第15話 つかみどころの難しい二人
公民館の引き戸をそっと開けて、隙間から周囲を観察する三人。物陰が多いため確証はないが、周囲に人影は見えなかった。
「こちら一番上の神倉、周辺に人影などの異常は見られない。どうぞ」
突然神倉が、無線でやり取りするかのような口調で話し始めた。あまりに呑気なその口調と態度に葵は、益々神倉のことがつかめない人間のように感じられた。
「こちら、真ん中の聖。上にいるのっぽと報告は同じ。どうぞ」
どうやら、聖もつかみどころが難しいらしい。
二人が期待を帯びた目で上から葵を見下ろしていたため、葵も渋々その雰囲気に合わせて話すことにした。但し、あからさまな皮肉を込めて。
「こちら、一番下の葵。さっき私に、危機感を持てと怒ったのは誰ですか? 今のお二人を見る限り、明らかに楽しんでいますよね。子供なんですか? どうぞ」
「それとこれとは、話が別だ。どんな時でも楽しむことを忘れてはいけない。子供心を持ったまま大人になったって、いいじゃないか。いやむしろ、その方がいいじゃないか。未来に明るく、大きい希望を持とう。どうぞ」
「いい加減気持ち悪いんで、これ止めましょう。時間はいつまでも待ってくれるわけじゃありません。私たちにはもう、時間が無いんです」
そう言いながら、葵は立ち上がって公民館を出た。慌てて聖が後を追う。それに続いて神倉も公民館を出たが、慌てていたためか、神倉は公民館の引き戸の角に足を取られてバランスを崩し、そのまま地面に倒れそうになった。
大きな声を上げながらけんけんの状態で腕をぐるぐる回し、必死に耐える神倉。しかし遂には重力に負けそうになり、咄嗟に近くにあった聖の手に両手でしがみついた。
「きゃあ!」
突然のことで驚いた聖が強く引き下げられた右手を、無意識の内に力強く引き上げたことで、神倉は遂に何の支えもなくなった。神倉の両手は聖の手につられて上にあがっていたため何の抵抗も出来ずに、神倉は顔から地面に倒れこんだ。
声とも言えない何かを出しながら顔を地面につけている神倉を見て、思わず葵が口元に手をやりながら顔を背ける。聖も、咄嗟に顔を逸らした。二人とも、明らかに肩が震えていた。
起き上がってそれを見た神倉は、鼻の下を手で擦って鼻血が出ていないことを確認した後に、あからさまに不機嫌な様子で大きな咳払いをして、手を後ろに回した安めの姿勢になった。大きく胸を張ったその姿勢は威厳を感じさせるものながら、明らかに照れ隠しで行われているものだった。
聖はその気配を察知して、すぐに神倉の方へ向き直した。顔つきは、いかにも神妙で、緊張感を持ったものだった。葵もそれに倣って神倉の方を向き直したが、まだ口元が綻んでいた。この辺りは、年齢による人生経験の差が顕著に出たのだろう。
神倉はその葵の様子に苛立ちを感じたものの何も言わずに、落ち着き払った声で聖に向かって話し始めた。顔には怒りの表情が交っていたため、むしろその落ち着き払った声が、恐怖感を演出していた。
「なぜ、手を離した。あそこで手を離せば、どういう結果になるかは分かっていただろう。助けようとは思わなかったのか。俺のこと嫌いなのか」
問い終えた神倉のその表情は、あの作為的な笑顔だった。葵は、より一層恐怖心が煽られた。
「いえ。あまりに咄嗟のことだったので、無意識の内に手を動かしてしまいました」
冷静に答える聖。その姿勢は、直立不動というにふさわしいほどきれいだった。恐怖心を悟られまいと考えた葵も、咄嗟にその姿勢に倣う。
神倉はしばらく聖に睨みを利かせた後、再度大きな咳払いをし、今度は葵に話しかけた。今の表情はあの作為的な笑顔とは違い、とても自然な笑顔だった。
この人の笑顔は何種類あるんだろう、と葵は不審に思った。葵にとっては、既にその二面性が恐怖の対象となっていた。
「まずは、どこに行くんだ? 島は広くないといっても、闇雲に歩くだけなら、ただ時間を浪費するだけだ。ちゃんと、目的地を決めないと」
「コンクリート工場に行きましょう。神倉さんはもう現場を見ているようですが、聖さんはまだ見ていませんよね。現場を見た上で、意見を聞かせてください」
葵が丁重に願い出ると、聖は二つ返事した。だが、神倉は首を傾げて何かを考えている。視線は斜め上を向いて、何かを思い出しているように見えた。
「あの神倉さん、いいですか。コンクリート工場に向かうということで。それとも、何か気になる場所でもあるんですか」
「あ、いや、その……僕コンクリート工場の中を見たなんて話したっけ?」
「いえ、日向さんから聞きましたよ」
「……なんて聞いたの?」
「私がコンクリート工場で見た女性の話をしたときに、俺もコンクリート工場の中を見て事件があったのは知ってた、と言っていました。だから、神倉さんと一緒に西側を探索した際に見たんだろうと思って」
「いや、俺は見てないよ。さっき三神さんから初めて聞いて、驚いたもん」
「え、そうなんですか? でも、西側の探索を一緒にされましたよね。その時に、生存者を探しにコンクリート工場には入らなかったんですか?」
「うん。僕は入ろうとしたんだけど、日向さんがそこはもう見たって言ったから、入らなかったんだ。丁度その少し前に、僕はトイレに行ってたからさ、その間に見てたみたいだね。だから、僕は入っていないよ」
神倉の言葉を聞き、葵は日向との市役所でのやり取りを思い出し、考えを深めた。
確かに日向は、“工場の中の隠された血痕で、あの工場で何か悲劇が起こったのは俺でも分かった”と言っていた。だがもしこれが神倉と探索に当たっていた時に見ていたのだとしたら、“俺たち”と複数形で話すのではないだろうか。それに、今神倉はその血痕を見ていないと言った。
これらがすべて正しいのだとしたら、血痕を発見した時、日向は一人だったことになる。では、いつそれを発見したのだろうか。
日向の神倉への発言を信じるなら、神倉がトイレに行っている間に一人で発見したことになる。だが、そんな事件の痕跡を発見しておいて、それを誰にも話さないというのは不自然と言わざるを得なかった。
この日向の不可解な行動には、何か意味があるのだろうか。
「……ここで考えていも埒が明かないでしょ。とりあえず、そのコンクリート工場に行ってみよう。ひょっとしたら、この無能のっぽが聞いた話を忘れている可能性だって、無いわけじゃないんだし」
「誰が無能のっぽだ」
神倉の鋭いツッコミが炸裂したところで、葵は思考の世界から現実の世界へ戻ってくることができた。
確かに日向の不可解な行動は現状では説明できないが、それだけで彼の犯行を疑うのも決めつけが過ぎる。今はまだ、視野を狭めるには早すぎる。もっと様々な可能性を考えながら、情報収集に努めるべきだ。
葵はそう自分に言い聞かせ、一旦そのことについて考えることを止めた。そして飛び切りの笑顔ではしゃぎながら、右手を高らかに掲げて出発の合図をする。
「さあ、それじゃあ例のコンクリート工場に向けて、出発進行!」
「うわっ、先生どう思いますか。あの子、事件現場に向かうのにあんなにテンション高いんですよ」
「あ、あれはサイコパスというやつだな」
「私、行きたくなくなってきました」
思考世界のことを認識できない神倉と聖の目には、葵が事件現場へ向かうことで突然テンションが跳ね上がった人として映っていた。あまりの緊張で気がふれたのだろう、と思われていた。
「テンションを間違えたことは謝りますので、ついてきてください。お願いします」
葵が、思考世界に入る前のテンションに戻って謝罪した。他の二人はそれを見て胸を撫で下ろした。
葵は二人に背を向け、コンクリート工場に向かって歩き始めた。その顔には、微笑が浮かんでいた。これまでの捜査に、確かな手応えを感じられたからだ。
神倉と聖はその表情の変化に気付くことなく、葵の後を追ってコンクリート工場に向かった。
――その更に後ろにも、後に続く人影が一つあった――
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