第37話
普段はクルルの世話がないとぐずぐずのイーリアだが、息を止めている間だけは領主然としていられるらしい。
イーリアが突然の訪問者たちの謁見を受ければ、事情はすぐに明らかになった。
「工房の経営が苦しい、あまり腕の良くない親方たちみたいね」
自分たちが組合に押しかけたのを知った魔石加工の親方たちは、またなにか起きたのかと不安になって聞き耳を立てていたらしい。
組合長との面会の後、クルルが会館を出て路地裏に視線を向けていたのは、彼らのことに気がついていたからのようだ。
「あなたがノドンの後釜に座ったように、組合を乗っ取るんだと信じてるわよ」
「えぇ⁉」
組合長は確かにそう言ったが、自分ははっきり否定したはずだ。
「それで先手を打って、恭順の意を示しにきたわけか」
クルルが納得するように呟いていると、イーリアは肩をすくめていた。
「親方たちに、徒弟になれなんて言うからよ」
相変わらず分業の概念が伝わっていない気がするのだが、いずれにせよ職人たちの間に動揺と亀裂を生んでしまったのは確からしい。
「だから無理だと言ったのに」
イーリアがそう言う傍ら、クルルはこちらの肩をポンポンと叩いてきた。
「まあ、これではっきりしたろ?」
「え?」
「ご希望どおり、お前が組合を乗っとればいい」
クルルはむしろさわやかな笑顔だ。
「そうすれば好きにできる。名誉名誉と守れもしないものを口にするあいつらを追放して、お前が指揮を執ればいい。イーリア様も反対しないでしょう?」
謁見を受けるために縛っていた髪の毛を解き、ついでに伸ばしていた背筋も丸めがちになったイーリアは、首をすくめている。
「魔石取引が大事なことは身に沁みて理解しているから、ヨリノブが魔石加工職人組合を率いてくれたら、安心できるのは確かね」
生産は健吾が取りまとめ、販売はもちろんノドン商会を引き継いだ自分が受け持っている。
あとは加工部分を手に入れれば、すべてを牛耳れる。
「それにな、組合なんてのは、上にいる奴らだけがうまい目を見れる場所なんだ。組合の加盟費や、細かい規則でがんじがらめにして偉そうにしてるくせに、組合長の奴はノドンになにひとつやり返せなかっただろう。下っ端の親方たちからすれば、そんな奴よりお前が上にいてくれたほうがまし、と考えるのも当然だ」
「……」
自分が口ごもっていると、イーリアが真面目な顔になって言った。
「職人ではないあなたが組合長になるのは、確かに妙な気もするけれど……あなたなら、誠実に運営してくれるはずだしね」
いつもは従者のイーリアに叱られてばかりの、わがままで自堕落なお嬢様風のイーリアだが、真面目な話をするときにはふと、高貴な血筋の一端が垣間見える。
なにより、自分のことを信用してくれているということも。
「そう言ってもらえるのは……嬉しいのですが……」
自分の答えに、気の短いクルルが片方の牙を見せる。
「うじうじとなんだ、お前らしくもない。率いればいいだろうが」
自分はそんなクルルに首をすくめつつ、やはりその案はだめだと思う。
「そうすると、他の組合も動揺しませんか?」
「なに?」
クルルが眉を顰めるのと、イーリアがなにかに気がつくのはほぼ同時だった。
「あ、そっか。うちも乗っ取られるかもってなるのね」
「そうです、そうなんですよ」
「なるほど……考えてなかったわね」
自分と話の通じているイーリアを、話の見えないクルルが、主人に放っておかれて拗ねた犬みたいな顔で見ている。
「それに自分は、ノドンのようにこの島を牛耳りたいわけじゃありませんし、その才覚もありません。商会でさえ、うまくやれるかまだ確信がないんですから」
魔石加工職人組合の運営まで抱え込むのは、明らかにキャパオーバ―だ。
「奇術師も最初は二本の剣を回すところから、というものね」
イーリアはこちらの世界らしい言い回しを口にしてから、ふうと小さくため息をつく。
「かといって、だったらどうするっていうの?」
そこにあるのは領主イーリアではなく、いつものちょっとだらしない女の子の顔だ。
「あの腕の良くない親方たちが私たちのところにきたのは、他の親方たちにも伝わってるでしょう? ということは、組合内部での亀裂ははっきりしてるわけ。そうなるとあの下っ端親方たちは、私たちがやめろって言っても、徒党を組んで組合長を引きずりおろして、あなたのために席を空けかねないわよ」
自分が、余計なことを提案したばっかりに。
イーリアはそこまで言わなかったが、目つきはおおむねそんなところだ。
こうなると、組合が内紛で崩壊する前に、力業ででも組合を支配したほうが、後々のことまで考えるといいのかもしれない。
だが、そんなことをすれば他の職人組合や、のみならず他の商会までも、自分やイーリアたちに乗っ取られるのではと警戒するはず。その疑心暗鬼は、ジレーヌ領に大混乱を巻き起こすだろう。
なんなら反乱がおこるかもしれず、反乱を鎮圧してでも支配を貫徹させるというのは、自分たちの倫理が許さない……というより、単純に武力がない。
クルルがあの合成魔石を使い、魔法使いとしてなにもかも吹き飛ばすことはできるかもしれないが、無人の焼け野原を手に入れたって意味がないし、イーリアを血塗られた玉座に座らせるわけにもいかない。そんなことのために立ち上がったわけではないのだから。
となると、どうすべきなのか。
「うー……いったん、考えさせてください……」
クルルはなにか言おうと息を吸い込んだが、そのまま口を閉じて頬を膨らませている。
イーリアが浮かない顔なのは、こちらの優柔不断さに呆れているというより、これから自分も領主としてこの手の話に関わらなければならないのだ、ということに気がついてげんなりしているのだろう。
「いったん、マークスに頼んで、親方たちが性急な行動に出ないよう、説得してもらうしかないわね」
町の下層民たちに顔の利くマークスなら、腕が悪くて経営難の下っ端親方たちにも知り合いがいるだろう。
「それか、いっそマークスに乗っ取ってもらう?」
イーリアのどこまで冗談かわからない言葉に、自分は苦々しく肉を噛みちぎったのだった。
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