第42話

 タカハシ工房が曲がりなりにも回りだすと、ノドンの旧屋敷は途端に賑やかになった。

 とんとんかんかん魔石を打つ音が一日中聞こえるし、休憩時間には賑やかな談笑が交わされる。操業開始三日目には、魔石が完成しても誰もいちいち驚かなくなっていたし、一日の終わりにどれだけ魔石が出来上がったかを見て目を丸くしていたのも、ほんの数日のこと。

 夜は夜で酒と飯をみんなで楽しんでいたし、急に外で働き始めたかと思ったら、家に帰ってこなくなった親方たちを呼びにくる彼らの家族も食事の輪に誘ったので、なおのこと賑やかになった。


 それにここでの食事提供は、親方たちにとって現実的な利点が大いにあった。

 飲み会は親睦と情報交換のために、というのが最初の目論見だったのだが、家族のほかに徒弟も抱える親方たちは、純粋に家計の負担がかなり大きかったのだ。


 そこで夕食をノドン屋敷で全部賄ってくれるなら、それに越したことはないと。


 しかもここで何家族分もまとめて料理をすれば、竈の燃料費をものすごく節約できる。これは親方たちの家計にプラスになるし、ジレーヌ領は島なので木材にも限りがあるから、燃料の節約は領地経営にとって大変望ましいことだ。


 調理についても、親方の妻やむ娘たちが厨房に立ってくれるようになったので、自分はクルルのお叱りを受けながら火を起こしたり、野菜を洗って刻んだり、鍋をかき混ぜたりする仕事から解放されてほっとした。


 万事がうまく回っていくが、意外なこともあった。


 クルルもこれで楽をできるだろうと思っていたのだが、厨房から離れてもあまり嬉しくなさそうだったのだ。


 少し気になってイーリアに相談したら、イーリアは蝶々を目で追いかける子犬みたいに視線を右斜め上、左斜め上に向けてから、耳を貸せと言って助言をしてくれた。


 それでクルルになにも言わず、とにかく手を引っ張って厨房に連れて行った。

 そして親方の妻たちに、この子に料理を教えて欲しいと言ったのだった。


 クルルは驚き、余計なお世話に噛みつこうとしたが、イーリアさんの命令ですと言えば、恨めしそうな顔をしていた。


 クルルはその気性に似つかわしくなく、いつだって向学心でいっぱいなのだ。

 料理を習いたいが厨房から離れたのは、獣人の血を引く自分がそこにいては、と気にしてのことだろうとイーリアは言っていた。人の食事を人ならざる者が用意するのは、あまり歓迎されることではないと。


 ただ、親方の妻たちはそこのところはあんまり気にしていないようで、むしろ領主イーリアの従者ということで、そんな身分の者を厨房に立たせていいのかと戸惑っていた。


 元来働き者のクルルであるし、物覚えはすごく良い。

 たちまち欠かせない戦力になったようだし、色々な家庭料理を教えてもらっているようだった。


「組合の他の連中が、悔しがってるぜ」


 そんなことを教えてくれたのは、イーリアの屋敷前でたむろして、毎晩のノドンの屋敷での食事のご相伴に与っていたマークスだ。


「しょっちゅうこっそり様子を見に来てるからな。何人かはお前から声をかけたら、親方身分を放棄してでも輪に加わりたがるかもよ。組合長にはいい気味だな」


 組合長たちの鼻を明かしてやりたい、と思っていたわけではないので、そのあたりはどうでもいいのだが、人手については考える必要がある。


「ただ、新しく加えるにしても、ようやくうまく回り始めたところですし」


 マークスは魚の骨を油で揚げたものをばりばり噛み砕きながら、ごくんと飲み下す。


 うまく回っているチームは奇跡みたいなもの。

 雑になにかを加えたら、せっかくのものが壊れてしまうかもしれないが、今後のことを考えると避けては通れない問題だ。


「規模の拡大についてはきちんと考えないとですね」


 しかしマークスはなおも不思議そうだった。


「加わりたそうな奴らを片っ端から工房に加えりゃいいだろ?」


 自分は少し間を開けて、尋ね返す。


「マークスさんは、誰でも仲間に加えます?」


 町中でちょっと悪い連中を束ねるマークスは、しばし視線を空に向けた。


「なるほど。人は選ぶな」

「それに今の工房は、もうこのままではだめだと思って、結束してイーリアさんの下に陳情に来た人たちだけが集まってます。調整しなくても、お互いに利害や気持ちが通じ合ってます」

「負け犬同士だもんな。そりゃあ気が合うってもんだ」


 マークスは首をすくめて、悪そうに笑う。


「なるほどな。そういう意味じゃ、フードで顔を隠してこそこそ盗み見に来てるような奴らはだめだな。組合の酒場ではここの悪口で溢れてるらしいし」


 容易に想像はつく。

 常識外れのやり方で、負け犬たちがいきなりすごい結果を出しているのだから、妬まれないわけがない。酸っぱい葡萄理論で溢れかえっているだろう。


「けど、あいつらはあいつらで、勝手にお前の真似するかもよ」


 そうしたら俺の出番か? みたいな感じで聞いてくるので、首を横に振っておく。


「構いませんよ。それであの人たちがたくさん魔石を加工してくれたら、こちらの売り上げも上がりますし」


 自分が言うと、マークスはじっとこちらを見て、肩をすくめる。


「お前は変な奴だな」

「え?」

「自分で考えたことなんだ。自分で独占して儲けようとか思わないのか」

「……」


 しばし考えてから、肩をすくめる。


「なにかを独占するには、ノドンみたいな才能が必要で、自分にはありません。けど、ものすごく大きな全体の一部だったら、特に怒られずにもらえそうじゃないですか」


 自分がいかに小市民かは、自分が一番よく知っている。

 マークスは目をしばたかせていた。


「それに、自分だけ儲けても仕方ないですし」


 元の世界に帰れる確信があるのならともかく、そうでないのなら、ここでゲームを作ることを考えなければならない。

 その時、一緒に遊んでくれる相手がいなければ意味がない。


「本気で言ってそうだからなあ」


 マークスは呆れたように言って、手についた油を舐める。


「ま、俺もそのおこぼれに与る身だ。お前には期待してるぜ」


 そんなマークスと笑い合ってから、イーリアの屋敷に入る。

 日の出ている間はずっと人で溢れているノドンの屋敷と違い、陳情の類がひと段落したここは、静かでほっとする。


 中庭に向かうと、椅子に腰かけたイーリアが日向ぼっこをしていた。


 というのは前向きな言い方で、テーブルに積みあがった書類作業を放棄して、放心しているというほうが正しい。


「またクルルさんに怒られますよ」


 呆れて言うと、イーリアは目を閉じたまま子供みたいに足をぱたぱたさせる。


「お仕事に飽き飽きしているところ恐縮なんですが、魔石取引の承認をして欲しいんですけど」


 そう言ってテーブルに書類を置くと、ようやく開いたイーリアの目は、どんよりと曇っていた。


「最近クルルが全然構ってくれないのよ」


 それはあなたが仕事をしないからでは、と言いかけたが、確かにクルルはノドンの屋敷に入りびたりで、厨房では料理を習い、時間がある時は徒弟に混じって魔石加工を学んでいる。


「あなたのところに、工房の話なんて持ち込まなければよかったわ」


 肩を落とすイーリアに、苦笑いするしかない。


「ですが、おかげでたくさん税金を納められますよ」


 イーリアの目が開くより早く、犬の耳がぴんと立つ。


「そうなの?」

「加工された魔石の量が多すぎて、現時点でもざっくり倍です。慌ててバックス商会に取引を申し込んだくらいです」

「そう言えば、前の取引からそんなに間が経ってないものね」


 イーリアは体を起こし、テーブルに置かれた書類を見て、目を丸くしていた。


「え……この数字、本当? でもこれ、工房の皆が慣れてきたら、もっといくってことよね?」

「ですね。なので、そろそろ次の相談をしませんと」


 予想以上の好調に耳をぱたぱたさせていたイーリアだが、自分の言葉にたちまち顔をしかめ、羽ペンを手に取って書類に署名していく。


「ここに人を雇うんだったかしら?」

「はい。ずっとこの書類仕事と付き合いたいなら、あれですが」


 権利関係の確認が終われば、今度は町の人間たち同士の揉め事の仲裁や、領主としての決済が求められるあれこれが舞い込んでいた。たとえば街中で、どこかの職人組合が組合としてのお祭りを開こうと思えば、領主への開催許可や、寄付の陳情などがあるし、教会主催の大々的な催しならば、数多の許可に加えて参加者の席次の確認なども求められる。街中で誰が領主に近しい人間なのかと知らしめる場でもあるので、割と重要なことらしいのだ。


 つまりは、これまでイーリアがふてくされて放棄してきたすべての仕事が舞い込んでいるわけだが、普通の領主なら文官が引き受けるようなことらしい。


「クルルが五人くらいいてくれたらいいのに……」

「五人ともあっちの屋敷に入り浸るだけですよ」


 イーリアは大きなため息をついていた。


「ほかにも役人がいないと税金を集められませんし、その役人を束ねる人も必要ですし、とにかく税金がないとやりたいこともやれません。もっと恐ろしい話として、ノドンみたいな誰かが乗り込んでくるかも」


 とくに後者の部分はあり得ない話ではない。


「一番可能性があるのは、バックス商会よね?」


 自堕落なぐずぐずの女の子から、領主の顔に変わる。


「主な商品の輸入はほとんどあの商会を経由していますし、なにより魔石の買取を独占されているのが怖いです」

「……」


 イーリアは顎に手を当て、じっと考えている。


「貴族が経営する商会だということですから、こちらが大きくなりすぎる前に、乗っ取ろうとするかもしれません」


 なにせバックス商会のコールは、ノドンと実に馬が合っていたようなのだから。


「別の商会に売るのは難しいのかしら。ほかにこちらと取引したがるところがあれば、牽制できるわよね」

「伝手もなにもないです。というか、自分はアズリア属州がどこにあって、その向こうに帝国がどんなふうに広がってるのかすら知らないです」


 ノドンの商会に地図はあるが、距離感がよくわからない。


「あと、安易に取引を迂回すれば、宣戦布告と取られるかも」


 イーリアの顔がはっきりとしかめられる。


「もう~……なんでみんなそんななのよ~……」


 ふわふわの髪の毛を掻きまわし、イーリアがむくれている。


「なので、こっそりバックス商会より強いところと手を組んでおく必要があるかなと」

「……」

「もちろん、隷属しては同じ問題の繰り返しですから、自分たちもそれなりに強くなっておく必要があります」


 イーリアは大きく息を吸って、嫌そうに吐く。


「結局、お金よね?」


 自分が肩をすくめると、イーリアの視線は魔石取引の承認書に向けられる。


「ジレーヌ領としてお金を稼ごうと思えば、輸出を増やすしかないですが、それは魔石以外にありません。そして魔石の加工を増やそうと思えば、職人を増やす必要がありますし、彼らの生活、仕事道具、その他もろもろを支える人たちの存在も必要になります。これは鉱山についても同様です」


 イーリアは視線を向けてこないが、犬の耳の動きから、話はきちんと聞いているのがわかるので言葉を続けた。


「増えた人口を養うには食料を輸入しなければなりませんが、これは当然ジレーヌ領からお金が出ていくことを意味します。ですから、島の中を開発して、可能な限り人を養えるようにしなければなりません」


 イーリアは目を閉じ、頭の中の石板に文字を刻み込むような顔をしている。


「それから、可能な限り島の外に頼らずに済むように、職人の誘致や、産業の発展も考える必要があります。高価な道具類を輸入せず、島の中で作れれば、それだけ金貨を島の中にためこむことができます。そしてこういうことを、自分たちの商会だけでなくて、島全体のこととして把握できる文官が必要です」


 つい口調が早くなってしまうのは、こんなことを考えるのが楽しくて仕方なかったから。


 蝋燭の明かりを頼りに、静まり返ったノドンの屋敷で計画を立てるのは、ゲームの内政パートのアウトラインを決めるようで実に興奮した。


 そんなこちらの前のめり具合に、イーリアは若干引き気味だったが、この少女はただの自堕落な女の子ではない。

 早口でまくし立てたあれこれを順繰りに咀嚼して飲み込んでから、最後にイーリアのほうから口にしたことがあった。


「合成魔石で大儲けする計画はないの?」


 魔石の歴史に隠された、おそらく今は忘れ去られているか、あるいは意図的に隠されているその技術。

 大きさによって価格が指数関数的に増えていく魔石にあって、小さな魔石のかけらを粉にして成形し直すことで、いくらでも巨大な魔石を作ることができるというその事実は、ゲームのルールを根底から変えてしまうとんでもない秘密だ。


 自分たちは合成魔石と呼んでいるそれだが、誰であっても見れば明らかに異常なものだとわかるので、現状では公に売ることもできず、宝の持ち腐れになっている。


「世に知られたら、とんでもない騒ぎになるはずですから」


 もっとも穏便な形として考えてみたって、この歴史の秘密を隠していた帝国から、暗殺者の集団かなにかが来てジレーヌ領の関係者を抹殺する、とかだろう。民衆に知られていいレベルの秘密ではないからだ。


 けれど最悪なのは、これですらない。


 自分が恐れているのは、世の中の全員が本当に歴史の流れの中で魔石に関するこの事実を忘れていて、大慌てで事態に対応しようとするパターンだ。


 巨大な魔石をいくらでも作り放題なのだから、軍事バランスは一瞬で崩壊し、野心に燃えた愚か者が各地に残る伝説の魔法陣を不用意に復活させ、核戦争みたいなものを引き起こすのは目に見えている。

 そして自分の予想だと、今の帝国の前の帝国と、さらにその前の帝国は、魔法陣の野放図な拡大の果てに、自滅したのだと思っている。


 戦略シミュレーションゲーム的に予想されることを伝えると、イーリアはふむとうなずく。


「ただ、最悪の流れになるかどうかは、伝説の魔法陣が本物かどうかにもかかってるわよね?」


 イーリアは賢い女の子だ。


「魔法陣の研究も必要です。クルルさんの話では、教会に残されているような古代の巨大魔法陣は、一部分は明らかに機能するみたいですし、現行の魔法陣とは異なる論理で魔法陣が組まれている可能性が高いということです」

「……はあ」


 ふわふわの髪の毛を両手で掴んで手で梳くと、イーリアは大きく首をすくめていた。


「つまりそういうことを調べてくれる人も集める必要があると」


 自分も肩をすくめて返事とする。


「信用できる人じゃないと無理だけど、そんな人どこにいるのかしら」


 雑で無慈悲で荒っぽいこの世界で。


「自分たちがそうなれたわけですから、きっといますよ」

「……」


 世知辛い世の中を散々見てきたイーリアは、こちらを胡乱な目で見上げていた。

 けれどすぐに疲れたように笑い、軽くこちらの腕を叩いてくる。


「悪い男め」

「え?」


 イーリアは笑ったまま、いーっと歯を剥いて、羽ペンを手に取った。


「はいはい、仕事するから、謁見は終わり」


 なにか失礼なことを言ったろうかと気にはなったが、イーリアの機嫌が悪くなさそうなので、まあいいかと思う。


「あ、クルルに会ったら、日暮れ前に一度戻ってきなさいって言っておいて」


 中庭から建物に戻り際、イーリアからそう言われた。

 書類に署名をしながら、顔も上げない。

 放ったらかしにされた恨み言でも言うのだろう。


「ええ、拗ねていたとお伝えしておきます」


 イーリアはしっしっと手を振ってくる。

 笑いながらノドンの屋敷に戻ってイーリアのことを伝えると、すっかり徒弟たちになじんで槌と鑿を手にしていたクルルは、門限を忘れていたことに気がついた子供みたいな顔をしていたのだった。

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