第43話

 タカハシ工房が発足し、どうにかこうにか切り盛りし、二週間ほどたったころ。


 バックス商会からの船が港に到着し、あのコールが気取った足取りで桟橋に降りてくる。


 ただ、船に積み込まれるのを待っている、桟橋に積みあがった魔石の箱を見たコールは明らかに動揺していたし、こちらの差し出した書類を見てさらに驚き、こちらの顔と三度視線を行き来させていた。


「ノドンが隠していた在庫か?」

「いえ、自前で工房を構えたのですが、職人の皆さんがよく働いてくれまして」


 コールははっきりと訝しんでいた。


「君は……ふうむ」


 胸を逸らし気味になるくらい背筋を伸ばし、顎に手を当てるのは実に芝居じみているのだが、コールみたいな人物がやると様になっているから面白い。


「ノドンを追い出しただけのことはある。私に毒針まで仕込んでね」


 バックス商会に支払った金貨を並べると、神への罵倒を記した文字が浮かび上がってくる。

 そんな仕掛けを施したかもしれない、という状況を作り出すことで、自分たちはこのコールとノドンを無理やり敵対させ、仲間の側に立たせることに成功した。


「なんでもいい。魔石の需要は高いからな。ただ、あまり増えるようだったら、事前に知らせてくれ。こちらも金貨の用意があるからね」

「我々としては、輸入品との相殺でも助かるのですが」


 すると、コールは肩をすくめていた。


「そうしたいのはやまやまだが、鉱山用の道具なんかは私の管轄と違うのだ」


 バックス商会の中も一枚岩ではなく、それぞれの貴族たちが商品の縄張りを持ち、儲けを争っているのだろう。


「まあ、この船は私のものだから、連中は私にたっぷりの運賃を支払う羽目になっていい気味だ。その点では、君に追加で感謝しなければならない」


 ははは、と愛想笑いを返しておくと、コールは魔石取引の書類に署名をし終えて、こちらに戻す。

 それから、やや面白くなさそうな顔をした。


「商いがうまくいっているようでなによりなんだが、問題があってね」

「問題、ですか?」

「君たちが毎度毎度、とんでもない量の注文をするようになって、船員が不満たらたらなのだ。仕事の量は増え、こんな辺境の島の港に何日も足止めされ……とね。私も今回は州都で用事があるから、帰るための船を持ってきたくらいだ」


 なるほど、とすぐ理解したし、それは言いがかりでもなんでもない。


「荷下ろし、ですよね。そこは申し訳なく……」


 タカハシ工房の切り盛りにかかりきりで、商会のほうは助手のヨシュたちに任せきりだった。

 それでもきちんと回っていたので油断していたのだが、実はまさに問題が起こったばかりだった。


「商いが増えすぎていて、私たちも手が回っていないのです。どうにか解決を図っているところなので、ご容赦を……」


 平に謝ると、コールはふむとうなずき、これみよがしにため息をつく。


「今回は君の商会就任祝いで、見逃すとしよう。次回からは、運搬費用を割り増しにさせてもらう。構わんね?」


 否とも言えない。

 ジレーヌ領の港にあるのは、地元の漁船くらいで、州都と行き来できるような大積載の船は、すべて州都側の商会のものだ。


「どうぞお手柔らかに……」


 自分が言えるのはそのくらい。


 けれど平身低頭が功を奏したのか、あるいは純粋に荷物が増えれば儲かるので機嫌が良いのかわからなかったが、コールはこちらの肩をポンポンと慰めるように叩く。


「なあに、君とは良い商いができそうだ。お互い協力しようではないか」


 優位を確信している時にしか出てこない典型的な台詞だが、今のところ頼れるのはコールしかいない。絶対に心を許せる相手ではないが、致し方ない。


「お願いします」

「んむ、んむ」


 コールは機嫌よさそうにうなずき、魔石の詰まった箱に視線を落とす。


「しかし、本当に多いな」


 工房にはなお在庫があることを伝えたらどんな顔をするだろうと、ちょっと思ったのだった。



◆◆◆◇◇◇



「ヨ、ヨリノブ様! 商会の倉庫で荷崩れが――」


 コールとの取引前日、工房に駆けこんできた小僧が叫んだのはそんな言葉だった。

 自分は羽ペンを放り出して立ち上がり、大慌てで商会に戻れば、軒先にまで荷物が運び出されていて、外から見える荷揚げ場は大混乱の極みだった。


「どう……なってますか? 怪我人は⁉」


 まだもうもうと土埃の収まらない荷揚げ場に入ると、溢れかえる荷物を片付ける者たちの向こうに、額をぼろ布で抑えたり、ぐったりしている者がいた。

 まだノドンがいた頃、荷崩れに巻きこまれて死人が出た時のことを嫌でも思い出す。

 心臓が痛いくらいに高鳴り、呼吸が浅くなる。


「ヨリノブさん」


 声をかけてきたのはトルンだ。彼はまさに倉庫の荷崩れに巻き込まれ、足を骨折した。

 まだ足は治り切っていなかったが、商会でも荷物を結わえたりする仕事はいくらでもあるし、荷物の采配の知識を持っているので仕事に復帰してもらっていたのだ。


「すげえ顔だな」


 トルンは苦笑して、気の強い少年らしく、こんな騒ぎなどなんでもないといった感じで説明してくれた。


「幸い、誰も死んじゃいない。けどまあまあ怪我人が出てるし、なにより」


 と、トルンは奥の倉庫を見やる。


「荷物がぱんぱんなんだよ。搬入と搬出が全然間に合ってない。人を増やさないとどうにもならないぜ、これは」


 ノドンがいた頃も商会は忙しかったが、久しぶりに顔を出したここは、その比ではなかった。


「なぜこんなに商品が? なにか滞ってるんですか?」


 その問いに、トルンは呆れたように肩をすくめる。


「ヨリノブさんのせいだよ」

「僕の?」

「ヨリノブさんがあっちこっちに大盤振る舞いして、商品の買い取り金額を上げたり、借金を帳消しにしたりしてるだろ? おかげでどこの組合も、今まで売らずに隠していた商品を一斉に売りにだしてるし、借金がなくなった連中は大喜びで商品を買いあさってるんだよ」


 ノドンはジレーヌ領の経済を、暴力と借金でがんじがらめにしていた。

 自分はその鎖を解き放ったわけで、マグマのようにたまっていた需要と供給が一気に噴き出したのだ。


「だからバックス商会への買い付け注文もものすごい量なんだよ。ケンゴさんからは鉱山関連の品を相変わらず急かされてるけど、バックス商会の船は次の次の次の分まで満載だ。荷下ろしも滞ってるから、荷下ろしの連中は船長たちからすげえ嫌味を言われてて、追加費用を取られるのも時間の問題だよ」


 物流、の文字が重くのしかかる。

 倉庫はもはや限界で、荷物がうずたかく積みあがっている。今この場を片付けても、すぐに新しい事故が起こるだろう。

 そして事故が起こればさらに作業が遅れ、作業が遅れるとさらに荷物が溜まっていく。


「倉庫……倉庫の確保ですよね」

「それもそうだけど、人手も足りない。おまけにあいつらはしばらく仕事に出られないし」


 トルンが指さしたのは、商会の隅っこで座り込んでいる、崩れた荷物の下敷きからようやく助け出されたと思しき者たちだ。


「雇うのは? 働きたい人はたくさんいるのでは」


 人件費は儲けのほんの一部を占めるに過ぎない。

 倍にしたって耐えられる。なにより工房がものすごくうまくいって、加工した魔石の輸出量は二倍から三倍を優に超える。


 けれどその一言に、トルンは唇を尖らせていた。


「そりゃあ、いるよ。ヨリノブさんが俺たちへの支払いを増やしてくれただろ? どこにいっても、羨ましい、ずるい、酒をおごれって言われるもんな。けど……」

「けど?」


 トルンはこちらを見て、肩をすくめる。


「ほとんどの奴らが、ノドンのおっさんに首にされた奴らだよ。正直、一緒に働きたくない荒くれ者ばっかなんだよな。荷物の扱いは雑だし、偉そうだし」


 そうだった。というか、マークスと同じ会話をしたではないか。

 ここはノドンという強烈な人間のおかげで、妙に居心地のよくなっていた職場だった。


 言い換えると、ここを首になったのは今の空気になじまない者たちでもある。


「ノドンのおっさんはカスだけど、同じカスに容赦なかったから、そこだけは良い奴だったな」


 なぞなぞみたいな物言いだが、そこのところはよくわかる。ノドンを憎み切れなかった理由のひとつだ。


「従業員は、バスに乗せるより下ろすほうが大変と言いますしね」

「……バス?」


 怪訝そうに聞き返すトルンに、こう言いかえる。


「新鮮な果物の箱の中に、腐った果物を入れるような、というべきですかね」

「最悪だな。あっという間に黴だらけだぜ」


 ノドンが残してくれたこの商会の良いところはそのまま残したい。

 なにより自分にはノドンのように、人を叱ることができそうもない。


 だとすれば、叱らずに済む人を雇うしかない。


「うー……この商会に相応しそうな人を判断できる人っていうと、だれになります?」


 トルンはきょとんとしてから、首をひねる。


「トラス爺さんか……いや、カートンの兄貴かな。あの二人が選ぶ人なら、間違いなさそうな気がする。二人とも面倒見いいから、みんな言うこと聞くし」

「じゃあその二人を採用係にしてください」

「へ、え?」

「二人がいいと言ったら、雇ってください。ただしその後の働きぶりから、商会の何人か……そうですね、五人が相応しくないと言ったら、問答無用で首にしてください」


 トルンが呆気に取られていた。


「いや、ここは今はヨリノブさんの商会だろ? そんなんでいいのかよ」


 言われた意味がよくわからなかった。


「雇った人と一緒に働くのはあなたたちですし、自分で選びたくないんですか?」


 なにより自分には人を見る目があるとも思えない。

 もしそんなものがあるのなら、大学時代のゲーム製作チームは崩壊しなかった。


「……ヨリノブさんは、やっぱ変だな」

「えぇ?」


 トルンを見返すと、少年は悪戯っぽく笑う。


「怪我した俺の様子を見にきてくれるし、なんか全然偉そうじゃないし」


 にかっと笑いかけられて、少なくとも悪い印象は持たれていないようだとわかる。


「けど、何人雇ったら追いつくのかわかんないんだよな」


 今も荷物の片付けに追われている人たちを見やり、トルンが物憂げにつぶやく。

 きっと港のほうもてんてこまいなのだろう。


 働き手はいくらでもいると言っても、ここジレーヌ領は島国であり、人の流れは限られている。仕事を得たいとやってくるのが、かつて首にされた者たちばかりなのでは、採用が進むとも思えない。

 しかも給金を増やした話が出回って、妙な注目も集めてしまっているらしい。


 それは多分プラスではなく、どちらかというと金目当てのたちの悪そうなのが寄ってくる原因になるだろう。


 自分はしばし考え、ふっとある情景が目に浮かんだ。

 それはついこの間見たばかりの、凄腕の荷運び人たちだ。


「ちょっと聞きたいんですけど」

「ん?」

「ええっとですね……」


 自分が思いついた案を説明すると、トルンはしばらく魚のように口をパクパクさせていた。

 しかし少しずつ我を取り戻し始め、やがて思案げに眉を寄せていくと、最後には皮肉っぽく笑っていた。


「俺、ヨリノブさんのそういうところ、すげえ好きだぜ」


 思いついたのは、悪い案ではないらしい。


「ただ、魔石加工職人組合でも怒られたばかりですから、本当に大丈夫なのか色々確かめないといけないですよね?」

「あ~」


 工房は結局うまくいったが、こちらもそうとは限らない。

 けれど商会の物流の問題は、早急に解決する必要がある。


「誰に話を通せばいいかとかわかります?」

「うーん……まあ、そうだな。ちょっと聞いて回ってみるよ。俺に任せとけ!」


 トルンは手製の松葉づえをつきながら、早速商会から出ていった。


 自分は少年を見送ってから、怪我人を見舞い、しばらくの生活は商会で面倒を見ることを伝え、それからある程度文字の読み書きができる人員を捕まえて、新しい倉庫の手配を頼んでおく。そんな重要な契約はとてもできないと驚かれたので、できます大丈夫です、失敗したらもう一件借りればいいんですと励ましておく。


 それに失敗よりも、彼が契約をできるようになれば、彼がさらに別の誰かに契約方法を教えられるようになることのほうがメリットがある。

 商会を大きくしていくには、人手が足りなさすぎるのだから。


 いずれにせよ、一難去ったと思えばまた一難。


 イーリアではないが、商会を優雅に運営しながらボードゲームを作るなんてのは、まだまだ先の話のようだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る