第53話
町は閑散として、野良犬が暇そうにあくびをしていた。ほとんどの人たちが港に詰め掛けているか、イーリアの演説を聞きに教会に向かっているのだろう。
おかげで暴漢に襲われるということもなく、目的地に向かうことができた。
もっとも、バランという名の剣士がついてきてくれたので、たとえドドルのような獣人が相手でも、返り討ちにできそうだったのだが。
「……あんた」
「組合長、お願いがあります」
魔石加工組合の会館の扉を開き、そこに集まっていた憔悴顔の親方たちの視線をものともせず中に入る。
そして組合長の座る帳場台の上に、どすんとふたつの袋を置いた。
ひとつの袋からは金貨がこぼれ、もうひとつの袋からは未完成の魔石が転がり出た。
「帝国金貨で三百枚あります。そしてこれは風の魔法陣を途中まで刻んだ四級魔石です。残りを仕上げていただきたいんです」
組合長はぽかんとこちらを見上げ、ぱちぱちとまばたきしてから、泣きそうな顔にも見える嫌悪の表情を見せた。
「親方たちを徒弟にするだけでは飽き足らず、その元親方の徒弟どもの、さらに下働きをしろというのか」
呪詛のような言葉だった。
いや、ひがみのようにも聞こえるし、いじけているようにも聞こえた。
今や負け犬だらけのタカハシ工房のほうが、圧倒的に儲かっているからだ。
しかしこの期に及んでまだそんなことを言うのかと、柄にもなく怒鳴りつけたくなったところ、それは隣にいたバランがやってくれた。
「ここで死ぬか、生きるために働くかを決めろ」
バランが帳場台の上に手を置いて、ちょっと力を籠めた途端、めりめりみし、と鈍く重い音とともに、頑丈な帳場台が半分の高さになっていく。
殴りつけるより恐ろしい腕力を示すその様子に、組合長は完全に言葉を失っている。
自分はすんでのところで掴んでいた金貨と魔石の詰まった袋を、そのまま組合長に突き付ける。
「徒弟にこんなに払いますか。私たちにはできない特級の仕事をお願いしたいんですよ」
組合長は悪い人ではないのだろうが、逆境に弱い。
話の分かる副組合長を、と思ったところだった。
「どへたくそどもの尻ぬぐいをしろと言うのか」
数人の親方が立ち上がり、こちらを睨みつけている。
バランがいるおかげで飛び掛かってはこないが、いつ暴力沙汰になるかわからない雰囲気だ。
「金儲けはお前らのほうがうまくいってるかもしれないがな、俺たちは俺たちの名誉をかけて仕事してるんだ!」
あなたたちの工房がうまくいっているのは、少なくない部分を徒弟たちの奴隷労働が担っているからですよねと言いたくなったが、腕も良いことは確からしい。
組合の中での強い発言力というのは、結局職人としての腕の良し悪しという、わかりやすい序列があるらしいのだから。
「鉱山に魔物が出ているんですよ! それを倒すのに風の魔法が必要なんです、今そんなことを言っている場合では――」
と、言い募る自分を、団扇のように大きなバランの手が遮った。
親方たちが怯んだのは、殴られると思ったからだろう。
けれどバランは手のひらをくるりと返すと、こちらの手から魔石の詰まった袋を取った。
「見ろ」
袋ごと放り投げる。
親方の一人が危うく受け取り、まごつきながらも、言われたとおりに魔石を取り出した。
「こんなもの、見たところで……」
親方の言葉がそこで止まり、別の親方も魔石を手に取り、口をつぐむ。
そして次々に隣に渡していき、全員が苦々しそうな顔をしていた。
バランがどうだとばかりに、牛のような鼻息を漏らす。
親方たちは、名誉名誉と口にするものの、腕の良し悪しには嘘がつけないらしい。
「……お前らが彫ったのか?」
それ以上沈黙が続けばこちらから言おうとしたのに、一人が尋ねてきた。
「はい。皆さんが得意な部分だけを彫りこんだものです」
「……」
親方たちは顔を見合わせ、それから、別の一人が言った。
「“波紋”の波はいくつ必要なんだ」
「おい!」
別の親方が咎めるが、さらに別の親方が言う。
「ここで意地張ってどうなる。なにもしなきゃ俺たちは化け物の餌だぞ!」
「そうだ、それに……」
それに、の後はすぐには続かない。
しかし、嫌そうな深呼吸の後、渋々ながらこう言った。
「出来は悪くない」
魔石加工のすべての工程を習得して一人前。
けれど普通に考えれば、得手不得手があるし、一人ですべてを習得する必要などないのだ。
「“波紋”の波はいくつ必要なんだ」
もう一度繰り返された問いには、もう、誰も噛みつかなかった。
「七、あるいは八」
バランが短く言うと、親方たちがどよめく。
「おい、四級魔石に波を七なんて聞いたことないぞ。規格では四だろ。本当に動くのか?」
「七、あるいは八」
その見た目と相まって、バランはまるでゴーレムだ。
ざわつく親方たちに、自分は言った。
「難しい、ですかね」
ぴたりと親方たちのざわめきが止まり、電気ストーブの電源を入れたみたいに空気が熱くなった。
「我らの腕を侮辱するか!」
「できないはずがないだろうが! なに言ってるんだ!」
はい、すいませんでした、はい、と平謝りする自分をよそに、親方たちはそれぞれ袋の中から魔石を取り出し、最後に空になった袋と合わせ、金貨の詰まった袋を投げつけるように返してきた。
「我ら誇り高き魔石加工組合が、窮地に付け込んだなどとそしられては耐えられん!」
名誉という単語の扱いを、今では多少わかってきた。
だから自分は、こういう時のための言葉を向けた。
「はい。ですが、皆さんのお力ゆえに竜を調伏できた、という石碑は建立させてもらいたく」
親方たちは毛糸の玉を見た猫のように目を見開き、それからなんだかそわそわしたふうに視線を逸らす。
「ほう、ふむ……まあ、どうしてもというのなら」
「なあ、んむ、金貨は受けとれんが……」
もごもごとそんなことを言っている。
お前もこの世界のことがわかってきたじゃないか、というクルルの声が聞こえた気がした。
「では、お願いできますか?」
親方たちは、口を動かす前に手を動かすから、職人なのだ。
すぐに組合会館から出ていって、するとちょうどなにか用事があって建物の奥にいたらしい副組合長が、広間の様子にぽかんとしていたのだった。
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