第6話
イーリアから面倒くさそうに魔石の取引許可をもらったその翌日、属州の州都であるロランという街から、商船が港に着いた。
「やあ、ノドン、景気はどうだい」
「へえ、おかげさまで」
誰に対しても傲岸不遜なノドンが頭を下げる唯一の人物が、この線の細いすらりとした身なりの良い若者だった。
沖に停泊した商船から小舟に乗って港にやってきたのは、州都ロランで手広くやっている大商会、バックス商会の社員だ。
しかし社員というのは前の世界の意味とはちょっと違っていて、大商会に出資をし、損も儲けも分かち合う、いわば資本家のことである。
ほとんどが貴族かそれに連なる一族であり、イーリアのようなお飾り領主とは違う、権威と金の匂いのする貴族らしい貴族だった。
バックス商会は農産物のような取引もノドン商会と大々的に行っているが、その手の取引ではまず社員など出てこない。
魔石取引は、彼らにとっても大事な取引なのだ。
「今回の魔石は、どの程度になるのかな」
「へえ、五級の品が三箱、四級が一箱といった具合で。詳しくはこちらに」
自分がせっせとまとめた紙束を、ノドンが恭しく献上する。
「ふん? 三級はなしか」
「ええ……鉱山もいよいよ勢いがなくなりまして……。ですからその、そろそろ新しい鉱脈を探すために、探鉱の話をですね、アララトム様とご相談なされてはと」
「んー……む。探鉱か」
バックス商会の社員は、目を閉じて面倒くさそうに唸っている。
ジレーヌの魔石鉱山はそれほど質の良い鉱山ではないらしく、わざわざ投資をして探鉱するのはリスクに見合わないのかもしれない。
「しかし……アララトム家の領主と探鉱をするにしても、探鉱作業の発注はお前の商会が受けるのだろう?」
「へえ、それは、まあ、そうなりますかと。なにせ山を削るための魔法使いと、使用する魔石を手配できるのがうちだけですから。もちろんその際は、コール様にお礼のほうはしっかりと」
「ふん? ふん。よし、考えておこう」
そういうことか、と理解した。
ノドンは魔石を鉱山から買い上げ、加工を経てから、相場より高い値段でバックス商会に売りつけている。
とはいえそれはノドンの手腕ではなく、高い値段で売る代わり、受け取った代金の中から少なくない金額をこのコールという社員にキックバックしているのだ。そうやってコールは私腹を肥やし、ノドンはバックス商会からの買付注文を独占している。
このつながりがあるために、ノドン商会はジレーヌ領で唯一の魔石商人になっていた。
探鉱作業についても、金のないイーリアは許可を出すだけで、実際はバックス商会の金で執り行うようだ。そしてその発注をノドンが引き受けることで、流れ込む金をコールとわけあうことができる。それでさらに魔石の産出量が上がるのなら、言うことなし。
領主のはずのイーリアだけが、鉱山の金の流れから蚊帳の外だ。
「ところで、この書類をまとめた有望な新入りというのは?」
「あ、はい。おい! ヨリノブ!」
コールとノドンのやり取りに自分が臨席しているのは、自分の書いた契約書に、このコールが目を留めたからだった。
商会では誰も彼もが勘と経験で取引し、文字の読み書きと計算ができるという者たちでさえ、泥酔した牛が尻尾で書いたような帳簿や契約書をこしらえていた。
帳簿はなんとなくの覚書以上のものではなく、契約書はただの権威付けだと思っている感じだった。
ただ、このジレーヌ領が所属するアズリア属州の、州都ロランのような都市で手広く商いをするバックス商会ともなると、さすがにその辺りはきちんとしているらしい。
だから常々苦々しく思っていたそうなのだが、急に数字や文言が正確になり、コールは驚いたらしかった。
「ほう、君が」
「えぇっと……はい。ヨリノブと申します」
とりあえず下っ端らしくへこへことしておく。苗字を名乗らないのは、町で土地や建物を所有していない下層民には、家名を名乗る権利がないからだ。
横目にノドンを見やると、ノドンは自慢の家畜を褒められた農夫のような顔をしていた。
「こいつがなかなか使えるやつでしてね。見たこともない数字で計算するんですが、これがまた正確でして」
「確か、『鉱山帰り』だったな」
細めた目には、クルルに似た油断ならなさがある。多分自分より年下なのだろうが、とにかくこの世界は世知辛いせいか、誰も彼もがたくましく、迫力がある。
「ええ、まあ、はい……」
「ただ魔法使いではなかったようで。アララトムのお犬様の、がっかりした表情と言ったら」
ノドンは底意地悪そうにそんなことを言ってぐふふと笑うと、コールはまんざらでもなさそうに苦笑を見せた。
「あのお嬢様も苦労しているのだ。あまり悪く言っては気の毒だ」
「心得てます。あのお飾りが座っている限り、我らは安泰でございますから」
「お前も悪い奴だ」
「ぐっふっふっ」
完全に悪代官と越後屋だが、権力による監視がないと、どこもこんな感じなのだろう。
「ヨリノブと言ったか」
コールはふとこちらを見て、肩を叩いてくる。
「まあ、ノドンのために頑張ってくれたまえ。彼は私の商いの重要な一角を占めている。君たちが使えるようなら、これからもっともっと、私たちの商いは大きくなるのだから」
悪事の片棒を担げというよりも、識字率が低く、まともに数字の計算ができる者も少ないので、貴重な戦力ということなのだろう。
コールは懐に手を入れると、こちらの手に数枚の銀貨を握らせてきた。
「これからの激励の意味だ。うまいものでも食べたまえ」
帝国の現皇帝の横顔が刻まれた銀貨は、手のひらに簡単に握りこめる程度の大きさだ。この世界も前の世界と同様に、あっちこっちの権力主体が好き勝手に貨幣を発行しているそうなのだが、この帝国貨幣は中でも最強の貨幣だった。
魔石の最終的な買い手はほとんど帝国の公的機関だから、支払いがこの最強の貨幣でなされるというのも、ジレーヌ領が経済的ににぎわっている一因でもある。よその土地の商人が、帝国貨幣を求めて色々物を売りに来るからだ。
なお、銀貨は同じ帝国銅貨のおよそ二十倍の価値がある。たまたまその比率なのではなく、約数が比較的多い数字で公定相場が定められているようだ。
前の世界でも時計が六十進数だったり、古い貨幣には二十進数や十二進数が多い。こういうのは共通することなのだ。
手の中に五枚の帝国銀貨があるので、帝国銅貨百枚分。五日分の給料になる。
「ノドン、彼をあまりいじめるなよ」
「そんなまさか」
ノドンは追従の笑みを浮かべて、いけしゃあしゃあと言っていた。
案の定、コールの船旅をねぎらうために商会の二階にある貴賓室に案内する傍ら、すれ違いざまにこちらの頭を叩いてきたし、手のひらを無理やり開くと銀貨を三枚とって、もう一回頭を叩いてきた。
「調子に乗るなよ」
なんとなくそうなるだろうとわかっていたし、二枚は残してくれるんだと意外でもあった。
「いや、飼いならされすぎか?」
元々社畜の性分なのかもしれない。
ため息をついて、銀貨を服の内側にしまったのだった。
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