第49話
魔物の存在は、確かに聞いたことがあった。
魔石鉱山に満ちる、なにか異様なものの影響により、尋常ならざる生物が現れる。
それは聞いた感じだと、魔石鉱山に死体を置いておくと復活するという話の、失敗版みたいなもののようだった。
だから鉱山で長く働くとよくない、と言われていたし、獣人たちがその腕力以外の理由で働かされている原因でもある。健吾のような鉱山監督官の給与がずいぶん高いのだって、そのあたりの不気味さへの手当てみたいなもの。
教会に連絡をしてきた小僧から要領を得ない状況を聞き、広場を渡ってイーリアの屋敷に飛び込むと、深刻な顔のイーリアとマークスが自分たちを待ち構えていた。
「クルル!」
イーリアは普段からクルルに甘えてわがまま放題だが、実のところイーリアに依存しているのはクルルのほう、という感じがする。
けれど今のイーリアは心底不安そうに、クルルにしがみついていた。
「マークス、なにか詳しい話を聞いてるか?」
イーリアを抱き止めながら、クルルが尋ねる。
「いんや。まだ、獣人の小僧が一報をもたらしただけだ。それもしどろもどろで要領を得ない。わかってるのは、残りの獣人たちは鉱山に取り残されてる仲間を助け出しながら、封鎖の作業をしてるってだけだ。もしかしたら、今頃は追加の連絡が届いてるかもしれないが……」
電話やらがある世界ではない。
「あ、あの、健吾は?」
その問いに、マークスは首を縦にも横にも振らない。
「お前はこの島の生まれだろう? 以前にも魔物が出たことは?」
クルルの問いに、マークスは首を横に振る。
「ない。昔話にはもちろんあるが、爺さんの爺さんくらいの話だ。その時の話は……聞いて楽しいものじゃないぜ」
「ま、魔物って、そんなに?」
自分が尋ねると、マークスは気丈に肩をすくめてみせる。
「伝説じゃあ、坑道を這うトカゲが見上げるばかりの竜に変わったなんて話さえある。ただ、ほとんどは、ぐずぐずになった腐りかけの生き物って感じのが、坑道の奥から這い出してくるらしいが」
それだけならば、坑道を封鎖するような騒ぎになるだろうか。
あるいは感染性の存在なのだろうか?
「で、獣人の小僧はなんて?」
クルルの問いに、マークスは自分でも信じられない話をするように、笑いながら言った。
「まさにその竜が出たんだと」
クルルが息を飲む。
けれどこの少女はきっと、困難が降りかかるたびにイーリアを守って、ここまでやってきたのだ。
「ヨリノブ」
「は、はい?」
「ありったけの魔石在庫を地下から持ってこい。竜は世界の四元素のどれかを統べるという。『当たり』の属性があることを祈れ」
外れしかなかった場合どうなるのか。
ゲームなら、属性攻撃無効というやつだ。
「そうだ、魔石だ。工房の作業を止めさせたほうがいい。このあと、色々な効果の魔石が山ほど必要になるかも」
マークスが言った。
「竜の話が本当だったら、クルルちゃんひとりなんて無理だろ? 討伐隊を州都なりに要請する必要があるが、そうしたら在庫の魔石で戦う必要が出てくる。無駄な属性に変えてたら足りなくなるかもしれないだろ」
「私一人で」
クルルはそう言うが、穴掘りのために風の魔石を使って、あわや大怪我だった。
魔法の制御の仕方もわからないのに、いきなり実戦など無理だろう。
しかも、相手が竜なのだとしたら。
「まずは情報収集です。工房に作業の停止を告げた後、魔物のことを知っていそうな人に知恵を借りましょう」
「そんな奴がこの島にいるのか?」
ここは帝国でも片隅に位置する、辺境もいいところの小さな島だ。
けれどついこの間、世界のあちこちを放浪した挙句、ここにたどり着いたという者に会ったばかり。
「マークスさん、伝令をお願いできますか」
自分が告げたのは、ゴーゴンの名前だった。
◆◆◆◇◇◇
工房に作業中止と、魔物の話を伝える頃には、町中にも魔物の話が広まったらしい。
騒然とした雰囲気になって、屋敷の中から見える広場を慌ただしく駆けていく者たちの姿がよく見えた。
工房にいた誰もが魔物という存在は知っていても、おとぎ話や伝説の中だけだということだ。
なんなら鉱山に置いた遺体が蘇るという話のほうが、ままあることらしい。
どういう理屈なんだ……と気になるのだが、その辺も騒ぎが収まってから調べたらいい。
マークスに手を引かれて、高齢のゴーゴンがひいひい言いながら屋敷に来る頃には、教会が寄付金集め以外にも仕事があることを思い出したように、町に危険を知らせる鐘を激しく鳴らしていた。
「ゴーゴンさん」
『はぁっはぁっ、ワシはもう若くないんだ――』
クルルが飲み物を差し出すと、ぐいっと呷ってから、肩を落としていた。
『魔物の話なら聞いたよ。ドドルたちが早速武装して気炎を上げていたが……とにかく竜とはたまげたわい』
「その、えっと」
『魔物の討伐だろう? 対処を経験した者は』
その問いに、居合わせていた者たちの顔は暗い。
『初陣が竜とは、諸君らには英雄の素質がある』
ゴーゴンは咄嗟にそんなことを言って励ましてくるが、明らかに落胆と不安を隠しきれていない。領主がなぜ領主かといえば、有事の際には部隊を率いて戦に馳せ参じるからだ。
しかしここの領主は、ふわふわの巻き毛が可愛い女の子だった。
『なに、慌てるでない。こういう時の対処はおおまかには決まっているでな。まずは魔物の種類の確認。できれば坑道の封鎖による時間稼ぎ。町が近かったら避難の誘導。その間に、討伐隊の編成、という流れだ。もうひとつ付け加えると』
と、ゴーゴンは言った。
『普通は、獣人たちが肉の壁として最前線に立たされる』
その言葉に、クルルの腕の中で動揺していたイーリアが領主の顔になっていた。
「そんなことさせないわ。マークス、その後の情報は?」
「仲間もだいぶ混乱してる。ただ、竜かどうかの確信はないが、でかい魔物が出たってのは本当らしい。獣人たちがちらほら町に戻ってきてるが、とるものもとりあえず逃げてきたった奴らばかりだから、まとまった情報がない」
『ふむ。その様子だと、まだ魔物は寝ているのではないか』
「寝てる?」
『魔物は鉱山のたっぷりの瘴気を吸って成長する赤子のようなもの、と言われている。鉱山の封鎖を行っているという話があっただろう? おそらく坑道を掘っていたら、その先に魔物の尻尾でも見えたのだろう。どれくらいかはわからんが、いくらかは時間を稼げるのではないか』
となると、次に気になるのは、無事に討伐できるのかどうかだ。
「寝ているところに魔法を打ち込めばいいんじゃないのか?」
『理屈の上では、それで倒せない存在はいないだろう。だが、鉱山の奥深くだ。そなたが生きて帰るつもりもない、というならそれもありえるが』
クルルはなにか言おうとして、口をつぐんでいた。
『普通は、魔物を誘い出し、外で討伐する。ワシも本当かどうかは知らんが、鉱山の中に魔物の血や肉片が残ると、新たな魔物が発生しやすくなると聞いた。だからその鉱山を閉山にするつもりがなければ、倒すにしても慎重にやらねばならんだろう』
「う~……」
『なに、州都に連絡を取れば、戦に従事する者が必ずいるはずだ。とにかく急ぎ呼び寄せて、彼らに助言を仰ぐほかあるまい』
ゴーゴンは、そう言ってから小さく付け加える。
『間に合えば、の話なのだが』
「ヨリノブ」
クルルの言葉に、自分ははっと我に返る。
今の自分はジレーヌ領内で最大の商会の主人だ。
屋敷に控えていた商会の小僧を呼び寄せ、手紙をしたためる。
「港に商船がいれば、いくらでも金貨を積んでいいですから、雇いあげてください。いなかったら漁船と漕ぎ手を確保して、バックス商会に連絡を」
今のところ頼れるのはあそこしかない。鉱山が操業できなくなれば、コールもまた莫大な儲けを失うはずだから、全力で力を貸してくれるはず。
怖いのは、巨大な借りを作ってしまうところだが、すべてを失うよりはましだろう。
「えっと、鉱山に魔物が出たので、戦の専門家を乞う、というので通じますか? 魔法使いの要請や、あるいは軍隊みたいなものを?」
自分の問いに、ゴーゴンはふむと山羊髭を撫でた。
『魔物の討伐に特に特化した者たちであればなおよい。竜の可能性があるならば、迷わずそやつらにするべきだ。そういう奇特な稼業に身をやつす者たちのことを――』
自分はゴーゴンの言葉を、手紙に刻み込むように書き込んだ。
冒険者。
おお、偉大なるファンタジーの登場人物よ!
自分が少年に手紙を託す頃、入れ違いにマークスの仲間が情報をどんどん持ってきてくれるようになった。鉱山から続々と獣人たちが逃げてきているらしい。
健吾は無事、という言葉にほっとしつつ、魔物が出たのは新規の鉱脈の坑道の奥であり、竜の可能性が高いという情報に、気が重くなる。
そして鉱山の暗闇の中で、実際にその様子を見た者たちの言葉によれば、蝋燭で照らされた鱗は、燃えるような赤だったという。
赤い鱗は、炎の象徴だ。
魔石の中でも人気商品は炎の魔法陣が刻み込まれたもの。
もしも竜が炎の属性なら、おそらくかなりの量の魔石の在庫が、無用の長物になる。
そして自分たちはほどなく、町に引き上げてきた泥だらけの獣人の群れの中に、疲労困憊しているのに目だけをギラギラと輝かせた、健吾を見つけたのだった。
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