第36話

 昼の前から酒場は開いていないので、町のあちこちに出ている露店でしこたま串焼きの肉類を買い込んでから、イーリアの屋敷に戻った。


 自称門番の詐欺師のマークスたちがたむろしていて、クルルはにこりともせず買ってきた肉の串焼きを何本かマークスたちに押し付け、屋敷の中に入っていく。

 マークスは冗談めかしたウインクを自分に向けてきて、仲間と一緒に肉の串焼きにかぶりついていた。


 食堂に入り、買ってきた食事をテーブルに置いたクルルが、炊事場のほうに飲み物を取りに行くのと入れ替わりに、肉の匂いを嗅ぎつけたのか、イーリアがふらふらと食堂に入ってきた。


「組合はだめだったの?」


 またハンモックに突っ伏して寝ていたようで、顔半分に網の跡がついている。


「組合長はそのまま卒倒するんじゃないかってくらい怒ってました」


 自分の言葉を聞いているのかいないのか、まだ眠そうな顔のイーリアは串焼きの匂いをくんくんと嗅いで、おもむろに一本手に取ると小さい口で噛みついていた。八重歯みたいな犬歯が可愛い。


「んぐ、んむ……。親方に徒弟に戻れって言うんだもの。それは怒ると思うわ」


 そんなわけでは、と戸惑っていたら、クルルが水差しを手に戻ってきて、イーリアの顔についた網の跡を見るとしかめっ面になり、肩をすくめて炊事場に戻っていく。蒸しタオルでも取りにいったのかもしれない。


「徒弟に戻れっていうつもりはないんですけど……」

「ブンギョウ、だったかしら? 皆がひとつずつ簡単な作業を受け持って、仕事をしろって言うんだっけ」


 分業はそのまま日本語の発音で、イーリアは言った。


「そんなに、嫌なことですか?」


 分業は無理だと何度言われてもぴんとこなかったが、組合長のあれだけの剣幕を見た後なら、もっと真剣に耳を傾けなければなるまいと思わざるを得ない。


「そりゃそうよ。しかも徒弟に戻った皆がずらりと並んで、ひとつずつ作業を受け持つんでしょ? それで順繰りに魔石の加工を完成させるなんて、そんな……ふっ、んふふ」


 イーリアはくすくすと笑いだしていた。


「そんなの、ふふ、おかしな光景よ。絶対に変!」


 イーリアが笑うと、ふわふわの巻き毛がいつもよりふわふわとしている。

 そこにクルルが蒸しタオルを手にもってやってきて、主人の機嫌よさそうな様子に首を傾げていた。


「ヨリノブ、あなたは親方を徒弟に戻すわけじゃないって言うけど、そのおかしな行列のどこに、親方の居場所があるの? それとも、親方は最初から最後まで、ちょっとずつ席をずらしながら作業していくの? そんな、んふ、そんな……あははは」


 話しながらまた笑いだしてしまうイーリアの頬に、蒸しタオルを当てて網の跡を消そうとしていたクルルも呆れたように言う。


「こいつはちょっとおかしいんですよ」


 ノドン追放という無謀な計画には乗ってきたのに、と思いつつ、今のところはクルルやイーリアの言い分が正しいらしい。


「お前らの世界では知らんが、どんなことでも一人でできて一人前。親方というのはその一人前の証であり、それはそれは苦労してなるものだ」


 本人も一時期は魔石加工職人になるつもりだったらしいクルルは、あの組合長にこそ冷たい対応だったものの、その口ぶりから、職人そのものにはある程度の畏敬の念があるらしい。

 しかし、あの組合長の反応が普通なのだとしたら、魔石の加工効率を上げるにはどうすればいいのだろうか。


 非効率な親方たちに分業制度を導入し、生産性を爆上げなんてのは、この手の話では鉄板だと思ったのだが。ゲームの生産パートなら、間違いなく「分業制」というアビリティが文明度上昇のための鍵になるだろう。


 だが、ゲームにはそこで働く人たちの習慣や感情みたいなものは考慮されていない。


 一体どうすればいいのだろうか。


 産出し、加工が間に合わない魔石はそのままバックス商会に売り渡すか? 未加工だと安くなるとはいえ、輸出の金額そのものは増える。

 とはいえこのジレーヌ領の魔石鉱山もいつまでもつかわからないのだから、魔石の輸出はいわば魔石が枯渇した後の産業への投資資金とも言える。


 一方で、イーリアが領主としてジレーヌ領を治めるためには、今すぐにでも大金が必要なのだから、一時的に魔石をそのまま売って、落ち着いてから次の手を打つべきか。あるいは島の外から職人を呼び寄せるか。それもまた組合と揉めることになるだろうか? そんなことを考えていたところ、クルルは「もっとも」と肩をすくめていた。


「あの頑固な組合長がどれだけ気を吐いたって、無駄なこともある。まあ、待ってればいいさ」

「無駄?」


 自分はクルルの言葉の意味が分からず、イーリアなら教えてくれないだろうかと視線を向けたのだが、犬っぽいイーリアは肉の串焼きに夢中だった。

 そして自分もクルルに言われ、食事に手を付け始めた頃、開けっ放しだった食堂の扉がこんこんと叩かれた。


 見やれば、マークスだ。


「お客さんだぜ」


 領主への謁見に際して口を利いてやろう、と言ってはおのぼりさんを騙して手数料を巻き上げる詐欺師のマークス。

 その後ろにはまさにそんな詐欺に引っかかりそうな、気弱そうに帽子を握りしめている男たちがいたのだった。


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