第48話

 商会の荷捌きの問題は、当初こそ工房と同じようにぎこちないところがあったが、獣人たちが入ったおかげで劇的に改善した。

 およそ人間では持ち上げることのできない荷物を、平気で片手で運べるのだから当然と言えばそうだが、単純に彼らの手際が良かったらしい。


 ドドルが推薦し、健吾が念のため面接してくれた獣人はすべて、港で働いた経験があるとのことだった。ゴーゴンもそうだが、獣人は不安定な身分ゆえ、なにか政治的な混乱があると移住するのが普通らしく、多くの者たちがなにかしら手に職を持っているようだ。


 となればやはり、バックス商会を迂回するため島の外について調べてもらう件については、獣人社会に頼るという選択肢も十分あるのではないか。


 そんなあれこれを思いながら、計画ばっかり立ててもジレーヌ領の内実が伴わなければ意味がない。


 そのためには目の前のことをひとつひとつこなすのみ。


 地面に巨大な穴を開け、灌漑用の貯水池と養殖池を作るのもその一環なら、その日、教会にきたのも大きな計画の内のことだった。


「文官の候補者ですか」


 目の前にいるのは、見た目に厳めしく、いかにも厳格な信仰の徒である司祭だが、中身は生臭坊主だとよくわかっている。ノドンの商会で酒と肉の売り上げが最も大きいのが、この教会なのだから。

 ただ、今日はその教会としての伝手を頼りにやってきていた。


「司祭様が属州の州都で開かれる、教会の盛大な儀式に参加されると聞きまして。州都の教会で、士官先を求めている学生を紹介していただけないかと」


 前の世界でもそうだが、古い時代だと教育の権威は大体宗教組織が握っている。

 誰も彼もが剣での出世を望むわけではないし、向いているわけでもない。戦は野蛮すぎるという感じの人たちが頭脳で勝負するなら、聖職者は手堅い就職先なのだ。


 それはこの世界でも例外ではないようで、文書仕事に慣れた高等教育修了者を探すなら、まずは教会関連だと思われた。


「ふむ。確かに州都には聖職者の卵たちがおりますからな。それにほかならぬヨリノブ殿の頼みです。そちらの商会にはよく教会の買い物で便宜を図っていただいておりますし」


 肉と酒の値段をこれからも割り引けということだろうが、そのくらいなら安いものだ。


「そこは、はい」

「おおそうだ。なんならヨリノブ殿も州都に一緒にいらっしゃいますか? こちらの、ドラ……」

「ドラステル」


 自分の影に控え、珍しくおとなしくしていたクルルが、変装している魔法使いの名を言う。


「そう、ドラステル。流浪の魔法使い殿が他の魔法使いの知見を得たいということでもありますし、それならば州都に行かれれば収穫がありましょう」


 寛大な申し出、というより、多分財布役として連れて行こうと思いついたのだろう。それから学生探しなどは面倒くさいから、渡りだけつけてこちらに押し付けたいのだ。

 自分の面倒ごとを誰かに恩を着せるような形で転嫁させるこの手腕は、前の世界のクソ上司も得意だったので、よくわかる。


 ただ、司祭がいれば州都のあれこれに顔が利くのも間違いない。


 ジレーヌ領のためには島の外のことも知らないとならないが、案内人がゼロではさすがに心許ないから、旅に同行するのはありかもしれない。


「ぜひお願いできれば」

「結構。教会の船は信仰に篤い者を乗せる席には事欠きませんから」


 港で働く者たちから言わせれば、教会はその船で間違いなく密輸をしているというので、愛想笑いも頑張らないと引きつってしまう。

 役人が育ってきたら、真っ先にここを締め付けるべきだ。


「迎えの船が来たら連絡いたしましょう。して、この後は礼拝を?」


 フードの下で、クルルの耳がぴくりと動く。


「できれば聖典の学びの続きをさせていただきたいのですが」

「それはそれは、相変わらず熱心なことです。結構、結構」


 礼拝だろうがなんだろうが、寄付箱に金貨を入れていくのであればなんでもいいという感じだ。若き補司祭のクローベルが呼びつけられ、彼がいつもの筆耕室に聖典を運んでくれる。


 魔法使いは教会の奇跡を体現する存在でもあるから、クローベルは魔法使いドラステルとしてのクルルの存在に、明らかに頬を紅潮させていた。


 クルルは実に嫌そうだったが、この少女には、年下相手にやたらお姉さんぶるところがある。余裕たっぷりの振りをして、ぎこちなく微笑んでみせていた。


「神の言葉でわからないところがありましたら、いつでもお呼びください」


 クローベルは放っておいたらいつまでもそこにいたそうだったが、司祭から大声で呼びつけられ、名残惜しそうに小走りに駆けていった。きっと一日中こき使われているのだろう。


 クローベルがいなくなると、クルルは大きなため息をついて、フードを外していた。


「魔法使いとわかった途端、あんな目を向けられてもな」

「クルルさんの向こうにイーリアさんのことも見ていると思えば、悪くないでしょう」


 クルルは細めた目でこちらを見てから、主人の評判のためなら仕方ないと肩をすくめていた。


「そう言えば、クルルさんは州都に行ったことってあるんですか?」


 クルルは胸元から折り畳まれた紙と木炭のペンを取り出し、こちらに渡す。

 それを受け取った自分は、教会のあちこちの石壁に残された魔法陣を写し取る役目だ。聖典に残されている魔法陣は、絵が巧くて伝説の魔法陣に慣れているクルルがインクとペンで模写をする。


「あるにはあるが、船から船の移動で、港についてからも上陸はしなかった。壁に開けられた穴から、少し外を見た程度だな」


 クルルは分厚い聖典を開き、前回に立ち寄った際に途中まで写した魔法陣を探していく。


 そう言えば港で自由人が働いているかどうかを聞いた時、彼女たちの返事は曖昧だった。

 それは各地の港を通ってきたと言っても、彼女たちに行動の自由などなかったという意味なのだろう。


「あそこは確かに、賑やかなところだったが……」


 言いよどむ様子に振り向くと、クルルは手元の作業を止めず、殊更無関心を装って言った。


「獣人の住みやすい町ではなさそうだった」

「それは……」

「たまたまかもしれないけどな。船から見える獣人たちは、皆、手かせ足かせをつけていた」


 ぎょっとした。


「獣人の扱いは風見鶏のごとく、だ。今もそうかはわからないし、酒場で獣人が喧嘩をして人間を殺した結果、一時的な措置かもしれない。あるいは、単に虫の居所が悪かった支配者の八つ当たりかもな」


 クルルはゆっくりと顔を上げて、こちらを見ると疲れたように笑う。


「そういう感じなんだよ、外というのは」


 また作業に戻りながら、クルルは話を続ける。


「ここもたいがいだが、鉱山がある。鉱山が停止すれば全員が飢え死にするとわかっているから、獣人の立場は安定しているほうだろ。頭数もいるし、もしも人間側と争いになんてなったら、不利なのは人間側だ。島だから援軍もすぐに望めないし。だからここは、これでも獣人にとっては悪くない場所のはずだ」


 そしてクルルはもう一度顔を上げると、やや睨むように目を細める。


「手が止まってるぞ」


 慌てて作業に戻るが、どうしてもそのままにしておけなくて振り向けば、気配でわかったのだろう。クルルは言った。


「島にイーリア様を残していくというのも、すごく不安だ。だから……本当なら州都には行きたくない」


 ならば、と言いかけたのは、クルルに遮られたから。


「お前を一人で行かせられるか。お前みたいなのが賑やかな町に行けば、船から降りた途端に港の詐欺師に身ぐるみはがされるのがおちだ」


 反論したいところだが、この世界は無慈悲で荒っぽい。賑やかな都市の治安がいいとはとても思えない。悪意を持ったマークスみたいなのがごろごろいるだろう。


「それに、確かに魔法の使い方はきちんと覚えないとならないんだが……それはそれで不安がある。お前、ちゃんと考えてるのか?」

「なにをですか?」


 他意なく聞き返すと、クルルが呆れかえっていた。


「この耳と尻尾を隠しきれるかわからんだろ」

「あ」

「神の教えを記したこれみたいに、魔法の教本みたいなのがあればいいんだが」


 活版印刷がなければ、本は手書きで増やすしかない。しかも魔法使いの本など需要があまりに限られるので、存在したとしてもどこかの宝物庫の奥の奥にしまわれているだろう。


 おそらくこの世界で最もベストセラーの聖典でさえ、本には盗難防止の鎖がつけられ、読んだ後にはそれなりの寄付が求められるくらいに貴重なのだ。


 商会のほうで聖典を買わず、折を見てはこんなふうに隠れて複写しているのも、魔法陣を書き写すためだけに買うにはあまりにも高価すぎるからだ。

 文字だけ書かれた小さい版のものでも金貨で十枚、二十枚はする。これだけ大きな版で、しかも古代の魔法陣を含む細密絵が施されたものだと、金貨で百枚、二百枚はくだらないだろう。へたをしたら商会の人員を丸ごと一か月働かせられる金額と考えると、さすがにためらった。


「仮に買うとすると、かなりかかりそうですしね。どうせなら、正式な訓練を受けた魔法使いを先生として雇えたらいいんでしょうけれど」

「あほ。それこそいくらかかるかわかったもんじゃない。イーリア様を破産させる気か」

「そんなに、ですか?」

「当たり前だろ。しかもこの耳と尻尾のことを知っても秘密を守ってくれるような変わり者だろう? いるわけないだろそんな奴」


 獣人が魔法を使えるという事例は知られていないらしい。もしもそんなことになれば、ふたつ前の帝国以来続く世の中の仕組みが揺らぐことになる。

 だから獣人の血を引くクルルが魔法を使えるというのは、世に知られると危険、とまではいわずとも、まあまあセンセーショナルな事実らしい。


 ここの教会の司祭が秘密に加担してくれているのは、そんな重要なことを広めても、自身にはなにひとつ得にならないからだ。生臭坊主ゆえに、自分の縄張りの安寧を大事にし、心地よく欲望を満たすのを最優先する。そういうずる賢いところだけは信用が置ける。


「正式な魔法使いは特権階級だ」


 クルルの諦めたような声音は、出会ったばかりのことを思い出させた。世の中の仕組みに長いこと虐げられ、声を上げることすらしなくなった者たち特有の声だ。


「ノドンの雇ってた魔法使いも、野良の魔法使いだったみたいですしね」


 鉱山での鉱脈探しや魔石のチェックには、魔法使いが欠かせない。

 しかしノドンが用心棒代わりとしても雇っていたその人物も、クルルと五十歩百歩の魔法使いだった。


 闇討ちしてきたのを返り討ちにしてからは、ノドンに先んじて島から追放したが、もう少し話を聞いておけばよかったかもしれない。


「魔法使い……獣人に優しい、魔法使いね」


 クルルは皮肉な様子で笑いながら、言った。

 丸い四角や、冷たい炎の話をするように。


 自分はそれ以上なにも言えず、クルルも口を開かなかったので、作業をするほかなかった。


 さり、さりという紙をなぞる木炭の音や、クルルが羽ペンで紙に魔法陣を描くやや硬質な音だけがする。


 魔法と獣人。


 その複雑な関係は自分がどうこうできることではない。

 ただ、鉱山がある限りこの島で獣人の立場は保障されている。それに領主はほかならぬイーリアなのだし、つい最近も港での仕事に獣人たちを起用して、評判も上々だ。


 魔石加工の拡大はうまくいっているし、健吾曰く、魔石鉱山は本気を出せば産出を十倍にだって増やせると言っている。

 世の中のすべての獣人を救えなくても、少なくともこの島の中だけは。


 そしてその体制を盤石にするためにも、この巨大魔法陣の存在は、秘めたるカギになりうる。


 もしも巨大魔法陣がまったく意味をなさない飾りであるのなら、合成魔石の知識を公開しても、核戦争のような危険は避けられる公算が高い。

 そうであれば、合成魔石は現状の魔石よりもさらに工業的な生産と相性がいいので、自分と健吾の知識によって、この世界にはあり得ないくらいの効率的な魔石工場を作り、富を独占することも不可能ではない。


 それが無理だとしても、少なくともしばらくの間は生産で有利な立場に立てるはず。


 でもそのためには様々な分野で人を集め、収入も増やしていかなければならない。

 足元を固めるには、ジレーヌ領の懸念となるべきことを、ひとつずつ取り除いていく必要がある。


 そのための、今回の属州州都行きだ。


 クルルが魔法を学ぶことについては、やや先行きが不安だが、島の外の様子を見れば、新たな策が思いつくかもしれない。


 いずれにせよ、この島が安定し、しっかりした生活の基盤を築けるのもあと少し。

 頑張らねばならないし、頑張りたいとも思う。


 そう、思っていた時のことだった。


「ん? おい、隠せ」

「えっ」


 クルルは急いで羽ペンやらをしまい、自分はあたふたと紙を畳んでいく。

 クルルがそれを奪うようにひっつかみ、胸元に隠し、二人揃って聖典の前に行儀よく座り直したところで、部屋の中にも聞こえるくらいの大きな足音がした。

 扉がノックもされず開かれれば、息せき切った様子のクローベルがいた。


「い、今、商会から人がきたのですけど」


 クルルと目が合った。

 また倉庫での荷崩れ事故か。それとも、バックス商会の船が難破でもしたのか。


 しかしクローベルがそこまで慌てるのも妙だ、と思ったのも束の間。

 彼は恐怖に満ちた顔で、こう言ったのだ。


「こ、こ、こ、鉱山に――」

「鉱山に?」

「魔物が出たと!」


 剣と魔法。そして魔物。

 自分はどこか非現実めいたその単語に、顔が勝手に笑ってしまった。


 けれど、隣のクルルは違った。


「皆は無事なのか?」


 あまりにも冷えた、心の底から絞り出したような一言が、事の深刻さを表していた。

 魔物とは、そういう存在らしい。


 クローベルは泣きそうな顔で首を横に振り、廊下の奥を指さすだけ。

 伝令を伝えに来てくれた商会の誰かがいるから、聞いてくれ、ということだろう。


「クルルさん」


 ようやく事態の深刻さを理解しはじめた自分も、その名を呼ぶのが精いっぱい。


 おそらくこの島唯一の魔法使いクルルは、聖典を閉じ、立ち上がったのだった。

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