第59話

 竜の脂で作った石鹸は、五倍の重さの金と交換されるらしいと後で知った。

 恐ろしく贅沢な話ではあるが、確かによく汚れが落ちた。

 それに肌がいやにつやつやしているが、これは竜の肉の効果かもしれない。前の世界でもすっぽん鍋を食べた翌日には、顔がてらてらになっていたのを思い出す。


 昨晩の乱痴気騒ぎで二日酔いに苦しむ者たちも多かったが、竜騒ぎの後片付けはまだ終わっていないので、早速仕事を開始した。竜の解体もすぐに腐る肉類の一部を町に運び込んだにすぎず、残りは現地で燻製なり干し肉なりにして、商品にしなければならない。


 さらに竜の皮膚からは武具の材料となる鱗を剥がし、服飾品に使えるらしい皮の部分はなめしておく必要がある。内臓類はこれまた貴重な薬になるそうで、蒸留酒につけこみたいと注文が殺到した結果、商会の酒の在庫が空っぽになってしまった。蒸留酒は薬や消毒、それに教会の儀式なんかでもたまに使うので、なるべく早く在庫を復活させなければならない。

 骨、角、爪、といったものも、煎じて薬にしたがる薬種商人から、加工して装飾品にしたがる細工物の職人までが買いつけにきて、その対応に追われた。


 金貨を島にもたらすためには、竜の身体を可能な限り輸出に回したかったが、それ以外の物はほぼ一瞬ですべてに買い手がついた格好となった。


 健吾やゲラリオたち、それにドドルら獣人たちが竜の解体や保存という力仕事に勤しむ傍ら、自分は商会でこの手の商いを処理していた。

 そうして商会の金貨をかき集めて計算してから、ようやくひとつの判断を下すことができた。


 自分とイーリア、それにクルルの三人が赴いたのは、竜騒ぎの時には最も大混乱に陥った、領地の港だった。


「沈没した船は、イーリア様の名において引き上げ、修復いたします」


 港に集まった船主たちは、自分の宣言に大きな口を開けた。それからある者は膝をついて歓喜の声を上げ、ある者はその場で飛び跳ねて家族と抱き合っていた。


 立ち会ったイーリアに対しても口々に感謝の言葉が向けられるのだが、人から感謝されることに慣れていないイーリアは、外向けの笑顔を顔に張り付けたままロボットのように手を振ったり握手したりしていた。


「ついては、引き上げの具体的な話ですが……」


 自分が説明したのは、竜の騒ぎの際に沈没してしまった船の、その持ち主たちに向けての救済策だった。


 島から逃げ出そうとしたたくさんの人が限られた船に殺到した結果、当たり前だが船は沈没した。

 幸いに死者はでなかったし、港の岸壁沿いに沈んでいるので、すべての沈没船の場所はわかっている。木材は高価なので、船は沈没したからといってそのままにせず、修復するために引き上げるべき。


 けれど漁師はほとんどその日暮らしだし、積み荷をすべて失った商船主などでは自費で船の引き上げなどできず、修復となるともってのほか。


 それで竜の売却代金のめどが立ったところで、自分の商会、つまりはイーリアの名においてそれらを肩代わりしようということになったのだ。


 船主たちへの説明がひと段落すれば、今度は実際に引き上げてくれる者たちの対応だ。

 港で待ち構えているのは、綱を肩にかけたもろ肌の男たち。


 荷揚げの件で話をしたカッツェと、商会で雇っている獣人たちだ。


「いよう、ヨリノブの旦那」


 カッツェが早速声をかけてくる。


「準備はいかがですか?」

「滑車もなしにやるのはちと辛いがな。浜辺はさほど遠くない。お前ら、段取りはわかってるな?」


 この世界では船といっても、中には木材を綱でまとめただけのいかだみたいなのも少なくない。沈没もしょっちゅうで、港で働く者なら一度や二度は対応したことがあるらしい。


『素潜りは不得意だが、引き上げなら問題ない』


 筋肉が多すぎると水に浮かず、酸素消費も激しくなる。なんでもできそうな獣人たちも、泳ぎはあまり得意ではないらしい。

 そう思ってみれば、ここにいる獣人たちはみな、毛皮の毛が短い者たちばかり。


 獣人チームは二手に分かれ、見るからに力持ちの者たちは浜辺で船の引き上げを待ち、残りのスマートな者たちがカッツェらと共に海上の作業を受け持つらしい。


「というわけだ、大将」


 カッツェがこちらを見やる。


「ではお願いします!」


 町中から集めた綱を肩に巻いた男と雄たちは、それぞれ作業に取り掛かったのだった。



◇◇◇◆◆◆



 船は島の生命線。


 商会でも自前の交易船が欲しいのだが、漁師がたった一人で取りまわすようないかだ程度のものならともかく、荒波に耐えられる商船となると、一隻当たり金貨で十万枚の単位になるらしい。

 商会の現在の利益だと、一年分を丸ごと費やす羽目になる。


 ノドンはバックス商会のコールと一緒になって私腹を肥やしていた関係もあるだろうが、自前の船を持たなかったのは、独特のリスク管理だったのかもしれない。

 自前の船に自分の荷を乗せて万が一沈没すれば、一瞬ですべてを失ってしまう。

 だから船の危険はすべてバックス商会に任せ、運賃を支払うのが賢いという算段だったのだろう。


 けれどこのジレーヌ領でなにかあった際、島から外に向かうための手段が手元にまったくないというのは、恐ろしいことだと実感した。竜の売却代金で島の船を修理した暁には、自前の船の調達も優先事項に上げなければならない。


 そのための資金繰りを考えるとたちまち頭が痛くなるのだが、そこはイーリアにも協力してもらうことで解決できるだろうということになった。

 イーリアには、商会よりも強力な集金装置があるのだから。


 船の引き上げと修復代金をすべて肩代わりするのは、なにも慈善の精神の表れではない。


「では、関税と港の利用税、それに港での取引税について話しをします」


 カッツェや獣人たちが港で船を引き上げる間、港で最も大きなノドン商会の倉庫に集まった漁師や船主の面々は、イーリアからそう告げられた。

 船の引き上げ費用と修理代を肩代わりしてもらう以上、彼らに断れるはずもない。


 それにノドンがいた頃は、あれこれの名目で上前をはねられていたので、税を支払ったら生活が立ち行かない、なんていう言い訳も許さない。

 問題といえば、税率と、その徴収だった。


 港で働く者たちの商いに通じ、適切に数字を扱える者がいなければ、税を定めるだけでは意味がない。

 しかも嫌われ役になることの多い徴税の仕事を、誰かに請け負ってもらわなければならない。


 しかし今は、まさにその適任がいた。


「徴税請負人には、ハント商会の主人を任命します」


 イーリアが粛々と話を進めていくと、名指しされたハント商会の主人が椅子から立ち上がり、集まった面々に会釈をした。

 腹回りは立派な商会の主人然としているが、顔はげっそりやつれている。


 それもそのはずで、港に沈んでいる商船は二隻ともハントのものだった。しかも片方にはたっぷりの麦を乗せていたというのだから、彼の全財産はほぼすべてが海の底だ。

 船は引きあげてイーリア持ちで修理するとしても、積み荷の麦はおそらく駄目だろう。

 商会も船と商品が無ければ開店休業で、働く者たちを養う経費も賄えない。


 損害保険だの失業保険だののないこの世界では、普通なら破産してゲームオーバー。


 となれば、文字の読み書きができて、町の商会や彼らの商取引に詳しくて、さらには貨幣の計算に強い人手が余っているこのハント商会というのは、徴税請負人としてあまりにぴったりなわけだ。

 ここで利用しない手はない、ということで自分とイーリアは徴税計画を立てたわけだ。


「イーリア様、質問が」


 そんな折り、一人の商人が質問した。


「これは臨時の税ですか?」


 古い時代、税は恒常的なものではなく、戦などで必要になった時に集められるのが基本だったらしい。そのことを踏まえての質問だったろうが、イーリアは笑顔を欠片も崩さない。


「いいえ、これからずっとです」


 隙あらば税を減らそうという商人たちに譲歩していたら、いつまで経っても領主としてのイーリアは財政的に自立できない。

 それに竜を討伐した後の今なら、譲歩の必要だってない。


 今のイーリアの発言というのは、「貴族のお遊びで生まれた獣耳の女の子」のものではない。

 実際は屋敷で寝ていたにせよ、傍から見れば「竜討伐を指揮した領主様」だ。


 発言に宿る迫力が今までとは違う。


 強気に出て、決めにくいことを勢いに任せて決めていくには、今が絶好の好機。

 というようなことを事前にイーリアと話した時は、クルルが呆れるくらい嫌がって駄々をこねていたが、いざその場になればきちんとこなすあたり、やはりイーリアはクルルより悪い女の子だ。


「それでは、税率や徴収時期については先ほど話したとおりです。子細はハント商会の主人と決めてください」


 イーリアは背筋を伸ばし、わざとらしいほどに事務的に言う。


 すると集った商人たちははっとして背筋を伸ばし、おおせのままにと返事をしたのだった。

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