第39話

 なるほど、と一瞬で納得する。

 インターン、バイト、派遣、なんでもいいが、使い潰すための労働力の話は前の世界にもあった。


「ろくに食事も与えず、工房の固い土床で寝起きさせて、薪割から食事の準備まであらゆる生活の面倒を見させて、ほとんど給金も与えない。技術を教えるなんてもってのほかで、延々と魔石の形を整えるだけの下働きで何年も使い潰したりね。そういうのに耐え切れなくなって徒弟が逃げ出しても、徒弟は大体実家から口減らしでこの島にやってきた子たちばかり。船に乗ってここから出ていくお金もあるはずないから、見かねた別の親方が拾うらしいの」


 それで人並みの生活をさせれば、当然経費がかさむ。徒弟に仕事を教えれば、そのための道具や試料が必要だし、親方の手も止まって作業も遅れる。

 そうして売り上げは減り、借金が必要になり……ノドンのような奴らにつけこまれる。


「それに腕の悪い親方たちの話もそう。聞いてみたら、腕が悪いと言っても、苦手な作業がいくつかあるという意味みたい。それこそ、まったく悔しいんだけど、すぐにあなたから聞いてたあの変な提案のことを思い出したわよ」


 イーリアはそう言って、わざとらしく頬を膨らませていた。


「工房はひとりの親方が率いるのが当たり前だから、どうしても苦手な部分で作業が滞る。この話こそ、あなたから聞いた計画の意味なんだって」


 分業。

 羊の毛が服になるまでのような、産業しての分担ではなく。


「あと、もっと大事なこととして、私たちも思い込んでるところがあった。もう、本当に悔しいんだけど」


 そう話すイーリアは、悔しいと言う割りには、どこか楽しそうで、生き生きとしていた。


 自分で考え、調べ、新しいなにかを発見する。

 そのことそのものを楽しんでいるような、聡明で好奇心いっぱいの女の子のように。


 中庭で陰鬱な顔をしてハンモックで寝ていたイーリアは、決して本当のイーリアではないのかもしれない。

 本当のイーリアは、こんなふうになにかを追いかけるのが楽しくて仕方のない、子犬みたいなほうなのかもしれない。


「組合長は、工房を潰して親方も徒弟になれって言われて怒った。それは私たちもまた、そうだってずっとあなたに言ってたわよね?」

「はい。そして、それは当たってました」

「半分ね」

「半分?」

「工房の経営がうまくいってない親方たちは、話が別ってこと。彼らからしたら、むしろ工房なんて構えたくなかったみたい。私は、まさかって思ったけど」


 なにせ親方になるには長年の徒弟修業が必要で、理不尽なしごきにも耐えに耐え、ようやく手に入れられる身分だ。組合長には手厳しいクルルですら、親方という身分のそのものには敬意を払っていた。


「彼らがいやいや工房を構えているのは、徒弟のままだと使い潰されて、お先真っ暗だからよ」

「あっ」


 生き残るため、ただそれだけのために、必死に前に進むしかない。


「それは、えっと」

「そう」


 イーリアは、その髪の毛と同じくらい、ふんわりと笑った。


「あなたたちの話みたいだなって」


 ノドン商会だろうとほかのどこで働こうと、暮らしていくのに最低限のお金しか稼げなければ、いつかけがや病気をした時に詰んで終わり。

 自分たちはその無慈悲な流砂から抜け出したくて、ノドンに対抗しようとしたのだ。


「だから、あなたの提案した奇妙なブンギョー。あれを実現するんだったら、あなたが工房を作ったほうが早いし、あの親方たちはむしろ喜んで協力するなって思ったの」


 イーリアの語った話を聞けば、確かにそうなのかもしれない。

 組合の中でも立場は全然違い、見ている世界がまったく違う。


 けれど、問題があった。


 ノドン商会のみならず、突然、職人たちを抱えて工房を経営しろと?

 そんなことできるわけない。

 そう思った瞬間だった。


 笑顔のイーリアがひょいと前のめりになった直後、自分は胸倉を掴まれていた。


「あなたは私に、領主になれって言ったのよ」

「……い、イーリアさん?」


 イーリアの焦げ茶色の目が、据わっていた。


「誰かの上に立つなんて、怖くて、大変そうで、絶っ対に嫌だったけど、そうするしかなかった。それはもちろん自分のため、クルルのためということもあった。でも――」


 イーリアはそこまで言うと、こちらの胸ぐらをつかむ手を離す。

 すると今度はネクタイを直す新妻のように、しわになった服を丁寧に伸ばす。


 そうして、不意に。


 本当に不意に、正面からしがみついてきた。


「え、あ、の⁉」


 慌てていると、静かにしろとばかりに腕に力が籠められる。

 そして、しばらくしてから体を離し、至近距離から目を覗きこんでくる。


「クルルは良くて、どうして私はだめなの?」

「えぇ⁉」


 別にクルル相手でも平気なわけではないのだが、と慌てていたら、イーリアはくすくす笑っていた。


「あなたはできそうもないことを追いかけて、本当にやり切った。私みたいな暗い性格で尻尾を丸めて拗ねていた小娘じゃ、絶対にいけない場所までたどり着いた。そのくせあなたは、こんなふうに隙だらけ」


 にっと笑うと、クルルに似ている尖った犬歯が見えた。


「あなたがいるから、領主なんて役目を本気で引き受ける気になったのよ。なにかすごいことをやってくれそうだし、なにより、あなたはいつも、すごく楽しそうだからね」


 微笑むイーリアの目の奥には、やっぱりなにか悲しみみたいなものがあった。


「私の知ってるなにごとかを成し遂げた連中は、皆、どうしようもない性格の奴らだった。誰かの上に立つのは、必ず、誰かを支配するためだった。私はそのことなら、あなたよりも知ってると思う」


 獣人の血を引き、幼い頃は厄介払いのようにあちこちたらいまわしにされ、お飾り領主としてジレーヌ領に収まったイーリアだ。たくさんの権力者から、身を守る必要があっただろう。


「あなただけが、違うの。まあ、ケンゴの奴も同じ匂いがするけど、彼はどちらかというと私に似てる気がするし」


 あの健吾が? ときょとんとしていると、イーリアは肩をすくめていた。


「あなたはお人好しというより、あんまり他人を疑わないだけかもね」


 意地悪く笑いながら言われ、さすがにこちらも顎を引くが、あながち間違いとも言い切れない。


「理由はとにかく、あなたは私に領主の役目を押し付けたわけ。だったらあなたも苦労しないと不公平でしょってこと」

「いや、で、でも、自分だって商――」

「商会だけじゃ釣り合わないわよ! もう、ほんっとうに領主なんて大変なんだから!」


 ハンモックに突っ伏して、力尽きて雀にたかられているイーリアの姿を思い出す。

 イーリアは割と本気で怒っていたが、なぜかその時の表情が一番、怖くなかった。


「組合のしきたりみたいなことは、私がどうにかする。乗っ取りにならないように、なるべく穏便にする。というか借金を棒引きしたんだから、それくらい認めなさいよって話だし」


 彼らの借金は不当なものだったので、それをだしに使うのはやや気が引けるのだが、この辺の荒々しさは自分や健吾より、クルルやイーリアのほうがよほど現実的だ。


「それで魔石の加工を山ほどやって、私のために大儲けしてくださらない?」


 イーリアの指が、こちらの顎をついと持ち上げる。

 嫌そうに半笑いで返すと、イーリアは嬉しそうににっこり笑う。


「親方や徒弟をまとめて働かせるのも、この屋敷を使えばいいし」


 それは、確かにと思う。


「ここならクルルも、魔石加工の見学に来やすいでしょ」


 その言葉は、こちらの耳にささやきかけるように。


 魔法使いとしての能力があり、魔石加工にも興味のあるクルル。

 どこかの工房に顔を出すなんてことはできずとも、ここで徒弟に混じって加工を学ぶくらいのことはできるだろう。


 なにせここは、イーリアの屋敷からスープの冷めない距離にあるのだから。


「というかあなたが心配するほど、工房の経営なんて大変じゃないと思うけど」


 引きこもり気質のお嬢様になにがわかるのか、と一瞬思ったのだが、イーリアはこちらのそんな思考を読んだようで、不服そうな顔をする。

 けれどその不服そうな理由は、自分が思っていたのとまったく違っていた。


「今だって、別に私たちはあなたに命令されてるわけじゃないじゃない」

「……」

「商会だって、あなたが細かく命令しているのかしら? あなたは他の誰にもできないノドンの不始末の後片付けをしているだけで、商会は皆が回してるのよね?」


 それは、確かにそのとおりだった。


「それは魔石加工の工房だって同じでしょう。あなたが鞭と怒声で、親方や徒弟を働かせるとはとても思えないし、そもそもあなたは職人じゃないんだし」


 お前に魔石加工のなにがわかる、と組合長に怒鳴られたのはついこの間のことだ。


「私やクルルがあなたの話に乗ったのは、あなたが語る夢がそれだけのものだったから。まあ、あなたとケンゴは魔石のとんでもない秘密に気がついたりと、色々あったけれども」


 そう言って疲れたように笑うイーリアは、その問題も遠からず考えなければならない、と言うことを思い出した領主のものだ。

 合成魔石の秘密は、この世の歴史すらひっくり返しかねない。


「いずれにせよ、あなたはそういう夢を話すのがうまいんだと思う。だからあなたの仕事は、下っ端親方たちにも変な夢を見せることだと思うわ」


 まるで幻惑の術で人を操れと言わんばかりだが、人を集めてひとつの目標に向かわせるというのは大変だ。そこで暴力に頼らないのなら、確かに夢を語るというのは、大事な方法のひとつだろう。


「それに事実として、怠け者の私がハンモックで夢を見てないで、夜中まであれこれ考えた挙句、ここに来ちゃうくらいだし」


 イーリアは楽しそうに笑ってから、腰に両手を当てて、胸を張る。


「親方たちをその気にさせる方便くらい、考えられるわよね?」


 もしかしたらあの野蛮なところのあるクルルより、よっぽどかこのイーリアのほうが手に負えないタイプなのかもしれない。


 けれど自分も元々、加工組合の組合長を説得するために、あれこれ並べ立てるつもりの利点を考えていた。

 まさか自分で工房を構えることになるとは思っていなかったが、それならおあつらえ向きの考えがひとつある。


「こんなのどうですか?」


 自分が少し体を乗り出すと、イーリアは犬の耳をぴんと立て、前かがみになる。


 耳打ちすると、くすぐったかったのか、少し首をすくめていた。

 いや、どうやら内容がそれなりのものだったからのようだというのが、目の輝きからわかった。


「クルルが聞いたら呆れるだろうけど」


 体を起こしたイーリアは、もう一度楽しそうに肩を揺らす。


「あなたらしくていいと思う。というか、そうね、多分、ほとんどの人が欲しがるのは、それよね」


 イーリアはクルルと二人、無慈悲なこの世界の荒波に翻弄されてきた。


「まあ、最悪、クルルが怒鳴り散らせばいいんだし」


 いたずらっぽく犬歯を見せながら笑うイーリアに、釣られて笑ってしまう。

 そうしてイーリアは、思い出したようにあくびをしていた。


「さあて、全部吐き出したら眠くなっちゃった」

「もう遅いですしね」


 自分が立ちあがったのは、すぐ近くとはいえ、夜中にイーリアを一人で帰すわけにもいくまいと思ったから。


「見送りなら結構よ」

「でも」


 と言うと、イーリアはなんとも言えない、鬱陶しそうな、気の利かない間抜けに見せるような笑みを、鼻の頭のしわと一緒に見せた。


「クルルが変なこと勘繰るかもしれないでしょって言ってるの」


 そんな馬鹿なと思ったのだが、確かにイーリアに手を出したと思われて、イーリアの守護神たるクルルに八つ裂きにされるところを想像し、震えあがる。


「……お気をつけて」


 イーリアは鼻で笑い、部屋から出て行こうとして、振り向いた。


「それともここに泊まったほうが面白いかしら」


 背筋を伸ばし、こう返す。


「どうかお引き取りを」


 イーリアはけらけら笑ってから、最後にべーっと舌を見せて、暗闇に消えた。


 獣人の血を引いているせいか、足音もなにもなく闇夜に消えられると、まるでいましがたのやり取りがすべて夢のようだ。

 けれど椅子は二脚あるし、イーリアのどこか甘い匂いが部屋に残っている。

 そして部屋の窓に歩み寄って外を見れば、イーリアの歩く姿が見て取れた。


 振り向くかなとも思ったが、イーリアはすたすた歩いて、自分の屋敷に消えていく。

 クルルは猛獣みたいな扱いにくさがあるが、イーリアにはまた違った厄介さがある。


 でも、クルルとはまた違った頼りがいがある。


 どっと疲れ、自分も寝るかと蝋燭の火を消したが、わずかな星明りだけが入り込む暗い部屋の中。

 イーリアの語った話は、はっきりと自分の中に残っていたのだった。



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