第12話
狭い町なので、誰と誰が酒場で飲んでいたかなんてすぐに知れ渡る。
クルルだと周囲にバレる前に、自分たちは河岸を変えることにした。
わざわざ顔を隠してまで追いかけてきたということは、イーリアには内緒か、聞かせたくない話をしにきたのだろう。
健吾は少し考え、鉱山のくず石を捨てる谷間に自分たちを連れてきた。周囲には枯れ草を混ぜた日干し煉瓦でつくった家が建ち並び、いかにもなスラム街の中を、獣人の子供たちが楽しそうに走り回っている。人間の姿はまったく見かけず、同じ町としてくくられる土地でも、別世界に見えた。
くず石の山の上で腰をかがめている者たちは、まともに加工できないような魔石の欠片を集めているらしい。魔石の秘める力は魔石の大きさに比例するが、一定度以上大きくないと、まともに魔法陣を刻めない。それ故に小さすぎる魔石にはほとんど価値がない。
とはいえそういうくず魔石であっても、お守りとしてや、病気を癒すためのまじないとして細々と売ることができるらしい。要するに彼らは、ごみ拾いで生計を立てている者たちだ。
「ここなら詮索する奴はいない。見ても見ないふり、聞いても聞かないふりをしてくれる」
健吾は獣人社会にすっかり溶け込んでいるらしく、荒涼としたこんな場所でも、遠くから何人かの獣人が手を振って挨拶を寄こしていた。
「イーリアちゃんには聞かせたくない話をしにきたんだろ?」
健吾が話しかけると、クルルはフードの下で大きなため息をついた。
「イーリア様をちゃん付けで呼ぶな」
「イーリアちゃんは嫌がってる感じでもないけど。もちろん、クルルちゃんも」
笑って言ってみせる健吾に自分は呆れるし、クルルははっきり舌打ちする。
それでも健吾は笑うばかり。
クルルも本気で怒っているわけではないのか、いつもの迫力がなかった。
それに、健吾が黙ると、クルルもまた、黙ってしまう。
あの屋敷で見せる威勢の良さはなく、ローブの下にいるのは、年相応の女の子に見えた。
「お前、たちは」
ようやく聞こえた言葉は、途切れがちだった。
「どういうつもりなんだ?」
クルルが顔を上げると、フードの下に不安そうな顔が見える。
健吾はこちらを見てから、クルルに向けて肩をすくめる。
「どういうつもりとは?」
クルルは口をつぐみ、下唇を噛む。犬歯が唇にかかる様に、妙にどきりとした。
「……本気で、魔石取引をするつもりなのか?」
クルルは自分たちより背が低いので、いつも上目遣いといえばそうだ。
けれどそれはどちらかというと、猛獣が飛び掛かる前に頭をぐっと下げる、戦いの姿勢だ。
それが今、クルルは明らかに、なにかに怯むように自分たちを見上げていた。
「本気……という意味では、本気だよ。なあ頼信」
「まあ、一応」
なにせこのままその日暮らしの賃仕事に従事していても、いつかけがや病気で働けなくなり、そのままお払い箱になってしまう。
その運命を受け入れるかどうかの分かれ道だ。
簡単に諦めていいような話ではない。
「本当にできると思っているのか?」
クルルの問いに、再び自分と健吾が顔を見合わせたのには理由がある。
それはクルルの顔が明らかに、できると言ってくれ、と望んでいたからだ。
「クルル、さん」
健吾のようにちゃん付けで呼ぶ勇気が持てないし、女の子をそんなふうに呼んだことが一度もなかったので、さん付けで呼んだ。
クルルはこちらを睨むように見たが、それは虚勢に見えた。
「魔石取引に、興味が?」
フードの下で、獣の耳がぴょんと跳ねたのがわかった。
健吾は遠慮なくそんな様子を見て目を丸くしていたが、自分はというと、真剣な顔をする女の子の視線を正面から受け止めるのに精いっぱいだった。
「……」
クルルは唸り、歯を食いしばって目を伏せる。
見れば、手も握り締めていた。
なにか言いにくいことがある。あるいは、なにかに怯えているようにさえ見えた。
自分はなにかを言うべきタイミングだと思うのだが、最適な言葉が見つからない。
そこに健吾が、こう言った。
「クルルちゃん、ここには俺と頼信しかいない。しかもどっちもこことは違う世界からやってきた流れ者だ」
それからなぜかこちらの肩に腕を乗せ、親指を立ててみせる。
「言いたいことを言ったって、かまやしない二人組だ」
クルルは呆気にとられたように目をぱちぱちとさせていたが、やがて気が抜けたように笑っていた。初めて見るその笑顔は、掛け値なく可愛かった。
「馬鹿なことを言っても、許されるか」
「もちろんだとも」
健吾はなぜか力こぶを作って答えている。
自分のほうは、自分でもわかるような、へたくそな笑顔だ。
クルルは健吾のみならず、自分のほうにも困ったような笑みを浮かべていた。
そして深呼吸をすると、屋敷で見せるいつもの調子をいくらか取り戻していた。
「私はイーリア様を助けたい。お前らが公正な魔石取引をするというのなら、私はお前らに協力したいんだ」
イーリアは現状を変えることを明らかに諦めていた。
けれどハンモックで寝返りを打ち、こちらに背を向けた時のイーリアを見たクルルの顔は、妙に痛ましそうな顔だった。
クルルは従者として、あるいは友人として、イーリアが失意の底にいる姿を見るのが辛くて仕方ないのだ。
「公正の基準は人によって違うけど、ノドンよりましだよな?」
健吾の問いに、深くうなずく。
「けど、クルルちゃん、イーリアちゃんには内緒な感じだよね」
わざわざ顔を隠して追いかけてきたのだから、イーリアはもちろん、周囲にも知られたくないことのはず。
イーリアの微妙で脆弱な立場のことを思えば、ノドンに反旗を翻そうとする馬鹿な男二人とは、本来なら近寄りたくすらないはずだ。
「それにイーリアちゃんの話が嘘とも思えない。ノドン商会の商いの縄張りを荒らす際、イーリア・アララトムの名前を使うようなことは無理だろ?」
だとすると、クルルと手を組むのはかえってデメリットになるかもしれなかった。
これ以上イーリアの立場を悪くしない、という足かせが加わるからだ。
けれど自分は、クルルがそんなふうに、利益だけ分けてくれと言うような、ふにゃふにゃした女の子だとは到底思えなかった。
むしろ目の前のクルルの様子を見て、自分が起業のことを健吾に切り出した時のことを思い出していた。
「もしかして、クルルさんも同じことを考えたことがあるんですか?」
午前中の祭りの式典では、イーリアとたった二人、嘲笑や蔑みの空気を耐えていた。その立ち姿からは、物心ついてからずっと、ふたりでそうしてきたように見えた。
その一方でクルルは、古のヤンキーみたいにメンチを切って、ノドンのからくりを知っているんじゃないのかと自分を脅すような気性の荒さなのだ。そこに屋敷のあれこれを切り盛りする頭の良さが加わったのなら、絶対に考えないはずがない。
「魔石取引を、一度は考えたんですね?」
クルルの頬がさっと赤くなったのは、それがこの世界ではあまりにも馬鹿げた夢物語だからだろう。
前の世界で言えば、プロスポーツ選手になるとか、小説家になりたいとか、応援よりも先に失笑が似合うことなのかもしれない。
そしてクルルはあれこれ夢想して、現実の前に膝を折った。
そこに今一度、常識知らずの阿呆が二人も現れた。
クルルをすごいと思ったのは、折った膝を再度伸ばしたからだ。
「考えた。そして私の考えが正しければ、あのブタを排除することなど簡単なはずなのだ」
クルルはもはや、か弱さの欠片も見せない精悍な顔つきでそう言った。
「考え」
健吾の問いかけに、クルルは返事をせず、代わりに視線を周囲に巡らせた。
そして腰をかがめて拾ったのは、くず魔石拾いにすら見捨てられるような、小さな魔石の欠片だった。
クルルはその魔石を手のひらに乗せ、握りこむ。
「私はな」
「えっ⁉」
自分と健吾の驚きの声が上がる。
「魔法使いだ」
クルルの手のひらの周りに、黒とも紫ともとれる空気が現れ、消えたのだった。
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