第二章
第9話
ある程度の規模の商会なら、少ないとはいえのれん分けのような形で独立した商人たちがいた。
けれど彼らは独立に当たって古巣には絶対服従で、少なくない金を定期的に収めているようなので、独立なんてのは形だけのものだ。
いっぽうの、手に職を持っている職人たちも似たようなもので、こちらは親から子に向けて工房が受け継がれるから、商人よりもっときついかもしれない。新規で工房を立ち上げている親方たちはほとんどが借金まみれか、工房の親方の年増の未亡人と結婚することで、工房を手に入れたりしていた。
そうなると、どうしても野心を抑えられない若者たちは、武器を手に取って戦場を目指すしかない。
起業しない? というこちらの言葉を聞くや否や、健吾はすらすらと淀みなく、日本語でそんな説明をしてみせた。
その様子から、健吾もまたこの世界の無慈悲さから身を守ろうと、一度は思案を巡らせたのだとわかる。なんなら元の世界に帰ろうとして、神話や伝説の類を調べたりもしたらしいことを教えてくれた。
自分が考えつくようなことはすべて、ひととおり実行済みなのだ。
「ここの社会は固くて動きがなく、しかも俺たちには元手がない。どうやって起業するんだ? クレジットカードとパソコンがあれば、アプリを作って売りだせる世の中じゃない」
健吾の指摘はもっともなものだ。
なにより自分は、実際に自らの手で商いをしたことなんてない。
ゲームを作ろうという夢の一環で、商業シミュレーションパートをつくるには経済の歴史とか仕組みとか学んだほうが良かろうと、あれこれ本を読んだ経験がせいぜいだ。
一応社会人だった前職にしても、怒鳴られるのが仕事の生贄みたいなプロジェクトマネージャーで、なんの参考にもならない。
起業という点では、コンサルの健吾はまさにプロ中のプロである。
その健吾が、無理だろうと結論付けている。
しかし、自分には健吾にない有利なことがある。
「ノドンの暴利のからくりを、全部把握しているとしたら?」
「……」
健吾は目を見開く。
「魔石取引に食い込める案があるんだよ」
ぽかんとした健吾は、テーブルにでかい体を乗り出してくる。
「なんだって? いや、けど、魔石の取引はノドンが独占的に取り扱っているだろ? あのバックス商会のコールってやつと手を組んで」
健吾は完全に日本語に切り替えていた。
ノドンはコールにキックバックをすることで、独占的に魔石の契約を手に入れている。そういう持ちつ持たれつの共犯関係は、少し目端の利く人間ならすぐに気が付くが、横槍を入れるのが難しいこともすぐにわかる。
ただ、ノドン商会が大儲けしているのは、魔石取引の独占だけが理由ではない。税まで納めないような仕組みを作り上げているから、顎が外れるほど儲かっているのだ。
自分はそこに、付け入る隙があると思った。
「魔石って、輸出する前に加工するでしょ?」
「ん……ああ」
魔石は掘りだされただけでは魔法の触媒として不完全で、形を整えてから魔法陣を刻み込む必要がある。そうすることで、火とか氷とかの効果を付与し、威力や継続時間などを調整するらしい。
その魔法陣は幾何学的な模様であり、刻み込むのも職人が手作業で、鑿と鏨で執り行う。
その魔法陣は公にされている知識なため、帝国内の工房ならどこでも同じ規格に従っている。
だから魔石には、規格化された加工の後に輸出されるという、工業製品の一面がある。
そして儲かる上に戦略的な商品なので、その加工に携わる魔石加工職人の地位もまた高い。魔石加工職人たちがつくる組合は、おそらく町で一番発言力がある。
けれど、そんな彼らもノドンの貪欲さの闇に捕らわれていることを、町の人間はほとんど知らないのだ。
「魔石の加工職人はノドンに苦しめられている。だから彼らを味方につけられるはずなんだ。魔石を買って、加工ができれば、輸出は難しくない」
「魔石の加工職人……? それとノドンの儲けに関係が?」
商会の内部を知らない健吾は、やはり知らないようだった。
「魔石の加工は結構時間がかかる。だから原料の魔石を購入しても、それが収入になるには何か月もかかる。というかそもそも魔石は高価だから、その原料を自腹で買うことも難しい。相当資金力のある工房じゃないと、借金せずに済ますなんて無理なんだ」
「あー……」
健吾が天井に視線を向ける。
「なるほど。ノドン商会は金貸しもやってるのか」
「そう。しかも魔石は鉱山から掘り出されると、いったん全部ノドンが買い上げてしまう。職人たちはノドンから魔石を買うしかない。だからもうやりたい放題なんだよ」
麦酒を口につけた健吾は、そういう水車みたいに、麦酒の勢いで頭の中を動かしている。
「確かに鉱山から出た魔石は、ノドン商会が買い上げてるな……。特に疑問も持たなかったけど、原料となる魔石を買い占めてから高額で売り付けて、その購入代金だけでなく、生活費やらなんやらを一切合切貸し付けて、がんじがらめにしてるってことか」
健吾はひどく苦そうな顔をしている。
ただ、ノドンの醜悪さはもう一段階深い。
「あいつがすごいのは、そういうことをしていたのは、ずいぶん前の話だってこと」
「なに?」
「商会の帳簿の数字って、もうとにかくずさんでいい加減だから、確認するために商会の記録をひっくり返したことがあるんだよ。今の領主様がここにきた、五年ほど前までかな」
「領主……ああ、イーリアちゃんのことか」
「健吾、一応領主様だろ……」
周囲を見回して、声を潜めた。日本語で会話していても、固有名詞は変わらない。
「はは、大丈夫だって。クルルちゃんの前でそう呼ぶと、確かにクルルちゃんは噛みつきそうな顔で睨んでくるけど」
クルルの噛みつきそうな顔、と言われて、あの古のヤンキーみたいに睨みつけてくるクルルを想像するが、健吾の前だと大人ぶろうとする姪っ子のように見えるから不思議だ。
自分がクルルちゃんと呼んだら、睨みつけられる前に喉を掻き切られる気がする。
「で? あの体脂肪率90%男が、イーリアちゃんの来る前までなんだって?」
「……」
健吾もノドンが嫌いなようだが、悪口に妙な癖がある。
「ええと、まあとにかく、魔石を高額で売り付けていたのは初期の手口ってこと。なにせ、鉱山から魔石を安く買いたたいて、職人たちに魔石を高額で売り付けるなら、わかりやすく大きな儲けが出てしまうから」
「ふん……うん。そうだな」
「すると大きな儲けに応じて、税を納めなきゃならない。だから職人たちを借金漬けにしたノドンは、次の手を打った。魔石を高く売りつけるのをやめ、安く職人たちに売るようにした」
「安く?」
「その代わり、借金の利子率をべらぼうに引き上げた。しかも、職人たちには加工賃を死ぬほど払っていることになってる」
「……」
健吾は不思議そうな顔をした。一瞬、言葉の意味がわからなかったのだろう。
けれど慌てる素振りもなく、言葉を反芻するように酒を啜り、すぐに前のめりになった。
「魔石の売買からは利益が上がっていないっていう数字を作ってるのか」
「そう。あくまで職人たちに貸した金の利子を受け取ってるだけで、魔石の売買では儲けがほとんど出ていないと言い張ってる。安く魔石を鉱山から買うのは、町でも発言力のある職人たちに安く売らざるを得ないためであって、しかも加工賃までこんなにたくさん払っているのです領主様、と言うわけだよ」
「あの顔で言うと思うと腹立つな」
健吾は言って、それから新たになにかに気が付いたようだ。
「となると……待てよ? 魔石加工職人組合って、町でも結構な税を納めてるよな。山ほど加工賃をもらってるからって。それが……実は儲けとなると、それほどではない?」
「実態は、食うや食わず、いやもっとひどいはず。ただ、職人たちには守るべき名誉があるから、借金で首が回らないなんてことはおくびにも出さない。そして領主様たちには、数字を暴くような知識と権力と人手がない」
イーリアたちだって、おそらく自力でノドンの取引を調べたに違いなかった。けれど鉱山から始まる魔石の取引をひとつひとつ辿っていくと、なぜかノドンは利益をほとんど上げていないという現実に直面する。
クルルがすごい形相でこちらのことを睨みつけ、なにか秘密を知っているのではないかと言っていたのは、彼女たちも誤魔化しがあることは確実に感じているのに、それがなにかわからなかったから。
彼女たちは、円を描いて永遠に上り続けられる階段の絵のような取引を見せられたわけだ。
しかしあの有名な騙し絵も、三次元的な物を二次元に落とし込んでいるから奇妙に見えるだけで、そのことに気がついていれば不思議なことはなにもない。
知識は力だ。
自分は商取引に関することなら、ゲームのために現代から中近世のものまで山ほど調べた。
中世の羊毛取引に似たような話が合ったので、すぐにノドンのからくりに見当がついた。知識とは、世界の解像度を上げる最強の武器である。
自分にチート能力はないが、グーグル検索や巨大な図書館のような、現代文明の強力な知識という力の片鱗を、たっぷりかじってここにやってきている。
前の世界では役に立たなくとも、ここではまだ歴史の知識は現役なのだ。
「とすると……魔石取引で起業するっていうのは?」
「職人たちを借金地獄から救い出せばいい。家内制手工業の前借制度は、一度嵌まると自力ではまず抜け出せなくなる。数字の上では凄い加工賃をもらっているけれど、前借した加工費用の利子を支払えば、実際の収入はそこらの荷揚げ夫と変わらないか、それ以下だよ。だからこっちが適切な加工賃を支払って、前貸しもひどい利子を取らないようにすれば、職人たちはこちらの仕事を請けてくれるはず。しかもノドンは魔石輸出に際して、たっぷり利益を抜いているから、その分だけ魔石の販売では値下げ余地があることになる。まとめると、魔石を鉱山から今より高く買い取って、職人に加工賃をきちんと渡し、さらにノドンのところよりも値下げして輸出できるはずなんだ」
そこには競争力しかない。取引で勝てない理由がなかった。
健吾はひとつずつ言葉を飲み込むようにしてうなずいていたが、こちらを見る目は再びあの、大人の目だった。
「ノドンが静観すると思うか?」
法整備がしっかりしている現代じゃない。
ノドンが自分の商いを邪魔されそうになったら、どんな手で邪魔してくるかなんて、すぐに想像がつく。職場で人が死んでいるのに居眠りできるのだから、暴力の行使にためらいを覚えるとは到底思えなかった。
「もちろん味方は必要だし、ぴったりな人がいる」
「味方? この世界に?」
健吾の問いに、無理に笑いながら、言った。
「イーリアちゃんだよ」
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