第24話 決着の刻

 聖は話し終えると、そっと地面に座った。視線は地面のただ一点を見つめ、誰とも目を合わせようとしない。全員と同じ輪の中には座っているが、まるでその中に居ないような、心ここにあらずといった雰囲気だった。

 周りに座っている面々も、あまりの衝撃的な内容に、誰も口を開けなかった。名前が登場した神倉でさえ、微動だにしなかった。

「……何を言っているんだ?」

 ようやく口を開いたのは、只野だった。只野は目を潤ませて、唇を震わせて、すがりつくような声で聖に問いかけた。どうやら聖の独白は、只野が望んだ真実ではなかったようだ。

「……そうやって、嘘をつけと言われたんだよな。神倉に。あいつが犯人なんだよな……お前は脅されて、それで……」

「ああ、そうだ只野。俺が犯人だ。聖は何も悪くない、俺を逮捕しろ」

 じりじりと力なく聖に歩み寄る只野に、神倉が声をかけた。その眼差しは力強く、声にも力が籠っていた。

「そうだ。お前が犯人だ。ロリコンのお前は、清家聖のことを好きになって求愛。本人から拒絶されたため、母親である清家清美さんを殺害し、脅して強引に関係を迫った。そうだ、そうに違いないんだ」

 只野は、波にさらわれる浮草のように当てもなくふらふらと歩いては、うわ言のように何かを呟いていた。両方の手からは力が抜け、頼りなくぶら下がっているだけで、目の焦点も全く合っていなかった。

 そんな状態の只野を見て、神倉は両手を差し出した。手錠をかけるように要求しているようだ。

「そうだ、お前を逮捕すればいい。あの人の敵を討てる。これでいい、これでいいんだ」

 虚ろな目の只野が神倉の手に手錠をかけようとした時、葵はわざとらしく、大きな笑い声をあげた。

「なにがおかしい!」

 只野の目は急激に眼光が鋭くなり、葵を睨みつけた。だが葵は、一切怯んだ様子を見せずに、只野の目を真っ直ぐ見つめて答えた。

「似た者どうしだな、と思って」

「似た者同士だと?」

 只野の声が、どんどん邪気を帯びていく。

「こんなロリコン犯罪者と一緒にするな! 俺はこの島唯一の駐在として、被害者の無念を晴らそうとしているんだ! お前みたいな小娘には、難しくて何を言っているか分からないだろうがな、俺は被害者に寄り添って――」

「やっぱり、この島には嘘つきがいっぱい。みーんな、似た者同士だ」

 葵の発言が予想していたものとは違ったので、只野はその勢いを殺した。それとは反対に、葵はその勢いを増した。

「被害者に寄り添って? 今の聖さんの話聞いてなかったの? 聖さんは虐待を受けた被害者で、それをあなたは見捨てたの。どこが被害者に寄り添ってるの? 挙句の果てに、自白した犯人そっちのけで誤認逮捕までしようとしてるじゃん」

「こいつだって、今自白した――」

「明らかに嘘だって、分かるよね。あんたの言う通り、脅して聖さんにさっきの自白させたんだとしたら、なんで自分から名乗り出るの? 意味が分からない」

 葵は徐々に語気を荒めていく。それは、この事件が起きてから葵が初めて見せる、怒りの感情を現していた。

「ここにいる生存者は、全員嘘つき。只野さんは正義面して島民を消して、神倉さんは勇気ある独白を踏みにじって犯人を名乗りでる。日向さんも、事情は違うけどコンクリート工場での一件を発見していたのに黙ってた。一さんは自分の犯行を隠したうえに、計画的な犯行ではなかったなんて嘘をついた。島長は、この六十六年間ずっと、島民に嘘をつき続けた」

 葵はそこで一度言葉を止め、しばらく深呼吸してから、再び話始めた。

「それに、聖さんも嘘つき。私がこの島で起こった事件の真実を明らかにすれば、本当のことを話すって約束してくれたのに……まだ嘘をついている」

 その言葉を聞いて、意気消沈となっていた只野が、急に息を吹き返したように目を輝かせて言った。

「やはり聖は、嘘をついているんだな。清家清美さんを殺害したのはやはり神倉で、動機は――」

「それは違います」

 葵が冷たく、しかし力強く言い放ったその言葉で、只野はとうとう地面に崩れ落ちた。それを見届けた葵は、聖の方に目をやった。

 聖は、話し終わった頃とは違って顔を上げ、葵の方を見つめていた。その目には、恐れの感情が伴っているように、葵には見えた。これ以上、この問題に触れてほしくないようだった。

「……聖さん。その左手の包帯は、もう必要ありませんよ。只野さんが鬼であることは、皆さん分かったでしょうから」

「そ、そうだね」

 聖は少し怯えた様子を見せながらも、手際よく包帯をほどいていく。包帯をほどいた聖は、左手を何度か開いたり閉じたりさせて、動きを確認した。久しぶりに動かすためか、それとも怯えているためか、その動作はどこかぎこちなかった。

「それにしても、包帯を巻くのが上手ですね。自分で、片手で、包帯をあんなにきれいに巻くなんて、そうそうできることではないと思います。まるで、何度も何度も練習したみたいですね」

「あ、ありがとう。葵、もうこの話は終わりにして――」

「神倉先生。聖さんがあんなに包帯を上手に巻ける理由を、ご存じなんじゃないですか」

「え、ああ。それは聖さんが看護師を目指していて、練習してるからじゃないかな」

 葵が一切視線を向けずに問いかけたため、神倉は戸惑いながらも答えた。聖は、手をもじもじとさせながら、どうやったらこの場を乗り切れるかを考えているようだった。

 葵は、変わらず聖にのみ視線を注いで話し続ける。

「それを、聖さんのお母さん……清家清美さんに話したことは?」

「あ、あるよ。夢に向かって頑張っているって分かったら、虐待を止める一助になるんじゃないかと思って」

「なるほど」

 葵は、あごに手をやって考える素振りを見せた。すかさず聖が、別の話題に転換しようと話をしようとしたが、再び葵が話し始めてそれを止めた。

「ここからは、ただの私の妄想です。証拠は何一つありませんし、立証することも出来ないでしょう。でも、聖さんは約束を守ってくれるって信じていますから。私が言ったことが真実だったら、ちゃんと認めてくれるって。そう、信じていますから」

「もうやめて、葵! このままでいいの。私が悪いの」

 聖は涙声になりながらそう言って、葵の足元にしがみついた。その力はとても強かったが、葵を止めることはできなかった。

「聖さん、あなたはまだ本当の動機を隠していますよね。そしてその動機には、清家家が受け継ぐというその不思議な力が関係あるのではないですか。あれだけ具体的に事細かく話したのに、受け継がれる能力に関してだけは何も言わなかった。それが気になるんです」

 葵は視線を落とし、聖に目をやる。聖は変わらず、葵の足元にしがみついて離れない。

「聖さん。あなたと最初に話した時、私にも何か見えてしまうときがある、そんなことを言いましたよね。ひょっとして……清家家が受け継ぐ能力は、私と正反対で、加害者が見える能力なんじゃないですか?」

 聖は、一切体制を変えない。だが時折、鼻を啜る音が聞こえた。葵はその姿を見ながら、尚も続けた。

「つまり聖さん、あなたの本当の動機は、自分が加害者になるという何かしらの前兆を見たからではないですか」

「……そうよ。私たちは代々、誰かに危害を加えようと考えている人の顔が、血で染まって見える能力を継承している。私の能力は中途半端だから、見えたり見えなかったりだけど、ある日自分の顔がそう見えた。だから、私はお母さんを――」

「どうしても、自分が殺したことにしたいみたいですね」

 か細い声で答えた聖に、葵は冷たく言い放った。その場にいる誰もが様々な疑問を頭に浮かばせているが、誰も口を挟める雰囲気ではなかった。ただ重く、暗く、怖い空気が、その場を満たしていた。

「……仮に今聖さんが言った話が本当だとしたら、一つ矛盾があります。加害者の可視化が代々受け継がれる能力なら、お母さんもその能力を持っていることになります。つまり、聖さんが加害者になる可能性があることを、清美さんは知っていた。清美さんが本気で聖さんが憎くて虐待し、虐げていたのなら、そのターゲットが自分である可能性を考えて、聖さんの命が奪われていたかもしれません。

 でも、結果は逆だった。この世界に残ったのは聖さんで、向こうの世界に行ったのは清美さんだった。なぜこんなことになったのか。答えは一つだと思います。清美さんは、本気で聖さんが憎くて虐待していたわけではなく、溺愛していた。だから、聖さんの命が奪われることは無かった」

 そこまで話したところで、葵の足を掴む聖の手に、より一層の力が入った。だが、葵は一切意に介さず、話を続けた。

「きっと清美さんが只野さんに話した、本当はこんなことしたくない、というのは本音だったんじゃないかと思います。一族を皆殺しにしてまで、守ろうとした娘です。溺愛していないわけがない。だが一方で、虐待の事実もある。溺愛しながら、虐待する。実際にそれに近い事例は本で見たことがありますが、今回の場合は清美さんの言葉、“きっともう少しの辛抱だから……きっと、終わりがくるから”という部分も含めて考えてみると、違う可能性が見えてきます。

 ……清美さん自身が、自分の顔が血塗られて見えていた可能性です。自分が誰かに加害感情があることを知った時、清美さんは恐怖を感じたことでしょう。何故なら、自分が日々親しく接しているのは愛する娘、ただ一人だからです。自分が、娘に対して危害を加えたいと思っている。だから清美さんは、聖さんに最弱レベルの加害行動をとったんです。それで自分の顔が元に戻れば、最愛の娘の安全が守られるはずだと。

 しかし、どれだけ加害行動を強めても、自分の顔から血が消えることは無かった。それどころか、娘の顔が日に日に血に染まっていく。幸い娘の能力ではまだ自分の顔がどうなっているかは分からないようなので、一先ずは安心だが、いつそれに気づくか分からない。一刻も早く自分の顔から血を消して、娘の安全を確保し、ケアに当たる。それだけが、二人が助かる希望だった。

 おそらく、このことは初めて訪問された只野さんにも相談したんじゃないかと思います。もちろん、すべてを話したわけではないでしょうけど。しかし、理解や有用なアドバイスを得られるわけが無かった。それどころか、本気で相談しあっているうちに、無意識で二人は互いに好意を持った。心理カウンセリングなどの場面では、転移と呼ばれる現象があるそうです。心の奥底に眠った感情について話す間に、その感情が相談相手との間で共有される現象だそうです。

 つまり、清美さんは聖さんへの愛情を語るうちに、その愛情を只野さんにも向けるようになってしまった。只野さんもその感情を共有し、受け入れた。だから二人にとって、その相談時間はとてつもないほどの居心地の良さをもたらすものになってしまった。

 聖さんとの問題が解決すると、この心地良い時間が壊される。そう感じた只野さんは無意識のうちに、聖さんを悩みの種になる、困った子供でいさせようとしてしまった。それが聖さんに追い打ちをかけた、あの言葉に繋がったのでしょう。だが、それは清美さんが望んでいるものではなかった」

 葵は、ここまで話したところで一息置いて、深呼吸した。聖は変わらず足元にしがみついていて、突然心の中を看破された只野は間抜けに口を開けて固まっていた。他の面々は、固唾を吞んで見守っている。葵は、更に話を続けた。

「そうして追い詰められた清美さんに、二つの転換ポイントがやってきました。一つは神倉先生から聖さんの将来の夢を聞いたこと、もう一つは聖さんが自分の顔が血で染まっていることに気付いたことです。

 清美さんは慌てたと思います。自分が誰かに加害感情を持っていると知った時の恐怖心は、長年苦しめられた自分だからこそ、よく分かっている。ましてや加害感情があると分かった状態で、常に死と隣り合わせで、人の命を預かる医療業界を目指すことが、どれだけ辛いか。自分がいつか患者を殺すかもしれないと思いながら働き続けることは、不可能だと思えたことでしょう。

 かといって、これまで虐げられてきた娘がようやく見つけた夢を、血筋が原因で潰していいのか。清美さんは相当悩まれたでしょう。そしてある日、すべてを解決させると思える、素晴らしいアイデアを思いついて、実行に移したんです。

 ……聖さんの目の前で、自分が自殺することです。こうすれば自分の加害感情に心配する必要もなくなるし、娘に、ターゲットがいなくなったからあなたの顔は普通に戻ったと言えば、患者に危害を加えることを心配することなく、医療業界に従事できる。娘の夢を、叶えることができる。つまり、これは――」

 そこまで言ったところで、聖が奇声を上げた。あまりに突然だったこととその声量に、その場にいた全員が耳を塞いだ。その隙に聖は立ち上がり、聖水の方へ走った。

「これを飲めば、すべては闇に葬られる。これでいい。私は、悪人。罰を受けなきゃいけない人間。ここで死んで償い、お母さんに会う。会って、謝る。生まれてきてごめんなさい、って謝る」

 そう言って聖は、聖水の中に両手をおわん型にして入れた。どうやら、本気で飲もうとしているようだ。

 両手で聖水がすくわれたその時、葵が叫んだ。

「清美さんは、そんなこと望んでいない!」

「なによ! 会ったこともないあなたには、何も分らないでしょ!」

「分かるよ! せっかく自分の命まで賭けて守ろうとした娘が死のうとしたら、母親が無念に思うことくらい分かるよ。この場に清美さんがいたら、絶対止めるよ! 自分と同じ道なんて、辿ってほしくないって、そう言うよ!」

「そんなこと言わない! お母さんを長年苦しめたのは、私への加害感情。きっと、全部あんたの言う通り、それが自殺の理由。つまり、悪いのは私なの。私が生まれてこなければ――」

「清美さんは、あなたに加害感情を抱いていたんじゃない!」

 葵がそう言うと、聖の手から力が抜けた。両手の隙間から、聖水が流れ落ちて、元あった場所に戻った。すべてを反射するようなきれいなその水面に、波紋が広がる。

「じゃあ、お母さんは誰を恨んでいたのよ。親族は全員病死。神社を訪れる人に接するとしても祈祷する程度。深い関わりにはならない。加害感情を抱くような深いつながりを持っているのは、私以外いない」

「聖さんも、ある日加害感情を抱いた。それがいつからかは分からないけど、今の聖さんと清美さんには、ある共通点がある」

「共通点?」

「……自責の念があること。清美さんは一族を呪殺した負い目から、聖さんは自分が生まれたことによって不幸になる人が大勢いたから、自分を責めるようになった。つまり……加害感情を抱いている相手は……自分自身。きっとまだあなたの顔からは、血が消えていない」

 その言葉を聞いた時、聖の脳裏にあの日のことがフラッシュバックした。

 清美が自分の腹に包丁を突き立てて聖の方を見た時、その目は一瞬惑いを覚えていた。だがそれを包み隠すように、清美は満面の笑みになって、「ほら。あなたの顔は、いつものきれいな顔に戻ったよ。もう、何も心配しないで」と言ったのだ。それが、最後の言葉だった。

 聖の目から、涙が溢れた。その涙は、また聖水の美しい水面に波紋を広げた。その時聖の目には、水面に映る自分の顔が、血に染まっているように映った。

「あなたは他の人から、自分が悪いと思わされただけです。本当は、あなたはなにも悪くありません。逃げる必要も、戦う必要もありません。ただ、自分を許してあげてください」

 葵のその言葉を聞いて、聖の胸の中につかえていた何かが取れた。美しい水面にはもう、赤い色は無かった。

 聖が泣いて膝から崩れ落ちると、神倉が歩み寄ってその肩を抱いた。神倉も、共に涙を流していた。葵は、神倉に向かって言った。

「神倉さん。あなたはずっと、清美さんの件の犯人は、聖さんだと思っていたんですよね。だから、自分が身代わりになって逮捕されることを提案した」

「ああ。そうだ。それが、彼女を救う唯一の方法だと思ったから」

 神倉は顔を上げて、葵の方を見て言った。だが葵は首を横に振って視線を逸らし、天を仰いで言った。

「それは違いますよ。聖さんは、自殺を考えるほど罪の重さを感じていたんです。それを償う機会を奪っても、聖さんは救われませんよ。……本来私が今やった役目は、神倉さんがやるべきことだったんです。もっと、早くに。

 私は、今回の一件で学んだことが二つあります。一つは、本当の強さというのは、自分を変えようとすることだということ。もう一つは、本当の優しさというのは、変わろうとしている人の背をそっと後押しすることだということです。だから、虐待に気付いた時のあなたは、本当に優しかった。今の自分から生まれ変わって、幸せになれると言ったから。聖さんも、それが嬉しかったんでしょう。でも、事件が起こってからのあなたは、聖さんに殺人犯のままでいることを強制しました。それは、本当の優しさではなかったんです。私は、本当の強さや優しさを、“お二人の清家さん”から学ぶことができました」

 神倉と聖は、お互い抱き合った。その前に、只野が歩み寄る。

「変わることが、本当の強さ。それを支えるのが、本当の優しさ。……それを学んだ、か。ふふふ。かんちゃんから聞いていた通り、三神さんは本当に優等生みたいだ。それなら、僕からも一つ、三神さんや聖さんに教えたいことがあります。こんな大事件起こしておいて、自分が都合のいいように何でも捻じ曲げておいて、何を言っているのかと思うかもしれませんが、聞いてください」

 そう言って、只野は聖水を手で汲み上げた。その場にいた全員が、只野の動きに注目していた。時刻は午後六時五十五分、日没はすぐそこまで迫っていた。

「本当の大人っていうのは、現実をありのまま受け入れられる人。そして、どれだけ失敗したとしても、自分の行動に責任を取れる人だ。今から僕は、本当の大人になる」

 只野は、汲み上げた聖水を一気に飲み干した。

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