第41話

 分業の概念と有用性を理解しても、やっぱり流れ作業そのものが奇妙に映るようで、中庭の回廊沿いにぐるりと並べられた魔石加工の作業台を見たイーリアはげらげら笑っていた。

 椅子や作業台は各工房から持ち込んだものなので、それぞれ大きさや形が異なって見栄えが悪いが、この手の物も作ろうとするとかなりの費用が掛かる。

 軌道に乗ったら統一性を出したいななんて思っているうちに荷物の運び込みも終わり、元親方や徒弟たちが、不安そうな面持ちで一堂に会す。


 自分はろくに魔石も加工したことのない初めての親方として、挨拶することになった。


「ヨリノブ・タカハシです」


 中庭に集う職人やその卵たちは、ああともうんともつかぬ声を上げ、幾人かは帽子を取って返礼してくれる。


「これから皆さんと工房を経営していくのですが――」


 という、紋切り型な挨拶をつらつら話していると、隅っこで聞いていたクルルは明らかに退屈そうにあくびをしているし、マークスは仲間とこそこそ話してるし、鉱山で忙しい中わざわざ町中に戻って来てくれていた健吾は、叱るように口をパクパクさせていた。


 そして唯一、領主として話を真面目に聞いてくれていたイーリアさえも、笑っていない笑顔に変わりつつあった。もっと言うべきことがあるでしょうと。


 あの深夜、屋敷にきて持論を展開したイーリアは、こう言ってくれた。

 お前の役目は、夢を見せることだと。


 それはわかっているのだが、イーリアに自分の考えを述べたのは、深夜のテンションというのもあった。改めて思うと、本当にこれで職人たちがついてきてくれるのかと不安で、その助走が必要だった。

 が、それも潮時だ。


「えー、色々述べましたが、私の目標は今のところ、ひとつです」


 息を吸って、吐く。


「安定した生活を、皆さんと一緒に手に入れること」


 市民という言葉がここと前の世界でだいぶ意味合いが違うように、安定した生活の意味もまた、全然違う。

 ここはけがや病気をしたらそこで終わりの、無慈悲な世界だ。


「私は魔石加工の技術を持っていませんから、皆さんの協力が不可欠です。この工房は奇妙な存在だと思うかもしれませんが、しばらくの間だけ、力を貸してください。それでだめだったら、私が作業台を担いで、皆さんの元の工房まで運びます。そのくらいの罪滅ぼしは致します」


 すると元親方たちから、戸惑いがちの笑いがこぼれる。

 彼らはいずれにせよ今の生活に耐えられず、組合に反旗を翻す形で、イーリアの下にやってきた。

 立ち止まっていても、いわんや引き返してもろくなことにならないとわかっている。

 分業は集団でなすものであり、負け犬は群れるのに適していると言ったら、非難の声が上がるだろうか。


「お願いはひとつだけ。罵声と鞭はなしです」


 徒弟を奴隷のようにこき使えるところだけが、儲かる工房だとイーリアは言っていた。

 そしてほとんどの人はそこまで非情になれないからこそ、うだつの上がらない工房になる。

 元親方たちは互いに顔を見合わせ、まばらに拍手が起こり、静まった。


 それを熱意の低さ、とはさすがの自分も思わなかった。


 彼らはうだつが上がらないらしいが、職人なのだから。


「では早速、作業をしましょうか」


 たちまち中庭が騒がしくなったのだった。


◇◇◇◆◆◆


 元親方たちには、事前にこの工房のコンセプトを伝えてある。


 魔石加工の工程を可能な限り分解し、なんなら一日練習しただけでできるようにする。

 それから、各々が可能な限り得意な作業に集中する。


 腕に覚えがない彼らだからこそ、自分の苦手部分を誰よりも理解しているし、元々好きでもない工房経営をいやいややっていたような者たちだから、変なプライドもない。

 彼らはここに来る前に、作業の割り振りのために自分たちの苦手な部分を曝け出していた。

 すると彼らも驚くくらい、苦手な作業というのはばらばらだったらしい。


 ただ、この場で一番驚いていたのは徒弟たちだっただろう。


「道具を触ってもいいんですか?」


 槌と鑿を渡され、ぽかんとしていた。


 親方の下にやってきても、数年は家の雑用で忙殺され、ようやく工房に立たされても延々と魔石磨き。その間に魔法陣の仕組みを見よう見まねで覚えていき、そうしてすっかり工房の古株になった頃、親方のお下がりの槌と鑿を渡されて、仕事を終えた夜中に路傍の石ころで練習する。


 そういう話を聞くと、こんなつらい過程を経て、よくもまあ親方たちは徒弟から親方になれたものだと感心する。

 いや、なれなければ野垂れ死にか、一生工房で飼い殺しだったのだから、そうするほかなかったということだろう。


「魔石磨きに皆さんの貴重な能力を使うわけにはいきません。練習して、一刻も早く魔石を加工できるようになってください」


 自分の言葉に、五歳くらいから高校生くらいまでの少年たちは、それぞれ顔を見合わせていた。


 というか話を聞くだに、既存の工房は非効率なのだ。


 鉱山から掘り出された原石は、当然そのままでは、魔石取引に使われる規格化された商品にならない。関係のない石を剥ぎ落し、表面を磨いておく必要がある。

 これこそ単純作業の極みなのだが、工房では徒弟の仕事だった。


 理由は、成形されていない魔石のほうが安いからだ。


 成形済みの魔石を購入するのではなく、未成形の原石を安く購入し、奴隷と変わらない徒弟に磨かせたほうが安上がり。

 おかげでせっかく魔石磨きの腕が上がっても、徒弟としての株が上がれば、それを生かすことのできない次の工程に移ってしまい、また新入りの徒弟がいちから磨きの技術を身につけていく。


 古めかしい親方たちは、それこそが魔石加工職人のなんたるかを学ぶ重要な過程とか言っているらしいが、明らかに嘘だ。自分たちがやらされていたから、新入りにやらされているだけという悪しき習慣以外のなにものでもない。


 そこで自分は健吾に頼み、鉱山ですでに存在する魔石磨きのラインを拡充してもらった。

 鉱山では鉱石の選定やら洗浄のほかに、子供の獣人たちが成形作業を担っているらしい。彼らに仕事を与えるという意味もあったが、魔石の成形においても専門の作業集団を常設することで、効率と品質を上げられるはずだった。


「これ、皆が別々の作業をしてるのよね?」


 だれがどの作業を受け持つかや、どの徒弟ならどの作業を受け持てるかという親方たちによる相談を終えると、三々五々それぞれの作業台に座り、作業を始めていた。

 興味深そうにそんな中庭の様子を眺めていたイーリアが、尋ねてくる。


「だと思います。自分も誰がなにをやっているのかは知りませんが」


 親方たちは魔法陣の形を頭に叩き込まれているので、次にどうすればいいのかは彼らのほうがよく知っている。なので自分からあれこれ言うのではなく、彼らが勝手にやりやすいように馴染むのを待つという形にした。


「やっぱり……なんか、すごく変な感じ」


 イーリアは肩をすくめ、親方たちのどこかぎこちない作業風景を眺めていた。


 もちろん最初からすんなりいくはずもなく、特に一人で黙々と作業をしてしまう者たちが多くて、何度も次の人の分の工程まで手掛けてしまっているようだった。

 それに、自分の彫った魔石を別の親方に渡す際は、なんとも恥ずかしそうにしていたり、言い訳を述べていたり、受け取った側も眉をひそめたり、逆に感心して技術話に花を咲かせたりと、作業があちこちで滞った。


 そのたびに自分が介入し、積もる話は教会の夕刻の鐘が鳴ってからでお願いしますと頼んで回った。


 指示を出すのには慣れていても、出されるのには慣れていない親方たちの中には、明らかに不機嫌になる者もいたが、そういう者たちも作業に戻ると没頭して忘れてしまうようなので、少しずつ慣れてくれるだろう。

 というか、全体の監督役に、親方の中から誰か抜擢したほうが良さそうだなと思った。あるいは指摘しても角が立たないような、引退した親方とかのほうが良さそうか。


 そう思って見ていると、世話好きの親方の中には自分の作業より徒弟たちの指導のほうが楽しそうにしている者たちもいるので、そういう人たちは教育役に専念させたほうがいいかもしれない。

 また、ある程度彫りの技術を持っている高校生くらいの少年徒弟たちは、最初こそ魔石加工に緊張しっぱなしだったが、同じ工程ばかり繰り返すのが功を奏したのか、ほどなく慣れて、夢中になって作業を進めていた。


 まだ全体としてばらばらで、手探り感が満載だったが、最初の完成魔石ができあがるのはそれ程時間を要することではなかった。


 自分は魔石が完成しそうなのを見計らい、手持ちの鐘を引っ張り出してきた。

 健吾の提案で、牛飼いから借りてきたのだ。


 最初の魔石が完成した際には、皆に知らしめるべきだと。


「最初の魔石が完成です!」


 がらんがらんと鐘を鳴らすと、作業に没頭していた者たちが顔を上げ、きょとんとしている。

 そして、互いに顔を見合わせてから、わらわら集まってくる。

 手元にあるのは四級魔石で、炎の魔法陣が刻まれている。


「嘘だろう。作業を始めたのはさっきだぞ」

「作業途中の魔石を持ち込んだのか?」

「うちの工房だと、これができるのは三日後だぞ」


 口々にそう言っては、魔石を前に唸っていた。


「しかし、下地はいまいちだが……彫りは見事だな」

「うむ。曲線が見事だ。わしではどうもこれができん」

「”導火線”を掘ったのは誰だ? どうやったらこんなに深さを綺麗に調整できるのだ」

「見ろ、“火口”もなかなかのものだ。ヤノシュの工房でもこうはいくまい」


 ひげがもさもさの親方たちが押し合いへし合いしている様に、子供の頃に牧場見学に行って、牛に餌を上げようとしたらものすごい数が集まってきて泣き出してしまった時の記憶がよみがえる。


「えっと、話は、話はあとで!」


 自分が声を上げると、やっぱりあの時の牛みたいに、親方たちが顔を上げる。


「食事とお酒も用意していますから! もちろん」


 と、息を整えて言う。


「毎日です。夕刻の鐘が鳴ったらここで毎日皆さんで食事をして、情報交換に努めてください。そうすればこの工房は、この魔石をじゃんじゃん量産できるはずですから」


 各々が得意な作業を受け持ったら、全体として速度が激増する。

 彼らはそう言われても半信半疑だったろうが、今、まさに目の前にその成果物が現れて、明らかに目の色が変わっていた。


「おおう! これなら借金もすぐだろう!」

「ガースよ、お前は話してばっかりいないでさっさと作業しろ!」

「なにを! お前こそ人の作業の粗ばかり探しおって!」


 やいのやいの言い合いながら、それぞれ作業場に戻っていく。

 親方たちの後ろで魔石を見られなかった子牛たちにも、苦笑交じりに魔石を見せて回る。

 誰も彼もがまばたきを忘れて覗きこんでは、ここを自分が彫ったんだと騒いでいた。


 そして彼らも親方たちから怒鳴られて作業場に戻ったが、罵声と鞭はなしと言った約束も、今のはノーカウントだろう。


 どうにかこうにか回りそうだ。

 自分はほっとしていると、急にわき腹を小突かれた。


 見やれば、胡乱な目つきのクルルだ。


「まさか飯の支度を、私にだけ押し付けるつもりではあるまいな?」


 分業の概念を偉そうに語ったのは自分である。


「なにから手伝えば?」


 クルルはふんと鼻を鳴らし、大上段に言う。


「見習いは、まず野菜を洗うところからだ」

「はい親方」


 自分がそう言うと、クルルはそうくるとは思っていなかったようで、きょとんとしていた。

 そしてじんわり感情が戻ってくると、嬉しそうにしていた。


「ふふん。親方か。ふふ、悪くない」


 機嫌が戻って厨房に向かうクルルの猫の尻尾を見ながら、「親方」の魔法は使えそうだなと、そんなことを思ったのだった。

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