普通は帝国の魔法省が管轄していることだ』
「魔法省……」
『在野の金持ちが道楽でやっていることもあるが』
「あんなの鉛を金に変えようとする錬金術師と変わらんだろ」
自分が驚いたのは、魔法が存在する世界にも錬金術師がいることと、ここでも彼らは詐欺師と紙一重という認識だったことだ。
「まあ、当たり前だがやれそうなことは全部やられつくしている。魔法省でも魔法陣の組み合わせはもう全部試したって話だった気がするしな」
定規とコンパスで描ける図形の問題は、前の世界でもすべて古代ギリシャの時代に終わっていたなんて話がある。
そこに口を挟んだのは、話の輪に入らず、こまごまと仕事をしていたゴーゴンだ。
『ワシが医術の粋を求めてさまよっていた時、砂漠のような辺境のことだったかな。時折、魔法研究者と名乗る連中とすれ違った。遺跡に残された伝説の魔法陣を探しとると言っていた。あれらは違うのか』
「魔法研究者とはたいそうな名前だな。魔石漁りと呼ばれる連中だよ。前線によくいたぜ」
ゲラリオは壁から背を起こす。
「あの一派はもっと夢見がちだ。古代帝国の時代に刻まれていた本物の伝説の魔法陣が、欠片になってあちこちに封印されているって信じてやがる。魔法省のなんて言ったかな……大貴族の派閥の一部が信じてるんだ。教会の異端信仰みたいなものだな」
欠片の封印、という言葉にややどきりとする。
欠片を組み合わせて魔法陣を作れるのなら、合成魔石の発想まであと少しだ。
いや、ある程度の大きさの魔法陣を刻んでそれを組み合わせるのと、どんな形の悪い魔石も粉にして練り上げることで無限に巨大な一枚の魔石を作れるという発想だと、大きな隔たりがあるだろうか。
それとも正しく起動する大規模な魔法陣の見本として、普通の石に刻まれたものが眠っている、という信仰だろうか?
いずれにせよ、この世界の誰がいつ真実にたどり着いてもおかしくないのだと実感する。
「まあそんな具合だから、解析に金を使うのは無駄だと思うがね」
そう言った時のゲラリオの目は、妙に優しげだった気がした。
それは魔法を使えるとわかった者がまず真っ先に見る夢が、巨大魔法陣の復活、あるいはまだ誰も知らない魔法の探索だからなのかもしれない。
「同じ金を使うなら、まずは既存の魔法陣を集めるほうが前向きだろ。帝国の流通にあまり乗ってないが、実践的な魔法は結構ある。売るつもりがなくても在庫に置いておくのは悪くない」
それは確かにそうだろうし、大魔法陣の解析に、既存の魔法陣のサンプルはあればあるだけ役に立つはず。
「入手の手引きをお願いしても?」
「構わんよ。あんたらに恩を売れって、ツァツァルがうるせえからな」
『ワレをだしに使うな』
ツァツァルは不機嫌そうに牙を剥くが、右側の歯が犬歯を含めて何本も欠けている。
怪我が体の右側に偏っていることから、なにかとてつもない攻撃を右側面から受けたのだろう。
「あとはあれか、バックス商会を迂回する話だよな」
「ええ」
こんなところにきてこそこそ話しているのは、魔法の話をおおっぴらにするのが憚られるのと、この件でゲラリオに知恵を借りたかったからだ。
「島の輸出入の少なくない部分がバックス商会経由ですし、特に魔石取引を握られているのが怖くて」
「お前さんらがそこに危機感を抱いてなかったら、尻を蹴飛ばすところだ。しかも鉱山からは竜が出た。連中の頭に脳みそが入ってれば、支配を確実なものにするための一手を打つだろう」
そこで牽制として、別の商会とも手を組みたい。
けれど安易にそんなことをすれば、バックス商会から恨みを買う。
しかもこちらが弱いままでは、新しく手を組んだ商会にもまた、食い物にされかねない。
このややこしい問題をどうにか回避する必要がある。
「手っ取り早いのは、戦の真っ最中の国に魔石を売りつけることなんだが」
ゲラリオは懐を触り、たばこの葉っぱが詰まった袋を手に取ると、悩んでからしまっていた。
ツァツァルが気配でそれを察したらしく、苦笑いしていた。戦場帰りが痛み止めのモルヒネ中毒になる話は、戦争映画の定番だ。
「魔石ってのは帝国が取引を管理、独占してる。これは知ってるか?」
たばこを我慢し不機嫌そうなゲラリオの問いに、自分は曖昧にうなずこうとして、やめた。
「いえ、バックス商会から先の流れがどうなっているのかは、実はよく知らないんです」
ゲラリオはやれやれと肩をすくめ、教えてくれた。
「魔石は全部規格化されて、帝国が発行する免許持ちだけがその規格化された魔石を取引できる。それ以外の物は全部違法だ。で、その取引のための免許ってのは要するに利権だな。大貴族や教会の大司教みたいなのしか持ってない。バックス商会のようなところは、そういう元締めから仕事を受けて、魔石をかき集めている。集められた魔石は権力のはしごをのぼって、一端、主要な帝国都市なんかに集められる。そこから一部が税として帝国の首都に送られ、余ったのを現地の権力者が競りにかけ、様々な権力機構に流れていく。誰がなにをどれだけ買ったかは、帳簿につけられて帝国首都に送られる……」
使えばなくなる消耗品で、かつ、強力な武器となる魔石は、重要な資金源となる一方、権力者側からすれば流通を把握しておきたい危険物にもなる。
「だが、こんなまともな方法で魔石を買っていたら、今すぐにいくらでも魔石が必要だっていう領主たちの役には立たないし、どこかの誰かの尻を蹴飛ばしたいと企んでいる奴らは、悪だくみしてると丸わかりになってしまう。だから当然、闇取引が行われる」
バックス商会と戦うにしても、資金と味方が必要になる。
そこで喉から手が出るほど魔石を欲しているような、戦争中の領主とつながりを得られれば、その両方が解決するかもしれないというわけだ。
もちろん闇取引になるので、危険は伴うだろう。
「イーリアちゃんは了承の上なんだよな?」
誰も彼もがイーリアちゃんと呼ぶせいで、最近、クルルは訂正を諦め気味だ。
「イーリア様は領地のことを最優先に考えている」
ゲラリオは肩をすくめ、こちらを見た。
「あらゆる裏市場に通じているこのゲラリオ様も、こんなど田舎にまで知り合いはいない。州都についたら、いくらか時間が必要だ」
「ええ、はい。もちろんその費用は」
ゲラリオにそう言ってから、自分はツァツァルを見た。
「ツァツァルさんやバランさんと住める家の手配も、ぬかりなく」
ゲラリオたちは傷ついた仲間のため、危険な冒険者稼業から足を洗い、安住の地を求めてこんな辺境にまでやってきた。
ゲラリオが望むのも、ゲラリオ自身の稼ぎではない。
「頼むぜ。ツァツァルよ、ついでに入れ歯も作ってもらったらどうだ?」
『それはいい案だ。かじり心地を試すのに、お前のすかすかの頭はぴったりだからな』
首をすくめるゲラリオに、ゴーゴンが笑っている。
クルルはひどく真剣な顔でそんなゲラリオたちを見ていたが、もしかしたらそれは、羨ましかったのかもしれない。
自分だって、このいかにもな仲間意識を、いいな、と思ってしまうのだから。
「んじゃあ、あとはお前らの話だな」
そんな折り、ゲラリオがふとこちらを見て言った。
「自分たち?」
ゲラリオはにやりと目を細め、酒場にいる下品な親父みたいな顔をした。
「クルルちゃんに、さっさと一発入れてやれって」
「っ」
言い方! と思ったが、クルルがご機嫌斜めなのは、ゲラリオの下品さにではない。クルルは魔法の反動を抑えるための入れ墨を、自分に彫ってもらいたがっているからだ。
けれど入れ墨彫りなど当然やったこともないし、絵心だってない。
加えてクルルみたいな女の子の肌に針を突き刺すなど、進んでやりたいことではない。
『ワシのところの針を使うか?』
鍼治療にしては明らかに太い針を手にしたゴーゴンが言う。
素人がやっていいこととも思えないのだが、聞くところによるとそんなに難しくないらしい。
それに州都ロランに行くのなら、彫っておくべきなのもわかっている。
なにが起こるかわからず、そのときには自分たちで対処しなければならないのだから。
「ヨリノブ」
クルルがゴーゴンの差し出した針を束ごと鷲掴みにして、こちらを見た。
「私は、ふりるを我慢したぞ」
胸に押し付けられた針を、受け取らざるを得ないのだった。
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