第22話 鬼は誰

「なるほど。痴情がもつれての殺人。それを隠蔽するために、鬼の力を使った。つまり、鬼頭が鬼だから、その聖水を飲ませればすべて解決するわけだな」

 空気を読まない神倉が、自信満々にそう発言する。鬼頭以外の全員が再度葵に注目を戻し、反応を窺った。しかし葵は、首を横に振った。

「残念ながら、鬼は別にいます」

「そんな、一体だれが!?」

 神倉がそう叫ぶと、葵は一冊の本を取り出した。島長から預かった、“結界島鬼伝承譚七”だった。

「その答えは、鬼伝説を紐解くことで見えてきました。公民館で一さんがこれを読み上げた時、言い伝えを何個読み上げたか、覚えている方はいらっしゃいますか?」

 誰も答えることができなかった。それを見て葵は、自分が書いたメモを広げて全員の中心に置いた。

「……六つか」

「そう、読み上げられたのは六つでした。しかしこの本には、我々の知らない七つ目の文言が書かれていたのです。はっきり言って、一さんが行った妨害工作の中で、一番この事件の解決を遅らせたのは、この七つ目を隠したことです。これがあの時点で読み上げられていたら、もう少し早く、確証を持って鬼に辿り着けたと思います」

 葵は、鬼頭の方を見ながら言った。鬼頭は相変わらず、地面に伏せたまま動かないため、全く反応が無かった。

「それでは、ここで一つ実験をしてみたいと思います」

 葵はそう言うと、神倉に合図を送った。神倉は待ってましと言わんばかりに張り切って、公民館から持ってきた紙とペンを全員に配った。実は、コンクリート工場から役所に移動する前に、葵にこの役目を頼まれていたのだ。

「準備完了だよ、三神さん。何の準備か、分かんないけど」

「ありがとうございます、神倉さん。では皆さん、今からその配られたペンで、“私は鬼ではありません”と紙に書いていただけますか。もちろん、漢字が分からなければひらがなで書いていただいても構いません」

「こんなことして、なにになるんだ」

「これで、鬼が誰なのか分かりますよ。あ、一さんは無理しなくていいです」

 日向が不満を吐露するも、葵に強引に押し切られた。鬼頭以外のそれぞれが、思い思いの字で模造紙に“私は鬼ではありません”と書いていく。

「さて、皆さんかけましたね。それでは、書いた字を他の人に見えるように掲げてください。ほら、遠慮なさらず」

「お前、なんでそんなにテンション高いの?」

「こういうことに付き合ってもらうためには、盛り上げないといけないかと思いまして」

 妙にテンションの高い葵に対して、日向が苦言を呈したが、また強引に押し切られた。

 渋々全員が、自分の書いた模造紙を掲げる。その模造紙を見渡してみると、その中に一つ、明らかに違和感のある模造紙があった。他の全員は漢字で書いてあるのに、一人だけ全文ひらがなで書いてあるのだ。それだけではない。字形も大きく崩れていて、まるで利き手とは逆の手で書いた文字のようだった。

「おいおい、あんたふざけんのもいい加減にしてくれよ。なんだい、その汚い字は。ひらがなを習いたての小学生でも、もう少しきれいに書くよ」

 日向が、これ見よがしに嫌味を言っている。

「というか、あんた。しっかり両手で紙を持ってくれよ。見えづらいったらありゃしない。あんたはこの片手骨折娘と違って、両手使えるだろ」

 日向が聖の方を手で示しながら、更にその人物に向かって言う。しかし、その人物は何も言い返さなかった。その上、両手で模造紙を持ち直すこともしなかった。ただ黙って、地面を見つけ続けるだけだった。

 そんな様子を見て、さすがの日向も口を閉ざした。静かになったところで、葵が切り出した。

「鬼伝説の七つ目には、鬼の力を使った場合の代償が書かれています。その代償は……」

 葵は、未だ押し黙ったまま片手で紙を持っている、その人物に目をやる。なかなか話の続きを話せない葵を見て、島長が、座っていた黒曜石を思わせるような暗くて固い岩から立ち上がり、ゆっくりと話し始めた。

「……体の一部の機能を失う。両手両足のいずれかが、金輪際動かせなくなる。この、私のようにな」

 とても強い風が、輪になった一同の間を抜け、音を立てて島長に向かって吹き付けた。しかし島長は、そんな風のことは気にも留めず、動かない右足を庇いながらも力強く歩を進め、全員の前に出てから、話始めた。

「この足は、海難事故によるものではない。六十六年前、当時五歳だった私が鬼の力を使ったからだ。この島に明らかに似つかわしくないコンクリート工場は、子供だった私が、聞きかじった大人の話から、大して考えもせずに作り上げたものだ。大して需要もない中で作った工場だったから、操業している時よりも閉鎖している期間の方が長かったがな。

 だが、そのせいで鬼の疑いをかけられた私の祖父は、聖水を飲まされて亡くなった。後で知ったことだが、本当はその願いの稚拙さから、子供が鬼の力を使ったことは周知の事実だったらしい。でも祖父が邪魔な一部の勢力は、鬼の罪を祖父に着せて、聖水を飲ませて殺害したんだ。聖水は、その清めの力を持って、鬼の魂を消滅させるもの。だから鬼の力を宿していない人間が飲むと、その人自身の魂が消滅してしまう。

 そのことを知った私は、この六十年以上の歳月をかけて、一部を残して、鬼伝説を風化させることにした。もう二度と、鬼の力や聖水が悪用されないように」

 その受け入れがたい話に、全員が呆気にとられた後、再び疑惑の人物の方へ視線を向けた。未だその人物は、一切の動きを見せないでいた。そして相変わらず、左手で模造紙を掲げ続けていた。

「他の鬼伝説でも、あなたが鬼であることを証明することができます。いや、それは言いすぎました。でも少なくとも、あなたが本当に選ばれた英雄だとしたら、必要のない嘘をついている……ということは証明できます。これは、日向さんが私を敵対視するに至った理由でもあります」

「そうか、そういうことだったのか」

 日向は、驚きながらも納得したように何度か頷いた。他の面々は皆、何も分からないといった表情だった。

「鬼伝説の中には、こんなことが書かれています。“鬼の力が行使されると、五人の英雄がその時島にいる人間から選ばれる。英雄は、鬼の力への抵抗力を持ち、その力の影響を受けない”。これがもし正しいとなると、今のこの状況は根本的におかしいものになるんです」

 葵は、一呼吸おいて全員を見渡す。特に反応の変化は見られない。

「……今回の鬼の力は、すべての島民を消すという大掛かりなものです。しかしそんな願いをしても、鬼の力に耐性のある英雄五人は生き残ります。そして、鬼自身も。更に、鬼の力は島民以外には効力を持たないので、私も生き残ります。これで、生き残りは七名という計算になります」

「ん? 七人なら合ってるじゃないか」

 神倉が、首を傾げながら言う。

「ここで、鬼伝説のもう一つの文言に注目してみます。“鬼の力は、島にいる島民のみに影響を及ぼし、島外の人間には一切影響を与えない”という部分です。私はこれを聞いた時に、だから私が生き残ったんだとしか思いませんでした、最初は。でもよくよく考えると、今大事なのは前半部分だと分かりました」

「前半ってことは、“鬼の力は、島にいる島民のみに影響を及ぼし”ってところ? 三神さん、話が見えないんだけど」

 神倉が、更に疑問を投げかける。

「……島にいる島民の身に影響を及ぼすということは、鬼の力が行使されたときに“島に居なかった島民には影響がない”ということです。その人も力が及ばないので、例外的な生き残りとなります。あの日、ここに生き残っている中で、その条件に当てはまる人がいますよね……」

「あ……」

 神倉はようやく腑に落ちたようで、疑惑の人物の方に向き直った。

「……あなたが本土の方に戻って研修を受けていたという話が本当だったら、あなたは島の外に居たので鬼の力の影響を受けません。つまり、本来の生存者の数は英雄五人と鬼一人、島民ではない私、そしてその時島の外にいたあなた、合わせて八人いなければいけないんですよ。しかし、この島には七人しかいない。つまり、あなたが祭りの日に本土へ行ったというのは、嘘ということになります。そうですよね、只野さん」

 葵は、只野の方を見て話した。只野は、未だに左手で自分の書いた紙を持ち、地面の方を向いて微動だにしなかった。

「日向さんは、この人数の矛盾に気付いた。そしてその理由を、実は私が正体を隠している島民だからだと考えたんです。私が島民なら、さっきの計算式から私一人の分が引かれるので、生存所七人の辻褄が合います」

「ああ。確かにそう考えた。でも、まさか嘘つきが只野さんの方だったなんて……考えもしなかった」

 日向は、只野の方を見ながら遠慮がちに言った。

 少しの沈黙の後、只野がその重い口を開いた。口数こそ少ないものの、その態度や話す内容からは、すべてを認めて言い訳をする気が無いことが伝わってきた。

「どうして、分かった」

「最初に違和感を覚えたのは、公民館に集まった時です。あなたは本土から帰って、すぐに災厄の鐘を鳴らしたと言いました。でも、本来なら持っていなければおかしい、子供たちから渡された荷物を、あなたは持っていませんでした。邪魔になって何処かに置いたことも考えましたが、駐在所に無いことは私が朝起きた時に確認しましたし、災厄の鐘の櫓の上に無いことも、公民館を出てすぐに、あなたと一緒に櫓を昇って確かめました」

「なるほど。櫓に上る本当の目的は島全体を見渡すためではなく、僕の荷物が置いていないかを確かめるためだったと、そういうわけですか。道理で、すぐに降りたわけだ。そうなると、あの時階段の上で止まったのは、虫がいたからではなく、荷物が無いことで僕への疑いを強めたから……ということか」

「はい。本当は、あってほしかったんですけど」

 葵は、少し視線を落とした。只野は、優しい声色で話を続けた。

「……しかし、荷物が無かったというだけでは根拠としては薄い。先ほどの反応からですが、三神さんはひょっとして、僕の右腕が動かないことを知っていたのではないですか?」

「はい、気付いていました。最初は理由が分かりませんでしたが、島長に鬼の力の代償を聞いて、あなたが鬼だと確信しました」

「いつ、気付いたんでしょうか?」

「最初に違和感があったのは、服装です。この島で初めて会ったときに只野さんは、とてもきっちりと制服を着こなしていました。細かい規定は知りませんが、おそらく規定通りの着こなしだったのだろうと思います。でも、災厄の鐘で会った時から今までずっと、右側のシャツの裾だけズボンから飛び出しているんです。左だけは正されているのに、右側だけずっとです。左手では、右側まで届かないからですよね」

 只野は、飛び出したシャツの方に目をやる。左手を伸ばしてみるが、やはり今飛び出しているところには届かない。

「次は、櫓の上に上った後のことでした。神倉さんの話をするときに、あなたは昔聞き込みで聞いた証言を思い出していました。その時、少し考えこんでから思い出したと言って、話を続けましたよね。その時に、なんで手帳を見ないんだろうと思いました。警察なら証言内容を手帳にメモするイメージがあるし、特に只野さんはとても几帳面に手帳を書いていました。子供たちに本土へ行くことを伝える時も、フェリーの時間を確認するためだけに手帳を開いてましたもんね」

 只野は胸ポケットから手帳を取り出す。普段右手で取りやすいように左の胸ポケットに入れていたため、左手で取り出すのはかなり難しいし、不自然だった。その上、地面に置いてからじゃないと、ページをめくるのにも苦労した。

「……コンクリート工場で私が夏美さんを見つけて取り乱し、公園で休憩した時も、只野さんは両手でジュースを持ってくれば一度で済むところを、わざわざ左手に一本ずつジュースを持って、自動販売機まで二往復しました。それを見て、頑なに右手を使わないなと思ったんです。だから、最後に確かめることにしました」

「確かめる?」

 只野は心当たりが無いようだった。葵は一度視線を落とし、再度顔を上げてから話を再開した。

「コンクリート工場を一人で調べようとした只野さんの右袖を、掴みました。人は手を掴まれると、無意識のうちにその手を反対方向に引っ張ってしまいます。でも只野さんは、それをしませんでした。そこで、右手に力が入らないということに気付いたんです」

「……驚いた。あの行動まで計算されたものだったなんて」

「……すいませんでした。あんなに優しくしていただいたのに、疑うようなことばかりしていて」

「構わないよ。……そこまで分かっているなら、もう動機も分かっているのかな?」

「はい、だからあれを持ってきてもらいました」

 葵は、只野が持ってきた捜査資料の山を指さした。

「あの事件を、解決させるためですよね」

「適わないな」

 只野は苦笑いした。すべて見抜かれていると、観念したようだった。

「きっと私が只野さんの正体を突き止めなくても、自分から名乗り出ていましたよね」

「ああ。島民を人質にして、清美さんの事件の犯人に自白を迫るつもりだった。仮に自白させられなくても、島民は戻すつもりだったけどね……三神さんのためにも」

 只野は、悪戯っぽく笑って見せた。

 そう言われて葵は、コンクリート工場で只野に抱きしめられた時にかけられた、“大丈夫”という言葉を思い出していた。あの言葉は、ただ単に取り乱した葵を落ち着かせるための言葉だったのではなく、只野の本心から出た、いわば自白ともいえる代物だったのだ。

「じゃあ、聞かせてもらおうか。清美さんの事件の真相を。君の推理を。きっと僕と同じ結論に辿り着いているだろうから」

 只野は、期待に目を輝かせていた。葵はすでにすべての真相を見抜いていて、その口から自分が最も望んだ真実が聞けると信じていた。

「――清家清美さん殺人事件の真相を話すのは、私ではありません。本人に話してもらいましょう」

「え?」

 思わぬ葵の言葉に、只野は固まった。

 日が傾き、さっきまで辺りを温かく包んでいた陽光は逸れ、聖の方をスポットライトのように照らし出した。聖はゆっくりと立ち上がり、話始めた。

「約束は守るわ、葵。私が知っていることを、すべて話す」

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