第30話
マークスと健吾が路地に消えた後、クルルが建物の屋根上に上がり、ノドンたちの動向を確かめた。
「あいつら、これ見よがしに火を焚いて行進してやがる」
「自分たちが正しいってことを、町の人たちに知らしめる必要があるからでしょう」
「まあ、おかげで裏をかけそうだ。お前は裏切ってないよな?」
マークスが道案内用に残してくれた少年に、クルルが笑いながら言った。
むっとする少年のほっぺたをクルルがからかうようにつねっていたので、よく知っている仲のようだ。
「それにあの人たちも、まさか私たちが教会に逃げ込むとは思ってないはずだもの」
イーリアはどこかわくわくした顔つきで、尻尾をぱたぱたさせている。
犬系のイーリアは、追いかけっこに似たこの状況に興奮しているらしい。
「それにしても、妙なことを考えたものね」
イーリアは小さく言って、目を細めてクルルの髪の毛に手を伸ばしていた。
「全然、思いつきもしなかった。でも、そうよね。戦では大切な人の持ち物を身に着けるってよくあることだもの」
「自分も偶然ですよ」
異世界からきた人間として、いろんなことが目新しくて記憶に残っていた。
特に獣人を巡る文化の違いはよく記憶に残っているし、その複雑な立場の事情は、イーリアとクルルが側にいたからこそ理解できたこと。
なにより、獣人たちとつながりを持てているのは、健吾という特殊なコミュ力の持ち主がいるおかげだ。
「なんだか世界が一変したような気がする」
イーリアに髪の毛をいじられ、抵抗はしないが落ち着かなそうにしていたクルルが言った。
「鉱山帰りだもの。実際に世界を変えてくれるんでしょ?」
クルルの髪から手を放したイーリアは、こちらを見て微笑んだ。
「さて、私たちも行きましょう」
それぞれの立場を守るため。
あるいは世界を変えるため。
誰も思いもよらなかった魔石の使い方を見つけた時のように、この状況を覆す。
イーリアとクルルは獣人で鼻が利くし、道案内の少年は道だけではなく人の家の庭や勝手口なども把握していて、野良猫のように自分たちを導いてくれた。
ノドンたちも当然、行進する者たちとは別にごろつきを雇って同じように路地を探索させていたようだが、自分たちのほうがうわてだった。
包囲網を無事に抜け、敵軍の背後を抜け、マークスや健吾たちとも無事に落ち合えた。
「まさか俺の仕事が役に立つなんて」
まだ治り切っていない足なのに、マークスとともに駆けつけてくれたトルンは、困惑気味に笑いながらすごい速さで手を動かしていく。
側ではトルンのために素材を提供した獣人の子供たちが、目を輝かせて魔法使いドラステルこと、クルルにまとわりついていた。
聞けばドドルたちも騒ぎを把握し、こちらを捕捉しているらしい。
果たして自分たちが教会に逃げ込む瞬間を、裏切りと見なすのか、それとも。
トルンの手がそれこそ魔法のように作業を進めるのは、クルルの髪の毛に対して。
あっという間に作業が終われば、そういうお洒落な装飾にしか見えなかった。
「これはもう、二度と外せないな」
クルルは自身の髪の毛を手で触れ、嬉しそうな照れくさそうな、ちょっと面倒くさそうな顔で笑っている。
「似合ってますよ」
本当にそう思ったので言ったのだが、目を細めたクルルは唸り声を小さく上げ、そっぽを向いてしまった。
「ようし、間抜けどもの鼻を明かしてやるか!」
マークスの一言で、自分たちは潜んでいた路地から表通りに顔を出す。少年と獣人の子供たち、それにトルンたちは安全な場所に向かうため、こちらを陰から見送っていた。
表通りに出た途端、町に放たれていたノドンの手の者が、あっという顔をして連絡に走る。
自分たちは一向に気にせず歩を進め、町の中心部に向かう。
そこには町のお祭りなどに用いられる、広場がある。ノドンの私邸や、イーリアたちが住む領主の屋敷があり、さらにもうひとつ人目を引く建物がある。
こちらの様子をどこかで見ているのだろうドドルたちは、自分たちがどこに向かうのかふたつに絞っているはずだ。
籠城するために自分たちの屋敷に入るか、あるいはあくまで戦うため、ノドンの屋敷の扉を叩き割るか。
だが自分たちは第三の建物、教会の扉を叩いたのだった。
「司祭さま! 司祭さま!」
イーリアが声高に、芝居がかった声を上げた。
「我らに不正を為そうとする者がいます! 神の御名により、どうか我らにお力を!」
その直後、自分はうなじのあたりに氷をつけられたような気がして、総毛立った。
平気な顔をしているはずのイーリアの尻尾の毛も逆立っているし、クルルも明らかに体をこわばらせていた。図太い健吾だけが「?」と間抜けな顔をしていたが、これがドドルらの殺気なのだろう。
裏切りと見なされた。
けれど、教会の大きな扉の閂が外される音がする中、クルルがフードを取って振り向いた。
その豊かな髪の毛に結びつけられた、部族的な装飾品。
それは獣人の子供たちの毛で作った髪飾りだ。
「領主イーリア?」
大きな扉の向こうに立っていたのは、厳めしい顔つきの年老いた司祭と、聖典を読みに行った際に神の素晴らしさを熱心に説いていた、クローベルがいる。
「なにやら町が大騒ぎのようだが」
町の面倒な争いには関わりたくないと言わんばかりの、白々しさ。
「はい、そのことで司祭様と神の御加護を求めて参りました」
普段からイーリアは、クルルの前以外では平身低頭、どんな侮辱にも耐えているお飾り領主を演じているのだろう。
しかし今、司祭の前で腰を折って頭を下げる様には、明確な意志があった。
司祭もそれを感じ取ったのか、やや怯んだように、とがった喉仏を上下させている。
「そ、そなたがここに助けを求めると言うのか?」
「ええ、司祭様。それにご報告が」
「報、告?」
イーリアの言葉に司祭が明らかに戸惑ったのは、イーリアの紹介を受けたクルルが膝をついたからだ。
「こちらの従者クルルが、神の奇跡によって目覚められました」
教会を味方につけ、さらにドドルと敵対することも避ける。
不可能を可能にするには、クルルの曖昧で微妙な立場をとことん利用するほかない。
「なっ……なに?」
呆気にとられた司祭は、変装の下にあるのがクルルの顔だとわかり、さらに困惑していた。
「神の奇跡とは……そもそも、お前は獣の――」
頭を垂れていたクルルが、顔を上げた。
「我が体に流れる血を、神がお許しになられたのだと、私は感謝で胸がいっぱいです」
自らの血筋を蔑み、人にこびへつらうなど、クルルの大の苦手としそうなところだった。
しかしそう言ってみせた時のクルルは、実に喜びに満ち溢れた顔をしていた。
その嬉しそうな顔は演技ではない。
なぜなら、これは司祭を虚仮にする、絶好の機会なのだから。
「ご覧ください、司祭様」
と、クルルは手に魔石の欠片を乗せ、司祭の目の前で握りこむ。たちまち黒とも紫とも取れる煙が上がった。
それが手品でなければ、クルルは神の奇跡を授かったのだ。
「おおっ⁉ ま、まさか、なんと……!」
司祭は打ち震え、それから、はっと我に返った。
「まさか、イーリア……そなたの屋敷に現れた、魔法使いとは――」
「はい、こちらのクルルです」
司祭の脳裏を、ほんの一瞬で様々な問題がよぎったことだろう。
獣の血を引く少女が魔法を使えるというその意味だけでなく、鉱山を吹き飛ばしかねない魔法を使ってみせたということ。それから、その少女と少女の主人諸共に、自分たちは散々に侮り、蔑んできたこと。
そして目の前にいるのは、一騎当千の魔法使い。
司祭の顔がこわばったのは、クルルの笑顔が得体のしれない笑顔だと気が付いたからだ。
青ざめ、腰が引けている。
意趣返しをしにきたと思わないはずがない。
クルルがその気になれば、瞬時に教会ごと消し炭にできるのだから。
「ですが司祭様、クルルが魔法使いであることは、公にしたくないのです」
そこにイーリアが、懇願するような口調でそう言った。人から頼られ、祈られ、慈悲を見せることに慣れ切った司祭は、それでようやくいくらか落ち着きを取り戻したらしい。
まだその目は慌ただしくまばたきを繰り返していたが、引けていた腰はだいぶ元に戻った。
「町の人々は悪しき魔法使いなのではと疑うことでしょう。また、獣人たちも良からぬ企みを胸に抱きかねません。ですからクルルはあくまで、さすらいの魔法使いドラステル。そういうことにしたいのです」
「……」
見た目はいかにも厳粛な老齢の司祭なのだが、ノドンの商会で葡萄酒や肉類を買い込むお得意さんであることはよく知っている。この司祭は辺境の地で、ノドンほどではないが小さな王として振る舞っているタイプの人間だ。
そして、だからこそ、この取引がうまくいくと見込んでいた。
今のクルルは、安全ピンの外れた政治的手榴弾みたいなもの。
となれば、酒と肉が大好きな現実的な司祭は、間違いなくこう言うはずだと予測できた。
「た……確かにそなたの前途には、多くの困難が待ち受けることだろう。そう、だが、安心なされよ!」
頭に血が巡り始めた司祭は、たちまち己の成すべきことを理解していた。
「そなたの苦難は我らの苦難。神の前に膝をついた者は、等しく教会の子である!」
ノドン陣営とイーリア陣営、どちらに与すべきかと司祭は天秤にかけたはず。
そして天秤は一瞬で傾いたわけだ。
「感謝いたします、司祭様」
クルルの笑顔は本物で、司祭はその笑顔にひとまず殺意はないと理解したらしい。
けれど恭しく礼を言うクルルの髪の毛には、たっぷり獣人の子供たちの毛が編みこまれている。トルンが獣人の子供たちから刈り取り、すごい勢いで編みこんでいたものだ。
これを見れば、獣人たちならばその真意に気がつくはず。
なにせクルルは獣人たちの匂いをぷんぷんさせながら、教会に入っていくのだ。首輪をつけられて、頭を下げて飼いならされる者の姿では、明らかにない。
それはどう見たって、鼻の利かない間抜けな人間のもとに、悪い猫が潜り込もうという姿に他ならない。
しかも司祭は、イーリアとクルルに対して、完全に恐れをなしていた。
その司祭がクルルを立たせ、偉大なる魔法使いドラステルとして、教会の中に自分たちごと招きいれる。その際、クルルは自身の髪の毛を丁寧に撫でながら、肩越しに振り向いた。
微笑みは、広場の向こうの暗闇のどこかに向けられたもの。
その数舜後、ちりちりとひりつくような視線の感覚が、不意に消えた。
それと入れ替わるように、広場に続く道から、たくさんの松明と人の影が現れた。
司祭がすぐに気がつき、声を張り上げる。
「おお、今日はジレーヌ領に神の恩寵が賜られた日! 神よ! 不義を為して町を荒らす者に正当な裁きを与えたまえ!」
司祭の声と身振りに合わせ、教会の奥で様子をうかがっていた衛兵たちが、一斉に外に出てきた。代わりに司祭は自分たちを教会の中に入れ、衛兵たちの槍衾が広場になだれ込んできた群衆に対峙した。
数ではもちろん教会側が不利だが、教会と争えばこの場に居合わせたすべての者が、異端の廉で遠からず火刑に処されることだろう。
多くの暴徒の足を止めるのにはそれで十分だったが、権威などものともしない男が一人、群衆の中にはいた。
彼にはもはや後がなく、すべての賭け金をテーブルの上に乗せている。
だから教会に向かい棍棒を向け、後先考えずに教会を非難しようとしたはずだ。
司祭の隣に立つ魔法使いは、獣の血を引くクルルだと。
そして司祭は、ノドンにそんなことを許すような政治下手ではなかった。
「夜の静寂を破る者たちよ! 神の家に武器を向ける罪を知るがよい! それとも」
と、司祭がフードを目深にかぶり直したクルルを一歩前にそっと押し出した。
「神が使わせた魔法使いドラステル卿と、事を荒立てるおつもりか?」
ドラステルの名前に、群衆がどよめいた。さすらいの魔法使いの噂は誰もが知っていた。
その魔法使いが相手では、手にした剣や棍棒などはなんの意味も持ちはしない。
しかし広場にいた一人だけは、まったく別の理由で目を見開いていた。
なぜなら、司祭がクルルのことをドラステルだと宣言したことで、司祭とイーリアが手を組んだとはっきりわかったのだ。それは教会はイーリアたちのために働くという、そういうメッセージなのだ。
ノドンは人垣をかき分けて、最前列にたどり着いたところで愕然としていた。
衛兵たちの槍衾を挟んで、言葉もなく司祭のことを見つめていた。
「神はいかなる者にも慈悲を示されるだろう」
司祭の意味深な一言に、ノドンの膝が崩れ、へたりこむ。
いまならまだ今後の処遇を検討しようと、司祭はそう言ったのだ。
勝負あった。
教会の奥からやり取りを覗き見ていた自分は、ほっと息をついてノドン同様に膝をつき、腰が抜け、慌てたイーリアの伸ばした手も間に合わず、そのまま後ろに倒れ込んだのだった。
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