第18話 最後のピース

 市役所のけたたましいチャイムが鳴る。鬼頭が、相変わらず猟銃片手のお出迎えをした。それに対して葵は、一切動じずに両手を上げていた。

「三神さん、また来られたんですか。何の用ですか?」

「今回は、島長に用が有って来ました。こちらにいらっしゃいますか?」

「……こちらです」

 鬼頭は、島長がいる部屋に向かって歩き始めた。葵は、その後ろに付いて行く。気遣いからか、鬼頭は何度も後ろを振り返り、歩調を調整しながら歩いてくれていた。

「歩くペース、合わせてくれてるんですよね。ありがとうございます」

「あ、いえ。当然のことです。三神さんは島民でもないのに、この島で起こった事件を解決してくれようとする素晴らしいお方ですから、これくらいの気遣いはして当然です。それに、お昼間にあった頃とは違い、明らかに足取りが重い。とても歩き疲れているように見受けられます。だからこそ、私が歩調を合わせてゆっくり歩くのは、当然の気遣いです」

 鬼頭は少し顔を赤くしながら言う。しばらく階段を昇り、三階にある一室の前で立ち止まった。

「こちらに、島長がおられます。念のために言っておきますが、くれぐれも失礼のないようにお願いします。今は非常事態だから仕方ありませんが、本来は島長との謁見は難しいのです。特に、島外の方ではね。そのことは、肝に銘じておいてください」

 鬼頭は、葵にそう強く念を押した後、島長のいる部屋の戸をノックした。中から島長の応答があり、入るよう言われたので室内に入った。

 室内はとてもきれいに整頓されていて、いつ来客があっても対応できるような部屋に見えた。島長は大きな窓の前に立ち、下を見下ろしていた。

「もう下がっていいぞ」

 島長がそう言うと、鬼頭は静かに頭を下げながら部屋を後にした。さすがは秘書というだけあって、その辺りの所作はとても手際よくこなしていた。

 鬼頭が部屋を出た後、島長は窓の方を向いたまま話始めた。

「もともと島長のいるべき部屋は、もっと役所の奥まった場所にあったんだ。初めて来る人には、まず分からないような場所にね。でも、それじゃあ意味がない。島長は、誰よりも島民に身近で、いつでも見守っているような、そんな安心感を与えられる存在でなければいけない」

 最初にあった頃とは違い、島長は少しフランクな話し方になっていた。その話し方は、葵への信頼度を現しているようだった。

「ここからなら、窓から眺めているだけで、島民たちの生活のほとんどが目に入る。ここから見下ろせば、役所の入り口から入ってくる人も全員把握できる。いつもなら、お昼時にお弁当屋さんが来るんだ。島唯一のお弁当屋さんでね、ずっとここにお弁当を配達してもらっているんだ。そこの看板娘がまた可愛らしくて、気遣いもよくできる子なんだ。面倒なのに、わざわざこの部屋までお弁当を届けに来てくれる。満面の笑みで、いつもありがとうございますと言ってくるんだ。それは、本当はこっちのセリフなんだけどね」

 感慨深く話す島長。葵からは見えなかったが、島長は時々何かを思い出すようにして目を閉じては、ゆっくりと頷いてからまた話し始めていた。昔を回顧するようなその話し方は、何か言いづらいことを言う決心を決めかねているようだった。

「いや、年甲斐でもないが、やはり可愛い子には弱い。だから本来、あなたのような可愛らしい来客は跳んで喜ぶものだ。でも、今の状況では喜んでいられない」

 長々と話していた島長が、突然黙り込んだ。葵は様子をうかがいながら、そっと言う。

「島民が全員消えて、島長が喜んでいる場合ではないからですか?」

「いや、来客が私の秘密を知っていると思われる状況では、いくら可愛らしい来客者とはいえ、手放しで喜ぶわけにいかんからだよ」

 島長は、少し声のトーンを落として言った。それは、これから本題に入ることを意味していた。

「ところで三神さん、役所の入り口まで来たのにまだ入ってきていない、日向くんはどうしたのかな? なにか、隠れて行う秘密のミッションでもあるのかな?」

 葵は、思わず身構えた。あまり深く考えずに来たが、島長が自分の敵になる可能性はまだわずかに残されていた。そんな状況で、日向が役所の近くに隠れていることを見られてしまった。焦った葵は、咄嗟に話題を変えた。

「島長、私はあなたを信じています。本当のことを話してくれると、誰の過ちでも、正当な裁きを受けるべきだと言ってくれると……信じています」

「情に訴える作戦ですか? 残念ながら、世の中はそんなに甘くないんだよ。美貌と若さ、勢いが生かせるのは、世の中が平和で余裕のある時だけだ。非常事態になれば、それらはすべて無意味になる。その時に意味を成すのは、力だけだ。つまり、権力だよ」

 島長は変わらずに窓の方を向いていて、葵の方を一切見ていない。だが葵は、その背中からとてつもない圧力を感じていた。

 一度も目はあっていないから睨みつけられたわけでもないし、怒鳴られたわけでもない。語気が強いわけでもなく、何か凶器で脅されているわけでもない。これは、本能的な恐怖だった。今後、一切の関わりを絶ちたい。そう思わせるものだった。

「まだ逃げないのは、関心ですね。中学生なのに、肝が据わっていることは間違いないようだ。だが、それだけでは駄目だ」

「では、島長には先に、私が辿り着いた真相をお話しします。もちろん、まだ立証するにはピースが足りません。ただ、話の筋が通っているかどうか……そして、島長。あなたが持っているそのピースが、いかに重要かはお分かりいただけるでしょう」

「面白い。お聞かせ願いましょうか」

 島長は、踵を返して葵の方に向き直った。先ほどまでとは比べ物にならない恐怖心が、葵を襲った。

 だが、葵は話し続けた。時刻は午後五時三十分、あと一時間半ですべてが手遅れになってしまう。葵は、もう西田とフェリーに乗った時のような恐怖心に押しつぶされるか弱い少女の姿には戻らないと決心していた――


 ――葵はすべてを話し終えた。この島に悲劇を呼び寄せたのは誰か、それをどう証明するのか。そして、今自分が何を計画しているかまで、すべてを話した。そうしないと、島長がすべてを話してくれると思えなかったからだ。

「……三神さん、あなたは本当にすごい方だ」

 話を聞き終えた島長は、公民館であった頃の温和な雰囲気に戻っていた。

「そちらにどうぞ」

 島長は、部屋の真ん中に設置されているソファーを手で示しながら、葵に座るよう声をかけた。葵は恐る恐るソファーに座った。座る際に上座と下座の区別がつかなくなるほど、葵は緊張していた。そんな葵を見て、島長はお茶を用意してくれた。

「緑茶の香りを嗅ぐと落ち着くのは、日本人だけなんでしょうか。それとも、万国共通なんでしょうか。あるいは、日本の中でも老人だけだったりして」

 少し口角を上げながら冗談めかして話す島長を見て、葵は少し安堵した。緑茶のいい匂いが、心をより落ち着かせてくれる。

「少なくとも、私はこの香りで落ち着くことができます」

「それはよかった」

 島長は、満面の笑みを葵に向けた。その笑顔はまさに、孫を可愛がるおじいちゃんそのものだった。葵はそれを見て、もう大丈夫だと考えた。

 一口、緑茶を啜る葵。その落ち着いた様子を見て、島長は懐から一冊の本を取り出した。公民館で鬼伝説の話をするときに秘書である鬼頭が読み上げた、“結界島鬼伝承譚けっかいじまおにでんしょうたん七”だった。

「君の知りたいことは、ここに書かれている。この第七巻は他のものとは違い、現代に生きる我々に向けて、鬼との戦い方を説くものになっている。他の巻では長々と鬼と闘った歴史が記されているが、これだけはとても短い。昔の人たちが、これだけはどうしても後世に伝えたいと考えたのだろう」

 島長は、ゆっくりとページを開いた。葵も、その中身を見る。だが、毛筆の達筆な字で書かれていたうえに、言葉遣いも難しかったため、葵には何が書いてあるのか全く分からなかった。

 ただ内容が分からなくても、葵は中身を見続けた。辛うじて読める漢数字のおかげで、一つの見開きにつき、一つのことが述べられていることだけは分かった。

 すべてのページを見終わった後、葵は公民館で神倉に現代語訳してもらったときに書いたメモを見た。


 其の一:鬼の力は、六十六年に一度復活する

 其の二:鬼はその姿を現すのではなく、一人の島民に、一度だけどんな願いでも叶える力を授ける。力を授けるのは六月一日で、行使できるのは六月六日から日付が変わる前後五分間である。

 其の三:鬼の力が行使されると、五人の英雄がその時島にいる人間から選ばれる。英雄は、鬼の力への抵抗力を持ち、その力の影響を受けない。

 其の四:六月七日の日没までに、英雄は鬼の力を授けられた島民を見つけて、島の四方向の神社のいずれかに沸く聖水を飲ませる。そうすれば、鬼の力は効力を失い、願いはすべて無かったことになる。

 其の五:鬼の力は、島にいる島民のみに影響を及ぼし、島外の人間には一切影響を与えない。

 其の六:聖水は、一人分しか沸かない。


「やっぱり、一つ足りない」

 葵は、視線をメモに落としながら言った。葵がメモに書いた鬼伝説の言い伝えは六つ、しかしこの本に書かれている漢数字は“七”まであった。何か一つ、この本に書かれていてメモに書かれていない言い伝えがあることは、自明だった。

「この本を読み上げている時、最後のページで一さんは、少し言葉を詰まらせることがありました。それは、その内容を読み上げるわけにはいかないと、咄嗟に判断したからですよね」

「そうでしょうね。おそらく、私に気を使ったのでしょう。あの場でそれを読み上げていたら、私の秘密は公然のものになったでしょうから」

 島長は、天井の方に目をやりながら言った。どこか、遠い昔を懐かしんでいるようだった。

「私が真相を明らかにすれば、島長の秘密も明らかになります。それでも、いいですか?」

「……三神さん、私は島長です。島長というのは、自分を犠牲にしてでも島民を守らなければならないんです。たとえそれで、自分の命が尽き果てようとも……です」

 島長は、葵の目を真っ直ぐに見つめて答えた。その目には、揺るがない決意が感じられた。

「分かりました。それでは教えていただけますか。これまで隠されていた、七つ目の言い伝えを。私にも分かる形で」

「……鬼の力を使った者は、体の一部の機能を失います。つまり、体のどこかが動かなくなるということです。これはなにがあろうと、一生治ることがありません」

 島長のその言葉を聞いて、葵はうなだれた。できれば葵は、自分の推理が外れていてほしかった。だが今の島長の言葉で、その希望は跡形もなく消えた。

「私は、間違った道に進もうとしていました」

 そんなことを言う葵を、島長はただ、静かに見つめた。

「目で見たありのままの現実を、受け入れようとしなかった。自分の都合のいいように、捻じ曲げようとした。でも、それじゃあ何も解決しない。誰も喜ばない。私が、真実を明らかにしないと、皆が返ってこない」

「辛い役目をおしつけてしまったようだね。もしこれ以上は難しいなら、すべては私の口から伝えよう」

 島長がそう言うと、葵が両手を広げて大きく前に突き出した。

「私じゃないと駄目なんです。私じゃないと、彼女は説得できない。すべてを、終わらせることができない」

「本当に、説き伏せられるんですか。相手は、島民全員を消した鬼ですよ。あなたが正体に気付いたと分かったら、実力行使もあり得ます」

「確かに不安はありますが、片手が使えない人には負けません」

 そう言うと葵は、力強く立ち上がった。

「島長、一緒に来てくれますよね。もう時間がありません。すべてを明らかにして、この島に平和を取り戻しましょう」

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