第3話

「おい! ヨリノブ!」

「はい、なんでしょうか!」


 中学の部活の時にだって、こんなにはきはきと返事はしなかった。

 怒鳴られすぎて、すっかりこの返事が条件反射になっている。


 健吾の素晴らしい家庭教師のおかげで文字と言葉を覚えた自分は、すんなり島最大の商会に勤め先を得ることができた。


 ノドン商会というそこは、島で最も立派な店構えをしていて、毎日にこにこ現金払いという報酬が魅力だったので、そこに就職した。

 というか、よその商会はどこもこのノドン商会の下請けという感じだったので、選択の余地はなかったと言っていい。


 前の会社にて、元請けと下請けの差を、嫌というほど痛感してきたからだ。


 しかし、商会主のノドンは実に癖のある人物だった。

 禿頭をてらてらと輝かせ、脂っこい太り過ぎの男。

 すぐ怒鳴るし、手を出すことも多い。


 前の世界の基準で言えば、絶対にこんな雇い主のいるところには就職しなかったろうが、ところ変わればなんとやら。


 というか、町をうろつく獣人たちの無言の威圧感と比べたら、同じ人間というだけでかなり気が楽になる。


 健吾と暮らしているとしょっちゅう獣人と関わるので、すっかりその辺の基準がゆるゆるになり、自分もだいぶ図太くなれた気がする。


「領主に渡す魔石の売買台帳をさっさとまとめておけよ! ぐずぐずしていたら州都ロランから新しい船が来てしまうからな! 給与分はきちんと働け!」

「はい! ノドン様!」


 この粗雑な世界では、上司と部下という繊細な関係などない。主人と召使に似た絶対的な上下関係が当たり前。


 しかも人権という言葉が辞書に記載されるのはまだ随分先であろうこの世界で、がっぽり大儲けしている人物は王と変わらない。


 屋敷の中庭に島中の美女を侍らせ、池には酒を満たし、二階から肉を吊るしての大宴会がお気に入りだそうだ。


 ただ、そんなノドンの下で働くのが辛いかというと、案外そうでもなかった。

 なぜなら、ノドンは粗野で下衆だが、誰に関しても平等に粗野で下衆だったから。


 ノドンの下にいる者たちは、皆でノドンという嵐を耐えようと団結しているような感じで、かえって居心地がいいという皮肉な職場だった。


 異世界にきても結局大事なのは人間関係なんだなと、がっかりするような、どこか納得するような、そんな気持ちになったのだった。


「ヨリノブ! 台帳をまとめたらさっさとあの動物臭い領主に届けて、魔石取引用の証書をもらってこいよ! 絶対に船の寄港に遅れるな! お前には高い金を払ってるんだからな!」

「はいノドン様!」


 もちろん高給なんてもらってはいない。麦酒一杯が帝国の銅貨で二枚、焼いた肉の串焼きが三枚、屋根を借りて雑魚寝をするだけの木賃宿が銅貨十枚といった相場の中、一日当たり銅貨二十枚の支払いだった。


 多分銅貨一枚が100円くらいの感覚だろうが、仕事終わりに一杯やって、木賃宿で雑魚寝をしたらそれで無一文、という程度の給金だ。


 幸いかどうか、寝る場所は商会の荷揚げ場の片隅を借りているので、いくらか小金は貯められる。しかし銀行があるわけではないので、いつも現金を抱える羽目になるから、あまり貯めこみすぎれば危険なことになるだろう。


 その手の不安はあるし、異世界で無双生活とか、剣を手に大冒険というのとは全く程遠かったが、一応生活は安定してはいたのだった。


「ノドン様、納品された魔石のことなんですけど」


 荷揚げ場の奥まった場所、身分の高さを誇示するようにわざわざ床を高く作らせた帳場台にふんぞり返るノドンに、まだインクの乾いていない紙束を持って近寄った。


 強烈な酒の匂いに鼻で息をするのを止めつつ、言う。


「数、あってますか? 前回よりずいぶん少ないですし、半年前の記録からだと、おそらく半分程度だと」

「ヴァ~……」


 無呼吸症候群を思わせるいびきのようなうめき声をだすと、ノドンはこちらをじろりとにらむ。


「間違いであってほしいんだがな。鉱山は調子が悪いんだ。お前の友人からは聞いてないか」


 狭い街なので、どこかで飲んだくれてればその時の話は必ず誰かの耳に入る。鉱山の監督官である健吾としょっちゅう飲んでるのは、当然ノドンも知っている。


 そしてここは鉱山街であり、鉱山の話題は天気よりも人の口に上る。


「確かに、生産が落ちてると言ってました。探鉱のための投資をしないとどうにもならないだろうと」


 健吾は魔石鉱山の監督官なので、魔石が出るかどうかは今後の仕事に直結する。しかも前職がコンサルなだけに、生産性の低さが気になるらしい。


 たまに酒が進むと、ああしたいこうしたいと愚痴ることがあった。


「ヴァ~~……」


 ノドンは再び呻き、しかめっ面になる。魔石取引はノドン商会を支える屋台骨でもある以前に、鉱山が枯れでもしたら、この島のすべての人が路頭に迷う。


「まあいい。探鉱の件はそのうちどうにかする。お前はその紙束を持って、さっさとあの獣臭いお飾り領主から取引許可をもらってこい。魔石の数が少ないだのとのたまったら、なら自分で掘りに行けと言ってやれ!」


 前の世界でのあの嫌な上司から、取引先にガツンと言ってやれとか言われたら、自分で言うわけではないので気楽なものだと、鬱屈した気持ちになったろう。


 けれどノドンは誰の前に立っても基本的に偉そうで、領主のイーリア相手だろうと無礼のし放題だった。


 ろくな人間じゃないと思うのだが、首尾一貫しているところだけは好感が持てる。


「わかりました。ではこの数字で伝えます」

「さっさとまとめろよ! 魔石買い付けの船が来たのに、証書がまだですなんてことになったら、給金は払わないからな!」

「はいノドン様!」


 最初は怒鳴られるたびに身がすくんだが、とにかくでかい声で返事をしておけばノドンは満足するとわかってからは、カラオケの合いの手みたいなものだと受け入れられた。


 自分の席に戻り、最後に検算をして間違いがないかだけ確認して、席を立つ。


「ノドン様、取引記録を領主に届けて参ります」

「おう。寄り道するなよ! すぐわかるからな! お前に金を払ってるのは、仕事をさせるためだからな!」

「はいノドン様!」


 やっぱりパワハラに精神を病むというより、なんだか笑えてきてしまう。


 恭しく頭を下げ、商会を後にした。

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