第52話

 ゲラリオはただちに動いた。


 クルルが魔法使いドラステルだということまで知っていて、すぐに変装してイーリアと共に獣人の護衛をつけて教会に行け、と指示を出す。

 なぜワレらまで教会に、とドドルが噛みついたが、お前らが人間の敵じゃないと示さないと、竜と一緒に殺されるぞとゲラリオに言われていた。

 ついでに、お前らじゃないと暴徒からイーリアたちを守れないし、このお嬢ちゃんを失うとこの領地はろくでもないことになって全員の損だ、と言われたら、ドドルも怒りを噛み殺し、受け入れるほかなかったようだ。


 そしてイーリアのほうは、教会の司祭と協力し、この事態に立ち向かうと宣言することで人々を落ち着かせろ、と命じられていた。自暴自棄に陥った群衆はなにをするかわからないから、お前がすがられる藁になれと。

 イーリアは場慣れしたゲラリオからの指示に一言一句うなずく一方、クルルのほうはドドルと同じくらい、ゲラリオの指示に不満そうな感じだった。

 けれど今しばらくイーリアと一緒にいられることに、異論はないらしい。


 そして彼女たちが準備する傍ら、町で噂のタカハシ工房からありったけの魔石を持ってこい、とゲラリオは自分に命令した。


 一通りの指示を出し終わると、ゲラリオは健吾より筋骨隆々の男バランとともに、クルルたちが倉庫から引っ張り出してきた過去の魔物の記録をすごい勢いでめくり始めていた。


 彼らの素性はわからないし、実力だってわからない。ハッタリだけの詐欺師なのかもしれない。

 けれど本物の詐欺師のマークスはゲラリオたちに噛みつかなかったし、ドドルはゲラリオにはともかく、傷だらけの獣人ツァツァルには丁寧に接していた。


 彼らがただ者でないことだけは確かのようだ。


 自分は健吾と一緒に工房に戻り、動揺する親方たちに、これから討伐に出ますと伝えて安心させてから、魔石をありったけかき集めてイーリアの屋敷に戻る。合成魔石をもっていかなかったのは、ゲラリオが信用できるかどうかが未知数だったから。


 ちょうど屋敷から出た時に、ドドルとマークスの部下たちに守られた、クルルとイーリアとすれ違った。

 イーリアは泣きはらして真っ赤になった目元をおしろいで隠し、変装したクルルはフードを目深にかぶっている。ただ、すれ違いざまにクルルはこちらを見て、これは夢なのか? みたいな無言の問いを向けてきていた。

 自分も首を傾げてみせると、なんだか泣き出しそうに見える笑顔を見せ、怯える群衆に向かって歩いていった。


「鱗の色は赤だって言ってたな?」


 魔石の詰まった箱をイーリアの屋敷に運び込むと、ゲラリオは一言目にそう言った。


「腹の色はおそらく黄色だったかと」


 健吾がいつもとは違う口調で答える。


「ふん……魔石の質は悪くない。ついでにお前ら、運がいいな。鱗が赤でも、腹が黄色なら炎竜じゃない。炎竜だったら、この辺が全部ゴミになってたところだ」


 ゲラリオは、炎の魔法陣が刻まれた魔石の詰まる箱をつま先で軽く蹴ってみせた。


「幼齢の竜だろう。鱗がまだ柔らかくて、寝ているところに蝋燭で照らすと赤く見えるんだが、目を覚まして日の光に当たると黒くなる。まあ、それなら炎で十分だ……おい、風魔法はないのか?」


 風の魔法陣は紋様が難しく、工房で量産化ができていなかった。独特の曲線部分があり、どの親方も不得意だったのだ。

 クルルが穴を掘るために使ったのも、商会にあった既存の風魔法の魔石から形をとったものだった。


「ないならすぐ作らせろ。大型の魔物退治には強い風魔法が必須だ。お前らの工房は一日で魔石を山ほど作ると聞いてるぞ」


 得意な魔石なら確かにそうだが、腕の悪い親方たちばかりを集めた弊害だ。

 合成魔石をだすしかないだろうか? すべてを失うくらいなら、その秘密を漏らしてしまうほうがましだろうか。

 しかしそれにしたって、ゲラリオたちの必要とする強さの風魔法が刻まれた見本の魔石がないと、プリントができない。


 そう思ったのも束の間、もっと別の方法があると気がついた。


「少し待っててください」


 再度工房に向かうのだが、イーリアの屋敷から広場に出たところで、通りの向こうから歓声とも怒号ともとれる声が聞こえてきた。ほどなく教会の鐘が鳴らされたので、イーリアがかすれた喉で人々に希望を訴えているのだろう。


 皆が己の役目を担っている。

 自分もそれを果たさなければならない。


「親方の皆さん!」


 工房に駆けこむと、相変わらず不安そうに中庭に集まっていた親方たちが、首を伸ばしてこちらを見やる。


「風魔法の魔石を大至急作ってください。なるべく強力なものを」


 親方たちはぽかんとしてから、たちまちざわざわとしだす。

 そのうちの一人が言った。


「ヨリノブ様、風魔法はまだ無理だ」

「そうだ、わしらの腕では“波紋”ができん。ましてや強いものとなると……」


 魔法陣は規格化されているので、特徴的な部位ごとに名前がついている。

 “波紋”は風の魔法陣の中で最も肝要にして、最も難しい場所のこと。


 自分も完成品を見た時は、機械で彫ったのかと思ったほど、繊細な波の紋様が刻まれていた。


「いえ、その部分以外のすべてを作ってください」

「なんだって?」


 怪訝そうにする親方たちに、言った。


「ここがどんな工房か忘れましたか。ブンギョーですよ!」


 全員がすぐにこちらの意図に気がついて、親方たちが一斉に徒弟に指示を出す。

 徒弟たちが魔石の原石や魔法陣を彫るための専用の道具を集める中、親方たちは誰が魔法陣のどこを受け持つか相談していく。


 まだ稼働してさほど経っていないのに、彼らはすっかりチームになっているようだった。


 結果論だが、自分が魔石のことをまったく知らないのはよかったのかもしれない。作業を指示する者がいないので、彼らは彼ら自身で問題解決することに慣れていたわけだ。


 そうして作業が始まるのだが、ここからは待つしかない。

 あまり作業をじっと見ていても、彼らの気が散るかと思い、イーリアの屋敷の中に戻ろうとしたところだった。


 ゲラリオと鉢合わせした。


「ほ~、これが噂の」

「げ、ゲラリオさん⁉」

「いやあ、あんたの商才を疑うわけじゃないがね、風魔法がないと勝てないからよお」


 にやりと油断ならない笑みを見せるゲラリオは、こちらの肩越しに工房の様子を眺めた後、肩をすくめていた。

 そんなゲラリオに、自分は思わず声をかけていた。


「あなたは、なぜ」


 その先には、たくさんの質問が重なっていた。


 なぜ力を貸してくれたのか。

 なぜこの島にいたのか。

 なぜ、鎧に魔石が埋め込まれているのか。


 ゲラリオはまたにやりと笑い、壁際に置かれた長持ちを見つけると、どっかと腰を下ろした。


「力を貸したのは、そうしないと俺らもやばそうだから」


 それはそうだ。島から出る船はすべて沈没し、おそらく助けもこない。

 沖合にいた船は島でなにが起こったのかさえ分からないだろうから、助けを求めるにしても曖昧な形にならざるをえない。ああだこうだとやっているうちに竜が目覚めれば、この島はたちまちビュッフェ会場だ。


「とはいえ、俺らなら船がなくとも島から逃げ出せるし、のろまなトカゲから隠れるくらいのことはできる。だから本当は、力を貸すつもりなんてなかった。俺らはもう冒険者稼業から身を引いたんだからな」


 ゲラリオも古傷が目立つし、なによりあの獣人ツァツァルだ。


「俺の仲間を見たろ」


 引退という言葉で、ツァツァルのことを想像したと見抜かれていたらしい。


「あいつはもう戦えない。だが、俺たちは三人でひとつだ。あいつだけ放り出すわけにはいかん。まあ、俺もいい加減、体のあちこちが痛い。バランだけは未だに頑丈だが、なに食ったらああなるんだ?」


 ゲラリオは自身の言葉で笑っていたものの、こちらの顔を見て、ごほんと咳払いしていた。


「ここにたまたま俺たちがいたのが不思議だって面だが……この島は、冒険者の間じゃあちょっと噂になっててな」

「……噂?」

「獣人が治める島」

「それは」

「そう、嘘だろうと思ったし、実際に大袈裟な話だった。真実は、貴族のおイタで生まれた獣人の血を引く娘が、厄介払いされていただけ。そんな具合だから実権はなく、地元の有力者たちに食い物にされていた。が、それを助けた奴がいた」


 ゲラリオが覗き込むようにこちらを見て、にやりと笑う。


「ツァツァルみたいな手負いの獣人が安心して暮らせる場所は、この世界にそうはない。もうここしかあるまいって感じでやってきたんだが、当初は期待外れだった。それでもほかに行くあてもないし、どうしたもんかなとくすぶっていたところ、なんと下克上が起こった。しかもあの獣耳のお嬢ちゃんの片割れは、魔法が使えるときた」


 その秘密を知っている人間は、部外者だとおそらくこのゲラリオだけ。人間であっても、見る目を持つ者が注意深く調べていれば、やはりバレるもののようだ。

 そんなゲラリオは、鎧にはめ込まれた魔石を古傷のように触り、言葉を続ける。


「そして見事実権を取り返し、しかも誰の入れ知恵か、急速に領地の経営を立て直そうとしていた」


 そこだけは悪戯っぽく、片目でウインクしながらだ。


「決定打は、こないだの港の話だな」

「港……あっ」

「そう。獣人に仕事を解放しただろ。それで俺たちは、お前らになら賭けてみてもいいってことになった」


 もはや自力では歩くことすら難しいほど傷ついた仲間の獣人のため、彼が落ち着ける場所として、ここを選んだ。

 州都の港に立ち寄ったことがあるというクルルの話も思い出す。


 獣人の立場は恐ろしく不安定で、それはおそらく自分が想像する以上のものなのだ。


「俺たちにとっちゃ、もうここが最後の希望みたいなもんだ。ろくでもない土地を山ほど見てきたからな」


 常に口元には笑みが残っているのに、その目には身が凍るほどの暗さが秘められている。

 ただ、その暗さはすぐに鳴りを潜め、調子の良さそうな見慣れた表情に戻る。


「お前らに手を貸すのは、お前らが手を貸すに値する存在だからだ」


 まっすぐにこちらを見つめてくる。

 自分とは明らかに違う人生を歩んできた目であり、体を鍛えるのが好きで鍛えていた健吾とは違う、体を鍛えざるを得なかった人間のみが持つ、深遠な光を湛えた目だった。


「ここで俺らが真摯に手を貸したら、お前らは俺らのことを丁重に扱わざるを得なくなる。だろう?」


 たちまちふざけた笑みを見せるのは、どこかクルルに似ていると思った。

 ゲラリオはきっと、見た目とは違うまじめな性格なのだと思った。

 クルルが口の悪さときつい目つきで本音を隠すなら、ゲラリオはお調子者のようなにやけ面で、色々なものを隠そうとする。


「それに、可愛い女の子たちがあんな様子で仲良さそうにしてるんだからよ、おっさんとしては助けないわけにはいかんだろ」


 それは多分、ゲラリオが入ってくる直前のやりとりのこと。

 それで不意に、両腕が痛痒くなり、見れば服の袖に線状の血の跡がいくつも染みていた。


「お前さんも、一番厄介な局面で、すんなりと悪役を買って出た。男じゃねえか」


 クルルからイーリアを引き離した時のことだ。肩を小突かれて、やや赤面する。

 ただ、ノドンの時もそうだったが、この世界の男たちは誰も彼もが老けているので、もしかしたらゲラリオは年下かもしれないのだが。


「互いを気遣いながら、やるべきことをやれるのは良い部隊だ」


 ゲラリオは笑みを浮かべたまま、ふと視線が遠くなる。


「……あなたはずっと、戦いを?」


 その問いに我に返ったゲラリオは、少し恥ずかしそうに頭を掻いていた。


「それしか能がない」

「ですが、魔石をつけてるってことは、あなたも魔法使いなのでは」


 頭を掻くゲラリオの手の甲にも、籠手にはめ込まれた魔石がある。

 見たことのない魔法陣だった。


「宮仕えには馴染めなくてな。魔法省で基礎だけ学んだら、さっさと逃げ出した。そこからはひたすらに戦働きよ。魔物も狩るが、人同士の戦のほうが多いかな。前線に行けばいくらでも俺みたいなのがいるし、いくらでも稼げたもんだ」


 よく見たら、左手の小指と薬指は動いておらず、義指だった。


「あの、あなたたちは、どうやって竜なんて倒すんですか?」


 たまらず問いかけると、ゲラリオは種明かしをせがまれたマジシャンみたいな顔をした。


「見てのお楽しみって言いたいが、別にもったいぶるほどのものじゃない。前衛が竜を起こし、外に誘い出す。そこに支援役が風魔法を叩きつけて動きを封じ、火力役が炎でこんがり焼いて一丁上がりよ。下手に知能のある悪魔系じゃなくてよかったな。連携の取れた魔法使いが数人必要になるところだ」


 聞けば簡単そうだが、どうしてツァツァルがあれほどの怪我を負っているのかこれでわかった。


 魔法使いといえど肉体は人間のままであり、魔物は鉱山で発生することが多いというから、魔法を撃てるだけの場所に連れ出すまでは、頑丈な獣人の役目なのだ。


「俺たちみたいな冒険者に居場所がないのは、獣人と運命を共にするからだ」


 ゲラリオが静かに言った。


「獣人と信頼関係を築けない冒険者は、必ずどこかでとちって死ぬ。例えば魔物狩りが顕著だが、最も危険な目にあうのは、おとり役の獣人だ。魔法で仕留められなかったときには、俺たちに置いていかれる危険だってある。だが、前衛の獣人が俺たちを信用してくれないと、俺たちはおちおち魔法の準備なんてできやしない。だから前衛の獣人が窮地の時は、どんなに無茶でも助けに行く。死ぬときは全員一緒。そういう関係は……世の中では異端だ」


 戦争ものの映画でよく見る、強烈な仲間意識。

 けれどそういう関係性は、いつだって戦場以外ではうまく機能しない。


「どうしてお前らに俺たちが力を貸すか、これで全部わかったか?」


 自分たちに手を貸すかどうかは、ゲラリオたちにとってもある種の賭けになる。


 もしも自分たちが獣人に敵対的で、利己的な集団だったら、ゲラリオたちを利用するだけ利用して、お払い箱にする可能性が十分にある。そしておそらくゲラリオたちは、そういう雇い主と遭遇するのが珍しくない。


 けれど自分たちがどういう集団かは、イーリアとクルルを見れば明らかだ。


「まあ、この工房が死ぬほど儲かりそうだってのもでかい」


 見慣れたゲラリオのにやりとした笑み。


「帝国金貨で毎月百枚、誰も死ななかったら二百枚だろう? そんな幸運を掴める好機はなかなかない」

「……安すぎる、とツァツァルさんは口を挟んでましたけど」


 相場がまったくわからず、自分の取引が正当なものだったのかどうか、ちょっと自信がなくなってくる。それはゲラリオたちを不当に安い値段で危地に向かわせるのではないか、という意味でもそうだ。


「まあ、場末の辺境領主だと未払いとか平気であるが、そういう場合は勝ったときに略奪し放題だからな。相場としては普通だと思うぜ。お前らを助けるのは、金貨に変えられん価値があると踏んだからだ」

「……」


 ゲラリオをまっすぐに見返して、うなずく。


「それは、多分、そのはずです」


 ゲラリオはくっと喉を鳴らして笑う。

 そうしていると、遠巻きに親方の一人がこちらを見ているのに気がついた。


「あ、魔石、ですか?」

「ええ……その、いくつか言われたとおりにできましたが……」

「おい、まじかよ。こんなに早く?」


 ゲラリオが目を丸くして立ち上がる。いくら分業とはいえ限度があるので、多分どこかに彫り途中だった風魔法の魔石があったのだろう。

 彼らは分業で自信を取り戻し、苦手な作業にも個々人で挑戦していると聞いた。


「じゃあ、仕上げをしに行きましょう」

「ん? 完成じゃないのか?」


 ここにいるのは負け犬の親方たち。

 そして分業とは、一人じゃできないことを成し遂げる方法なのだ。

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