第16話 激昂

 三人は、コンクリート工場の前に辿り着いた。もちろんその後ろには、まだ誰もその存在に気付いていない人影もあった。

「それで……何処にいるの? その……成仏し損ねた人っていうのは」

 神倉が、伏し目がちに周囲を見回しながら言う。その右手は葵の左手の袖を力強く掴んでおり、如何に神倉が怖がっているかがよく分かった。

 葵は、初めてその女性を見た時と同じ場所を指さす。時間は経っていたが、その女性の立ち位置は変わっておらず、表情も特に変化が見られなかった。相も変わらず、微笑を浮かべながら、立ち尽くしていた。

「こ、この辺り?」

 神倉は恐る恐る手を伸ばし、葵が指さした辺りを探る様子を見せる。

「ちょっと神倉さん、どこ触っているんですか。相手は女性ですよ。そんなところ触るなんて……最低」

 葵が突然大きな声でそんなことを言うので、神倉は思わず飛び跳ねた。

「え、なに。僕どこ触ったの? ていうか、見えないから悪意はないよ。僕には何も分からないよ」

「呪われますよ」

 耳元でそう囁く聖。神倉の肩に、思わず力が入り、硬直する。

「まじで? 僕呪われるの? え、南無阿弥陀仏?」

「あの、なんでしょう。いい加減ふざけるの、止めてもらっていいですか?」

 戸惑う神倉と、冷静に突っ込む葵。神倉はその言葉を聞いて、何やらぶつくさと文句を言っているようだったが、葵も聖もそんなことは気に留めていなかった。

 それよりも葵は、この掛け合いに、どこか懐かしさや安心感を覚えていた。この掛け合いが、今は会えないあいつとのやり取りを彷彿とさせたからだ。今の葵には、それが救いだった。それと同時に、解決するという決意をより一層強いものに変えた。

「中に入りましょう。私と只野さんが調べた、あの部屋へ」

 葵を先頭に、コンクリート工場に入っていく三人。只野と一緒に入った時と特に変わった様子は無かったが、どこか違和感があった。その違和感に戸惑いを覚えながらも、葵は奥に進んでいく。そして、例の部屋へとたどり着いた。

 天窓からの光、床に置かれた無機質なパイプ椅子とその周りを囲むように落ちているロープ。その周りには、変わらず血痕を隠した痕跡があった。一部血痕が見えている部分に葵が近づき、膝をついた。後の二人も、それに続く。

「実物は初めて見るもんだが、確かに血が固まったような跡だな。それに、それを隠すように上からセメントが塗られている。ここでは確かに、不思議な力が何も使われていない、一般的な刑事事件が起こっていると見るのが自然だね」

「誰かが椅子に縛られていたけど、鬼の力によってそのまま姿を消してしまった。だから、ロープがそのままの形で椅子の周りに落ちている。……だとしたら、やっぱりこの事件の犯人と鬼は別人なんじゃない?」

「いや、最強の証拠隠滅方法として、死体丸ごと消したことも否定することは出来ない。島民をまとめて消したのは、その目的を分かりにくくするためだったかもしれない」

 神倉と聖がそれぞれの考えを述べるが、どれも確証を得られるような内容ではなかった。そもそも、被害者の特定が不可能な今、犯人を議論することは不可能に近かった。

 三人が諦めかけたその時、何か金属製の物を床に引きずる音と足音が、コンクリート工場に響き渡った。その音は、徐々にその大きさを増していた。

「誰か来る。隠れ――」

 神倉が言うより先に、日向が部屋の中へ、鉄パイプを引きずって入ってきた。どうやら最初に葵と只野が来た時に気にかけた老朽化した機械を分解し、鉄パイプを用意したらしい。葵が工場に入った時に感じた違和感は、これだった。

 三人の姿を見た日向はゆっくりと鉄パイプを持ち上げ、その先端を葵に向けた。

「その小娘をこっちに渡してくれるなら、後の二人には何もしない。庇うなら、全員この場で消えてもらう」

 真っ直ぐに葵を見つめる日向。その目はもはや、ブラックホールと化していた。言葉遣いは丁寧だったが、その裏にある怒りの感情を隠しきれてはいなかった。葵を引き渡せばどうなるか、その答えは考えるまでもなく出た。

 神倉は、葵や聖より一歩前に出て両手を広げた。それを見た日向は、苛立ちを隠せない様子で叫び始めた。

「そんなクソ野郎を庇って何になるんだ! ロリコン教師は、悪人でも子供ならその身を挺して守るのか。そうして信頼を得たところで、手を出そうって魂胆か。クソ野郎が! その身勝手さで、苦しむ人間がいるとも知らずにな」

「なにを言っているんだ。三神さんは、悪人なんかじゃない。この事件を解決するために、誰よりも尽力をしている。お前なんかに、渡すわけにはいかないんだ」

「キレイごと言ってんじゃねえよ!」

 日向が、鉄パイプを力いっぱい叩きつけながら叫んだ。その様は鬼気迫るものがあり、葵や聖は身動きが取れなくなっていた。

「俺は知ってんだぞ。お前が、そこにいる清家聖にぞっこんで、手を出してるってな。生徒に目撃者がいたらしいぞ。お前が清家聖をとある教室に呼びだし、二人きりで過ごした。その後教室から出てきた清家聖は、目に涙を溜めて、はだけた制服を両手で押さえながら走っていったらしいな。別の生徒は、お前が服を脱げって命令しているのを聞いたらしいぞ。とんだロリコン教師がいたもんだ。清家聖は神社の娘でありながら、不幸の星のもとに生まれたらしいな」

「黙れ!」

 神倉はそう叫ぶと、一心不乱に日向のいる方へと走り出した。

「駄目。先生戻って!」

 聖が叫ぶも、神倉は日向の眼前にまで迫っていた。日向は鉄パイプを振り上げ、迎撃態勢に入っている。本気で頭を狙っているようだ。

「俺の幸せを邪魔する奴は、全員消えろ」

 日向はそう言い、鉄パイプを振り下ろした。だが神倉は軽い身のこなしでその鉄パイプを交わし、勢いを殺すことなく、強烈なタックルを日向にかました。

 日向は倒れこみ、その反動で鉄パイプを落とした。

 カラカラと無機質な音を鳴らしながら転がる鉄パイプを見て、葵と聖は瞬時に神倉の方へ駆けていった。そして聖は鉄パイプを拾って構え、葵は日向を抑え込むのに加勢しようとした。

 だが、――狙われている人が自ら近付いてきてどうする――という神倉の至極当然な問いかけで、葵は正気に戻り、日向から離れて立った。

「ふふっ、ロリコン教師がこんなに強いなんてな……ちょっと、なめすぎたか」

「これくらいはできないと、生徒を守れないからな。一応、柔道の有段者だ」

 神倉は日向を抑え込みながら、自信満々に言った。

 よく見ると神倉の体つきは、ただ線が細いわけではなく、引き締まっているのだということが分かった。今力を込めて抑え込むその背中は、普段とは比べ物にならないほど大きく、頼りがいのあるものだった。

「日向さん、どうして私をそんなに目の敵にするんですか? 私のなにを、そんなに疑うんですか」

 葵はしゃがんで、抑え込まれている日向と同じ目線にしてから尋ねた。日向は葵と目を合わせず、何もない空間を見ながら答えた。

「妻が言ってたんだ。私には、生き別れになった妹がいるって。その妹は、絶対自分を恨んでいる。もし見つかれば、私は必ず殺されるだろうって……」

 日向は、すべてを観念した様子で話していた。その様子から、嘘をついているようには思えなかった。続けて、葵が問う。

「その妹が、私だと思ったということですか。でも、なんでそう思ったんですか? 奥さんのことは詳しく知りませんが、日向さんと同じ年の頃だとすると、私が生き別れの妹では年齢が合わないと思いますが」

「確かに。妻の妹が生きているとしたら、今はもう二十五歳くらいだろう。ただ、お前が年齢を偽っている可能性もある。それに、年齢なんかよりも、よっぽど合ってなきゃいけない数字があるだろ。そのことを考えると、お前が犯人じゃないとおかしいんだよ」

 日向が葵を疑った理由を話している途中で、葵の思わぬ一言が飛び出した。

「私も日向さんと、同じ意見です」

 葵以外の三人は、目を丸くしている。しかし葵は、そんなことは全く意に介さずに話を続けた。

「よかった。私も今の状況は根本的におかしいと思っていたのですが、他の誰もそれを言ってくれる人がいなかったので、自信が持てなかったんです。でも、日向さんはそれに気づいてくれた。やっぱり、私の考えは正しかったということですね」

「ま、待て。まだ俺が言ったことが正しいかどうかは、分からないだろ。それに、俺はさっきまでお前を殺そうとしてたんだぞ。そんな簡単に信じていいのか?」

「大丈夫です。この違和感に気付くということは、あなたも私も同じことを考えているということは、あなたも鬼ではないという何よりの証拠です」

「言ってることが、滅茶苦茶すぎる」

 能天気に話し続ける葵に、日向は呆れた様子を見せた。

 そんな様子を見て、神倉が話に割って入った。いつの間にか、日向を取り押さえるのは止めていた。

「あの、話が理解できなかったんだけど。今の状況がおかしいって、どういうこと?」

「だって、数が合わないじゃないですか」

「何の数?」

「それはもちろん――」

 葵はそこまで言いかけたところで、不意に言葉を止めた。その目線の先には、神倉がタックルした時に落としたであろう、日向のロケットネックレスが落ちていた。ロケットネックレスは口を開けていて、中の写真が見えるようになっていた。

 葵の視線に気づいた日向は、慌ててそれを拾い、首に大切そうにかけ直した。

「日向さん、いくつかお聞きしたいことがあるんですが」

「俺は、お前を疑わなくなったわけじゃない。お前が犯人である可能性は絶対に捨てない。だから、お前に話すことなんて無い」

 立ち去ろうとする日向の後を、葵は黙ってついていった。他の二人も、その後を追った。コンクリート工場を出るまでは気にしないようにしていた日向だったが、ただ黙ってついてくる三人に、さすがに苛立った様子を見せ始めていた。

 コンクリート工場を出て右に行こうとしたことにも付いて来ようとした三人に、日向は踵を返して叫んだ。

「なんなんだよ、さっきから! いつまでついてくる気だ」

「日向さん。ペンダントの中の写真に写っているのは、あなたのお嫁さんですよね」

「そうだよ! だったらなんなんだ――」

 日向がまた叫ぼうとした時、葵は人差し指を立てて見せた。

「言うべきか、言わざるべきか……迷ったんです。でも、私には決められません。だから、日向さん自身に決めてもらいます」

「……なにを?」

「いつか知らざるを得ない残酷な真実を今知るか、真実が明らかになるまで夢を見続けるか。選んでください」

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