第46話

 マークスとその仲間、それに自分という面子で、港沿いにある小さな酒場に赴いた。


 ただ、軒先にジョッキをかたどった看板がぶら下がっているものの、町の人間が滅多に近寄らないのは、そこが港で働く者たちが集うところだから。


 クルルや、イーリアもまた着いていこうかと提案してくれたが、却下したのはマークスだ。

 荒くれ者とは荒くれ者同士のほうが話が通じるということだったが、そんなに揉める可能性があるのか……と自分は憂鬱にならざるを得ない。


 しかしいざ当日港に向かえば、鈍い自分でもわかることがあった。


「ヨリノブ、振り向くなよ」


 マークスが若干辟易したように言うのは、変装したクルルが隠れながら着いてきているからだ。

 もしかしたら健吾もいるのかもしれない。


「あんなだから、クルル“ちゃん”なんだよ」


 マークスは笑みを噛み潰すようにしてから、腰のベルトを揺すって気を入れ替える。


「さあて、扉を蹴り破って入りたいところだが」


 酒場の前に立ったマークスは、そんなことを言いながらゆっくりと扉を押し開けた。


「邪魔するよ」


 カウベルが鳴ったらそれこそ西部劇だったが、よそ者ガンマンの気分とはこういうものだろう、というのは実感できた。


「なんの用だ?」


 真昼間から酒浸り……というわけではなく、彼らは普通に昼ご飯を食べているところだった。

 港の荷下ろしが忙しいのはうちの商会だけではない。

 彼らは朝からきっちり働いて、ようやくの休憩という感じのようだ。


「忙しいところ悪いんだが、まさにその忙しい話の件でね」


 マークスが言うには、港の荷揚げ夫たちの多くは、元海賊やら奴隷船の漕ぎ手やら、とにかくその手の人間が多いらしい。

 流れ流れて放浪し、どこで野垂れ死ぬともわからない。

 土地に根付いたマークスとは違う迫力が彼らにあるのは、そういうところが影響しているのだろう。


「お頭!」


 と、健吾並の筋肉をした男が、酒場の奥に声をかける。

 本物なのかどうか、海賊旗みたいなものがかけられた奥から、のっそりと大柄の男が現れた。


「カッツェ」


 マークスが名を呼ぶと、カッツェと呼ばれた男は胡乱げに睨みつける。


「なんだようるせえな。お前ら詐欺師と違って、こっちは働いてるんだよ」


 食事の後に昼寝をしていたのかもしれない。


「その割に、港じゃ荷下ろしが滞っているようだが」


 マークスの返事に、空気の質が変わる。

 自分は慌てて仲裁に入った。


「お忙しいところ大変恐縮なのですが! まさに港の荷下ろしのことでご相談が!」


 するとカッツェはきょとんとして、ばりぼりと腹を掻いてから、マークスをもう一度睨む。


「お前との勝負は後回しだ」

「いつでも受けて立つぜ」


 人選を誤ったかもしれないと思いつつ、クルルがいても揉めそうな気はした。


「で? 大商会のご主人様がなんだい」


 嫌味のように聞こえつつ、カッツェは椅子を勧めてくれたので、おとなしく腰を下ろす。

 相対すると、その体つきと身のこなしから、ゴーレムがいるとしたらこんな感じかもしれないと思う。


「ええっと、その、ですね」


 大学の同期が飛び込み営業をやらされて、行った先が反社の事務所だった、みたいな話を聞いた時のことを思い出す。


 けれどとにかく話を進めなければ、ジレーヌ領は前に進めない。


「私たちの商会の荷運びに――」


 とまで言ったところでカッツェの眼光に怯み、どうしても語尾が弱まった。


「獣人の皆さんを、ですね……活用したいと、思いまして……」


 外には不器用ながら心配して着いてきているクルルがいるが、聞き耳を立てている猫娘はこちらの情けなさに歯噛みしていることだろう。

 この世界にきて痛感したが、強面はそれだけでひとつの交渉術だ。


「で?」


 最も嫌な切り返しがきた。

 暴力に慣れた連中の、尊大な態度。

 自分が魔法使いだったのなら有無も言わせず……なんてことを一瞬妄想したのだが、それこそイーリアとクルルを連れてきて領主権限で言うことを聞かせなかったのには、理由がある。


 彼女たちの前では言えなかったが、あまり獣人を急激に活用しすぎるのは、間違いなく問題を引き起こすからだ。

 それはこの領内の人々からの反感、ということもあるが、それだけではない。


 ジレーヌ領が外敵から身を守れるだけの領地にするには、人手があまりに足りていないことを思い出せばいい。

 すると新しい人手は移住者に頼るしかないのだが、移住者を募る時、ジレーヌ領が獣人の楽園だとかその手の噂が独り歩きしていたらどうなるか。


 腹をくくって本当にそういう場所にするつもりならばともかく、今はもっと現実的な路線を取るほかない。


 だから自分が、交渉をする必要がある。

 あくまで人の世界と、軋轢を起こさないように。


 多くの人の、生活の安定を得るために。


「港が皆さんの仕切りで動いていることはお聞きしました」


 もう声は震えず、はっきりとカッツェを見据えた。


「私たちの商会は今後、さらに荷の取扱量が増える予定です。他の商会も同様でしょう。さりとてここは島であり、人手を簡単に増やせるあてもありません。ですから当商会の荷揚げ分だけでも、獣人の皆さんの活用を認めてもらいたく」


 カッツェは動かない。


 利権の侵害と言われたら、現金での補償も考えてはいる。

 おそらくこちらの資金的には問題にならないだろうが、後々値を吊り上げられたりするかもしれないし、弱腰と見られたら次にどんな要求をされるかわからない。


 だからじっとこちらも待つ。


 イーリアやクルル、それにドドルたちが我慢してきたことに比べれば、こんな気まずさとプレッシャーくらい、なんでもないはずだ。

 ただ、カッツェは相変わらず反応がない。

 なぜなにも言わないのだ……といよいよこちらの忍耐も限界の頃、向かい側に座るカッツェはぼそりと言った。


「……まさかと思うが」


 ずいっと身を乗り出すカッツェに、マークスたちも身構える。

 岩の塊みたいなカッツェの顔が、じっとこちらを見やる。


「俺たちが獣人を追い出したと思ってるのか?」

「ん」


 言葉に詰まり、息が止まる。


「え?」


 聞き返すと、カッツェは乗り出していた体を引いて、マークスを見やった。


「俺たちはお前ら詐欺師じゃねえんだぞ」

「ああ? お前は海賊だろうが」

「元だ、元」


 カッツェは言って、大きく息を吐くと、頭をぼりぼり掻く。


「獣人の連中を港から締め出してたのは、前の頭目からの申し渡しだ。というか俺たちだって獣人がいないと困るんだよ」

「……」


 よくわからずマークスを見やると、マークスも戸惑いがちだった。


「あのな、港はここだけじゃねえんだ。たとえば他の港で、獣人が荷を運んで船に積むだろ。すると当然、こっちでその荷を受け取る時も獣人じゃないと持ち上げられんわけだ。荷下ろしが滞ってるのは、急に荷物の量が増えたのもあるが、それも理由のひとつだ」


 鉱山用の道具を船から降ろすときのことが思い出される。


「ええっと……」


 こっちが戸惑っていると、カッツェはしわでペンが挟めそうなくらいに顔をしかめた。


「獣人を締め出してたのは、お前んところの商会のノドンだって話だぞ」

「えぇっ⁉」


 全然知らなかったが、確かにノドンなら……と思いつつ、すぐに妙だと思った。


 自分の儲けのことしか考えていないノドンだが、儲けに対してはある種公平なところがあった。

 彼ならば、仕事を失う人々の不平不満を押しつぶしてでも、効率的に荷下ろしができる獣人を爆安で雇うのでは。


 そう思っていたら、カッツェが言った。


「俺も前の頭目からの又聞きだがな」


 そんな前置きの後に続いたのは、なんとも人間的な話だった。


「あいつ、子供の頃に犬に噛まれて以来、獣人が苦手なんだとよ」

「……」


 そんな馬鹿なと思いつつ、ノドンはよく言えば感情豊かで、実に人間臭いところがある。

 そしてジレーヌ領の実質的な支配者がノドンだったことを考えると、なんとなく辻褄があってくる。


 たとえば町中では獣人が仕事から排除されているが、町の人たちがそこまで獣人を嫌っているかというと、そういう感じもしない。安い酒場では獣人と普通に席を並べて飲んでいる人たちも多い。

 そのギャップはすべて、犬に噛まれたことがトラウマになっているノドンへの忖度だとしたら。


 ノドンのイーリアたちへの執着も、ある種の意趣返しだったのかもしれない。


「そのノドンが追い出されたとはいえ、この話をこっちからあんたに持ち掛けるのも妙だろう?」


 確かにカッツェたちには、こちらがどんな思想を持っているかなんてわかりようもないし、下手に話を持ちだせば、自分たちの仕事を減らしてしまうかもしれないのだ。

 なにより自らその話を切り出すことは、自分たちの腕力不足を公に認めるようなもの。


 それこそ名誉にうるさそうな荒くれ者たちとしては、あまり愉快なことではないだろう。


「では……?」


 自分の問いに、カッツェは不服そうに腕を組む。


「俺らの仕事を減らさないことが大前提だが……こっちから強硬に反対はしねえ。昔乗ってた船では、獣人に命を助けられたこともあるしな」


 そう言って振り向いたのは、奥の部屋に続く入り口にかけられた旗だ。

 あれはやはり海賊旗だったらしい。


 拍子抜け、というのは結果論だが、ノドンがいなくなってなお、島のあちこちにその影響が強く残っているのを実感する。

 まだ他にもこんなことがあるのだろうかと思うと、あの脂っこい巨体と馬鹿笑いを思い出してため息が出る。


 とにかく自分は椅子から立ち上がり、カッツェに手を差し出すと、カッツェも椅子から立ち上がり、こちらの手を握る。

 が、不意にその手を強く引き寄せると、そのぶっとい腕を肩に回される。

 視界の端でマークスたちが身構えたところ、カッツェが言った。


「最初はぶるってたのに、途中から船長の顔になったな。気にいったぜ」


 がははと笑うカッツェには、最初の弱気を見抜かれていたらしい。


「ここは島で、いわば船だ。誰が率いるかで、海の藻屑になるか、黄金郷にたどり着くかが決まる」


 カッツェはこちらの背中を叩き、腕を解く。


「しばらくはあんたの船に乗ろう」


 港はジレーヌ領のアキレス腱でもある。

 そこを取り仕切るカッツェと知己を得た……とまでは言えないだろうが、ひとまず敵意なくやり取りできたのは収穫だ。


「この先も色々とお願いすることがあると思います。その時はよろしくお願いします」

「おう。そいつら陸亀をくびにしたら、いつでも俺たちを雇ってくれ」


 カッツェに指差されたマークスは、腰に手を当てカッツェを睨みつける。


「今ここで勝負してもいいんだぜ」

「へっ。お前ら詐欺師と違って、こっちはこの後も荷揚げがあるんだよ。夜にこい。溺れるほどの酒を用意しておいてやる」


 町中と港のそれぞれを根城にする荒くれ者たちの関係はいまいちわからない。

 ヒートアップしないうちに、こう言った。


「では、お忙しいところ失礼しました」


 カッツェは手を挙げて返事とし、マークスたちは肩をすくめて酒場から出ていった。

 外に出ると風が清々しく、たちまちほっとした。


「悪かったな」

「え?」


 深呼吸していたら、マークスが鼻の頭を掻きながらそう言った。


「ノドンのおっさんのことを知ってたら、もっと振る舞いようがあった」

「あ~」


 犬に噛まれたノドン。

 その場を想像するだけで、笑えてきてしまう。


「ただ、荷揚げを取り仕切る人とはいずれにせよ、一度お話したかったんです。いい機会でした」


 それから、自分も少しだけ交渉の胆力がついたような気がする。


「さて、自分たちも仕事に戻りましょう」


 そう言って歩き出すと、マークスたちは立ち止まったまま浮かない顔をしていた。


「どうしました?」


 尋ね返すと、マークスとその仲間は互いに顔を見合わせてから、言った。


「……いい加減、仕事見つけねえとな」


 クルルがどこかで聞いていたら、笑ったかもしれない。


「工房も商会も歓迎ですよ」


 そしていざ働く場面を想像したのだろう。

 マークスたちがうんざりしたようにため息をついているその様子は、いかにも夏休みが明日で終わりだと気がついた小学生みたいで、クルルの代わりに自分が笑っておいたのだった。


◇◇◇◆◆◆


 今回はたまたま思い過ごしだったが、魔石加工職人の件では、見事に地雷を踏みぬいた。

 警戒を怠らず、この島の環境を整えていこうと兜の緒を締め直す気持ちで屋敷に戻れば、一足先に戻って来ていたクルルが、素知らぬ顔で待っていた。


「どうだったんだ?」


 なにも知らない振りをしているクルルだが、心配して着いてきてくれていたことはわかっている。聞き耳も立てていただろう。

 もちろんこちらもそんなことを指摘する代わりに、こう言った。


「うまくいきましたが、緊張しましたよ。おかげで、お腹がすきました」


 なにかと飯を食わせたがるクルルは、嬉しそうに早速腕まくりをする。

 そこに、もう一言付け加えた。


「ノドンが獣人の皆さんを嫌っていたのは、子供のころ犬に噛まれたからだそうで」


 イーリアやクルルがノドンから受けた苦しみは、今更どうしたって変わらない。

 けれどしょうもない理由が原因だったとなれば、少しは心持ちが違うはず。

 クルルはこちらを見やり、曖昧な半笑いで、片方の牙を見せる。


「噛みついてやればよかったな」


 その場を想像するとちょっと面白いが、多分、本当にそうしていたら、結果は笑えないことになっただろう。


「町の野良犬を飼うのは良いかもしれませんね」


 泥棒避けならぬ、ノドン避け。執念深い彼なら、そのうちひょっこり戻ってきかねない。

 クルルは笑ってから、肩をすくめた。


「あいつらより、番犬のほうが役に立つかもしれん」


 そう言ったクルルの視線の先には、屋敷前の広場でたむろするマークスたちがいる。

 マークスはさすがというべきか、すぐに視線に気がついてこちらを見る。

 そしていい噂をされているとも思わなかったのだろう、なんだか妙な苦笑い顔で、手を振ってくる。


「ふん。まあ、あいつもいよいよ仕事を探すらしいしな」


 クルルはそう言って、前掛けの紐を締め直す。


 屋敷で留守番していたのなら知りようもないそのことをぽろっと言ってしまうあたり、確かにクルルちゃんなのかもしれない。


「ヨリノブ、手伝え」


 けれどクルルなりに心配してついてきてくれたのだ。

 自分はもちろん野暮な指摘はせず、クルルを手伝い、食事の準備に取り掛かった。


 そして後日、商会の面々にもこの件で相談をした。

 カッツェの話からなんとなく想像はついたが、商会の面々は獣人の導入に反対しなかった。ノドンが獣人嫌いだったのでいないのが当たり前だったが、やはり現場で働く彼らとしては、力持ちの獣人がいてくれれば純粋に仕事が楽になるし、怪我も減るので、好き嫌いでどうのということではなかったようだ。


 ドドルへの結果報告は、ちょっとだけ誇らしかった。


 こうしてまた一歩、ジレーヌ領は安定に向かって前進したのだった。

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