第2話
高橋頼信は異世界転生した。
自伝を書くとしたら、書き出しはこんな感じだろう。
ただ、神様もいないし、チート能力もない。
というか言葉だって通じない。
それでもどうにかなったのは、先住者の片岡健吾という人物がいたからだった。
聞けば一流大学卒、外資コンサルに勤めていて、趣味がボディビルという人物だ。ガッツとコミュ力と頭脳でこの世界の人と仲良くなり、言葉を覚えて生活の基盤を築いていたという。
前の世界でちゃんと活躍できている人は、どこにいっても活躍できるという好例だろう。
対する自分は、よく考えもせず入社したブラックIT企業でこき使われ、気が付いたら三十路になろうかという体たらくで、ひとりだったら即詰んでいたはずだ。
なにせ言葉が通じる前の世界でさえ、会社ではうまく立ち回れず、パワハラ上司に使い潰され、過労でフラフラで赤信号に気づかず……という感じなのだから。
それにあの瞬間のことを思い出すと、今でもひゅっと息を飲む。
ただ、こちらの世界にきてなんだかやけに体の調子がいいなと思ったら、体はこちらの現地人のものらしい。
この世界の風習として、行旅死亡人、つまり故郷から遠く離れた場所で死に、引き取り手もいない死体は、目立った外傷がない場合に洞窟などに安置するのだそうだ。
理由は、時折別の魂が宿って甦るから。
しかもさらに稀なこととして、特別な能力が宿って、その人物は魔法を使えるようになるという。
「この世界じゃ、魔法使いは一騎当千の戦力で、特権階級だからな。そこで弱小領主のイーリアちゃんは、俺たちが魔法使いなんじゃないかって期待していたわけだ。イーリアちゃんも普段はもっと可愛いんだが、二回も期待が外れて機嫌が悪かったんだな。あまり気にするな」
自分が魔法を使えるかどうか試されたあの時、椅子に座り、感情のない顔でこちらを見ていたふわふわ巻き毛の少女の名前が、イーリアだ。
隣に立っていた従者の少女は、クルルというらしい。
目つきの悪さから、クルルという可愛らしい名前より、グルルとかガルルのほうが相応しいなんて思った。
「それで魔法が使えないとわかったら放り出すって……ひどい気がする」
なんとなく、呼び出した者としての責任、みたいなものはないのだろうかと思う。
「人権なんて言葉、この世界にはないからなあ」
煙がもうもうと立ち込める酒場で、健吾が笑いながら言う。
笑い事ではないのだが、文明的には中世の終わりか近世頃だと思うので、現代的な福祉国家は期待できそうもない。
行き倒れの死体を放置して、使える魂が宿ったらいいな、なんていう暗黒ガチャを平気でやるような倫理観なのだ。
「まあ、言葉と文字を覚えたら、生きていくのはそんなに難しくない。俺が教えてやれるし、それまでうちにいたらいいし」
ここは政治の中心から離れた辺境地域にある島で、ドーフロア帝国アズリア属州ジレーヌ領という名称らしい。
初めて聞いた時はいかにもアニメっぽくて気恥ずかしかったが、とにかくそういうことなのだそうだ。
それにそのジレーヌ領は田舎にもかかわらず、魔法の媒体となる魔石を産出する鉱山を抱えているおかげで、経済的には恵まれているという。
魔石とは、自分が屋敷の中庭で渡された、あの紫色の石のこと。
魔石はものすごく高価だから島は潤い、人々の識字率が低いので文字が書けて計算ができれば、商会なんかでは引く手あまた。
なお、目の前の健吾はその魔石鉱山で働いている。
採掘の監督官を務めていて、なんなら死体置き場でよみがえったもののパニックに陥っている自分をなだめ、落ち着かせ、あれこれ世話を焼いてくれたのもこの健吾だった。
「この世界はこの世界で楽しいよ。見ろ、あの筋肉を」
そう言って酒場の隅を示す健吾自身が、ムキムキのマッチョだった。
おまけに顔の下半分を髭が覆っているので、教科書に描かれている縄文人かなにかに見える。
その健吾が指さすのは、健吾など比べ物にならないくらいの異質な筋肉をした連中だ。
同じ人間には思えない、なんていう表現では生ぬるく、実際に彼らは人間ではない。
領主イーリアや、その従者クルルには、獣耳と尻尾が生えていた。
だからこの異世界に彼らのような者がいても、確かにおかしくはない。
「獣人たちの筋肉はいつ見ても素晴らしい。高い目標があれば、トレーニングもやりがいがあるというものだ」
健吾の視線に気が付いた獣人たちが、凶悪な猛獣みたいな顔をこちらに向けてくる。
明らかに捕食者の側であり、口には鋭い牙が見え隠れしている。
ぶしつけに視線を向けたら喧嘩になるのでは、と慄いていたのだが、獣人たちは気安い感じで杯を掲げて見せる。
この健吾と獣人たちは、やたら仲が良かった。
彼らは身長二メートルを優に超え、イーリアやクルルたちと違って、完全な獣形態だ。
全身を体毛に覆われた、二足歩行の猛獣たち。
腕力も当然人間の比ではなく、鉱山で石を掘るのが彼らの仕事らしい。
その筋肉もそうだが、牙も爪も人間など容易にひき肉に変えられそうな大きさで、自分は正直怖くて仕方がない。
ただ、彼らが健吾に見せる気安さから、健吾は鉱山の監督官として慕われているのだろうなと、強く感じた。
「元の世界への帰り方もわからんしな。ならいっそこの世界を楽しむのがいいと思う」
その前向きさが眩しくなる。
前の世界に戻れることに賭け、崖から身を投げたり首を括る度胸もない自分は、大きなため息をついてから、やけに酸っぱくて濃いビールを口にしたのだった。
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