第13話
沈黙はほんのつかの間だったのかもしれないが、ずいぶん長い間静かだったような気がした。
「ま、まじ?」
健吾は思わずといった様子でそう言ってから、芝居がかった様子で後ずさる。
「え、ノドンをぶっ殺すってこと?」
魔法使いは一騎当千。
けれどクルルは疲れたように笑って、手を広げると灰になった魔石を捨てた。
「それができれば世話はない。魔法使いと言っても見習いの下っ端以下の力だ。実質的になんの能力もない。たとえ魔石に魔法陣が刻まれていても、よほど大きな魔石でない限り、炎や氷といった力を効果的に引き出すことができない。だが、今みたいに魔石の力を発揮させることそのものはできる」
クルルは、こちらをまっすぐに見た。
「だから子供の頃の私は、大人になったら魔石の加工職人になるのだと思っていた。魔法使い崩れには定番の仕事だからな。このくらいの背丈の頃の話だ」
クルルは身長が高いほうではないが、それでも腰の高さに手を置いたので、本当に幼い頃の話なのだろう。
「けれどほどなくイーリア様の従者を命じられ、その道も閉ざされた。ただ、魔石の加工についてはその後もずっと考え続けていたんだ」
「加工について?」
こちらの問いに、クルルは初めて自分のほうを、まともな目で見てくれた。
「魔法陣には明確な法則が存在する。だから職人たちは、帝国のどこに行っても同じ加工をする。これはわかるか?」
「それは、はい。ノドン商会にも魔法陣を集めた底本がありましたし」
クルルはうなずく。
「ただ、イーリア様に従ってあちこちの領地をたらいまわしにされる間、私は気が付いたことがあったんだ」
幼いイーリアとクルルが、邪魔な落とし子として邪険に扱われる様を想像してしまって、顔が歪む。
「どこの領地に行っても大抵、千年前の戦に関する魔法の伝説が残っている。この戦のことは?」
「獣人と……人間との戦争ですよね?」
「ああ。そしてどこの土地にも、大昔の戦で使用されたという魔法陣の写しが残っている。私はそれらを見て回り、現在の魔法陣とは違う理屈で書かれているとしか思えなくなった」
自分はその言葉の意味を掴みかねたが、健吾がいち早く気がついた。
「魔石加工には、新しい道があると?」
健吾の見たこともないような真面目な顔。
前の世界で働いていた時は、こんな感じだったのかもしれない。
「もちろん、伝説の魔法の写しがでっち上げという可能性はあるが、妙な規則性があるように感じた。偶然とは思えない」
「実際にその魔法陣を試した人はいないんですか?」
魔法陣というのは化学式と同じで、形がわかっていれば魔石に刻み込むだけでいい。素朴な疑問だったので口にしたのだが、たちまちクルルはいつものごみを見るような目になる。
「両腕を広げても収まりきらないような巨大な魔法陣だぞ。そんな魔法陣を刻める魔石があるとすれば、帝国の宝物庫の最上段にだけだろ」
魔石の価格は大きさによって指数関数的に上昇していく。魔石の大きさは単純に魔法の威力に直結し、表面積が大きければ複雑で強力な魔法陣をより多く刻むことができる。
ノドンが取り扱う五級の規格品で、五百円玉より少し大きい程度。最近は滅多になくなったという三級の品で、手のひらに収まるかどうかの大きさだ。そして三級品がたった一つで、金貨千枚単位の取引額になる。
両腕を広げたよりも大きい魔石となると天文学的な金額になるはずだから、多分普通の流通には乗らない宝物扱いだ。
「あ、そんなに大きいんですね……」
「俺が調べた時も、大体伝説の魔法はそういう巨大な魔石が必要だったな。でもそうか、刻まれている魔法陣まで気にしたことはなかった」
元の世界に帰るため、健吾は真っ先に魔法に目をつけて調べたと言っていた。
「確認したことはないから、私の妄想かもしれない。ただ、異国の言語のように、魔石に刻む魔法陣の規則にも、今のものとは違うもっと素晴らしいものがあるかもしれない」
クルルの口元は、唐辛子たっぷりの料理を口にしたように歪んでいる。それは、馬鹿なことを真剣に話しているという恥ずかしさなのだろう。
「それでたくさん妄想したんだ。まったく新しい魔法陣を見つけ、イーリア様を傷つけてきたくそどもを薙ぎ払う様をな」
そっちか、と自分は健吾と目配せしあう。
しかしもしも新しい魔石の加工法があるのなら、確かに可能性は無限に開けている気がした。
「クルルちゃんは、そのことについてどれくらい調べたんだ?」
「ちゃん付けで呼ぶな! というか……獣人の血を引く私が、伝説の魔法陣に興味津々なんて、危なくて大っぴらにできないだろう」
不満たっぷりな様子でそう言ったクルルが、言葉を吐き出した後に妙な視線で地面を見つめていることに気が付いた。なにかを迷うような、ためらうような表情だ。
そしてクルルは、目を閉じると苦しそうに言った。
「それに……私は魔法がわずかでも使えることを、イーリア様には内緒にしているんだ」
「え?」
そんな大事なことをイーリアに隠しているのかと驚いたが、健吾はすぐに理由が分かったらしい。
「イーリアちゃんは、賢いし優しそうだからなあ」
健吾が言うと、クルルは下唇を噛みしめる。
どういうことかと健吾に視線を向ければ、肩をすくめられた。
「魔法使いの素質があれば、魔石加工職人としては圧倒的に有利なんだよ。魔法陣が適切に刻まれてるかどうかの確認をできるのは、魔法使いだけだ。加工職人の組合は、魔石のチェックのために結構な値段で魔法使いを雇ってるはずだ。鉱山でも鉱脈を調べる時に魔法の使えるやつを呼ぶからな。だから、クルルちゃんがわずかでも魔法を使えるなら、色々なことに目をつぶって雇いたがる職人組合はあると思う。となれば、クルルちゃんが職人になれるように、イーリアちゃんは無理にでもクルルちゃんを送り出してしまうかもしれない」
お先真っ暗で迫害され、辛いことばかりの名ばかり貴族の従者ではなく、手に職をつけてまともな道を歩めるように。
「……イーリア様を、一人にできるはずがない」
そしてクルルもまた、優しい子なのだった。
強く興味のあることがあり、しかもその仕事に就く適正まで備えている。
けれどクルルが職人になれば、いよいよイーリアは一人になってしまう。
だからクルルは、ずっと魔法のことを胸に秘めていた。
そこに現れたのが、間抜けな男二人組だった。
しかもこいつらは誰もが諦めて手を出さないような、魔石取引を画策しているのだという。挙句の果てに、公正な取引を対価にしてイーリアに協力を求めてきた。町の人間全員が嘲笑してやまない、無視され、蔑まれている領主に対してだ。
魔石について一家言あり、主人のイーリアをどうにか助けたいと思っていたクルルとしては、フードをかぶって屋敷を出て自分たちを追いかけるには、十分すぎたわけだ。
ただ、そんなクルルに深く共感を示す健吾とは別に、自分は全然違うことを考えていた。
ここにいる三人ならば、奇しくも魔石を巡る取引すべてをカバーできるではないかと思っていたのだ。
つまり、生産、加工、販売。
だとすると、一人ずつではたちうちできずとも、三人ならばどうにかなるのではと思った。
特にクルルの示してくれたまったく新しい魔石加工というアイデアは、この計画の強力な核になり得るという直感があった。
「じゃあ、どこから始めればいいのかな」
そんな言葉が口をついて出たのと、涙ぐむクルルを健吾が慰めようとして、邪険に手を振り払われるのはほとんど同時だった。
「なに?」
「……?」
健吾とクルルの二人から視線を向けられたが、自分ははやる気持ちを抑えられなかった。
「どこから始めればいいと思う? ノドン商会の魔石取引を出し抜くのは、理屈としては難しくない。でも資金もなにもないし、イーリア様の後ろ盾が得られないとなると、単純に取引に参入すれば一瞬で妨害される。でも、まったく新しい魔石加工法をひっさげたとしたら?
それが現状の加工より効率的なものだったら、多分、バックス商会は興味を示すはずだ。ノドン商会より旨味がありそうなら、絶対食いつくはずだ!」
コールとノドンは一見、親しい間柄のようにも見えるが、彼らは私腹を肥やすために手を取り合っているに過ぎない。
ノドンの取引の縮小コピーでは、コールも相手にしてくれないかもしれないが、まったくの新機軸ならば戦う余地があるはずだ。
「ぜんぜん、可能性がないわけじゃないと思う。いけるはず、いけるはずなんだよ! だから……って……な、なに? どうしたの?」
自分が話し終えて二人を見ると、健吾は笑いながら、クルルはすごく嫌そうな顔で、こう言った。
「「楽しそうだな」」
「えっ?」
首をすくめ、口ごもる。
たしかにそうだ。
「……だって、楽しく、ない?」
こっちの言葉ではなく、日本語でそう呟いた。
「経営シミュレーションゲームみたいだって?」
こちらの夢を知っている健吾が言って、苦笑いしている。
言葉の分からないクルルが、不服そうにしている。
健吾は肩を揺らして咳き込むように笑い、クルルにこっちの言葉で説明する。
自分がゲームを作るという夢を抱いていたこと。
そして向こうの世界には、店を経営するようなゲームがあったこと。
「俺もまあ、嫌いじゃないし、なにより楽しまないとな」
こっちの言葉に切り替えた健吾に、クルルが噛みつく。
「楽しいとかいう話じゃないだろう!」
今度は二人の言葉は揃わなかったが、クルルも本気で言っているようには見えなかった。
なにせフードの下で、さっきから獣の耳が忙しなく動いているのが丸わかりなのだから。
「よっし」
健吾はそう言ってクルルの右手を掴むとぐいと引っ張って、さらにこちらの手を掴んで引き寄せた。
「我ら生まれた世界は違えども!」
三国志かなにかで聞いた口上だ。
「違えども……なんだっけ?」
そんな健吾に呆れ笑う中、自分の手が強く誰かに握られた。
見やれば、クルルだった。
「ゲームでもなんでもいい。私はカネでさえどうだっていい。頼む。あのノドンを倒し、イーリア様を助けてくれ」
健吾ほどコミュ力の高くない自分でも、言うべき言葉はわかった。
「クルル、さんも助かるはずだ」
クルルは目を見開いて、フードの下で耳がぴんと張っていた。
健吾がにやりと笑い、こちらの肩に腕を回す。
「さん付けなんてよそよそしいだろ」
「いや、でも」
とクルルを見れば、クルルは不機嫌そうにこちらを見つつ、こう言った。
「ちゃんづけをしたら喉を噛み切るからな」
「……やっぱりさんづけで」
健吾は肩をすくめていたが、それでちょうどいい。
けれどまさか、異世界で起業をするなんて。
まだ売るものも用意できていないが、確かにここには、やる気というものが集まっていた。
起業するのに必要なのはやる気と仲間だけだと、読んだ本に書いてあったような気がする。
「ようし、やったるぞ!」
健吾のでかい手に掴まれて、自分とクルルの手も、空に向かって突き上げられたのだった。
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