第10話

 鉱山の監督官は輪番制で休みが決まっているが、ノドンの商会にはまともなシフトなんて存在しない。

 なので休みを手に入れるには、町全体が仕事を休むお祭りまで待たなければならなかった。


 ただ、仕事に関しては現代のほうがよほど奴隷制に近いのではと思ったのは、なんだかんだ町の催しごとが多くて、臨時の休日が多かったから。


 その日は、かつての領主の枕元に天使が立ったことで、このジレーヌ領に魔石鉱山が発見されたお祝い、という結構大きなお祭りだった。町のあちこちに天使を思わせる鳥の羽飾りが取り付けられ、昼間から人が町に繰り出し、教会の鐘がうるさいくらいに鳴らされ続けていた。


「イーリアちゃん、死ぬほど仏頂面だったな」


 天使と、天使が夢に現れたという信仰篤いかつての領主を称える教会の催しそのものは、午前中であっさり終わった。教会前の広場での司祭による祝福の辞と、天使やかつての領主を称える蝋燭を持っての行進は結構見ごたえがあった。


 その後は町全体の飲み会という感じで、イーリアはすでに屋敷に戻っているらしかったので、そちらに向かっていた。道中の健吾の言葉には、苦笑いで同意するしかない。


「七五三で不貞腐れてる親戚の子供を思い出したよ」

「ははは、それもわかる」


 工業の発展してない世界では、服というのは露骨にその人の資力を明らかにする。

 何色とも言い難い、汚れなのか染めているのかわからないくすんだ色の服ばかりの中、現代のお芝居にでてきそうな色鮮やかな服を着ているイーリアは、立派な貴族だった。


 けれども式典中はにこりともせず、酒も口にしていなかった。


 領主として呼ばれてはいるが、どうやら式典費用を出しているのは町の各職人組合と、有力な商会主たち、つまりノドンたちのようだった。


 イーリアは金もなく、寄付もできず、単に領主だから呼ばざるを得ないということで呼ばれているに過ぎない。

 しかも鉱山を見つけた貴族とは関係のない血筋であり、帝国のお偉いさんのちょっとした女遊びの結果に生まれた子供なのだ。


 挙句にその体に流れる血の半分は、二級市民の獣人のものときている。


 祭りに参加していた職人組合の組合長たちは、これまたノドンに似た脂っこい感じのおっさんばかりで、イーリアを陰に陽に馬鹿にしているのが透けて見えた。そして町の人間たちもまた、それを楽しんでいるようだった。


 この世を支配するのは人間で、獣人は単純な力仕事を担う下働き。

 そういう身分観があるうえに、魔法を使えない人間たちもまた生活が苦しいとなれば、獣の耳を生やした落とし子の領主様というのは、町の人々が馬鹿にして留飲を下げるための玩具としてはうってつけなのだ。


 そんなわけでイーリアと従者のクルルは、式典の間ただひたすらに時間が過ぎ去るのを待っているようだった。嘲笑と蔑みがどれだけ蠅のようにまとわりついても、少なくとも自分には一人の仲間がいると、互いに手を取り合いながら。


 けれど、そんなイーリアたちにだって、確かに領主という立場がある。ならばその立場をうまく使えば現状を変えられるはずだし、自分たちはイーリアの後ろ盾を得ることで、ノドンと対抗できるのではないか。


 明日をも知れぬこの無慈悲な世界で、それぞれに安定を手に入れるため、手を組めるはずだった。


「話とはなんだ」


 式典の際に着ていた服から、いつもの服に着替えたクルルが、まずそう言った。

 イーリアはまだ着替え中なのか、中庭にはいなかった。


「鉱山の話なら、こいつがいるのは不都合ではないか?」


 クルルはずっと健吾とだけ会話をしている。こちらには視線も向けてこない。

 健吾が、イーリアちゃんクルルちゃんなんて軽々しく呼べるのは、どうやら鉱山の諸問題でよく彼女たちと会っているからのようだ。


 しかも獣人の労働環境の改善と鉱山の産出向上は、獣人の血を引くこの少女たちにとって、二重に嬉しい話となる。だから余計に気安い関係なのだろう。


 一方の自分は、彼女たちに納められるはずの税を誤魔化す、悪徳商会の手先である。

 健吾との扱いに差があるのは当たり前だ。


「今日は鉱山の問題じゃないんだよ。ほら」


 と、健吾はこちらに向けてわざとらしいウインクをしてみせる。

 健吾のこういうセンスはよくわからない。


 それに健吾は、起業の話は頼信からイーリアちゃんに持ち掛けるべきだと言って、譲らなかった。


「こいつが?」


 ようやくクルルはこちらに視線を向けたが、相変わらずごみを見るような目だ。

 気弱な高校生の時に戻ったような気持ちになりつつ、言った。


「魔石取引を始め……たいのですが」

「はあ⁉」


 黙ってれば可愛らしいのに、顔をゆがめると唇の下から牙まで見えて恐ろしい形相になる。

 ひぃっと息を呑んだこちらに苦笑いした健吾が、続きを引き取った。


「公正な魔石取引ができるかもしれないんだよ」

「なに?」

「適正な税金を納め、俺たちも儲かるって話」

「……」


 口をつぐみ、こちらと健吾を見比べるクルルに向けて言った。


「でも、魔石取引に手を出したら、ノドンから妨害を受けるのが目に見えている」


 クルルは腕を組み、それで? とばかりに顎をしゃくる。

 健吾はこちらに向けてうなずいたので、仕方なく自分が口を開く。


「それと……自分たちには、魔石を買い付けるだけの資力がないんです」

「つまりイーリアちゃん達には、用心棒を兼ねた、出資をしてくれないかと」


 クルルの顔が歪んだのは、ちゃんづけで呼ばれたことに対してか、それとも、突拍子もない提案のせいか。

 そこに、イーリアが姿を見せた。


「できるわけないじゃない」


 式典の時には堅い仏頂面だったが、今はそこから力が抜けて、より不機嫌そうな顔になっている。けれど寝巻のようなゆるい服に、小脇にはハンモックを抱えているので、寝起きの不機嫌な女の子のようにも見える。


「クルル、そっち括りつけて」

「俺がやるよ」


 健吾がクルルの代わりにイーリアからハンモックの一端を受け取り、木に縛り付けている。

 クルルはそんな二人を見てため息をつくと、こちらに向き直る。


「私もイーリア様と同意見だ。あのブタ野郎が縄張りを荒らされて、お前らに容赦するとは思えない」


 人が獣人を蔑むように、獣人は言葉を介さない動物を自分たちの仲間とはみなしていない。

 なので不思議な感じはするのだが、獣人たちも悪口には動物を使う。


「それに私たちにお金なんてないわよ」


 イーリアは言いながら、健吾が抑えるハンモックに乗って、さっさと横になる。


「あなたたちから見たら、お気楽な貴族暮らしかもしれないけど、ここに集まるお金はそのまますぐ外に出ていっちゃうもの。町の連中は教会への寄付は熱心だけど、教会付属の孤児院の寄付金にはてんで関心を示さないし、港の整備、橋の補修、水車の手入れ、町のどぶさらいなんかは誰かがお金を払ってくれて当然だと思ってる。ああそれと、鉱山の監督官の費用もあったかしら」


 そんな一言は、意地悪そうに微笑み、健吾を見ながらだ。


「第一、あなたたちのちょっとした小遣い稼ぎのために、ノドンみたいなのを怒らせるなんて割に合わなすぎるでしょ。追加の稼ぎが欲しければ、町の外の小作権でも手に入れて、畑を耕したら?」


 この世界ではまだ文明度が足りず、人口に対して農産物が豊富ではない。なので農産物は、確実に売れる。

 けれど化学肥料もないし、土地が肥沃というわけでもないので、素人が農業をやるにはハードモードすぎる。というか鉱山もそうなのだが、農業や土木作業などの力仕事は、獣人の独壇場だった。健吾の三倍はあろうかという筋肉量の獣人に、労働力で勝てるはずがない。


 しかも町にある職人組合には獣人の加入が不可となれば、自然と力仕事は獣人たちばかりになる。獣人たちに紛れて畑で働くなどちょっと怖すぎるし、効率も悪すぎる。


「魔石は儲かるんですよ。それに、ノドンよりうまくやる余地がたっぷりあるんです」


 その言葉に、クルルが目を細めた。


「お前、やっぱりあの守銭奴の秘密を知ってるのか?」


 ノドンのからくりを彼女たちに話すかどうかは、健吾との話し合いでも出た懸念点だった。

 これは今のところ、自分らの持つ唯一の武器だ。イーリアを味方につけるべきだが、軽々しく話してしまっては自分たちの価値がなくなってしまう。


 この雰囲気では、まだ黙っていたほうが良さそうだった。


「信じてもらえないかもしれませんが」


 自分は、クルルを見返した。


「自分と健吾のいた世界は、商いがもっと発展していたんです。だから、この世界の商人たちを出し抜くことはできると思ってます」


 こちらの欺瞞に気がついているのかどうか、イーリアは皮肉っぽく笑っただけ。


「出し抜けたら起こしてちょうだい」


 そしてごろりと寝返りを打って、さようならとばかりに尻尾を振ってみせる。


 クルルはそんな主人を見てどこか痛ましそうな顔をしてから、わかったなら帰れ、とばかりにこちらを見たのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る