第45話
クルルたちの前では大見得を切ったものの、反発は可能な限り抑えなければならないし、マークスの語った言葉がずっと引っかかっていた。
それは、名誉という言葉だ。
魔石加工職人の件でも失敗しているのだから、無策で突っ込めばまた地雷を踏みぬきかねない。工房の話では分業という案が手元にあったから、最終的になんとか辻褄があったような感じがある。
けれど荷運びについてはその手の小細工は無理で、誰かが必ず腕力で運ばなければならない。すぐに人を増やすことも無理だから、獣人たちとの提携に失敗は許されない。
そのためには、可能な限り地ならしをしておく必要がある。
そう考えていくと、自分はイーリアたちでさえ見落としていることがあると気がついた。
だから商会の面々にこの話を提案し、沖仲士の荒くれ者の頭目たちに話を持っていく前に、ある人物に相談することにしたのだった。
『そんなことを、ワレに聞くのか……』
狭苦しい掘立小屋は、トルンが一時期世話になっていたという、獣人の骨接ぎ医の診療所だ。
この文明レベルでの医者というのは、ほとんど呪術師みたいなものらしくて、棚には効果があるとは思えない小型爬虫類の黒焼きなんかが並んでいる。
そして自分の前にいるのは、自分のことを仲介してくれ、事態の推移を興味深そうに見守っているトルンと、呆れた様子のドドルだった。
「ドドルさんから見て、この話はいかがですか?」
マークスたちから名誉の話を聞かされて、自分はふと気がついた。
人の縄張りに獣人がくるのを嫌がるのなら、その逆もあるのではないかと思ったわけだ。
『……』
ドドルはなにかを言おうとして、口を閉じ、もう一度口を開きかけてから、頭をバリバリと掻いていた。
『……ワレらとお前らは、敵同士だと思っていたがな』
ドドルが目を細めると、かなり凶悪に見える。
けれど怖いと思わなかったのは、そのたくましい尻尾の毛並みが、やや伏せ気味だったからかもしれない。
それと、もうひとつ。
『ドドル、悪ぶって強がるのはお前の弱いところだと言ったろう』
そんな穏やかな声と共に、扉が開いてもう一人獣人が入ってくる。
草食系の動物を思わせるひょろりとした顔つきなのは、年老いているせいかもしれない。
ここの家主の医者、ゴーゴンだった。
『鉱山の仕事が拡充され、特に子供らの魔石磨きが増えて感謝していたではないか』
『ぬ、うっ……』
ドドルにはクルルと似た雰囲気がある。
意地っ張りだが、多分、そんなに悪い人ではない。
年老いた教師のようなゴーゴンの前では、中学生みたいに見えるのだから。
『ドドル』
ゴーゴンのちょっと厳しい口調に、ドドルは背中が盛り上がるくらい歯を食いしばってから、詰めていた息を吐いた。
『……オマエらはワレらとの約束を守り、借りを返した……』
『そして貸し借りを経た今、ワレらはもはや仲間である』
ゴーゴンがやや悪戯っぽく笑いながら言葉を追加して、飲み物を差し出してくる。
ヨーグルトっぽい発酵飲料で、町中では見かけないものだ。
『ワレらに光明を授けしヨリノブ殿に』
ゴーゴンが器を掲げると、部族の儀式っぽいものに立ちあえて楽しそうなトルンも、飲み物の入った器を掲げている。
自分が戸惑っていると、ゴーゴンが優しく微笑みかけてくるので、おずおずと器をあわせた。
ドドルはしばし自身の飲み物を見つめていたが、どうにでもなれとばかりに、自分たちの掲げた器に、自身の器を当ててきた。
『慣れ合うわけではないからな』
こちらを睨みつけるようにドドルはそう言うが、ゴーゴンが苦笑しているので、そういうことだろう。
乾杯、という言葉で、各々が器の中身を飲み干した。
『それより、オマエの妙な話についてだがな』
ドドルはあまりヨーグルトが好きではないのか、すぐに酒を一口飲んでから、どこか疲れたように言った。
『ワレらを奴隷扱いする……というわけではないのだろうな?』
「それはもちろんです。給金については、その、ご相談なのですが……」
ただでさえ給与の話はややこしいのに、同じ仕事をする人間たちとの兼ね合いもあって、頭が痛い。この辺りは鉱山で獣人たちと働く健吾に聞いたほうがいいだろう。
『ふん。ならばワレらが反対する理由などない』
ドドルが尻尾をばさりと振った途端、もうもうと埃が舞い上がった。乾杯の後はマイペースに医薬品の整理などを始めていたゴーゴンが、嫌そうな顔をしている。
『ひとつ聞かせろ』
ドドルが前のめりになって言うと、ヨーグルトのお代わりを注いでいたトルンも、やや緊張したように視線をドドルに向けた。
『これはイーリアやクルルの言い出したことなのか?』
あのふたりは獣人の血を引くがゆえに、かえって自分や健吾など人間たちよりも、ドドルと距離があるかもしれない。
だからドドルとの距離を近づけるためにも、そうだ、と自分が答えようとしたその矢先。
トルンがさっさと答えてしまう。
「イーリア姉ちゃんもクルル姉ちゃんも、ヨリノブさんを変だって言う側だよ」
「……」
それだとあの二人が獣人に敵対するように聞こえてしまう!
そう慌てていたら、グッ、とくぐもった音がした。
一瞬だが、ドドルが笑ったらしかった。
『鉱山帰りはおかしな奴ばかりだ』
牙をぞろりと見せたドドルは、手元の酒を見て、ふんと鼻を鳴らした。
『だが、それを聞いて安心した。あの二人は、きちんと人の側にいるべきだからな』
「それは……」
拒絶なのか、それとも。
戸惑っていると、草をすり潰すための薬研を調整していたゴーゴンが口を挟む。
『ヨリノブ殿。あのお嬢さん方の立場は危うく、脆い。常に立場をはっきりさせておいたほうが、お互いのためなのだよ』
あの二人は完全に人でも、完全に獣人でもない。
その曖昧さは、なにかあった時に悪い方向に作用してしまうのだろう。
だとすると、ドドルがイーリアやクルルに敵対的に振る舞っていたのは、意図があってのことだったのかもしれない。
『それより、港の話だ』
「あ、はい」
『どれだけワレらの仲間が働けるんだ?』
過度な期待をさせるわけにはいかない。
沖仲士の頭目にも、商会の人間にもまだ話を持ちかけておらず、どうなるかはわからない。
そのことを正直に話せば、ドドルはまたぞろ嫌そうな顔をしていた。
面目ない、と身を縮めていたら、ゴーゴンは笑いながら言った。
『ドドル、もうわかったろう?』
こちらの若干の頼りなさが……と思ったところ、続いたのは意外な言葉だった。
『ヨリノブ殿はそのふたつよりも先に、ワレらに話を持ってくるのだ。ヨリノブ殿は決して、ワレらをないがしろにはしない。お前がどれだけ、意地を張ろうともな』
自分の話に嫌そうな顔をしていたドドル。
けれど彼がクルルと似ているのだとしたら、その顔は、調子を狂わされて嫌そうにしていたのだ。
獣人はいつも後回しで、人の決定にただ従わせられるばかりだったから。
ただ、ゴーゴンがこちらの肩を持ってくれるのはありがたいのだが、もうひとつこちらから伝えなければならないことがある。
「その、けれど、もうひとつお伝えしておきたいことがありまして……」
と、自分が言うと、ゴーゴンとドドルが揃ってこちらを見る。
「もしも沖仲士の頭目や商会の人間から反発されたら、この話は立ち消えてしまうと思います。でも、そうなったとしても、我々としては決して皆さんの――」
『ヨリノブ殿』
こちらの言葉を遮ったのは、ゴーゴンだった。
『みなまでいわずともいい。海辺のように、やがて潮が満ちればよいのだ。だろう? ドドル』
この話が立ち消えても、自分たちは敵同士ではない。
ゴーゴンの言葉に、ドドルは大きくため息をつく。
『ワレは頑迷な愚か者ではない』
ぷいとそっぽを向くその様子に、ドドルは案外若いのかもしれないと思った。
ゴーゴンもそんなドドルに小さく笑い、ふうと息を吐いて、言った。
『流れ流れて、もはやこの先には海しかないような、この島までやってきたが』
細めた目に、生きてきた長い時間がうかがえた。
『最後の場所にこんな面白い者がいようとはな。世の中とはわからんものだ』
変だ変だと言われて身を縮めるしかないのだが、ゴーゴンの言葉はいくらか耳に残った。
この獣人は、外の世界を知っている。
それを見て、ふと、バックス商会を迂回する計画を進めるのに、獣人の伝手を使うというのは案外悪くない手かもしれないとも思った。
彼らは横のつながりが強く、社会的に弱い立場ゆえに身内で結束しているから、仲間と見なされればかなり強く信用が置けるはず。しかも人間とは距離を置いているから、なおのことばれにくい。
島の外のことを調べてもらうには、うってつけかもしれない。
それに懸念だった魔法陣の解析や、もしかしたら、合成魔石の開発も……。
「ヨリノブさん?」
トルンに問われ、物思いから我に返る。
「んじゃ、次は港の頭目たちか?」
トルンは元々その身の軽さを売りにして、船から船の荷運びを得意としていた。
港の事情にはひととおり通じている。
「……どう、ですかね」
可能性の有無を聞くと、トルンは肩をすくめるばかり。
『昔はここの港も、ワレらの仲間が働いていたと聞いたがな』
ドドルの視線は、ゴーゴンに向いている。
『ワシがきた時はすでに人の縄張りだったよ。まあ、逆に人が働いていない港も見たことがあるし、土地それぞれに事情がある。港で働くよりも鉱山で働いてほしいとか、そういうことかもしれんしな』
とはいえ、現状で人の縄張りであるのなら、そこに獣人を入れるのはひと悶着覚悟する必要があるだろう。
前の世界でも、港湾についてはとにかくややこしい話が多かった。
有名なのはコンテナの導入を巡る大騒ぎだ。
それまで人の手で荷運びをしていたものを、規格化されたコンテナに変えれば物流を猛烈に効率化できるが、効率化は大体、人の仕事を奪うことになる。
古くは機織りの自動化に反対した、ラッダイト運動などもある。
獣人の腕力が人間の十人分だとしたら、それだけの人間が不要になりかねない。
『ヨリノブ』
驚いたのは、ドドルがこちらの名前を呼んだから。
『無理はするな』
そっぽを向いたままの、ドドルのその言葉。
トルンは目を丸くしてから首をすくめ、ゴーゴンもやれやれと笑っていた。
海辺のように、やがて潮が満ちればいいとゴーゴンは言ってくれた。
波は引くこともあれば、押し寄せることもある。
「ありがとうございます」
礼を言うとドドルは酒を呷り、また部屋の中に埃がもうもうと舞ったのだった。
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