第13話 少女は助けを求める

 葵は公民館への道中、頭の中で事件の概要と自説を検証していた。最初の自分の考え通りにあの人物が鬼だとすると、様々なことに合点がいく。

 だが、どうしてもコンクリート工場にいた正体不明の女性に関しては、納得のいく結論を出すことができなかった。この件まであの人物が犯人だとしたら、その動機が何か分からない。

 そうして考えこみながら歩いていると、いつの間にか公民館にたどり着いていた。

 最初に公民館に生存者全員で集まった部屋、一階にあるあの大きな部屋は、学校の中にある体育館のように、そこだけに出入りするための大きな引き戸が備え付けられていた。

 葵はその引き戸に手をかけて開けようとしたが、中から男女の言い争うような声が聞こえたので、戸を開けずに聞き耳を立てることにした。

「だから、全部俺に任せてくれればいいんだ。悪いようにはしないから」

「嫌です。もう、大人は信用しません。もう二度と、裏切られるのはごめんなんです」

「裏切らないって言ってるだろ! 俺を信じろ! ……とにかく、俺に身を委ねてくれればそれでいい。君はただそこに、寝転がっていればいいんだ。後は俺がうまく処理するから――」

「嫌! やめて、助けて!」

 中の様子はまるで分らなかったが、女性の叫び声を聞いて居ても立っても居られなくなった葵は、力の限り戸を引き、音を立てながらそれを開けた。

 中に居たのは、神倉と聖だった。神倉は右手を大きく伸ばし、聖の左手の包帯を強く掴んでいた。聖は背中を丸めて、防御態勢を取り、全身を震えさせていた。

「なにしてるんですか?」

「いや、別に。なんでもないよ。ねえ、聖さん」

「……大丈夫、心配しないで」

 神倉は葵に向かって笑顔を向け、両手を大げさに広げて危害を加えていないとアピールした。だが、その笑顔は何処か引きつったもので、作為的なものを感じざるを得ないようなものだった。

 聖は神倉の手が離れた途端、全身の力が抜けたように、床にしゃがみこんだ。両手がまだ、小刻みに震えている。

 葵は、神倉を睨みつけた。すると神倉は、一度気まずそうに目を逸らして聖を見た後、再び作為的な満面の笑みを浮かべ、少し高い声で葵に話し始めた。

「ところで、三神さん。ここまで戻ってきたということは、もう事件は解決できるのかな?――少なくとも、糸口くらいは掴んでいるんだよね」

「いいえ、むしろ分からなくなりました」

 葵の弱気な発言に、神倉の作為的な笑みは崩れた。

 すると聖が床にしゃがみながら、優しい声で葵を近くに呼んだ。その声はさながら、娘を心配する母親か妹を心配する姉のようだった。

 葵はその呼びかけに応じ、聖の近くにしゃがみこむ。神倉への警戒心からか、聖の隣を陣取り、神倉の方に睨みを利かせていた。

 すると聖は、神倉も近くに座るよう呼び掛けた。それを聞いて目を丸くする葵の耳元で、聖が優しく囁いた。

「大丈夫。神倉先生は悪い人じゃないから。きっとあなたを助けてくれる」

 神倉も最初は葵の様子をうかがいながら右往左往していたが、聖の耳打ち後に葵が睨むのを止めたのを見て、大人しく座った。多少の配慮からか、神倉は二人の正面に、少し距離を開けた位置に座っていた。

「葵さん、これまでこの島で起きたことに関して分かったこと、全部私たちに話してくれる?」

 聖が、葵の方を見ながら言った。その目は慈愛に溢れた優しい目であったが、何処か後悔のような負の感情を帯びているようにも感じる不思議な目だった。

 葵はしばらくその目に見とれた後、ゆっくりと現状を整理して話始めた。あのコンクリート工場の女性の件は、特に時間をかけて話した。

 最初にその話を聞いたときは、二人とも驚愕の表情を見せていた。特殊能力が本当だったことに驚いたのか、事件が起きていたことに驚いたのか、そのどちらかは分からなかった。ただ葵はその反応を見て、一旦二人には心を許してもいいと考えた。

 話し終えると、神倉と聖は手を組んで唸り始めた。

「ひとまず、祭りの日にこの島で起こったことの全容は明らかになってきたみたいだね。三神さん、今のところの謎をすべて洗い出してみないかい?」

 そういうと神倉は、どこからか持ってきた模造紙とペンを取り出した。模造紙を三人の真ん中に慎重に広げ、ペンで書き始めた。さすが教師というべきか、その字は書道の見本にしたいほどに整った字形をしていた。

「まず祭りの日にこの島で起こった事件は、現状分かっている時点で二つ。一つは、鬼の力で島民が姿を消したこと。もう一つは、コンクリート工場で何者かが殺害されたこと。この二つの事件があの日の夜、この島で起こったことになる」

「二つの事件の犯人は、別なのかしら」

「どちらの可能性もあると思います。それを考えるうえで一番大事なのは、鬼が島民を消した目的です」

 冷静さを取り戻した葵を見て、聖の表情が少し和らいだ。そのまま、話を続ける。

「目的?」

「はい。鬼の目的が島民への恨みや復讐で、最初から島民を消すつもりだったとしたら、わざわざ一人だけ直接手を下す必要はないと思います。でも、鬼の目的が別にあったとしたら、同一犯の可能性もあるかもしれません。色々考えましたが、私にはその別の目的が何一つ思いつきませんでした」

 葵は言葉の内容通り自信が無いようで、その話し方は思わず抱きしめて心配したくなるほど、とても歯切れの悪いものだった。

「三神さんは、どう思うの?」

 神倉が、首を傾げて葵の方を見ながら聞く。その様子はさながら、授業中に自信がない生徒に優しく質問する、生徒から慕われている先生といった具合の雰囲気だった。

 そんな雰囲気の神倉を見て、葵の中にあった動揺はわずかにおさまった。葵は一度目を閉じて深呼吸し、自分の心や思考を整理して切り替えてから、再度聖や神倉の方に目をやって話始めた。

 その話し方はさっきまでの自信の無さが現れた歯切れの悪いものではなく、言葉の端々に自信を伴った、はきはきとしたしゃべり方だった。

「私は、鬼の目的は島民を消すこと自体には無いんじゃないかと考えています。そして、たぶん鬼は――」

 葵が鬼として疑っている人物の名前を言った瞬間、神倉と聖の二人が生唾をのんだ。それを見て葵は、咄嗟に理由を説明するのを止め、そこで話を止めた。二人が、情報を咀嚼する時間が必要だと考えたのだ。

 それに鬼以外にも警戒するべき人間がいるかもしれないと分かった今、安易にすべてを話すことは危険だと判断した。それよりも情報を小出しにして動揺を誘い、その時の反応をうかがう方が得策だと考えた。

「なんで、その人を疑うんだ?」

 ようやく尋ねる神倉。葵は注意深くその様子を観察し、少し眼光がきつくなっていることに気付いた。

 まだ、完全にこの人を信頼するわけにはいかない。そう感じた葵は、詳細を説明することを止め、曖昧な表現で誤魔化すことにした。もちろん口調も、少し前の自信が無さそうなものに戻した。

「もちろん、まだ核心に迫れたわけではありません。疑いの段階です。ただ、この人だけが明らかに最初から嘘をついているし、不自然な発言もしているんです」

 葵がそう言うと、神倉は腕を組んで少し考えこむ様子を見せた。

「こんな可能性も考えられるんじゃないかな?」

 しばらく考え込んでいた神倉が、その口を開いた。声の調子は何処か自信が無さげであったが、目はしっかりと葵を見据えていた。

 葵はその目に、既視感があった。そう、三者面談の時に嫌味たらしく葵の夢を否定して、自分が考えられる中で最も実現可能性の高い進路を押し付けてくる、あの禿げた担任だ。自分がまだ中学一年生だというのに、可能性を全否定してグダグダと御託を並べる、あの性格の悪い担任だ。

 葵は思わず両手の拳を強く握り締め、戦闘態勢に入った。今にも右ストレートを繰り出す、そんな気迫に満ちたファイティングポーズであった。

「葵、なにしてんの」

 聖の冷静なツッコミ。葵は恥ずかしくなって、思わず顔を伏せた。そんな光景を見て、戸惑いながらも神倉は続けた。

「……コンクリート工場での事件が、島民を消す動機となった可能性はないかな?」

「コンクリート工場の犯人と鬼が、同一人物だということですよね。でも、動機も自分の起こした事件ということですか?」

 葵は顔を伏せながら、神倉の言葉に答えた。顔こそ見えないが、その言葉尻などからは、神倉の言葉が腑に落ちていないことがひしひしと伝わってきた。

「これはあくまで僕の想像で、可能性の話だ。祭りの夜、鬼は何者かを誘拐し、コンクリート工場に監禁した。そして拷問の上、その命を奪ってしまった。慌てた犯人はコンクリート工場に残っていた在庫のコンクリートを巻いて血痕を隠し、遺体も処理しようとした」

「そこまでは、よくいる殺人犯ですね」

「殺人犯はよくいないでしょ。葵、なんか様子が変だよ? まるで今いない大嫌いな誰かへのストレスを、神倉先生にぶつけているみたい」

 優しく諭す聖。葵は図星を突かれすぎて、顔を伏せるしかなかった。

「続けていいかな? ……まあ、そうして証拠を隠滅していた犯人だったが、そこである問題が起こってしまう」

「問題?」

「後ろで物音がしたんだ。あるいは、誰かが走り去る音を聞いた。つまり、目撃者に気付いてしまうような、そんな何かがあったんだ。犯人は、慌てた。このままでは、せっかく血痕を隠した意味がなくなる。犯行が隠蔽できなくなる。目撃者を消す必要がある。しかし、その時にはもう目撃者の姿が無い。誰か分からない。そこで犯人は、鬼の力で島民を全員消すことにした。これで、完璧な隠ぺいが完了する。あとは、自分が鬼だと見抜かれなければいいだけだ。そう考えている……とか」

 話が終盤に差し掛かるにつれて語気を弱める神倉の姿に、本人も無茶がある推理だと感じていることが現れていた。話を最後まで聞いた葵は、少し間をおいてから顔を上げて話し始めた。

「確かに、その可能性も全くないわけではないと思います。でも、一つだけ気になることがあります」

「……何?」

「鬼伝説がすべて真実だとした場合、鬼は祭りの日の少し前からその力を持つことになります。自覚があるかどうかは伝説からは分かりませんでしたが、自覚が無いと鬼の力を使うことは出来ないので、自分が鬼の力を持ったことは分かると考えるのが自然です。それなら、自分が鬼の力を持っていることを知っているのに、なぜ犯人はわざわざ自分の手を汚したのでしょうか? 恨みのある人がいるなら、その力でどうにかすればよかったはずです。危険を冒してまで、犯行をする理由が無いと思います」

 葵がそう言うと、神倉は人差し指を立てながら、まさにその通りといった具合に、激しく頷いた。葵はその仕草に少し苛立ちを覚えたが、またここに居ない担任への八つ当たりによるものだと感じたので、グッと堪えた。

「そう、その通り。そこに謎が残る。考えられるパターンは二つある。一つ目は、もともとその人が鬼の力を使う気が無かったパターン。二つ目は、その被害者に自分で手を下さないと気が済まないような何かがあったパターン。もし二つ目のパターンだったとしたら、被害者の特定が事件解決の役に立つかもしれない。でも――」

 話し始めの頃とは打って変わり、伏し目がちに言う神倉。被害者の顔を見ながら未だ特定できていない葵を気遣っているようだった。

 葵は自責の念を感じ、肩を落とした。

「なにか、ヒントでもあればいいけど」

 聖がそう言ってフォローを入れたが、葵は無言のままだった。

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