第61話

 日も暮れかける頃、港での船の引き上げがある程度落ち着いてから、竜の解体現場に向かった。

 ちょっと前まではどこに行くにも用心棒として着いてきてくれたクルルは、さすがに領内もいい加減安全だろうと思ったのか、徴税関連のことでイーリアと書類仕事をしている。


 商会に赴けば、竜の肉を朝からずっとピストン輸送していたらしい荷馬車がちょうど現場に向かうところだったので、それに乗せてもらってがたごとと現地に向かう。

 到着すると、作業場の周囲の木々には肉食の鳥がずらりと並んでいるのに気がついた。血の匂いに引き寄せられたのだろうが、鳥に食べさせるには竜の肉はあまりに高価すぎる。


「お、港はどうだった?」


 体中竜の血まみれの健吾が、こちらに気がついて手を振ってくる。


 ちなみに血も集めて、塩水で固まらせてゼリーみたいにするらしい。熱い麦粥に乗せて食べるようで、病人食の一種だという。

 イーリアやクルルは露骨に嫌そうな顔をしていたが、中華風の粥みたいでおいしそうだなと言ったら、白い目で見られた。

 ホヤや納豆を食べる日本人に敵なしだ。


「引き上げは順調だったよ。誰も喧嘩しなかったし」

「そりゃよかった。こっちも和気あいあいだ」


 夕暮れも近く、あちこちで役得のバーベキューが始まっている。

 肉はものすごい量があるせいで、すべてを保存しきれない感じだし、内臓類も保存のための塩や蒸留酒が足りていないらしく、腐らせるくらいなら食べてしまったほうがいい。

 肉屋もここぞとばかりに買いつけにきていたはずだが、なお余っているようなので、いっそ町の人々に全部振る舞うべきかもしれない。


「ただ、鉱山はひどいね……」


 竜の解体は、一匹目の竜を叩き落とした穴で行われているが、そのすぐ上が鉱山の入り口になっている。今はそこは入り口が崩れ、ほとんど埋まってしまっていた。


「中に潜った奴の話じゃ、坑道の支柱が折れたりと、ずいぶんひどい惨状らしい。鉱石の在庫は無事だったが、採掘再開まで時間がかかるかもなあ」


 鉱山監督官の健吾がそう言うので、実際にひどい状況なのだろう。


「あ、そうだ。ドドルさんは?」

「ん」


 健吾が顎でしゃくった先には、獣人の巨体がすっぽり入ってしまうような竜の胸骨の下で、あばら骨を巨大なのこぎりで切り分けているドドルがいた。


「飯の相談だっけか?」

「飯じゃなくて、食料の生産ね」


 そんな話をしていたら、脊椎からあばら骨が外され、彼らも一息ついていた。

 自分たちが食べた最良の肉もあばらの骨がついていたが、あれは内臓を守るためについている骨だそうだ。竜のあばら骨は三層構造になっているらしく、剣とか槍とかではどうあがいても致命傷を与えられないとのことだった。


「ドドルさん!」


 名を呼ぶと、ドドルがこちらに気がつく。そして周りの獣人に指示を出してから、のっしのっしと近づいてきた。


『竜殺しのヨリノブか』

「また名前が派手に……」


 ふたつ名は獣人たちの文化らしいのだが、健吾がゲラゲラ笑っていた。


「食糧問題のお話を早めにしたくて」

『ああ、ワレらにも関わる話だからな、もちろんだ。おい! 酒と肉をくれ!』


 初対面の時は、隙あらば噛み殺すくらいの敵対心に満ちていたドドルだが、だいぶ打ち解けてきた気がする。

 それに彼らと付き合ってみてわかったが、口調がきついのは不機嫌だったりするのではなく、声が低すぎてぼそぼそ喋るとなにを言っているのかまったく分からないせいのようだ。


「魚の養殖は考えて準備もしていたんですけど、畜産はまったく手をつけていなかったなと思いまして」

『畜産』


 ドドルは麦酒をがぶ飲みし、半生の肉を手づかみで噛みちぎる。


「鶏、豚が主なところです。とにかく竜の出現と船の沈没で、危機感を抱きました。島の食糧事情は悪すぎます。可能な限り自前で生産できるようにしたいんです」

『ふん。羊と山羊は町の外でよく見かけるが、それとは違うのか』

「羊を増やそうと思えば広大な牧草地が必要ですし、山羊の塩漬け肉は売れ筋じゃなくて」


 ドドルは目を細めてこちらを見やる。


『山羊の肉はあの臭みがたまらんのだがな』

「それに効率的に増やすにはどうなのかなという面も」


 ドドルはうなずく。


『鶏と豚はワレらも重宝する。放っておいても勝手に増える』

「なのに、大規模に生産している人が皆無なんです」


 これはちょっとした謎だった。畜牛は羊以上に牧草が必要なのできつそうだが、養豚と養鶏なら餌の縛りが少ない雑食なので、難易度は下がるはず。実際、町中で勝手にごみを漁って育ったものが肉屋に並んでいる。


 なのに大規模には誰もやっていない。


 当たり前に思いつくことをだれもやらないという異世界あるあるなのか? と思いつつも、商会の面々に聞いて回って、理由はほどなく判明した。


「商会が初期費用を用意しますから、獣人の皆さんで担ってもらえませんか?」


 どんなものでも、工業的に生産しようとする最初の難関は資本だ。

 放っておけば町のごみを漁って増える豚や鶏でも、大規模に増やそうと思えば設備が必要になる。

 土地、飼料、人員の確保と数え上げていけば、金額もかなりのもの。

 食料自給率の低いジレーヌ領で養鶏や養豚がまったく行われていないのは、その初期投資を担える人がいなかったから。


 けれどそれだけならば、どこかの商会が手を出していてもおかしくはない。

 だからもうひとつ、この社会ならではの難関が存在するのだ。


「うちなら、工房や商会で食事を振る舞っていますから、安定した肉の需要があります。生産したものを自家消費できます。なので、大量に増やしたところを肉屋につけこまれ、安値で買いたたかれる、という危険もありません」


 需要があるのに誰も養鶏や養豚をしない最大の理由は、これだ。


 何人たりとも肉屋を迂回して肉を売るべからず、という特権によって、肉屋の組合は守られている。

 そうなると増やした豚や鶏を売る先は、限られた肉屋だけになる。

 放し飼いや片手間で育てたものをたまに売る程度ならともかく、工業的に増やすとなると話が変わってきてしまうのだ。


 潰しても冷蔵庫がないから保存できないし、かといって生かしたままにしていればどんどん年を取り、餌代もかかる。

 そこにつけこまれて買い控えをされたら、生産者側が折れるしかない。

 肉屋からは散々恩着せがましく嫌味を言われ、安値で買いたたかれるのが目に見えているから、誰もやらないのだ。


 けれどタカハシ工房と商会では、毎日働く者たちに食事を振る舞っている。

 最近はそこに獣人も加わったので、毎日の食事は結構な量になるし、安定した需要だ。


 そこで畜産を担う獣人を商会で雇えば、商会の人員への肉の提供は身内への提供であって売買ではない、という建前になる。

 よって、肉屋組合の販売独占権にも抵触しない。


 そして商会も工房ももっと大きくする必要があるのだから、自分たちの消費を賄えるようにするだけでも、領内の肉消費の少なくない部分を賄える。

 こうやって既成事実を作ってから、肉屋の特権をなし崩しにしていければ、やがては大規模な畜産事業への道が開けるはずだ。


「それから、獣人の皆さんの保存食の知恵と技術を借りたいんです」


 これは竜の解体の件で気がついたことだった。

 聞けば、獣人たちは政治的に不安定な身分のため、流浪の民として生きる者が多い。

 ある日権力者の気まぐれで町から追い出されることが普通なので、保存食を携帯するのが常となっているらしい。しかもそうやって追放されてきた色々な土地の者たちと交流するから、知識も技術も磨かれていく。

 竜の加工や保存がものすごいスピードで行われているのも、彼らのそういう独自の文化があるからだ。


 骨接ぎ医のゴーゴンの家に行った時も、ヨーグルトみたいな発酵飲料をだされたし、あれは人間の店ではまず見かけないものだった。

 獣人たちは保存食のみならず、発酵食品にも強い。食あたりを起こしたら致命的なこの世界では、人間は伝統的な発酵食品以外を敬遠する傾向にある。

 けれど獣人ならば、腐っているかどうかはその獣の鼻でたちまちわかるので、保存食や発酵食品を製造するのにうってつけなわけだ。


「畜産と保存がうまくいけば、かなり食糧事情は改善するはずです。なにかの事情で島から出られなくなっても、すぐには飢えないくらいになると思います」


 話している最中に、竜の肉を差し出されて自分もかじるが、三食竜の肉だとさすがにきつくなってくる。

 健吾は獣人に近いといわれるだけあってうまそうに食べていたが、よく見ると脂の少ない赤身肉ばかりなので、筋肉への気配りは欠かしていないらしい。


『戦の気配があるのか?』


 ドドルの静かな問いに、自分は危うく肉を詰まらせかけた。


「げほっ……い、いえ、そういうわけではないんですが」


 けれど、どきりとしたのはある程度の予感があるからだ。


「ただ……竜の発生は、鉱山の豊富な鉱脈を示唆するとか」


 健吾を見やれば、鉱山監督官殿は肩をすくめる。


「経験則みたいなものだが、よその鉱山で竜を見たことのある者たちは、口を揃えて、宝の山になるだろうと言ってるな」

『しかも二匹だ。そのうえ、お前ら鉱山帰りまでいる。濃い魔石の力で溢れているのだろう』


 確かに、とうなずくし、そうなるとますます懸念は杞憂ではなくなるだろう。


「島の魔石を買い取ってくれるのは、今のところバックス商会だけです。もしも鉱山が大鉱脈を抱えているとなったら、どうなりますか」


 世知辛い世の中を生き抜く獣人は、こともなげに言う。


『分捕りにくるだろうな』

「です。なので、最悪のことを考えて、足元を固めるべきかと」


 ドドルはしかし、うなずくこともせず肉を噛みちぎり、飲み下し、酒を流し込む。

 その手順をたっぷり三度繰り返してから、言った。


『ワレらが獣を育てる。なんなら保存食に加工をする。それはいいとしよう。だが』


 ドドルの大きな目が、ぎょろりとこちらを見る。


『それを食べたがる人間が、本当にいるのか?』

「え?」


 驚く自分を、ドドルがまっすぐに見据えている。


「それは……」


 忘れていた。ついこの間もまさに直面した話題だった。


 荷運びに獣人を活用し、同じ職場で働くことを人々が許容するのだろうか。

 荷運びについては問題が起きなかったが、食べ物についてはどうか。


 工房の食事を賄っていたクルルは、職人たちの家族が厨房に立つようになった途端、一度身を引いたのはなぜだったか。


『荷運びとはわけが違う。それに、麦や野菜ならばともかく、家畜となるとな……』


 珍しく言葉を濁すドドルを見て、健吾がため息交じりに日本語で言った。


「獣人と獣は見た目が近すぎるんだよ」


 獣に近い獣人が、獣の肉を取り扱う。


「共食い的ななにかを想像するから、あらぬ噂が立ちやすい。例えば連中が、役に立たなくなった仲間の肉を売っているのではないか、とかな」


 健吾の話に、顔が歪んでしまう。


「まあ、羊飼いや山羊飼いに獣人を雇わないのは、誰も見てない草原でつまみ食いをされるから、なんて話もあるようだが」


 そこはこちらの言葉で健吾は言って、ドドルを見やる。


「否定しないだろ?」

『……ヒトにも盗人はいるだろう』

「胃袋のでかさが違うんだよ」


 健吾は笑い、ドドルは不服気に鼻息を荒くしている。

 きわどいジョークだが、それくらいふたりの気心が通じているということだ。


『ただ、竜を屠りしヨリノブよ』


 またふたつ名が大仰になったような気がしたが、ドドルを見る。


『お前はこの島で、イーリアに次ぐ地位にある。なんならあの小娘以上だ』


 新しい酒を樽から注いだドドルは、口をつけずに言葉を続けた。


『お前が食えと言えば、傘下の者は皆が食うだろう。鼻をつまんでな。しかしその都度、腹の中には敵意が溜まるはずだ』


 そんなことは……と言いたかったが、自信はなかった。

 本当ならば否定すべきことなのに、この世界に住む者たちの間には、彼らなりの文化的な深い溝がある。


「誰か人を挟んでもだめか?」


 そこに健吾が言った。


「人が共に働いていれば、いくらかごまかしは効かないかな」

『どういうことだ?』

「ここじゃあんまり飲めないが、葡萄酒の話だよ」

「葡萄酒?」


 自分も健吾に尋ねると、意地悪な笑みを返される。


「収穫の祭りで葡萄を踏み潰すのは、いつだって可愛い女の子たち。でも、普段の単調な仕事の中で葡萄を踏み潰すのは、どんなおっさんの足だろうな?」


 口をつけかけていた酒の手が止まるし、ドドルも理解したらしい。


『ワレらと豚の血まみれになって働きたいという、奇特な人間がいればいいが』


 竜の解体現場を見回しても、実際に臓物を引きずり出し、たまった血を汲み上げ、腐りかけの肉を切り分けたりするのは獣人たちだ。

 荷馬車を引いてやってくる商会や職人の人間たちは、少し離れたところで、血に触れない仕事をしている。健吾を見ていると錯覚するが、やはり人と獣人の立ち位置は遠い。


「そのあたりは……探して、みます」

『ふん。ワレらのことを気にせず、オマエたちだけでやればいいのだ。それならば問題は起きまい。保存食の話は、所詮技術だ。オマエらに教えられないことではない』


 そう言った時のドドルはこちらを見ず、どこか遠くを見ていた。

 その横顔にひどく既視感があったのは、出会ったばかりのクルルやイーリアたちにそっくりだったから。

 深い諦念と無力感。


 けれど自分は、まさにドドルでさえ見せるその感情が理由で、この話に獣人を絡めようとしたのだ。


「可能な限り、皆さんに働いてほしいんですよ。島のために」


 ドドルが顔をしかめる。


『安い同情か?』


 その目が、出会ったばかりの頃の、剣呑なものになる。


「違いますよ。冒険者の話を思い出してください」


 ドドルはきょとんとする。

 それから、なんだか嫌そうな顔をした。


『……なにか企んでいるのか?』

「ええ。なんたって悪徳商会の主人ですから」


 するとドドルは、いびつな感じに、口の片方だけ牙を見せた。

 どうやら笑ったらしい。


「冒険者の構成ですよ。獣人が必須だったでしょう?」


 危険を顧みず魔法使いの盾となり、彼らが魔法を使えるようにする前衛役が、獣人の役割だ。


「そして腕の立つ冒険者の皆さんは、必ず前衛役の獣人と深い信頼関係を結ぶそうです。つまり」

「つまり獣人の環境を改善すれば、放っておいても冒険者が島にやってきてくれるかもしれないってことか」


 引退を考えていたゲラリオたちはまさに、ツァツァルのため、この島の噂を辿ってやってきた。

 島の生産力は限られるから、人口をむやみに増やすわけにはいかない。それは自然と、軍隊の規模が限られることを意味している。


 しかし魔法使いとは、文字どおり一騎当千。


 仮に引退した冒険者たちでも、島に近づこうとする不埒な船を沈めるくらいの魔法は使えるはず。十分な数の冒険者がいれば、鉄壁の防御を築けるだろう。

 つまり獣人たちを島の経済に活用するのは、決して、彼らの境遇改善という慈善の精神のためだけではない。


 獣人の住みやすい島という話を確立できれば、それが冒険者を引き寄せ、世知辛いこの世界の荒波から島を守るための防衛力となりうるのだ。


『ふうむ』


 ドドルは唸る。


『ワレらを囮にしようとするその根性は、見上げたものだ』


 そして、手にしていたままだった竜の生肉を噛みちぎり、飲み下す。


『だが、ツァツァル師のような者のためならば、ワレらは喜んで囮になろう』


 健吾はにやりと笑い、ドドルの肩を叩いている。


『それに大規模な畜産とやらは、ワレらも強い興味がある。独自にやることができれば、飢える仲間がいなくなるだろう』

「でも、それだと肉屋が怒るんだよな?」


 健吾の言葉にうなずく。


「イーリアさんの強権を出すべきか……とも思うんだけど、パン屋と肉屋の組合とはまだ揉めたくない。ストライキみたいなことをされたら、せっかくイーリアさんの権力が安定してきたのに、反乱がおこるかもしれないから」


 前の世界でもパン屋と肉屋のふたつは、歴史的に強力な二大組合だった。ここでもそれが変わらないのは、人々の生活の根底を司っているからだ。


「ですから、難しいかもしれませんが、色々方法を調べてみます」


 獣人が畜産に関わり、人々が躊躇いなくそれを口にできるような方法。


 ドドルはしばし迷ったようにしてから、曖昧にうなずいた。

 あまり期待せずに待つ、という感じなのかもしれない。


『日が暮れきる前に、もうひと仕事できそうだな』


 腹ごしらえのすんだドドルは、立ち上がるとそう言って、作業に戻っていったのだった。

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