第三章

第20話

 役に立たないくず魔石を加工して、いくらでも大きな魔石を作ることができる。

 それは前の世界で言えば、裏庭の山の石が全部ダイヤモンドに変わったようなもの。


 大儲け! 


 と言いたいところだが、ダイヤは歴史上、紛争や強制労働の問題がまとわりついているため、販売や輸出について厳しい規制がある。山ほどの公的な証明書が必要になるから、出所不明のリュックいっぱいのダイヤを売ろうとしたら、大変な問題が待ち構えている。

 しかも山には誰でも入りたい放題で、そこにダイヤがあるとばれたら簡単に持ち去られてしまうし、なんなら地元の警察は腐敗していて法律は頼りにならないかもしれない。


 そんな状況から莫大な儲けを引き出すには、一体どうしたらいいか?


 今の状況は、大体そんな感じだった。


魔石を巡る巨大な謎をひとつ解いたが、くず魔石を強力で高価な魔石に変えられる技術それだけでは、継続的に大金も稼げないし、イーリアは力のない領主から抜け出せない。

 慎重に、効果的に、秘密裏に利用する必要があった。


「クルルさんは?」


 くず石捨て場での実験を終え、イーリアの屋敷に戻った後、クルルは屋敷の入り口をくぐったところで倒れてしまった。緊張が解けて腰が抜けてしまったと、クルルは朦朧とした様子で笑いながら言っていたが、ここしばらくの心労と疲労が原因だろう。

 健吾が抱えて部屋まで運び、その後の看病はイーリアが引き受けていた。


 自分たちは領主の執務室で待っていたのだが、戻ってきたイーリアは苦笑していた。


「あなたはクルルが苦手そうね」


 さん付けで呼んでいるからだろう。クルルの迫力はもちろん原因のひとつだが、自分はいい歳して、大体どの女の子に対しても未だにこんな感じだ。


「良い寝顔でぐっすりよ」


 体調を崩したわけではなさそうなことに、ほっとした。


「それで……今後のことよね」

「ええ、早急に話しておくべきかと」


 探鉱作業をクルルが引き受けるにしても、考えなければならないことが山ほどあった。

 くず魔石を合成する技術は、あまりに強力すぎるのだ。


「まず、魔石を組み合わせるという技術は、可能な限り秘密にすべきです」

「そうね。あなたたちの歴史の話が本当なら、公になるとまずいかもしれない」


 ドーフロア帝国の中枢部がこの技術を把握している可能性は、五分五分ではないかと思っている。前の帝国の時代にすべてが一度灰燼に帰し、今の帝国では律義に掘りだした魔石を加工する技術しか知られていない可能性もあるからだ。


 ただ、世界を自分に都合の良いように仮定していると、とんでもない落とし穴にはまりかねない。

 自分たちが謎を解明したことを知った帝国の中枢部から、中世の異端審問官みたいなのが送られてきて抹殺されるといった可能性は、常に念頭に置いておくべきだ。


「でもクルルに魔法を使わせるのよね? 探鉱の際には、鉱脈を見る山師や、岩石を運び出すための獣人たちもたくさん立ち会うはずだけど、ばれちゃわない?」


 イーリアの視線は、眠そうにあくびをしていた健吾に向けられている。

 鉱山監督官は、居住まいを正して答えた。


「魔石は使ったら灰になるし、布で覆うかどうかすればいいと思う。それに魔法をぶっ放すときは危ないから皆を後ろに下がらせるし、精神集中が必要とか言い張ることもできる」

「むしろ問題は、クルルさんが強力な魔法を使うということ、そのものにあるかと」

「あの子が?」


 きょとんとしたイーリアに、眠そうだった健吾が真面目な顔をして、言った。


「俺は町中だとかなり獣人と仲がいい。獣人たちの信頼を勝ち得ていると思う。だからまあ、獣人たちの気持ちには通じていると思う」


 獣人、という単語に、イーリアはなにか感じ取ったのか、身構えていた。


「そして君たちの体には、獣人の血が流れている。そのせいでここでは辛い思いをしながら、領主の椅子に座っている」


 イーリアの顔が、ハンモックの上で世界のすべてに倦んでいたものに変わる。

 いまさらそんな話をなぜするのかと思ったのかもしれない。


「考えてみてくれ。そんな獣人の血を引く者が、強力な魔法を使うんだ」

「騒ぎになるってこと? 確かに珍しいけど……前例がないわけじゃない」


 獣人はなぜか魔法を使うことができない。

 そのために人間との戦で負けたまま今に至り、その獣人の血を引く者たちもまた、獣人と同じような扱いを受けている。


「ああ。ないわけじゃないが、奇跡に近いって知ってるだろう。なぜクルルちゃんが、イーリアちゃんに魔法のことを隠していたと思うんだ?」


 クルルが魔石加工職人に向いているから、イーリアがクルルに職人の道を歩ませてしまうから、とクルルは説明していた。

 でも、それはちょっと考えてみれば、異世界から来た常識知らずを誤魔化すための方便だったとすぐにわかった。


 女の身で職人になることは非常に珍しい。

 ましてや獣人ともなれば、可能性は皆無となる。


 ということは、もっと別の理由があったのだ。

 クルルがイーリアにさえ、魔法を少しでも使えるということを隠すための理由が。


「クルルちゃんが魔法使いだと知られたら、獣人たちは自分たちにも神が舞い降りたと思うかもしれない」


 人はどうやって獣人から世界の主導権を取り返したか。

 なぜ獣人は、人の支配に甘んじているのだったか。


 そしてなぜクルルは、古代の魔法陣が教会にあることを知りながら、自分には調べられないと言ったのか。


「獣人の血を引く者が強力な魔法を使うのは、この世界にとって非常に危険なことだと思う」

「クルルちゃんは望まぬ救世主に祭り上げられ、イーリアちゃんと共に、獣人たちの反乱のシンボルになりかねないと思う」


 クルルは自衛のため、わずかでも魔法の能力があることをひた隠しにしていたのだろう。魔法の存在は、ただでさえ微妙な立場をもっと複雑なものにしてしまう。

 そしてイーリアにもそのことを知らせなかったのは、厄介な存在だと疎まれたくなかったからではないか。


「ただ……イーリアちゃんが戦を望んでいるのなら、俺たちには止められないんだけど」


 自分と健吾はくず魔石の粉を練り合わせながら、この合成魔石についての仮説が正しかった場合の時のことを話し合っていた。くず魔石から任意の大きさの魔石を合成できる技術は、事実上、核兵器みたいなものに一直線につながっている。

 それでなくたって、強力すぎる技術は間違いなく世界に巨大な変化を引き起こす。

 それは良い物もあるだろうが、悪い物もあるだろう。

 技術は中立であり、神にも悪魔にもなりうるのだ。


 そして自分と健吾が合成魔石を練り上げる手を止めなかったのは、イーリアたちを信じていたからだ。


「そんなことはしない。誰も幸せにならないわ」


 イーリアはきっぱりと言って、長い髪の毛を手でかきあげながら、綺麗なおでこにしわを寄せていた。


「クルルには……正体を隠してもらったほうがよさそうね」


 自分と健吾が視線を交わしたのは、ひとまず第一段階をクリアーできたから。

 ただ、それからすぐ、イーリアが獣の耳をぴんと立てて、こちらを見た。


「ちょっと待って。でも、獣人の鼻は誤魔化せないわよ。私でさえ、あなたたちの今日の晩御飯を言い当てられるんだから」


 変装し、ローブを目深にかぶったところで、獣人たちにはクルルだとすぐにわかる。


「イーリア様が、クルルさんを反乱のシンボルにしないと決断してもなお、ですか?」

「……」


 イーリアはやや驚いたように目を見開いてから、困ったように笑う。


「私に、獣人たちを説得しろってことね?」


 クルルの魔法使いとしての能力をもって、武力で人間たちに立ち向かわない。


「でも……私の言葉なんて、聞いてもらえるの? 私は人でも獣人でもない、お飾り領主よ」


 自虐的な笑みを浮かべるイーリアの顔は、可愛いからこそ余計に痛々しい。

 人の好さが滲み出ているのに、多くの者に傷つけられてきた顔だ。


「それが今までと同じ、いてもいなくても変わらない領主様、ということなら、そうかもな」


 その遠慮のない言葉に、自分は思わず健吾の肩を叩く。

 健吾は肩をすくめ、言ってやれ、とばかりにこちらに身振りで示す。


 イーリアは不安そうに両手を組み合わせ、自分と健吾のやり取りを見つめている。

 ため息みたいな深呼吸をしてから、言った。


「もちろん単なる説得だけでは難しいと思います。ですから、代替案を提示すべきかと」


 今までのイーリアはあまりに無力で、存在感がなさ過ぎた。

 けれど実際には、正統なる領主なのだ。

 しっかりと胸を張って発言すれば、多くの者が耳を傾けるだろう。


「ここを起点に、平和裏に世界を作り替えていくのだと訴えたらどうですか?」

「作り、替える? それは……反乱ってことではなくて?」


 イーリアの困惑した様子も理解できる。イーリアにとって、周囲の環境を変えるというのはそれくらい無理なことだ、というものだったのだろう。


「反乱は必要ありません。だって、ほぼタダで作れる魔石と、クルルさんの協力があれば、魔法は使いたい放題ですから。これを利用しようと思えば、イーリアさんはまずどうしますか?」


 合成魔石そのものの輸出はできない。けれど、魔法は大出力のエネルギー源であり、利用法が山ほどある。

 そして自分たちには、イーリアがなんと答えるか、ある程度予測がついていた。

 以前にイーリアが自分たちにすらすらと語った、領地の支出項目だ、


「……用水路、かな」


 ぽつりと、うわごとのようにイーリアは言った。


「用水路を引けたらいいのに、といつも思ってた」


 自分と健吾が顔を見合わせたのは、イーリアが期待通りの女の子だったからだ。


「鉱山から毒が出るかもって昔の人は怖れたみたいで、この町は川から遠いのよ。もしも用水路があれば、長い距離を水汲みに行かなくて済むし、川の上流から木材だって運びやすくなる。家がなくて困っている人のためにもなるし、そうよ、あなたなら、鉱山の坑道建設のための木材を運ぶ獣人たちの過酷さを知ってるわよね?」


 イーリアの視線に、健吾がうなずく。

 足枷こそつけていないが、背中に巨大な丸太を背負って長距離を歩かされる獣人たちの姿が目に浮かぶ。たとえ自分に人権意識が希薄であったとしても、単純にそれは効率の観点からも非難されるべきだ。


「大きな魔石を使えるなら、離れた川から水を引くことくらい、難しくないはず。木を伐採することだって朝飯前よね。それなら水車だって設置できるし、粉ひきの重労働から解放される人がたくさんいて、そうすればパンの値段を安くすることができるから、たくさんの貧しい人たちが助かると思う」

「いいね。それでこそイーリアちゃんだ」


 健吾が砕けた調子で言うと、イーリアは不意に我に返っていた。

 ハンモックの上で夢見ることしかできなかったことを口にして、急に恥ずかしくなったのだろう。

 怒ればいいのか笑えばいいのかわからないといった不思議な表情で、健吾を見つめていた。


「夢みたいなことが、できるのね?」


 心優しい者が領主の座にいれば、領地のためにあれこれ思いを巡らせるはず。

 けれどイーリアにはなんの力もなく、ただ領地の人々に嘲られるだけだった。


 それが今夜から一変する。


 イーリアの理性はクルルの放った魔法を見てそう理解したが、心がまだついてこないらしいことが、戸惑って強張った笑顔に見て取れた。


「とはいえ、自分と健吾も話し合ったんですが、この土地で夢を描こうとすれば、邪魔する者がいますよね」


 どこか夢見心地にゆるんでいたイーリアの目が、氷で冷やしたように引き締まった。

 クルルに関わるなと自分を牽制した時のような、なにかを守ろうとする時の目だ。


「……ノドン?」


 この町でなにかをやろうとすれば、必ずあの巨体が立ちはだかる。


「ノドン商会はジレーヌ領の経済を隅から隅まで支配しています。たとえイーリア様が様々な設備を整え、領地の経済を活性化させても、ほとんどの儲けが吸い上げられてしまいます。となれば、獣人の皆さん、あるいは町の低階層の人たちもまた、貧しいままでしょう。このままでは、クルルさんの秘密を黙っていてくれるように頼むのは難しいと思います」

「なんならクルルちゃんの掘った用水路やらの利権も、鉱山同様、ノドンに奪われるかもしれない。利権を奪われる痛みは、鉱山の権益で骨身にしみてるだろ?」


 バックス商会とノドン商会が手を組んで、鉱山の採掘から出荷までイーリアは蚊帳の外だ。


「もちろん、イーリアちゃんがクルルちゃんに命令して、明日にでもノドンの野郎を商会の建物ごと吹き飛ばすことはできる」


 イーリアは獣の耳をぴんと立てて、嫌そうに笑っていた。


「心惹かれる提案だけれど……」

「そう。すっきりするのは最初だけ。その後に解決した以上の問題が降りかかってくる」

「でしょうね。そんなに強力な魔法使いとなると、帝国の州都にある魔法省の注意を引くはずだし、危険な魔法使いとみなされたら、州都や帝国中枢から討伐隊がくるだろうし。結局……世の中の仕組みがクソなんだわ」


 はしたない言葉遣いはクルルの影響だろうが、クソと言い放った時のイーリアはいっそ清々しそうだった。


「ですから、自分たちの手で、適度に仕組みを作り替えていく必要があるんです。その第一歩として、正攻法で、ノドンの手からこの町の経済を取り戻すべきなんです」

「そして、暴力に頼らないのなら、どうしたってノドンに対抗するには、領主としての権威の後ろ盾が必要だ」


 ノドンはこの町では大資本家で、自分たちには立ち向かうだけの資本がない。

 イーリアもまた資本の点では同じだが、資本力と戦うための、領主という権威をもっている。


「でも……何度も言うけど、私の権威なんてたかが知れているのよ。ちょっと前のお祭りに、あなたたちもいたでしょう?」


 ないがしろにされ、嘲笑されるだけのお飾り領主。


「それはカネがないからですよ」


 みんな忘れがちだが、カネとは本来、誰かになにかをさせる権利のことだ。だから金持ちはカネによって権力を持つし、同時に、権力者は権力をカネに換えることができる。

 そしてこのふたつは円環をなし、カネがないから権力がなく、権力がないからカネがない。


 領主として当たり前のことを指摘されたイーリアは、むっとして言い返す。


「あなたたちも同じじゃない」

「同じですけど、立場が違います。イーリア様は、税を取り立てられる地位にいます」


 突然出てきた税という単語に、イーリアは目をぱちくりとさせてから、不機嫌そうに細めた。


「だから、その税を払わせるだけの権威がないって言うのよ。誰も私の言うことなんか聞かないわ。あなたが持ってくるいんちきな魔石取引の署名だって、断ることすらできないじゃない」


 権威がないから税を取れず、税が取れないから権威がない。

 堂々巡りだが、そこを抜け出せる最初の一撃になるのが、クルルと魔石を使った、探鉱作業の肩代わりだ。


「それとも……クルルの魔法で脅しあげて、言うことを聞かせるの?」


 古来より、権力者は力によって土地を支配してきた。


 けれど自分たちは、クルルの魔法の力の源泉が合成魔石にあることを隠さなければならないし、獣人の血を引く娘が魔法の力で反抗する者を血祭りにあげていくのは、あまりに政治的に危険だろう。

 特に注意しなければならないのは獣人たちで、クルルが変装をして別人の魔法使いである振りをしても、獣人たちには気付かれてしまうから、魔法の安易な行使は彼らの反乱を煽ってしまう可能性がある。


 となると、もっと穏便に話を進められるように、一計を案じる必要がある。


 強力すぎる合成魔石の技術を全力で利用するのは、まだもう少し先。

 その前に、ジレーヌ領という足場を固める必要がある。

 巨大な大砲をぶっ放すには、それに見合っただけの土台が必要であるように。


「ここからは込み入った話になるんですけど、お時間大丈夫ですか?」


 現代の感覚で言えばさして夜中でもないだろうが、明かりが蝋燭しかないここではずいぶんな夜更けだ。


 イーリアは唇を引き結んでむくれたような顔をすると、急に立ち上がって戸棚に歩み寄る。

 そしてそこから取り出したのは、武骨な陶器の壺だった。


「強い酒ならたんとあるわ」


 夜は早く寝るような子供扱いをするな、ということだろう。

 健吾は肩を揺らして笑う。


「酒は抜きだ、イーリアちゃん」


 健吾の言葉の後に、自分はこう続けた。


「お酒よりもっと眩暈がする話ですから」


 イーリアは数舜怯んだが、受けて立とうじゃないかと、獣の耳をぴんと立てて自分たちに対峙したのだった。

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