第18話

 まったく馬鹿げた思いつきでも、説明を聞いた健吾は批判も懸念点も表明せず、ただにやりと笑って、「やろう」と言ってくれた。

 むしろ自分は拍子抜けして、思わず言った。


「こんな馬鹿げてるのに? またクルルさんを傷つけるかもしれないのに?」


 健吾は肩をすくめてこう答える。


「クルルちゃんには、諦めろと伝えるより、諦める必要はないからとりあえず体調を直して計画を練り直そうと伝えるほうがいいと思う」


 クルルに対する解釈は一致していたし、こうも付け加える。


「それに頼信の考えには、歴史が味方していると思う」


 やはり自分の思い込みではなく、この世界の歴史は奇妙だった。

 最大の疑問は、こうだ。


 あんな巨大な魔法陣を刻むための魔石が、大昔だったからといって、本当に採石できたのだろうか? しかも、新しい魔法陣を完成させるためには、膨大な量の試行錯誤を経なければならない。

 無限にある図形の組み合わせの中から、意味のあるものを見つけ出さなければならないのだから、それだけ大量の魔石が必要になる。魔法陣が複雑になればなるほど、組み合わせの数は指数関数的に増えていく。現実的に考えて、それらすべてを試せるほど、巨大な魔石を大量に用意できるとは思えなかった。人類はいつだって、指数関数に対して脆弱なのだから。


 そう考えると、自分たちは魔法陣の発展の歴史を素直に受け取れなかった。


 教会の教義は、神が人間に魔石の利用法を教えたということになっている。

 そしてその聖典には、獣人から世界の主導権を取り返した戦いの歴史がつづられ、その時に用いられたという巨大で複雑な魔法陣が記されていた。


 だが、普通に考えてみればいい。

 どう考えたって、そんなもの、戦には不向きなのだ。


 複雑な魔法陣をたくさんの職人の手で何か月、何年とかけて刻み込む暇があったとは思えない。ましてや研究開発なんて余裕があったはずもない。なぜなら、人間は獣人に奴隷として扱われていたはずなのだから。


 となると、運用面から逆算するべきなのだ。


 つまり魔石は貴重ではなく、加工も容易で、試行錯誤がいくらでもできたと仮定しなければならない。中でも大事なことは、魔法陣を刻み込む際の失敗だった。

 石に刻み込む形式では、トライアンドエラーに恐ろしくコストがかかる。

 この部分はどれだけ魔石が豊富に採れたとしても変わらない。使い捨てにでもしない限り、魔石を削って平らにするような作業はなくならないのだから。


 しかも超文明というのは、あったとしても、獣人との戦いに勝利した後のはず。

 だとすれば、魔法陣を見つけ出す試行錯誤の過程には、根本的に異なる方法が存在するとしか思えない。古代の人類が超文明でなくとも獣人に勝てるような、そういう運用方法があったはずなのだ。


 そうやって視点を思い切り変えてみれば、見えてくる可能性があった。


 自分はあの倉庫で割れた魔石を目の当たりにし、そこに日干し煉瓦を打ち付けることで、自分の思い込みを砕くことができた。

 そしてそうすることで、古代の歴史の奇妙な部分もまた、うち砕けるのだ。


「正気か?」


 健吾に自分の考えを告げた数日後の、月明かりの夜。

 くず魔石を捨てる石捨て場に現れたクルルは、少しやつれた顔で、そう言った。

 泣きだしそうな、吐きそうな顔をしているのは、感情を押し殺しているせいかもしれない。


「こんなの……聞いたことないぞ」


 クルルは言って、口を歪んだ笑みの形にした。


「お前たちは、私より馬鹿だ」


 魔法陣解読の失敗を受け、ふたりの男は諦めるどころか、とんでもない仮説を引っ提げて戻ってきた。

 ただ、そんなクルルの後ろにいたイーリアは、夜風よりも冷たく言った。


「これが最後よ」


 悪い夢の世界から、クルルを連れて帰る。

 そう宣言するイーリアを、クルルは振り向いた。


「イーリア様、私は――」

「最後よ」


 クルルがここにこれたのは、イーリアが渋々ながら許可を出してくれたから。

 出された条件は、二度と妙なことにクルルを関わらせないこと。


 自分たちもイーリアとクルルの仲を引き裂きたいわけではないし、クルルは自分たちの関係より、イーリアを優先すべきなのも明らかだ。

 それでもなにかを諦める、その諦め方には様々な選択肢がある。


 クルルに似合っているのは、賢く後腐れなく去る姿ではない。

 最後まで光に向けて手を伸ばす、愚直で懸命な姿だ。


「クルルちゃん、大丈夫。成功させればいいんだから」


 無根拠な自信みたいなものが、健吾にはよく似合う。

 力こぶを作って見せる健吾にクルルは苦笑いするし、緊張と、単純に準備が大変だったせいでぼろぼろの自分に対し、クルルはもう少し優しい笑顔を向けてきた。


「お前たちは変な奴らだ。頭がおかしいんじゃないか」


 それは往生際の悪さを言っているのか、それとも、物事の発想方法がそもそも異質なことを言っているのか。

 おそらくその両方だろうが、理由はもちろん明白だ。


「異世界人ですから」


 自分の言葉にクルルは笑い、手を伸ばした。その指が触れたのは、自分たちが用意した魔石だった。現在の等級で言えば、手のひらくらいの三級品だろうか。

 購入するなら金貨千枚はくだらない超高級品だが、それは商会で取引される魔石とは似て非なるものだった。


 なぜなら、それはひとつの石ではないのだから。


 魔法陣をろくに刻めず捨てられた小さな魔石を集め、うち砕いて粉にして、 にかわと呼ばれる動物の腱などを煮詰めてつくる接着剤で固めたものだった。

 そのいわば代用魔石に、実際に職人が魔法陣を彫った魔石から作った型を用いて、魔法陣を押し当ててプリントした。


 自分と健吾は魔法陣の正しい組み合わせも考えていないし、熟練した技術さえ使っていない。

 つまりこれは、コピー用の正しい魔石と、くず魔石がありさえすれば、馬鹿でもできる魔法陣の量産法だ。


 戦の最中、獣人にこき使われる奴隷たちでもできるくらいの量産法だ。

 そして粉末の魔石を練って固めればいくらでも巨大な魔石を作れて、魔法陣を複雑にするのだってコピー用の魔石を押し当てるだけでいい。実験はやりたい放題だ。


 だからこの技術があれば、可能なのだ。


 爆速で魔法をブリッツマジック拡大することスケーリングが。


 そもそも、この世界の歴史を思い返すべきだった。


 獣人に支配され、餌と奴隷の中間みたいな存在だった人間が、魔石の活用法を見出して大逆転を成し遂げたとして、それは過酷な戦いだったに違いない。

 自分たちが想像するような、立派な鎧に身を包んだ人間たちと、筋肉むき出しの獣人たちが戦場で名乗りを上げながら相まみえるような、同等の立場の戦いであったはずがない。


 それは、奴隷たちの解放戦争だったのだから。


 つまり人間側が魔法に使う材料は限られ、熟練の技術者などほとんどおらず、道具もなにもかもがあり合わせの粗雑なものだったはず。今ではもう誰も覚えていないし想像もできないほど、きつい戦いだったはず。

 悠長に巨大な魔石を鉱山から掘り出して、うんせ、こらせと運ぶような労だってとれたはずがない。


 だが、これならばすべての問題が解決する。


 追い詰められた人々が、ろくな資源もない中、自分たちにできる限界に挑んで戦いに赴くその様子が、目の前に蘇るような原始的な方法だった。


 自分はこの方法が正解であってくれと、泣きそうになるくらい強く祈っているのに、それと同じくらい、正解のはずだという確信があるような、変な気持ちだった。

 あるいはそれは、今、その代用魔石に手を伸ばすのが、虐げられた獣人の娘だからかもしれない。かつて虐げられていた人も、同じように、戦いのために魔石に手を伸ばしただろう。


 歴史は繰り返さない。ただし韻を踏むのだと、作家のマーク・トウェインは言った。


 クルルの指が、手製のみすぼらしい魔石に触れる。

 クルルが振り向いたのは、今にもクルルを連れて帰りたそうにしているイーリアを、安心させるためだったのだろう。


 イーリアの不安は、クルルが失敗しないかと恐れているからだ。クルルがまた傷つくのではないかと、遠くに見た星が幻だったと知ることを恐れているのだ。


「イーリア様」


 けれどクルルのつぶやきは、優しく、自信に満ちたものだった。

 そして口にしたその名前が、新しい世界で最初につぶやかれた名前となった。


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