第60話

 素潜りの得意な海の男たちが綱を咥えて海に潜り、船体に結わえてから、水面近くまで引き上げる。それを船の上にいる獣人たちが引き受けて、ものすごい馬力で船を漕いで曳航し、港近くの砂浜まで引っ張っていく。水の中から砂浜に引き上げるという最も辛いところは、獣人たちの中でも力自慢が引き受ける。

 その役割分担は実に見事に機能して、あっというまに四艘の船が砂浜に打ち上げられた鯨のように横たわっている。


 船の出入りがなくて静かな港は実に寂しくて気が滅入るが、がやがや騒がしければそれだけ前向きになれるというものだ。


 そして今日一番の難物である、ハントの商船の引き上げが始まった。

 沈没した船の位置関係から、積み荷を積んだものから引き揚げるらしい。

 あと二日、竜の出現が遅れていたら、ハントは積み荷の麦を失わずに済んだ。

 世の中はそういうことで溢れている。


 だから大事なことはさっさとこなさなければならないのだと、ゲーム製作のために辞職を決意したのに異世界で目覚めることとなった自分などは、今更ながらに強く思う。

 そうなると自然と、ジレーヌ領が安定してから……なんて思って先延ばしにしていた諸々のことも、いよいよ手を付け始めることとなった。


「あなたの言うとおり、税金を分捕る約束を取り付けたわよ」


 難物の船の引き揚げ作業を見ていたところに、イーリアから声をかけられた。徴税の会議の後は、船引き上げと修復の感謝ということで小さな酒宴でもてなされていたが、それも終わったらしい。イーリアもクルルも素面に見えたが、近くによるとちょっとだけお酒の匂いがした。

 そのイーリアが、こちらに近づくなり脇腹を叩いてくる。


「これでお望みの人が雇えるんでしょ?」


 責めるような口調ではあるが、本気で怒っているわけではないだろう。

 けれど本当にまったく怒っていないかというと、また違う。

 それはこの機に乗じて、やや無理にでも税金を集めるというその理由に原因があった。


 商会独自の船を所有するため、ということもあったが、別の計画のためにも資金は必要なのだ。


「どれくらいお金がかかるのか、まったくわかりませんけど、多分、足りるでしょう」


 自分の言葉に、イーリアもクルルもため息をつく。

 特にクルルが不満気だ。


「魔法陣を調べるのなら、私でいいだろうが」


 税金で早急に雇うべきだと主張したのは、まず領地の経営を支えてくれる文官たち。それから、合成魔石に気がつくきっかけとなった、教会に残る伝説の魔法陣を解析する人員だった。


「クルルさんはなにかと仕事があるでしょう。それに、前の世界でそうだったんですが、こういうことに異常に適性がある人、というのがいるはずなんです」


 いわゆる数学の天才だ。

 普通の人にはわからないパターンなどを、数字や図形の関係性から見抜いてしまう人。

 あるいは、見抜かずにはいられない人。


 数学の力は後天的に磨くこともできるが、生まれた瞬間から天才というのは本当にいる。例えばフリードリヒ・ガウスなどは逸話に事欠かないし、伝説の在野の数学者、ラマヌジャンの話なんかも自分は好きだ。正式な数学の教育をほとんど受けていないのに、独自に数学の先端分野を切り開いたという偉人だ。


 島の中でさえもきっと、そういう人が埋もれているはず。

 州都など人口の多い場所なら、間違いなく見つかるだろう。


「伝説の巨大魔法陣の謎を解明しないことには、合成魔石の扱いに困ります。逆に言えば、解明できれば、合成魔石の利用方法も見つけられると思います」


 誰に聞かれるかわからないので、声を潜めてそう言った。


 竜討伐の際には、どさくさに紛れて三級の大きさの合成魔石をクルルに使わせた。

 けれどもっと落ち着いた場面でなら、クルルが合成魔石を使っていることに、ゲラリオはほどなく気がついてしまうだろう。ゲラリオは信用できるとも思うのだが、この秘密を明かすにはまだ早い気がした。

 こそこそしながら使うのは不便だし、それでなくたって、合成魔石の製造というすさまじい技術を見つけ出したのに、現状ではそれを直接利用することができないもどかしさがある。


 なぜなら、この知識は誰にでも簡単に真似できてしまうから。


 しかも爆速で魔法を無限に拡大できてしまうので、教会に残っている伝説の巨大魔法陣の復元までもが、容易になってしまう。

 その事実が知れ渡った時、人々がどんな行動をとるのかは、簡単に想像がつく。


 ただ、隠し続けていればそれで大丈夫、というのもまた、よくよく考えれば間違いだと気がついたのだ。


 自分は技術の歴史を知っている。過去の偉大な発見では、同時期に多くの人が同じことを思いつく事例が多かった。電話などが最たるもので、ほんの数時間の差で、複数の特許が申請されたくらいなのだ。

 ジレーヌ領の鉱山で死体に魂が宿ったのは、記録でも百年ぶりらしいが、鉱山が百個あれば毎年誰かが蘇っていてもおかしくない。そして鉱山の数は、多分百以上ある。

 鉱山帰りのうちの何人が先進的な科学文明からきた魂かはわからないが、ゼロということはあるまい。ということは、自分たちの前によみがえった誰かがすでに合成魔石に気がついている可能性だってある。そしてその誰かが破滅を望むマッドサイエンティストである可能性も、ないとは言い切れないし、領土欲に駆られたノドンのような人物である可能性となると、もっと高くなるだろう。


 だとすると、自分たちの身を守るためだけでも、巨大魔法陣の解析は必要だった。


 なぜならば、敵の核兵器の使用を抑止するには、こちらも核兵器を所有するしかないのだから。


 それにこの解析には、希望というか、願望も混じっている。

 もしも伝説の魔法陣が後世にでっち上げられた、権威付けのためのインチキな魔法陣だと判明すれば、合成魔石の危険性は大幅に下がることになる。

 魔石を大きくすれば魔法の威力も上がるので、いくらでも魔石を大きくできる合成魔石の技術はその意味では危険だが、黒色火薬で核兵器を再現しようとするのは、ちょっと現実的ではないからだ。


 いずれにせよ、合成魔石を利用できる準備を整えておくことは、いざというときに取れる選択肢を増やすことになる。

 よって、教会などに残された伝説の大魔法陣の解析は焦眉の急。

 その人員を雇うための費用を、早急にひねり出す必要があった。


 けれどその理屈をこんこんと説明した後でも、二人の少女たちの顔は晴れなかったのだ。

 なぜならば。


「だが、魔法陣の解析は……」


 クルルを見やると、唇を尖らせていた。


「お前たちが前にいた世界に戻るための、その帰還の方法を探る意味もあるんだろう?」


 健吾もこの世界に来た当初は、魔法陣にその方法を求めたらしい。

 なにせ魔法の媒介となる魔石が採れる鉱山に置いておいた死体に、魂が宿るようなことが起こるのだ。ならば世界を行き来するような魔法があると考えても、さほど突飛な発想ではない。


 健吾と二人、そんな話を夜の屋敷でしていたところ、一人居残って魔石加工の練習をしていたクルルに聞かれてしまったのだ。


 クルルのその尖った唇の意味と、特に関心はないというそぶりで船の引き上げを見ているイーリアのしょげた尻尾の意味は、さすがに鈍い自分にも分かる。


「船があっても、必ず乗るわけではないです」

「……」

「でも、あれば安心できます」


 クルルはそれで目を伏せたが、代わりに視線を海から戻したのはイーリアだ。


「確かにあなたの安心かもしれないけど、私たちの不安でもあるのよ」

「それは」

「だって、都合が悪くなったらいつでも逃げ出せるじゃない」


 思いのほか強い言葉に驚いた。

 けれどすぐに、イーリアの目の奥にある恐れに気がついた。

 その人生経験から、どうしても見捨てられることを想像してしまうのだろう。


 手に取るようにわかる他人の気持ちはというのは、置き場所に困る金魚鉢みたいなものだった。


「逃げ……出すときは」


 自分は水のたっぷり入った金魚鉢を持て余し、彼女たちに押し付けた。


「おふたりも一緒に逃げましょう」


 華奢な女の子二人は、手渡されたものの重みで体が傾いていた。


「ふたりなら向こうでもアイドルとかで大活躍できますよ」

「……あいどる?」


 ショービジネスと言えば酒場の踊り子か吟遊詩人くらいのここで、アイドルの概念を伝えるのは至難の業だ。

 それに二人の頭の良さなら、きっと可能性は無限だろう。


「ちなみに向こうの世界では、夏は冷たい風が出て、冬は暖かい空気が出てくる便利な箱があります。実に快適ですよ」


 いたずらめかして言うと、二人の目が丸くなる。


「ケンゴの奴も真冬にそんな話をすることがあったな。えあこんとか言っていたが」

「ヨリノブたちの世界にも魔法があるのよね?」


 そういえば前の世界でも、エンジニアリングやプログラミングという魔法を本当の意味で扱えるのは、極一部だった。


「自分はあちらでも魔法を使えませんでしたけど」


 その言葉に、イーリアもクルルもふっと鼻で笑う。


「十分魔法じみたことをしているわよ、ねえ?」

「こいつは馬鹿なんですよ」

「ええ?」


 戸惑うこちらを見て、イーリアとクルルは揃って笑う。

 魔法陣の解析をした挙句、自分が元の世界に帰るかも、なんていうことにはっきり寂しそうにしてくれた女の子たち。

 そのイーリアが、港に顔を向けた。


「船が上がってくる」


 海から船首が顔を出し、溜まっていた空気が漏れ出るせいで、まさに鯨の潮吹きみたいになっていた。


「大量の麦を積んでたんだっけ」


 勢いがついていたのか、船はこのまま浮かびそうなくらい水面から顔を出して、ほどなくまた力なく海の中に沈もうとする。そこを小舟や急ごしらえの筏に乗った獣人や荷揚げ夫たちが支え、落ち着いたところを砂浜に向かって曳航していく。

 船の話をしたのは、気恥ずかしくて辛気臭い話はこれで終わり、ということだろう。


「ですね。食糧事情もどうなるかわからないです。バックス商会は事態を把握したら、足元を見てくるでしょうし、ハント商会の御主人じゃなくても頭が痛いです」

「うーん……塩漬けの麦って食べられないのかしら」

「食べられるかどうかで言えば、食べられそうですが」


 ちょっと野性味の強いクルルは、そんなことを言う。


「厄介なのは、本当に飢饉だったら黙って食べるでしょうけど、今はお金を払えば普通の美味しい食べ物が買えるだろうってことです」


 しかもノドンという重しがなくなって、ジレーヌ領は空前の好景気だ。

 イーリアとクルルが揃ってこちらを見て、不承不承うなずいていた。


「輸入のために島から金貨が出ていくのは、島がそれだけ貧しくなることです。あの麦も、なにかに利用できたらいいんですけど」


 クルルは曳航されていく船と、掛け声に合わせて泳ぐ男たちを眺め、言った。


「あの麦でパンでも焼いてみるか?」


 横からイーリアが口を挟む。


「私は普通の美味しいパンが食べたいわ」


 これが普通の、偽らざる感想だ。

 ハント商会の主人が絶望していたのは、食べてくれるのは放し飼いの豚くらいだとわかっているからだろう。


「捨てるのもあれですから、考えてみましょう。それに、この後ドドルさんたちと食べ物のことで話し合いですし」


 イーリアとクルルが、また揃ってこちらを見る。


「……今朝あれだけ竜の肉の残りを食べたのに、なんでそんな顔をしてるんですか」


 物欲しそうな二人の顔に呆れて言うと、育ち盛りの女の子たちは互いに顔を見合わせて、肩をすくめ合っていたのだった。


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