第17話 再会

 当然の抽象的な問いかけに、日向は混乱していた。神倉も、葵の後ろで頭を抱えていた。しかし、聖だけは一切動じていなかった。質問の意図を、既に把握しているようだった。

「その質問、どういう意味だ」

 恐る恐る尋ねる日向。両手両足は小刻みに震え、緊張を感じていることを隠すことができなかった。葵は、更に続ける。

「本当は気付いているんじゃないですか。だからあなたは私を疑い、あんなに必死に復讐を果たそうとした。違いますか?」

「なんのことか、まるで分らないな。やはり、お前とは話が合わないようだ」

「ズボンの汚れ」

「え?」

 葵に指摘され、日向は咄嗟にズボンの方に目をやった。見ると、膝のあたりに泥のようなものが付着している。

「この泥がどうした」

 そう問いかける日向。葵は、ゆっくりと歩きだしながら話し始めた。

「私も、災厄の鐘で見た時は泥だと思いました。そして、そんな汚れが付くようなことをしているのに、直前まで寝ていると証言した。この人は、嘘で何かを隠している。怪しい。最初は、そう考えました。でも、あれを見て考えが変わりました」

 葵は歩き回りながらおもむろに人差し指を立て、コンクリート工場の方を指さした。それを見た日向の顔色が、一瞬変化して、すぐに戻った。

「あの工場の一番奥の部屋には、血痕を隠すためにかけられたセメントがあります。ですが、なぜかその一部が掠れていて、血痕が見えるようになっていたんです。一体、何故なんでしょうか……犯人のミスなんでしょうか?」

「何が言いたい?」

「はっきり言います。あの現場の第一発見者は日向さん、あなたですね」

 葵がそう言うと、神倉と聖が驚きの声を上げた。日向は、表情を崩していなかった。いや、崩さないように必死だった。

「日向さん、あなたはあの工場に誰よりも早く辿り着いていた。おそらく、あの場所で惨劇があり、犯人が隠蔽工作を終えてそこまで時間が経っていない頃だったのではないでしょうか。その時はまだ、セメントが固まる前だった。だから、あなたの膝にその固まる前のセメントが付着している。違いますか?」

「分かった。もういい、やめろ。この話はここで終わりだ」

 立ち去ろうとする日向に、葵はなおも声をかけ続ける。

「祭りの夜に、奥さんが行方不明になったんですよね。だから、必死で探した。そして、見つけたのはあの現場だった。だからあなたは――」

「やめろと言っただろ!」

 猛スピードで葵に駆け寄る日向。そのあまりの速さに、さすがの神倉も止めることができなかった。日向は両手で葵の胸倉をつかみ、今にも殴りかかろうとする勢いだった。

 だが葵は、それでも話を続けた。

「――あなたは、犯人に復讐を誓った。だから、あなたにとって一番の犯人候補である私を襲った。脅して、真実を話させるために」

「もう、いい。全部……全部、分かったから……」

 そう言うと、日向は葵の胸倉を掴んでいた両手を話し、力なく地面に座り込んだ。

 すかさず神倉が駆け寄り、葵の無事を確認する。葵は差し伸べられた手を払いのけ、大丈夫と一言言うと、座って日向と視線を合わせた。

 無言で葵にじっと見つめられた日向は、涙を拭いながら話し始めた。

「……祭りの日、俺と妻は二人で仲良く祭りを楽しんでいた。初めての結婚記念日がもうすぐで、その前祝も兼ねていたんだ。妻は当日とてもきれいな浴衣姿を見せてくれて、結婚してよかったとつくづく感じられる日だった。でも……」

 日向の目付きが、何かを睨みつけるようにきつくなった。明らかに敵意がむき出しになっていた。しかしその敵意は、葵に向けられたものではなかった。日向は目の前にいる葵ではなく、ただ虚空を睨みつけていた。

「俺と妻は、一緒に帰らなかった。妻が懐かしい友人と会う約束があるからと言って、俺に先に帰るように言ったからだ。俺は、素直に帰った。結婚しているとはいえ、友人関係まで束縛する権利は俺には無いから。でも、あいつは帰らなかった。いつまで待っても、日付が変わっても帰ってこなかった。だから俺は、探し始めたんだ。最初に祭りの会場に出向いてみたが、既に夜店は撤収済み。誰の姿もなかった。その後も行きつけだった飲み屋や友人の家、様々な場所に出向いた。でも、何処も人の気配が無かった。そんなことに違和感を覚えながら、居るわけがないと思いながらも、既に探す場所の候補を無くしいた俺は、あのコンクリート工場に入った。

 愕然としたよ、一番奥のあの部屋の状況を見て。明らかに最近使われたであろうきれいな椅子、その周りに落ちているロープ。妻がここで何かの事件に巻き込まれた。そう直感したよ。だから、椅子に駆け寄った。椅子にはまだ、少しだけぬくもりが残ってた。俺はそれを感じて、絶望したんだ。だから、膝をついた。そしたら――」

 日向が視線を落とす。視線の先には、膝に着いたセメントがあった。葵は、目を凝らしてそれを見た。よく見ると、赤黒い汚れも混じっていた。

「そうか。あの血はやっぱり、夏美のものだったんだな……」

 日向は、体育座りの姿勢で顔を膝に当て、しばらく動かなかった。時折、鼻を啜る音も聞こえた。葵たちは、ただ黙ってその周りに立っていることしかできなかった。

 幾ばくかの沈黙が流れ、日向も静かになった頃、葵が日向の肩に手を置き、そっと耳元で話し始めた。

「夏美さんの無念を、晴らしてあげませんか」

 その言葉に、日向は思わず顔を上げた。その目はこれまで見てきたものとは違い、希望に満ち溢れた目だった。

「できるのか? 夏美が何に未練を感じているのか、それも分かるのか? 夏美は、夏美はなんて言っているんだ?」

「いえ。残念ながら私には姿が見えるだけで、声は聞こえません。ただ、あなたのさっきの話を聞いて、もしかしたらこうかもしれないと思うものが、一つだけあるんです」

 そういうと葵は、日向に立つよう告げ、三度コンクリート工場に向かって歩き始めた。日向は、その後を付いて行く。神倉と聖も、後を追った。

 コンクリート工場に着くまでは、誰も何も話さなかった。いや、話せなかった。あまりの重たい空気に、さすがの神倉もふざけて場を盛り上げようとは考えられなかった。

 それよりも神倉は、今のこの状況を理解するために、頭を整理するので忙しかった。正直なところ、コンクリート工場から出る直前の辺りから、全く話についていけていなかった。自分たちが導くなんて言葉を言った手前、少なくとも話についていくくらいはしたかったが、その夢が叶う前に、コンクリート工場に着いていた。

「そこに、夏美さんがいます」

 葵は、あの女性が立っている場所を指さした。日向はその辺りに目を凝らすが、やはり何も見えなかった。

「とてもきれいな着物姿で、ほのかに微笑んでいます。視線は……やっぱり、あなたにくぎ付けですよ、日向さん。私の時は、あまり見てくれなかったんですけどね。ていうか日向さん、顔が怖いですよ。滅茶苦茶夏美さんのこと、睨みつけてます」

 そういわれて日向は、前屈みだった姿勢を正して背中を伸ばし、眉間からしわをはじき出して渾身の柔和な表情となった。その表情は、新婚の熱々夫婦の家庭を想起させるのに十分だった。旦那が笑顔で帰宅し、奥さんが笑顔でお出迎え。食卓には、奥さんが旦那さんのことだけを考えた、温かくて豪勢な食事が並んでいる。そんな光景が目に浮かんだ。

「……夏美」

 突然日向は、葵の誘導を無視して歩き始めた。だがその歩は確かに、見えないはずの夏美さんの方へ向かっていた。

 そして、日向は泣きながら何かに抱き着く仕草をした。葵の目にだけは、そこに確かに夫婦の絆が見えていた。もう決して会うことのできない二人が、もうできなかったはずのハグをしている。お互いが涙を流し、別れを惜しんでいた。葵の目からも、一筋の涙が零れた。

「夏美、ごめんな。何度もここに来たのにお前に気付いてやれなくて、ずっと一人で寂しい思いさせて、ごめんな。こんなに近くにいたなんて、こんなにすぐ手の届く距離にいたなんて……。俺たちは、これからもずっとそばにいような。ずっと、ずっと、寄り添っていこうな」

 日向が強く夏美さんを抱きしめると、その姿は徐々に、無数の小さな光の粒へと変わっていき、空に昇って行った。葵には、姿が完全に消える前に夏美さんが何を言ったかが、口の動きで分かった。

「ありがとう。愛してる……。夏美さんはきっと、最後にそう言ったと思います」

「……ああ、俺にもそう聞こえたよ」

 涙を流しながら答える日向。葵は、それ以上何も言わなかった。

「ぬわーっ。なんて感動的な話なんだ。僕こういうの弱いんだよー。ぬぅぅぅわぁぁあぁ」

「……泣き声が気持ち悪いですね」

「ぬわーっ。それは、いくらなんでもひどすぎるだろ。ぬぅぅぅわぁぁあぁ」

 独特な泣き声を上げる神倉に、葵が容赦なく言い放った。その掛け合いを見て、日向は声をあげて笑った。葵が初めて見る、日向の笑顔だった。

「三神さん、あなたには恩が出来た。俺にも協力させてくれ。鬼は、夏美の命を奪った罪は、必ず償わせる」

「では早速、日向さんに確認したいことがあります。すべて答えていただければ、きっと真実が明らかになると思います」

「任せてくれ」

 葵と日向は、その後いくつかの問答を重ねた――


 ――日向との問答が終わった葵は、なるほどと一言言うと、辺りの地面に目をやり始めた。

「なにしてるの?」

 聖が尋ねた。葵は周囲を見回しながら、答えた。

幣帛へいはくの代わりになるものは無いかと思いまして。あれを持っている時が、一番集中できるので」

「なるほど。皆で探しましょう」

 そういうと聖も、周囲の地面を見回し始めた。置いてきぼりになった男性二人は、何度か葵と聖に話しかけたが、返事は無かった。あまりに無視されて心の折れた神倉と日向は、ぽつりと言葉を零した。

「“へいはく”って、なに?」

 男性陣がそんなことを言っていると、聖が葵に、満面の笑みで木の枝を差し出した。

「これの握り心地、幣帛っぽくない?」

 葵は差し出された枝を何度か握り、満面の笑みを聖に向けた。

「あ、いいねこれ。ちょうどいい。ありがとう」

「あの、お二方。その木の枝がその……“へいはく”ってやつなの?」

 ようやく神倉の言葉が葵と聖に届いたが、その視線は冷たいものだった。まるで、そんな事いちいち説明させんなよ、と言っているような視線だった。

「……幣帛って言うのは、巫女が踊ったりするときに持つ物のことです。ほら、棒の先にジグザグの紙が付いたやつですよ」

 葵が答える。言葉遣いは丁寧だったが、視線は冷たいままだった。

「なんか、ごめんなさ……」

「集中するんで、黙ってもらっていいですか?」

 神倉の精神に甚大なダメージを与えてから、葵は聖から受け取った木の枝を持って構えた。そしてすぐに、舞を踊り始めた。俗にいう、巫女舞である。

 巫女舞は神の信託を得るためにするものだが、その種類は多種多様である。葵は代々三神家に伝わる巫女舞、“三神流三方聖刀みかみりゅうさんぽうせいとうまい”を踊った。

 三神家では三方向を神が守り、残りの一方向を神に仕える三神家が守るという教えがある。そのため、神がいる三方には神への感謝や祈りを捧げるしなやかな舞を、残りの一方には災厄と闘うための力強い舞を踊ることになる。

 葵は、その力強い舞を踊りながら、今回島で起こった事件の情報を整理し始めた。この事件解決が、島民を取り戻すことが災厄に打ち勝つこと……三神家の使命を果たすことになる。その一心で、ただ聖刀を振るった。

 様々な人の言動、その時の状況、自分が何を考えていたのか。相手は何を考えていそうか、その表情はどんなものか。ありとあらゆる細かな情報を思い出し、その中を掻き分けて舞った。

 最初は暗闇の中で舞っているような心細さがあったが、情報を整理して改めて事件を見つめていると、徐々に光が差してくるように感じられた。

 天岩戸あまのいわと。かつて神々の世界に存在したというその洞窟へ天照大御神あまてらすおおみかみ様が入り、世界は暗黒に包まれ、様々な災厄がもたらされるようになったという。神々は思案し、騙し討ちのような形で戸を開けえ放つことに成功。天照大御神様が姿を現したことで、世界に光と平和が戻ってきたという。

 しかし、今回は騙し討ちでは開かない。仮に騙し討ちで開いたとしても、元の世界に戻れる確証はなかった。だから事の真実を見極めて、その扉を自力で開け放つ必要があった。この暗く、数多の悲劇が起きた島に、平和を取り戻すために。

 葵は今、その重い扉に手をかけた。そして――

「天岩戸が、今開きました」

 突然葵がそう呟いたので、他の三人は驚いた。

「なんだこいつ、いきなり。やっぱり、危ない奴だったのか?」

「天岩戸って、日本神話の? あれが開いた後は確か、元の世界に戻るって……」

「全部分かったのね、葵」

 聖のその問いかけに、葵はゆっくりと頷いた。

「でも、それを証明するためにはまだ二つピースが足りません。一つはすぐに手に入るかもしれませんが。もう一つは……日向さん、お願いできますか」

「ん? なんか分かんないけど、俺にできることなら何でもするよ」

「それと聖さん、質問があります。鬼の力を使った場合の代償って、何かあるのでしょうか?」

 葵の問いかけに、日向が胸を張る一方で、聖は視線を落とした。右手で強く左手首の辺りを握り、明らかな緊張状態を見せていた。

「いや、私は分からない。そういうことなら、島長にあの本を見せてもらえばいいと思う」

 聖は、短くそう答えた。そんな様子を見た葵は、聖の肩に手を添え、耳元で囁いた。

「ありがとうございました。聖さんのおかげで、私はここまで来ることができました。今度は、私があなたを助ける番です。必ず、すべてを明らかにします」

 葵は日向についてくるように言い、コンクリート工場から北へと歩き出した。

 雲の切れ間から差し込む、温かい陽光が二人を照らした。

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