第5話

 領主の館に到着すると、中庭で魔法を使えるか試された時の苦い記憶がよみがえる。


 役立たず、と見限られる視線は、前職でも散々経験したが、慣れるものではない。


 とぼとぼ歩いて館に入ろうとすると、入り口前でたむろしている男たちから、遠慮のない視線を向けられた。


 彼らはどうやら詐欺師のようで、領主の館に陳情にきた世間知らずたちを捕まえては、領主に会うには我々の案内が必要だと言って、手間賃をだまし取るらしい。


 それにしても領主の館の前に詐欺師が堂々とたむろしているのはどうなのかと思うのだが、それはそのまま、現領主のこの町での地位の低さを表していた。


 自分は健吾から聞いて彼らの手口を知っているし、彼らもまた、こちらがノドン商会に勤めていることを知っているので、手出しはしてこない。

 ノドンと揉めることになるからだ。


 もちろんノドンが部下思いなわけではなく、単に誰かと揉めるのが大好きな野蛮人だから、詐欺師たちは関わり合いを持ちたくないというだけのこと。

 この世界は一事が万事、この調子。


 地方の荒れた中学校みたいだし、その点ノドンは番長の地位にいて、領主より偉ぶっている。


 詐欺師たちの胡乱な目つきに気が付かない振りをして、彼らの間を通り抜ける。


 領主の屋敷には衛兵がいるわけでもないが、扉が閉じられていることもない。

 今日もひとけがなく、静まり返っている薄暗い広間を通り、奥の中庭を目指す。


 中庭には、ふたりの人物がいた。


 あの恐ろしい目つきのクルルと、いつもけだるげな若き領主、イーリアだ。


「領主様、仕事ですよ」


 クルルはイーリアの副官という立ち位置らしい。


 年齢は十代の半ば。整った顔立ちで、曇った日の雪山みたいな白に近い銀髪と、緑色の瞳という、それこそ異世界の妖精のような雰囲気を湛えている。

 すらりとした華奢な体つきは猫を思わせるし、耳と尻尾もそんな感じだ。


 背丈はこちらより頭一つ分低く、華奢な少女なのだが、その目つきの鋭さゆえ、すごい迫力がある。

 というか犬歯もやたら鋭く、クルルなんていう可愛らしい名前は詐欺に近かった。


 そしてそんなクルルが、わざとらしく領主様と呼んだイーリアは、中庭に植えられた果樹に吊るしたハンモックから、面倒くさそうに手を振ってみせた。


「魔石取引の承認でしょう? クルルがやっておいて……」


 眠そうな、覇気のない声だ。


 クルルはため息をついて、こちらに歩み寄るとひったくるように紙束を受け取り、踵を返して主人のハンモック横に立ち、紙束を主人の顔に振り下ろす。


「ぶはっ⁉ な、なに⁉」

「数少ない仕事でしょう。アララトム家の名が泣きますよ」


 この二人は主人と従者という関係のはずなのに、どちらかというと厳しい家庭教師とできの悪い生徒に見える。唸り声を上げ、イーリア・アララトム様はハンモックから体を起こす。


「家名が泣くって言ったって、どうせ泣いてくれる人もいないじゃない」


 イーリアがけだるげなのは、世を拗ねているからだ。


「ペン」


 イーリアがぶっきらぼうに言うと、クルルは再びため息をついてから、近くに置いてあった小さなテーブルから、羽ペンとインク壺を主人の元に運んでいく。


 インク壺は牛の革から作ったもので、革というのが加工法によっては恐ろしく固くなるものなのだと、商会で革製品を取り扱って初めて知った。RPGで革の鎧なんて出てくるが、なるほど防具になるのだと変に感動したものだ。


「相変わらず、ノドン商会は大儲けなのかしら」


 署名を施す間の独り言のようにも聞こえたが、言い終えてから、イーリアはこちらを見た。

 焦げ茶色の髪に似合う、茶色の瞳。


 嫌味や当てこすりを聞くのもサラリーマンの仕事のうちなのは、元の世界でもここでも同じらしい。


「その……おそらく、は」


 肯定はしつつ、雇い主の内情をぼかすくらいの忠節は示す。


 色々あって、自分は新入りにもかかわらず、ノドン商会の帳簿や契約書作成全般を任されていたので、内情には詳しかった。


 というか大学受験を突破できるくらいの計算能力と文章作成術というのは、公的な教育制度がほぼ皆無のこの世界では、事実上のチート能力だった。


 ノドンをはじめ、商会の者たちはほぼ全員が勘と経験で取引をしているので、どのくらいの金貨がノドンの懐に流れ込むのかは、おそらくノドン以上に自分のほうが知っているだろう。


「ふん。なのに収める税は雀の涙。不思議な話よね。この魔石の数も、本当にあっているのかどうか……」


 その愚痴は自分に向けたものではなかったが、ノドンの儲けから給金をもらっている身としては、批判の末席に連座していることになる。


 イーリアは署名を終えると紙束をクルルに押し付け、またハンモックに逆戻りだ。背中をこちらに向けているので、ふさふさの犬系の尻尾が垂れているのがよく見えた。


 イーリアは領主の地位にいるとはいえ、やや複雑な身分らしく、この辺境の土地に押し込められている、というのが正確なところらしい。


 その理由は、まさにその可愛らしい耳と尻尾にあると健吾から聞いた。


 この世界で、獣人は人より身分が低い。

 未だ見たことはないが、超強力な武力となる魔法を使えるのが人間だけらしく、獣人たちは劣等種という認識らしい。


 しかもこの世界の神話というか、教会に残る伝説では、かつて世界は獣人のものであり、その腕力で人間を従えていたらしい。なんなら人間を餌にしていたようだ。


 それがある日、神が人間に魔法を授けたことで、立場が逆転した。


 だから魔法を使える人間側が、使えない獣人たちを従えるのは、神が人間に託した義務だとされている。


 そんな世界観の中、イーリアは帝国の中心部にいる大貴族が、獣人に手を出した結果の私生児だという。

 おそらく実家の世間体や、獣人と人間を巡る身分的な緊張感から、辺境の地であるこのジレーヌ領に厄介払いされたのだろう。


 だからイーリアに権力などなにもなく、島の人たちは誰も敬意を払わず、お飾り領主もいいところ。

 島の実質的な権力者は、ノドンを筆頭とする商人たち。本来領主のものであるはずの魔石鉱山の稼ぎさえ、ほぼすべてを奪われている。


 そのイーリアが一発逆転を狙おうとしたら、この世界では特権階級である魔法使いを召し抱えるしかなかった。


 それゆえに、あの中庭での試験と、魔法が使えないとわかった時の、見限るような冷たい目につながるわけだ。


 しかもノドン商会に勤めた今では、自分は魔法の使えない役立たずの転生人から、領主に税を納めない悪徳商会の手先に格下げされた。

 皮肉や嫌味を言われるくらいなら、ましなほうなのかもしれない。


 そして主人を取り巻く状況がそんな具合なので、お世辞にもこの屋敷の雰囲気は良くない。

 クルルがせっせと掃除をしているせいか綺麗は奇麗なのだが、とにかく物がない。人もいない。がらんとして寒々しく、領主の屋敷という威厳みたいなものはちっともなかった。


 早く証書を受け取って商会に帰りたいと思うのだが、クルルはイーリアの署名が施された書類に砂をまぶしている。その行為に最初は驚いたものの、インクの質が現代と比べるべくもなく、早く乾くようにそうしているのだ。


 そして文字が乾くのを待つ間に、クルルはこちらに詰め寄ってきた。


 たじろぐこちらの前に立つクルルは、その鋭い目で遠慮なくこちらを睨みつけてくる。


 名前は可愛らしいし、顔立ちも美人なのだが、目が怖い。

 近くで見ると、ネコ科特有の縦に細い瞳孔をしているからだ。


「お前、本当はノドンのところの暴利のからくりを知っているんじゃないのか?」


 まばたきもせずにじっと見つめられると、美人顔なこともあって相当な威圧感だ。

 魔法を使えないとわかった時のごみを見るような目は、高校生の時のいけてる女子グループのきつい性格の子を思い出させた。


 それに、魔石で大儲けしているノドンが、本来収めるべき税金を逃れているというのは、おおむね事実だった。


 大酒飲みで女癖が悪いが、ノドンは悪知恵が働いて、うまく立ち回っている。


 屋敷の前でたむろするちんけな詐欺師でさえ追い払いきれないような領主では、ノドンの悪事を取り締まるのは荷が重いだろうし、どんなからくりで数字を誤魔化しているのかを暴くことすら難しいだろう。


 そして自分がノドンのからくりを知っているかどうかで言えば、知っている。

 帳簿を任され、取引の検算役をやっていれば、数字の流れは嫌でも見えてくる。


 けれどからくりをこの二人に説明したところで、きっと問題は解決しない。


 むしろ自分が密告の廉でくびになり、路頭に迷うのが関の山。


 なので、昔の不良みたいにメンチを切ってくるクルルに対し、自分はこう答えるしかない。


「……自分は、ただの雇われの身ですから……」

「……」


 年下の女の子に情けない、とは思わない。冷たい目で至近距離から睨みつけられ、たまらずに目を逸らすのは、年齢とか性別とかを越えた、生物としての格の違いのせいだ。


 クルルはなおもこちらを凝視していたが、やがて諦めたのか、あるいはこんな小物風情が知る由もないと思ったのかは定かではないが、鼻を鳴らしてから、視線を外してくれた。


「インクが乾くまでにまだ少し時間がある。アララトム家はどんな無粋な客に対しても礼節をもって遇するのが家訓だ。飯を食っていけ」


 来客を飯でもてなすのは、いかにも古臭い風習だし、名誉を重んじるあたりも前時代的。

 クルルはいやいやながらのもてなしだということを隠しもしないが、案外にクルルの手料理はおいしく、それから支出も節約できる。


「……いただきます」


 たとえ異世界に転生したとしても、自分は小市民。


 大活躍して異世界無双……というのは、夜に倉庫で眠る時の妄想に過ぎなかった。



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