第五章

第47話

「おい、いいな? 本当に大丈夫なんだろうな?」


 町中から少し離れた、鉱山が遠くに見えている草原地帯に、クルルの戸惑いがちの声が響く。


 岩がちで木立も多く、山羊飼いが山羊を放すくらいの使い道しかない痩せた土地。

 そこは魔石の売り上げを受け取ったイーリアが、町の商会から買い上げた土地だった。


 そこに今、魔法使いの格好に扮したクルルと、もろ肌になった健吾がいた。


「どんとこい!」


 クルルの背中を支える形で立つ健吾が、そんなことを言う。


 クルルはなおも不安そうだったが、結局両手を前方に構え、魔石を握りこむ。

 その魔石はもちろん、商品にならないくず魔石の粉から成形した合成魔石だ。


「どうとでもなれ! 風よ!」


 破れかぶれな様子でクルルが叫ぶと、たちまちその手の中の魔石から、黒とも紫ともとれる煙が噴き出した。


 直後、およそ風とは呼び難い衝撃が顔を打ち、体を打ち、自分は核実験場の近くに置かれたマネキンみたいにひっくり返る。


 それは自信満々だった健吾も似たようなものだが、そこはそれ。

 魔法の反動で吹き飛んだクルルを放すことはなく、きちんと肉の壁の役目を果たしたらしい。


「……痛たたた……」


 なおもぱらぱらと頭に振り注ぐ小石やらに目を細めながら起き上がると、クルルの立っていた場所から前方には、巨大な穴が開いていた。


「すご……」


 土木作業でこれをやろうと思ったら、どれだけかかるかわからない。

 自分の身長よりも深いくらいの穴が、見渡す限りというのは大袈裟でも、まあまあの距離に渡って広がっているのだから。


「……三級魔石はやりすぎだな。四級か、安全を考えるなら五級でいいな」


 声に振り向けば、体を起こして胡坐をかいている健吾だ。

 クルルはと見やれば、魔法の反動に目を回して、健吾の膝の上だ。


「でも、なんだっけ、魔法の威力そのものより、魔法を使うのは回数が重要なんだっけ?」


 クルルは魔法使いとして才能がないらしいが、どうも聞いていると、魔法使いの能力というのは、魔石の力を引き出すきっかけをつくりだす能力、というのが近いらしい。

 なんとなく、発火のためのファイアスターターを思わせる。


 とにかくその発火の火花を起こすのには、巨大な魔法でも小さな魔法でも同じ労力らしい。

 クルルはその点で、一日に一個か二個の魔法を使えば、燃料切れだとのことだった。


 才能ある魔法使いというのはその発火能力が高いために、小さな魔石でも一気に大きな力を噴出させることができ、しかも一日に何度もできる、ということらしい。


「毎日少しずつやるしかないかもな。毎回こんな大騒ぎだと、いつか怪我するし」


 健吾の膝の上で目を回していたクルルも、ようやく意識を取り戻していた。


「うう~……おいっ!」


 膝枕されたクルルが、健吾を睨みつけていた。


「全然守れてないだろうが! なにが任せろだ!」

「俺の筋肉で守ったよ。怪我してるか?」


 数メートルは優に吹っ飛んだのを守ったと言っていいものかどうかは微妙だが、ヒーロー物のアクションみたいに、クルルを抱きしめて転がっていたのは事実だ。


「してないが……次はドドルか誰かに任せたほうがいいな」

「ええ? 俺の筋肉を信用してくれよ!」


 健吾の暑苦しさから逃げ出したクルルは、変装のためのかつらを見つけると、拾って頭にかぶり直してから、こちらの側にやってきた。


「お前は、怪我は?」

「おかげさまで」


 クルルはふんと鼻でため息をついて、自身の魔法の成果に視線を向ける。


「魔法は、すごいな」


 同感だった。


「だが、ケンゴの言うとおりだ」

「え?」

「いつか怪我する。正式な魔法使いの教えを請いたいところだ」


 クルルは自分の手をぐっぱと開いて、見つめていた。


「普通に考えれば、魔法の反動を制御する方法がなにかあるはずだろう? 毎回こんな吹き飛んでたら身が持たない。二級魔石なんて使ったら、一瞬で魔法使い自身が粉々だ」


 綺麗な肌と銀髪のクルルが、小麦粉みたいになるところを想像して身震いする。


「確かに。どうしてるんでしょうね」


 魔石は現役の軍事兵器で、普通に戦場で使われているらしい。


「町で探したら、従軍したことのある人間がいるはずだろ。聞いてみたらなにかわかるかも」


 起き上がり、土を払った健吾もクルルの空けた穴を見て、困惑した笑みを見せていた。


「後はここに川から水を引けば、巨大な貯水池ができるな。灌漑すればここでも作物が育つだろう」

「地図を作成して、測量もしないと。水を流す経路も決めて、水車の手配も必要だよね?」

「あとは養殖池だな。海だけじゃなく川の魚も獲れたほうが食料事情は安定する」


 自分が鉱山でよみがえったのは、冬も終わりの季節だった。そのために知らなかったのだが、秋から冬にかけては季節風が強くなって、海がかなり荒れるらしい。そうすると漁に出られない日が増えて、輸入も滞り、ジレーヌ領の食卓はどこもわびしくなる。

 わびしくなるだけならまだしも、食糧難が直撃したら、全員が飢えるということだ。


「お前たちは勤勉だな」


 自分と健吾が話しているのを見ていたクルルが、ぽつりと言った。


「いや、歩くべき道を最初から知っているというか」


 同じ世界、同じ時代を見ていた健吾と視線を交わせば、互いに自然と苦笑いが出る。


「たまたまそういう世界にいたんですよ」


 クルルはじっとこちらを見やり、つまらなそうにそっぽを向く。


「私の知りえない世界の話、な」

「……」


 そう言って距離を空けるクルルに、自分はやや驚いてしまう。


「……なんか、拗ねてる?」


 健吾に囁き声で尋ねると、肩をすくめられた。


「クルルちゃんはああ見えて、イーリアちゃんより犬っぽいからな」


 仲間意識が強い、という意味だろう。

 クルルはちょっと前から、自分たちの前の世界のことを耳にすると、不機嫌そうな顔を見せるようになった。それはもしかしたら、自分と健吾が共有する前の世界の話に入れないのが、仲間外れにされているように感じるのかもしれない。


「健吾から色々説明してあげてよ」


 健吾はクルルのことを姪っ子みたいに扱って、なんだかんだ仲が良さそうにしている。

 けれど、たちまち健吾の目が据わり、呆れていた。


「まったく、お前は」

「な、なに?」


 ふんと鼻を鳴らした健吾は、「別に」と言った。


「手作業が必要な残りの仕事は、獣人たちに任せれば良さそうだな」

「ん、うん。彼らの取りまとめはお願いしても?」

「鉱山もちょっと人手が欲しいんだが……まあ、どうにかなるか」

「新規鉱脈だっけ」

「そうそう! かなり有望そうなんだよこれが!」


 健吾の顔がぱっと輝いた。


「これ以上産出を増やしても魔石加工が追い付いてないのはわかってるけど、試掘を進めておきたいんだよなあ。肥沃な鉱脈があるとわかってれば、鉱山で働くみんなのやる気にもつながるし」


 鉱山が続く限り、彼らには仕事が保証される。

 それに枯れかけの鉱山をこそぎ落とすように掘るより、ザクザク魔石が出てきたほうがやりがいもあるのだろう。


「じゃあ自分のほうは、養殖池のための手配と、水車や諸々の資材の手配をしとく。バックス商会に頼ると高くつきそうだから、町で職人が見つかればいいけど」

「あと、魔法な」


 どんと肩で小突かれて、たたらを踏む。

 押し出された先では、町から乗ってきた馬の側で、クルルが一人つまらなそうに小石を蹴っている。


「魔法のことを学ぼうと思っても、魔法使いは半分くらい教会の管轄だ。クルルちゃんひとりじゃ教会に行きにくいだろ」

「それは、確かに」


 伝説の魔法陣のこともある。


「んじゃ、俺はこのまま鉱山に戻るから」

「え? ああ、うん」


 そう言って、すでにさっさと歩きだしてしまう健吾の背中を見送り、自分はクルルに視線を戻す。こちらを見やったクルルは、健吾の後ろ姿に気がついてから、目を据わらせていた。


「なんだ、あいつは鉱山か? 飯も食わずに……」


 やっぱりクルルの相手は健吾のほうがよかったのではないか。

 そう思っていたところ、繋いでいた馬を放し、クルルがひょいとその背中に乗る。

 そして見事な手さばきでこちらの前に乗りつけると、大上段に見下ろしてくる。


「乗りな」


 まるっきり性別が逆のシチュエーションな気がするのだが、馬になど乗ったことないので自力で乗れず、呆れた様子のクルルに手を借り、どうにか馬の背に乗る。


「変なところを掴むなよ」


 肩越しに振り向いたクルルがそう言って、自分は手のやりどころにちょっと困る。

 年頃の女の子にしがみつくのも抵抗あったが、尻尾を掴んだら蹴り落とされるだろう。


 ただ、あまり敬遠するのもあれかと思い、おずおずと腰に手を回す。

 クルルはすぐにこちらの手を掴み、位置を調整してから、馬を走らせた。


「お前も健吾も、馬には乗れないんだよな?」


 クルルの高い体温と、妙に甘い匂いにどぎまぎしていたら、そんな声をかけられた。

 変装用のかつらをかぶらず、ぼろぼろの外套を身に纏っていなかったら、もっと動悸が危なかったかもしれない。


「え、ええ、はい」

「妙な知識は貴族並。しかもお前だけでなくケンゴの奴も家名持ちの市民だったらしいのに、馬に乗れないとはどんな世界なんだ?」


 ポニーなら乗ったことがあるが、それは言わなかった。


「ええっと……なんでしょうね……」


 うまく説明する術を持たない。

 ただ、クルルはこちらが口ごもるのを、あまり良い理由に取らなかったらしい。


「いや、話したくないならいい」


 馬がひときわ早く走り出したように感じて、慌てて言った。


「言いたくないのではなくて、言葉の問題です」


 文明のギャップを埋めるのはとても難しい。

 たとえば自動車を説明するのに、鉄の馬とかありがちな説明をするのか? とか考えだすと、言葉に詰まってしまうのだ。

 ましてや近代的な市民概念だとかその手のことに説明を求められたら、口ごもる以外にない。


「この世界のことも、まだわからないことばかりですから」


 意思疎通は問題ないが、知らない単語はたくさんある。

 馬は引き続き駆け足だったが、少しだけ緩んだような気がした。


「仕方ない」

「え?」


 クルルが、ちらりとだけこちらを振り向いた。


「知らない言葉は教えてやる」

「……」

「代わりに、お前の世界のことを教えてくれ」


 クルルはああ見えて、イーリアより犬っぽい。

 健吾のそんな言葉が蘇る。


「ええ、お願いします」


 クルルはあの会話が聞こえていたのかどうか。

 目を細めて肩をすくめると、前に向き直る。


「掴まっていろ!」

「え? わっ」


 速度を上げた馬の上は、はっきり言って怖い。

 恥も忘れてクルルにしがみつくと、その背中には馬の足踏み以外の振動がある気がした。


 笑っているのだと気がついたが、全速力の馬の背の上の恐怖でそれどころではない。


 やはりクルルは体育会系。いや、馬を乗り回して大喜びなど、ヤンキー系だろうか。


 そんなことを思いながら、インドア派の自分はクルルの華奢な体にしがみついて、早く町につきますようにと祈るほかなかったのだった。


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