第28話

 死ぬのだ、と自分は確信した。


 誰も守れないまま、再び運命に飲み込まれて。


「間に合った」


 そこに聞こえたのは、妙に懐かしい声だった。


「お、あ⁉」


 さらに戸惑いに似た悲鳴が続き、木の棒が折れるような音と、くぐもった鈍い音。

 地面についたままの耳に聞こえるのは、毛皮がこすれる音と、金属に似たなにかが地面を削る音だ。


『ケンゴ、こいつらは殺していいのか?』


 そこに地を這う独特の声がした。


「駄目だ。縛り上げてくれ」

『ふん』


 大きな鼻息が鳴り、のっしのっしとしか表現しようのない足音が複数聞こえてくる。

 それからようやく、頬を叩かれた。


「生きてるか?」


 それは健吾ではなく、クルルの声だった。


「う……なん、とか……」


 目をずっと固くつむったままでも、涙が次から次に溢れてくるのをようやく自覚できた。

 それは恐怖のためというより、純粋に目を光でやられた痛みだと思いたい。


「てっきり定番の炎をぶちかましてくると思ったんだが、まさか光で目を奪うとは思わなかった。魔法の力が低いときは、視界を奪って残りは剣に頼ったほうが合理的なんだな」


 分析してみせるクルルだが、やや早口だった。多分、動揺を隠そうとして、無理に冷静であろうとしているのだろう。

 こちらが体を起こすのを手伝ってくれたあと、ふと目元が暖かくなったと思ったら、クルルが目を指で拭ってくれていた。


 けれどその手は、小刻みに震えていた。


「本当に大丈夫か?」


 ひどく不安そうな声音で言われたら、年上の男としては、無理やりにでも目を開けるしかない。


「まあ、なんとか……」


 ぼやけた視界の向こうに、クルルがどうにか見えた。


「今度は……死ななかったみたいですしね」

「今度は? お前、こんなこと何度も経験してるのか」


 呆れたように言われてしまう。


「クルルちゃんも平気か?」


 そう声をかけてきたのは、もちろん健吾だ。

 視界はまだほとんど戻らないが、大きな獣人たちが三人ほど、松明の灯りの下で襲撃者たちを縛り上げているのがわかった。


「クルルちゃんと呼ぶな。私は無事だ」

「それの出番がなくて良かったよ」


 その健吾の言葉で、ようやく自分はクルルの手に魔石があるらしいことに気が付いた。


「使ってたら大惨事だからなあ。鉱山だって吹き飛ばしたし」

「火の海にならないよう、大きさを調整したんじゃないのか?」

「そりゃそうだが、大切な誰かを守る気持ちってやつで威力が上がるかもしれない」


 健吾の軽い口ぶりに、クルルは舌打ちをしてから、健吾の足を蹴っていた。


『クルル』


 そこに割り込んだ低い声は、獣人の一人が発したもの。

 クルルはそちらを見て、緑色の目を細めた。屋敷の食堂で、仲間だと言ってくれた時とは違う、鋭い目つきだ。


「あんたか……。助かったよ」


 感謝しているのは確かだろうが、頼りにしていた仲間を見る目ではない。


『ケンゴの頼みだからな』


 それは獣人のほうも同じらしいが、獣人のまなざしにはクルルを軽蔑するような色があった。


 クルルとイーリアは獣人の血を引きつつも、人の側に立っている。かといって町で権勢を誇るかというと、人々には侮られ、蔑まれている始末。

 人が支配する世の中で、二級市民に甘んじながらも独自の社会を形成している獣人たちからすると、イーリアたちは到底仲間と呼べず、むしろ情けない裏切り者という印象なのかもしれない。


「受けた恩は毛並みにかけて返す」

『半端者が我らの誓いを口にするな』


 人型のライオンと評する以外にない獣人の、およそ友好的とは言えない顔と口ぶり。


「ドドル。互いに利のある取引だ」


 健吾が口を挟むと、ドドルと呼ばれた獣人は、クルルから視線を外す。


『そう期待している』


 そしてドドルの後ろで、別の獣人たちはそれぞれ手にしていた松明の火を、その大きな手で掴んで消していた。この程度の火にはなんの痛痒も感じないとばかりに。

 暗闇が再び戻り、襲撃者たちのうめき声だけが妙に響く。


「ドドル、後で連絡するよ」


 健吾の言葉は届いていたのかどうか。

 獣人たちはその体格からは想像もできないほどの小さな足音で、いなくなった。


「……色々聞きたいことがあるんだけど」


 ぽつりと言った自分の不平ともとれる言葉に、健吾はため息を、クルルは鼻を鳴らしていた。


「こっちもややこしい問題があってな。とにかく頼信が無事でよかった」

「また異世界に行くところだったよ」

「聞きたくない冗談だ」


 健吾の手を取って立ち上がり、自分はようやく、自分が身に着けている妙に分厚い外套と、ごわごわしたかつらの意味に気が付いた。


「このかつらと外套、変装じゃなくて、襲撃を見越してのものだったんですね」

「あまり役に立たなかったみたいだが」


 クルルは不満そうに言った。


「でも、なんで自分には秘密に?」


 クルルに負けず劣らず、自分も不満げな顔をしていたのだろう。

 珍しくクルルが目を背けながら、言った。


「ノドンにあれこれ漏れてるらしいと、ぎりぎりで判明したんだ。そこの小僧が裏切ってるのを、マークスが突き止めてくれた」

「えっ」


 驚き、縛り上げられている者たちを見ると、確かに道案内の少年が後ろ手に縛られていた。


「裏切りを知ってたのは、マークスとクルルちゃんだけ。イーリアちゃんと頼信に知らせなかったのは、こちらがノドンの行動に気が付いていることを、ノドン側に悟られないように」

「私の提案だ。ケンゴを悪く思うな」


 クルルはそう言って、ため息をつく。


「お前はいいやつそうだからな。真相を知ったら、ぎくしゃくするだろ」


 情けないが、それはなんとなくわかる。


「ノドンが頼信たちの襲撃を計画してるなら、間違いなく魔法使いを出してくる。俺たちとしても、いつまでも敵側に魔法使いがいるのは落ち着かないからな。ここでのこのこ出てきたところを、返り討ちにして後顧の憂いを断っておきたかった」


 要するに餌にされたところは面白くなかったが、案としては合理的だと納得するしかない。


「ただ私の思ったとおり、ヨリノブはケンゴの代わりに組合で話をまとめてきた。こいつはこいつで使える奴だと言ったろう」


 クルルが健吾にそう言うと、健吾はちょっと困ったように笑っていた。


「営業は苦手みたいなこと言ってたからさ」

「苦手だよ。健吾がやってくれるものだとばかり思ってたし」

「これからは遠慮なく仕事を任せられるってわけだ」


 健吾に肩を叩かれ、嬉しいような、調子よくまとめられたような、複雑な笑いが出た。


「しかし、ドドルたちの頑固さは想定以上だったよ」


 健吾はあの獣人たちが消えた路地の暗闇を見つめ、ため息をついていた。


「私はあいつが助けに来てくれただけで驚きだ。お前、よく殺されずに説得できたな」


 自分を餌にして健吾たちは高みの見物、ということなら自分も素直に怒れるのだが、どうやら健吾は健吾で、難しい仕事をしていたらしい。


「獣人たちの中にはイーリアちゃんたちに期待してる者が多い。ここでクルルちゃんを助けておかないと、ドドルは穏健な仲間からの支持を失うと考えたんだろう」


 健吾たちは、今夜のことがノドン側に漏れていることを知らされて、襲撃があるはずだと踏んだ。けれど相手に魔法使いがいるならば、筋トレの筋肉だけでは対処が難しい。かといってクルルとの魔法合戦になったら大惨事になる。


 そのために獣人の協力を得ることにしたのだろうが、そこにはそれだけではない、なにかややこしい事情が絡んでいるように見えた。


「あのドドルさんって人は?」


 その問いに、健吾は肩をすくめる。


「獣人社会の急進派って感じかな。若手をまとめてるちょっとした顔役なんだが、人間誅すべしって感じなんだよ」

「ああ……」


 それでクルルへの軽蔑のまなざしの意味を、大体察することができた。


「しかも俺たちの計画について、厄介な問題をやり玉に挙げててな」

「厄介な?」


 聞き返したところで、クルルが割り込むようにため息をついた。


「ひとまずマークスにこいつらの対応を頼もう。こいつらが戻らないと知ったノドンの出方を考えないとならないし、ノドンにすべて気付かれてたってことになると、こっちもやり方を変える必要があるだろう?」

「そうだな。頼信も目を冷やしたほうがよさそうだし」


 大丈夫、と言おうとしたが、涙は相変わらず止まらないし、目の奥がずきずきする。

 自分だけよれよれで情けない、とおぼつかない足取りで歩きだそうとしたら、クルルが立ちはだかっていた。


「ほら、手を貸せ。ろくに前が見えてないんじゃないのか」


 暗いうえに目がやられているので、細かい表情はわからない。

 けれど隠しているはずの獣の耳が、忙しなくぱたぱた動いている幻影が見えた。


 なにも言わず、その手を取る。

 そしてクルルの小さな手が、思いがけずこちらの手を強く握ってきた。


 無事であることを確かめるような、でもちょっと力が入りすぎて痛いという、なんともクルルらしい握り方なのだった。


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