第38話

 外部から職人を呼び寄せる。

 魔石の原石を未加工でそのまま売る。


 魔石取引の売り上げを伸ばすために自分が思いつく選択肢は、せいぜいこのくらいだ。


 それとは対照的に、ジレーヌ領のために必要な費用はどんどん積みあがっていた。


 鉱山開発にかかる費用。イーリアが文官を雇うための費用。ジレーヌ領内のインフラ構築費用や、獣人や孤児院などの貧窮者対策もある。

 さらにノドンは貸していた金と同じくらい、借りて踏み倒していた金も多く、ノドンが溜め込んでいた資産は次から次に吐き出される始末だ。


 これだとイーリアのために資金を確保するどころの話ではない。

 早急に魔石の売り上げでテコ入れしないと、赤字に陥りかねなかった。


「……う~……」


 しかし、唸れども妙案は出ず。


 いったんはマークスの協力を得て、下っ端親方たちに早まったことはしないよう、釘は刺してもらってある。

 けれども蜂の巣はつついてしまったわけで、どうにか事態を収める必要がある。


 その日も昼間はあれこれ忙殺されながら、ようやく静かになった夜。燭台の蝋燭はすべて溶け、あふれ出た蝋に埋もれるように欠けた芯が弱々しく明かりをともす中、ノドンの商会で一人唸っていた。


 魔石加工のペースを上げるにあたり、魔石加工職人組合の協力は得られない。

 それどころか、内部に分裂の種まで撒いてしまった。

 このままでは最悪、加工がストップしてしまうかもしれない。

 そうなるくらいなら、すべてを白紙に戻し、買い叩かれてでもバックス商会には増産した原石を売るしかない。


 やはりゲームや漫画のようにとんとん拍子にはいかないのだ。

 ここの世界の人たちにはここの世界の人たち特有の常識や価値観があって、それをパズルのように入れ替えられると思うのは、傲慢な話なのだ。


 組合長には謝りに行って、下っ端親方たちには商会として話を聞きに行くことで、不満を吸収する。そんな予定を、苦しみながら立てていた折のこと。

 こんこん、と扉が叩かれた。


 草木も眠る丑三つ時。


 いや本当に午前二時かどうかはわからないが、電気もないこの世界では、深夜は本当の深い夜になる。

 ヨシュも最近は夜になると孤児院に帰るので、だだっ広い旧ノドン屋敷内には、自分以外に誰もいないはず。

 一気に心拍数が上がったが、泥棒にしてはノックするのは妙だ。


 それに、すぐに聞き慣れた女の子の声がした。


「ヨリノブ? 起きてるかしら?」


 この世界に知り合いの女の子は二人しかおらず、そのうちのイーリアだった。


「えっと、はい」


 戸惑いがちに返事をすると、扉が開かれる。

 イーリアは夜目が利くのか、それともご近所なので月明りを頼りに歩いてきたのかわからないが、蝋燭も持っていない。


 それに、いつもならそばにぴったりくっついているクルルの姿もない。


「私一人よ」


 こちらの視線の動きで、クルルを探しているとわかったのだろう。

 イーリアは悪戯っぽく笑いながら言って、部屋に入ってきた。


「嫌な汗の匂い」


 すんすんと鼻を鳴らしたイーリアの言葉に、自分は思わず服の匂いを嗅いでしまう。


「そういう意味じゃないってば」


 首をすくめるようにくすくす笑ったイーリアは、部屋の隅にあった来客用の椅子を見つけると、重そうに運んで、自分の横に置く。


「あなたに唆されたクルルが、魔石の加工で追い詰められてた時も、こんな匂いがしてたわ」


 魔石に刻み込む魔法陣には、まったく新しい法則があるかもしれない。

 そんな希望の下に作業を行っていたクルルだが、見込み違いに焦り、ずいぶん自分を追い込んで作業していた。


「でも、今のクルルといったら……」


 運んできた椅子に座らず、背もたれに手をかけたイーリアは、肩をすくめていた。


「まあ、あの子のことはともかく」


 呆れ笑うようにため息をついたイーリアは、椅子に座ってこちらを見た。


「こんな夜中まで灯りが漏れていたからね。魔石加工のことよね?」


 テーブルの上にある石板は、書いては消した計画のせいで、白い石灰の粉だらけになっている。


「はい、その、ノドン……げほっごほっ!」


 ずっと根詰めて考え事をしていたせいか、喉が開かない。

 しばらく咳き込んでから、失礼と言って、言い直す。


「ノドン商会の儲けは少なくありませんが、この領地を支えるには十分ではありません」

「私が領主としてなんにもしてなかったから、体制を整えるだけでもお金がかかるものね」


 クルルと違い、イーリアは笑顔で自虐を言うのが好きなところがある。

 貴族というと確かに皮肉っぽいイメージがあるのだが、イーリアの場合はその生まれからくる辛い経験のせいで、自分を傷つけるのが癖になっている気がする。


「クルルからも聞いたけど、やっぱり簡単にはいかないのね」


 イーリアの目が、机の上に散らばるメモ書きなどに向けられてから、こちらに向けられる。


「じゃあ、ちょうどいいかも。こないだの冗談だけど、冗談じゃないってことを言いたくて」

「え?」

「マークスに魔石加工職人組合を乗っ取らせたらって言ったでしょ?」


 にんまり笑うと、自虐好きの冷笑家に相応しい、ちょっと怖い笑顔だ。


「ただ、あの時は、あなたの指摘ももっともだったからあまり深追いしなかったけど」


 乗っ取りは話が早いだろうが、代わりに他の組合や商会たちは、次は自分たちの番だろうと思うから、領内が混乱するはず。そんなことを自分は言った。


 けれどイーリアの深夜の訪問の意図がよくわからず、とりあえずうなずくしかない。


 イーリアはほんのり笑っているように見えるが、それは立場ある人間が感情を隠すときの顔にも見える。

 そしてふわふわの髪の毛をしたイーリアは、静かに言った。


「私もあれこれ考えてみたのよ。それでね、乗っ取らないなら、別になにやったっていいんじゃないかしらって」

「ん、んん?」


 聞き返すと、イーリアははっきりと笑う。

 いたずらっぽくて、直情的なクルルならまず見せない類の、ちょっと悪い笑顔だ。


「あなたの間抜けな提案のせいで、魔石加工職人の組合長はおかんむり。多分、まっとうな工房の親方たちも、みんなその話を耳にして怒ってるはず。でも、真っ先に私たちのところに来た親方たちはそうじゃなかった」


 イーリアの下に恭順の意を示しにきたのは、腕が悪くて、工房の経営がままならない親方たちだったらしい。


「その親方たちなら、あなたの言うことを聞くはずでしょ? つまり」


 イーリアは肩をすくめた。


「あなたが好き勝手にやれる、自前の工房を立ち上げたらどうかなって」


 ぱこん、と頭を叩かれたような感覚だった。

 けれどわずかの放心の後、頭になだれ込んできたのは様々な懸念点だ。


「いや、それは」


 なにから言えばいいのかと、喉の奥が渋滞する。


 腕の悪い親方たちがこぞってイーリアの下に来たのは、自分たちが組合を乗っ取るのなら、少しでも立場を良くしたいという下心だろう。

 それに自分が工房を立ち上げるといっても、経営のノウハウなんてなにもないし、ノドン商会だけでも手いっぱいなのだ。


 そんなようなことを、自分も喋りながら確認するかのように、たどたどしくイーリアに伝えていく。イーリアはその間、まるで本物の領主のように、陳情を根気よく聞く領主のように聞いていた。


 そして自分は最後に、なにより大きな懸念点を伝えた。


「あの組合長が、私が工房を構えることに賛成するはずがないと思います」


 自分の心証は最悪だろう。

 そこに、彼らの神経を逆なでするように新しい工房を作るなんて言えば、どれだけ反対されることか。


 組合というのは多分、自分も前の世界でゲームのためによく調べた中世のギルドみたいなもののはず。だとすれば工房の開設には、様々な条件があるだろう。

 まさに組合やギルドとは、好き勝手な営業を取り締まるためのものなのだから。


 しかし。


「私は領主イーリアよ」


 笑っていない笑顔のイーリアは、等身大の人形のようだった。


「組合を潰すわけじゃなく、ちょっとわがままを聞いてくれってだけだもの。嫌とは言わせないわ」

「……」


 まさかイーリアがそんなことを言いだすとは、と言葉に詰まっていれば、イーリアの顔にはだんだん本物の笑顔が戻ってくる。


「んっふふふ。私も領主の振りに慣れていかないとね」


 それはかなり成功していたような気がするが、ぎこちなくうなずくこちらに、イーリアは少し唇を尖らせて言った。


「それにね、どうしてあなたはもっと私を頼ってくれないのかしら」

「ん……あ、え?」

「あなたはクルルとばっかり。私だってノドンを追い出すときには、自分の役目を……まあ、多少だったけど、果たしたはず」


 こちらを不満げに、上目遣いに見る様子は、クルルにわがままを言っている時のイーリアだった。


「大体ね、私だって、ハンモックで雀にたかられながらただ寝てるだけの女の子じゃないのよ」


 まさにそんな印象だったので、首をすくめてしまう。


「腕の悪い親方たちが軽率な行動に出ないよう、マークスに釘をさしてもらったでしょ?」

「えっと、はい」

「その時に思ったの。そもそも親方たちは、どうして私たちのところに来たのかって」


 自分はぽかんとしてから、答えた。


「それは、ですから……」

「あの親方たちは、あなたが組合長になるのなら喜んで従いますって確かに言いにきた。でも、よく考えたら不思議じゃない。あの親方たちは、名誉のことはどうでもいいのかしら」


 先を見据えての功利主義。あるいはクルルが言ったように、組合の中の上下関係がひっくり返ることを見越しての、こずるい立ち回り。

 あるいはもっと単純に、衣食足りて礼節を知るではないが、経営難の前には名誉など言ってられないだけなのではないか。

 そう思いつつ、あれ、とも思う。


 組合長たちもまたノドンの借金に縛られながら、名誉のためにやせ我慢を続けていた……。


「で、マークスに頼んで、詳しく聞いてきてもらったのよ」


 イーリアの言葉で、物思いから覚める。


「領主の前では話しにくいこともあるだろうしね」


 そこのところは、冗談めかして笑いながら。


「そうしたら、工房の経営難には色々理由があるみたいだったのよ」

「工房の……?」

「経営難」


 イーリアの口から出てくるとは思ってもいない単語だった。


「加工の腕が悪くて作業の遅い親方もいたし、養いきれないくらいの徒弟を抱えている親方なんてのもいたわ。でも、話を聞くと、徒弟関連で問題を抱えてるところが多かったかな」


 前者はともかく、後者の意味がよくわからないでいると、イーリアが続けて言った。


「儲かってる工房というのは大体が、徒弟を奴隷のようにこき使ってるところなんだって」


 気が付けばイーリアは、いつもの自堕落な女の子ではなくなっていた。

 無慈悲な世の中を冷たく見据える、貴族の落とし子の目になっていたのだった。

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