第19話

「……うっそだろ」


 目の前で起こった事態が落ち着いてから、健吾はようやくそう言った。

 自分は腰を抜かし、へたりこんでいた。それは魔石を起動させたクルルも変わらず、イーリアはそんなクルルに背中からしがみついていた。


 魔石に刻み込んだのは、暗闇なら起動が容易に確認しやすい、火を起こす魔法陣だった。


 クルルは自身の実力を、魔法使い見習いのさらに下っ端程度と言っていたから、かすかに炎でも上がったら万々歳と思っていた。方法が正しいと確かめられれば、それだけで歴史が書き換えられるのだから。

 だからその小さな炎を見逃すまいと目を凝らしていたせいで、目がつぶれるかと思った。

 多分、盲目であったとしても、魔石の発動を感じられただろう。


 なにせ巨大な爆炎が、目と肌を焼いたのだから。


 石捨て場の山は煙を上げ、一部は真っ赤に熱を湛えている。

 クルルの手元にあった魔石はたちまち灰となり、周囲の急激な温度変化で生まれた風によって、散り散りになっていく。なんなら、クルルの服の袖も灰になり、髪の毛からもちょっと煙が上がっていた。


 けれどクルルは、そのすべてに気がつかず、目の前の事態に魅入られていた。


「夢?」


 それは、魔法使いと名乗るにはおこがましいほど能力のなかった少女が、大魔法使いのような爆炎を引き起こせたことに対するものか。

 それとも、魔法陣を刻めないからと、捨てられていた魔石を再加工したものから作り上げたものが、立派に魔石として機能したことに対してだったろうか。


「理屈は通ってるはず……と思ったけど」


 ちかちかする視界に目をこすり、げほごほと咳き込んでから、自分は言った。


「まさか、うまくいくとは」


 それが正直な感想だった。


「私は、まだ、夢だと思ってる……」


 クルルは魔石に当てていた震える手を、もう片方の震える手で掴んでいた。

 魔法の反動を受けてやけどしたのかとも思ったが、肌は奇麗なままに見える。


「それに……なぜ? そうだ、なぜ、お前たちは、このことに?」


 クルルはイーリアの存在を思い出したようで、口も利けないほど驚いている主人の肩を抱いていた。そんな姿勢で自分たちのことを見る目は、やや怯えたようにも見える。


「本当にうまくいったのは、幸運もあります。けど、骨子は推論です」

「推論?」

「巨大な魔法陣の存在は、明らかに理屈に合わないんですよ」


 隙間風だらけの家なら、離れていても爆炎の光が容易に入り込んできたのだろう。

 なにごとかと様子を見にきた獣人たちに、健吾が誤魔化しにいくのを眺めながら答える。


「厳しい戦の中で、クルルさんが懸命に行ったような試行錯誤をできたものかと。ましてやこれほど巨大な魔法陣となると、一体どれだけ巨大な魔石を無駄にしたのかと。それを採掘し、運び出し、形を整えるだけで莫大な労働力が必要です。というか、もしも巨大な魔石が豊富にあったのなら、単純な魔法陣でいいんですよ。威力は……まあ、見てのとおりですし」


 大きさは三級品程度で、魔法使いにはとてもなれなかった落ちこぼれが起動させただけで、この威力。

 そしてこのありあわせの組み合わせでも強力な効果があるからこそ、非力な人間たちは限られた資源の中、奴隷の身で世界の主導権を取り返せたのだ。


「じゃあ……ええっと……」


 クルルは未だに自分の起こした魔法が信じられないというように、自分の手を見つめながら言った。


「伝説の魔法陣は……なんなんだ? 教会の教えは?」


 自分たちの仮説が正しいかわからなかったが、正しいと仮定したうえで、その辺りの考察も済ませてある。


「後世に制作されたものでしょう」

「なに?」

「どんなくず魔石でも加工して、いくらでも巨大な物を作れるとなったら、複雑で巨大な魔法陣を作ろうとするでしょうし、そっちのほうが権威があるでしょう?」


 識字率の低い人たちに教会のありがたい教えを伝えるには、視覚によるインパクトが必要になる。単純な図形より、巨大で複雑なものを見せられたら、人は訳も分からずひれ伏すはず。

 ましてや簡素な図形でさえ、現実の地図を書き換えてしまいかねない威力を放つものなのだから、複雑なものを目の当たりにした人々は、神を眼前にしたようにひれ伏すだろう。


「そしてこのくず魔石を加工する技術ですが……多分、忘れられたというより、あえて封印されたのではないかと思います」

「封印?」

「三級程度の魔石にこんな単純な魔法陣で、これですからね。その、怒らないで欲しいんですけど……凄腕の魔法使いが起動していたら、どうなったと思います?」


 クルルはぎょっとして、まだくすぶっているくず石の山を見る。

 きっと、見渡す限り火の海になったのではないか。


 魔法使いは一騎当千。

 その意味が、目の前の光景だ。


「この方法が世に広く知られている限り、魔法陣の開発は続くはずです。そして魔法を使えば使ったほうも大変なことになるようなところまで、魔法陣の開発が到達したんだと思います」


 たとえばそう。

 核兵器のように。


「だが……だが、それも妙だろ」


 クルルが言った。


「魔法をそんなに強力にする必要はなかっただろう? 獣人たちを倒した後、一体なににその魔法を使ったんだ?」


 それは魔法陣の研究がどれだけ大変か、わずかでもかじってみたクルルの素直な感想だったのではないか。しかも目の前の石山の惨状を見るに、聖典に残るあんな巨大で複雑な魔法陣を起動させたときになにが起こるのか、想像するのも恐ろしい。

 魔法を使えない獣人たちでは、単純な魔法陣にも立ち向かえなかったはずだから、もはや敵などどこにもいなかったのではないか。


 だが、自分は人間の愚かさを、この世界の住人以上に知っている。


「人同士の戦争ですよ」


 クルルとイーリアが、揃って目を見開いていた。


「ドーフロア帝国は、聖典の時代から数えて、ふたつ目だかみっつ目だかの帝国だとか?」


 健吾から聞いた知識を口にすると、クルルはゆっくりとうなずいた。

 命をつなぐために、仲間の血を飲む獣のように。


「自分もちょっと調べてみたんですけど、聖典の書かれたとされる時代から今の時代まで、妙に歴史の残っていない時代があるんですよ。特にふたつ目とされる帝国の話です」


 それがなんだ、といった様子で首を傾げたクルルの腕の中で、それまでじっとしていたイーリアが体を動かした。


「……古い時代の話だから、歴史が失われたわけじゃない、と言いたいの?」


 クルルも賢いが、イーリアはきっとそれ以上に賢い。二人がひどい目に遭いながらもこの領地で生き延びられているのは、おそらく偶然ではない。二人で力を合わせ、知恵を使って切り抜けてきたのだ。


「そうです。多分ひとつ目の帝国の時代ですでに、魔法は過剰なほど強力になっていたんでしょう。そしてふたつ目の帝国は、ひょっとしたら最初の帝国も、聖典に残されているような古代の魔法陣を実際に使ったせいで、敵とともに消し飛んだのだと思います」

「そんな、馬鹿なことを」


 クルルが引きつり気味の笑顔で言うが、自分はにこりともしなかった。


「前の世界では、そんな感じのことが本当にありました」


 冷戦期、核兵器が発射されず人類が滅びなかったのは、本当にたまたま運のよかった話だと言われている。知られているだけでも、キューバ危機や、核兵器警戒システムの誤報による報復措置など、ほんの数人の人たちの判断や良識によって、ぎりぎり核の発射ボタンが押されなかっただけという事例があるのだ。


 しかし獣人たちから世界の主導権を取り戻したばかりで、万能感に酔っていた人間たちだったなら、どうか。

 手元にあったすべての武器を使い、互いに破滅したとしても驚かない。


「一度多くの知識が失われた、という可能性もありますし、新たな為政者が過去の愚行を繰り返すまいと、積極的に忌まわしい技術の根源を封印した可能性もあります」


 情報化が進んでおらず、遠くの町と連絡を取るのも難しい文明程度なら難しくなかったはずだ。生まれた土地から一生離れずに暮らすような人が大半だし、そもそも単純に人口が少ない。伝統に逆らって試行錯誤をするような気鋭の人物が少なければ、技術を再発見するのも困難だろう。


 それに、伝統や習慣という思考の枷は恐ろしく強力だ。ほとんどの人は目の前にある以外の道を考えようともしない。後から振り返ればいかにも当たり前にみえることでさえ、誰も長いこと思いつかなかったというのは、現代においてさえ珍しいことではない。


 例えば通販大手のアマゾンが、ワンクリック購入システムで特許を取得した際は、誰でも思いつく簡単なものなのに特許を取るなんてと散々罵られた。実際に技術的には誰にでも作ることができるものだった。

 しかし当時、広大なネットのどこにも、そのシステムを作った人はいなかったのだ。

 前の世界のあれほど発達した時代でさえ、そういうことがある。


 だとしたら、くず魔石を砕いて膠で固めたら、天然の魔石とあまり変わらない効果が見込めるかもなんて、誰も思わないのだ。


「ですからまあ、自分たちは、見つけちゃいけないものを見つけたのかもしれませんが」


 初めて核爆発を目の当たりにしたマンハッタン計画の科学者たちは、こんな気持ちだったのかもしれない。

 しかし核爆発の閃光が収まる頃には、自分と同じ台詞を吐いたはず。


「でも、恐ろしく有用な技術です」


 自分は座ったまま石山を見て、笑いそうになるのを懸命にこらえていた。


「だって、このくず石の山が、宝の山に変わるんですから!」


 手の大きさと同じくらいの魔石が、金貨千枚だ。それをなんの価値もなく捨てられている魔石の欠片で、いくらでも作ることができる。


「ただ、この技術で大儲けするには、ちょっと工夫が必要でしょうけど」

「……?」


 クルルとイーリアが、不思議そうに顔を見合わせていた。


「代用魔石の製作は単純な方法です。自分たちにもできたくらいですから、誰でも真似できます」

「確かに……見ればわかるものな……危険な魔法を、作り放題だ……」


 クルルに向けてうなずく。


「ですから、ひと工夫なんですよ」


 代用魔石をそのまま売るわけにはいかない。

 ならば売るものは、なにか。


「イーリア様」


 その名を呼ぶと、貴族として学んできたのだろう歴史や、この世界の住人としての常識が揺さぶられていたイーリアが、びくりと体をすくませてこちらを見た。


「な、なに? 今度はなんなの?」


 実は地球が丸いって知ってましたか? と言いたくなるが、それはやめておいた。


「ちょっとお聞きしたいんですけど、バックス商会から、鉱山の探鉱の申し出がありませんでした?」


 イーリアはぽかんとして、それから、曖昧にうなずいていた。


「あったけど……それが、なに?」

「自分たちで引き受けませんか、それ」

「え」


 と言ったところで、クルルが目を見開いていた。


「そうか! さっきの魔石があれば、鉱山を丸ごと吹き飛ばすこともできるからな!」


 吹き飛ばしたらだめだが、探鉱のために岩盤を砕くことは朝飯前だろう。


「探鉱作業には、魔法使いと魔石が必要なので、かなりの金額が用立てられると聞きました。魔法使いはクルルさんがいますし、魔石もくず魔石から作れます。費用をかけず探鉱できますから、バックス商会から支払われた探鉱費用はすべて自分たちのものにできます」


 投資でも商売でもそうだが、大金は情報格差のある所に流れ込む。

 自分たちだけがこの魔石の秘密を保っている状態にすれば、大金を稼ぐのは難しくない。


「相当まとまった金額になるはずです。そのお金と、この魔石の秘密を元手に、やり返しませんか」


 なにをやり返すのかについては、各々主張があるだろう。

 でも、クルルにもイーリアにも、伝えたいことは伝わったはず。

 クルルは目を輝かせ、イーリアは不安そうに眉尻を下げていたのだから。


「クルル……」


 その名を呼ばれた勝気な従者は、自信に満ちた目で主人に答えてみせた。


「大丈夫です、イーリア様」


 クルルはこちらを見て、笑いかける。


「こいつらはすぐにわけのわからないことを言いだしますが、少なくとも信用はできますから」

「えぇ……」


 その戸惑いの声は、自分のものだったか、イーリアのものだったか。

 未だ煙を上げる石山を見て、クルルははっきり笑っていた。


「それに、楽しいんですよ。こいつらの馬鹿話は」


 最初に計画を話し合った時、ひとり先走って夢中だった自分への当てつけだろう。

 クルルに嫌そうな顔を見せると、あの気難しい猛獣みたいだったクルルが、肩を揺らしてくすぐったそうに笑っていた。


「イーリア様も、たまには笑うべきです」


 クルルに言われ、イーリアが尻尾を踏まれたように耳の毛を逆立てていた。


「わ、私は関係……なくも、ないのか……」


 イーリアは、クルルの頬に右手で触れた。


「あなたはいつも、私のために頑張ってくれてたんだものね」


 そして自分たちの金儲けにも、イーリアの後ろ盾は必要だ。

 まだどこか戸惑うような色が残っていたイーリアは、腹をくくるように大きく深呼吸をして、こちらを見た。


「あなたたち二人が、揃って魔法使いじゃないとわかった時には心底がっかりしたけれど、救世主ではあったのね」


 鉱山帰りは魔法使いになるかもということで、遺体を鉱山に置く風習がある。


「まだわかりませんけれど」


 現実的な言葉を返すと、イーリアは領主っぽい皮肉な笑みを見せていた。


「クルル、屋敷に戻りましょう」


 イーリアは立ち上がって、獣人たちを誤魔化し終えたのか手を振りながらこちらに戻ってくる健吾を見て、それから目の前のクルルを見て微笑んだ。


「今日はきっと、あなたもよく眠れるはずなんだから」


 クルルは泣きそうになり、慌ててこちらを見て目尻をこすっていた。

 健吾はデリカシーなくにこにこ笑っていたが、自分は目を逸らすくらいの気遣いはできた。


 そんな自分たちを、月が空から見下ろしている。

 そこに魔法陣を書き込みたくなるくらい、綺麗な真円の月なのだった。

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