第12話 明確な敵意
日向が資料室から出てくるのを見て、只野は思わず身構えた。協力を申し出ている鬼頭とは違い、油断ならない相手だと考えたからだ。
一方日向は、こちらを一瞥するとすぐに背を向けた。まるでこちらのことを、意に介していな様子だった。
「待ってください」
葵が呼び止めると、日向はその歩みを止めた。だが決して振り返ることはなく、声を出すこともしなかった。葵は少し戸惑ったが、構わず話し続けることにした。
「日向さん、協力していただけませんか。これだけの大掛かりな事件なんです。全員の協力が必要なんです。もちろん日向さん、あなたの協力もです」
「君に協力する筋合いはない。何故なら俺にはもう、鬼の見当がついているからだ」
日向の思わぬ一言に、只野と葵は息を呑んだ。
「日向さん、その……あなたが鬼だと思っているのは誰ですか?」
「そんなの、本人に直接言えるわけがないだろう。しかし、島民ではないフリをするのは、敵ながら天晴だと思ったよ。確かに、島民ではないなら鬼候補としては考えられない。簡単に容疑者から外れられるうえに、信頼されるというおまけも付いてくるんだから。相当計画したんだろうね」
「……それって、私が鬼だと疑っているということですか? いい加減にしてください。私の能力を信じないのはあなたの勝手ですが、私は申請書付きで祭りに参加しました。つまり、この役所の人が私の身分を調べた上で、島民ではないのに特別な参加権を与えたんです。そのことも……島民の方がしたことも疑うんですか?」
「そんなものはいくらでも誤魔化せる。俺もこの役所では働いていたことがあるから、その辺りの事情は詳しいんだ。お前には騙されないぞ」
葵は必死に説得するが、日向は一切聞く耳を持たない。完全に葵のことを鬼だと思い込んでいるようだった。
「もう、コンクリート工場に居た人の正体も分からないのに。どうしたらいいの?」
日向との問答の末つい愚痴をこぼしてしまった葵だったが、その言葉に日向は反応し、こちらに急激に近付いてきた。
「貴様。今、何と言った」
その迫力に、思わず葵がたじろいだ。そばで見ていた只野は、日向の前に立ちふさがると、経緯を話始めた。
「お前が居なくなった後、清家聖を除いた四人は三神さんに協力を申し出た。その後僕たち二人は、まだ見ていなかった西側の見回りに行った。その時、彼女には見えてしまったんだ。コンクリート工場に佇む、人影があることを」
「……あんた、まさかその小娘のオカルト話を信じているのか? 本当にあのコンクリート工場で誰かが死んだと、そう言うのかい?」
「彼女に実際、被害者の姿が見えているかは分からないし、この際どちらでも良いと思っている。でも、コンクリート工場を調べると、真新しい血痕があった。状態から見て、その場で何かが起こったのは、祭りの日のことだろう。間違いなく、あの日の夜、あの場所で、血を流した被害者がいた。それも、出血量からしてその被害者はもう――」
そう言いかけた時、日向は只野の体の脇を抜け、左手で葵の胸倉に掴みかかった。葵は恐怖で動けなくなり、只野は日向の振り上げた右腕を止めるので精一杯だった。
「日向さん、何してるんですか。その手を、放してください。私も一応警察官です。暴行の現場を見て、見て見ぬふりは出来ませんよ」
「うるさい! こんな小娘にいいように扱われるような頼りない警察官、居ても居なくても同じだ!」
「や、やめてください。助けて……なんで、こんなことするんですか?」
涙目の葵。だが、激昂した日向の前では、彼を焚きつける以上の効果を持たなかった。
「黙れ小娘! 工場の中の隠された血痕で、あの工場で何か悲劇が起こったのは俺でも分かった。でもな、それを見る前からお前は何でそのことが分かった。外から血痕は見えなかっただろ。中に入るまで、何も分からなかったはずだ」
日向の両手に込められる力が、益々増していく。只野が少しでも力を緩めれば、いつでも日向渾身の右ストレートが葵の顔に炸裂する状態だった。
葵は、涙ながらに訴える。
「だから、私には視えるんです。成仏し損ねた人の姿が――」
「いや、違う! お前がコンクリート工場で殺人事件があったことを知っていたのは、そんな非科学的な話ではない……そう。答えは、もっとシンプルだ」
全身の力を緩め、両手を下ろして言う日向。その口角は上がっていたが、目は一点に葵を見つめていた。オオカミやライオンなどの野生動物が、逃げた獲物を何処までも追いかける時のような、鋭い目つきだった。
声は先ほどまでとは打って変わって、粘り気のある粘着質な声になっていた。ドラマやアニメの中で、味方だと思っていた裏切り者のキャラクターが正体を現す時に使う、あの何処か不気味さもまとわせたような声だった。
「お前が、コンクリート工場で彼女を殺した真犯人だ。だからあの工場で惨劇が起きたことを知っていたし、被害者の特徴も分かった。それを、霊能力なんていうくだらないもので見えている設定にして、自分の罪から逃れようとしている。そう考えると、島民を消したのもお前の可能性があるな。お前は島民全員を恨み、復習するためにここに帰ってきた。だから十代という若さでありながら、こんな状況でも冷静でいられる。そりゃそうだよな。全部自分でやったことなら、何も怖がる必要はないよな」
立て板に水の如く葵を追い詰める日向に、遂に只野が声を荒げた。
「いい加減にしろ! その子は冷静なんかじゃない。コンクリート工場で女性の姿を見た時は、とても取り乱していた。今は気丈に振舞っているだけだ――」
「そうやって、この小娘の演技に騙されているんだよ! お前は、現実をありのまま見ようとしない、都合のいいように捻じ曲げて見ている。だから、こんな小娘の、安い涙で騙されるんだよ。このへっぽこ警官が!」
日向の言葉にさすがに苛立ったのか、制止する只野も徐々に語気が荒くなっていく。そんな時、葵の背中から声が聞こえた。
「なに子供相手に向きになってるんだ? 文彦」
「一……」
声の主は、鬼頭だった。
「なんだか騒がしいと思って来てみれば、子供の前で大の大人二人が醜い口喧嘩。お前は昔からそうだな。自分の感情に正直というか、短気というか。恥ずかしくないのか」
日向は、鬼頭を睨みつけながら話を聞いていた。だがその目はやがて落ち着きを取り戻していった。そして日向は、自分を無理やり納得させるように、何度も小さく頷いた。
「まあ、いい。まだ物証はない。ただの俺の推測だ。今は見逃してやる」
そういうと日向は踵を返し、何処かへ姿を消した。その足取りはどこか重く、何かに悩んでいるようにも見えた。
「日向さん、一さんの言うことはよく聞くんですね」
只野がそう尋ねると、鬼頭が照れ臭そうに頭を掻きながら答えた。
「まあ、幼馴染ですからね。昔から、頭に血が上った彼を止めるのが、私の役目だったんです。仕事柄、出来るだけどんな人にも丁寧な言葉遣いを心掛けていますが、彼にだけは、等身大の自分で接してしまいます。もし私が島長に立候補するなら、真っ先に彼を島から追い出すでしょうね」
「そういう人がいたほうがいいのでは?」
「キャラが崩れてしまいますから」
葵は真面目な顔でそれを言う鬼頭を見て、それが真剣に言っているのかふざけているのか判断が付かなかった。ただ、助けられた礼だけはするべきだと考え、涙を拭い、出来るだけ神妙な面持ちで鬼頭に向き直った。
「助けていただいて、ありがとうございました」
「気にしないでください。私と彼はクラスのマドンナを取り合った仲ですから、あなたと彼の間にも、私が割って入りますよ」
「ありがとうございます」
葵は笑顔で答えたが、鬼頭はどこか不満げな様子を見せた。鬼頭にとっては今のが冗談で、葵に笑ってほしかったのかもしれない。でも、葵には何が面白いのか、それどころかそもそもそれはギャグで言っているのかさえ分からなかった。
「あ、もし涙を拭きたければこちらをどうぞ。こんなことがあったので、まだ週に一度の日課、靴磨きをしていませんから、いくら汚していただいても結構です」
履いていた靴を差し出す鬼頭。今度は葵にもギャグで言っていることが伝わったが、如何せん全く面白くなかった。何かツッコミを入れて対応しようにも、なんというのが適切かも分からなかった。
「……ありがとうございます」
葵は、少し顔を引きつらせながら答えた。それを見た只野は咳払いをして二人の注目を自分に促してから、鬼頭に質問した。
「一さん。先ほど大会議室で持ってきていただいた資料を拝見させていただきました。そこで気になったのですが、昨年六月の広報誌だけが見当たらないんです。心当たりはありませんか?」
「いえ。資料室に合った広報誌は、目に付く限りすべてお持ちしました」
「破棄された可能性は?」
「古い物ならその可能性もありますが、一年前の物ならないと思います。資料は基本、五年間は保存するよう、徹底されていますから……」
「何者かが持ち去ったという可能性は?」
「……否定はできません。ただ、そんなものを持ち去って何の意味があるんですか。広報誌ですから、特に機密情報やお金になる情報が掲載されているわけでもないですし、島民なら誰でも一度は見たことがあるものです。リスクを冒してまで、持ち去る理由はないと思いますが」
「本当にそうでしょうか」
只野が、鬼頭の顔を覗き込む。鬼頭は、思わず目を逸らした。間髪入れず、只野が続ける。
「私の記憶では確か、六月号には清家神社の特集ページがあったと思います。――半年前にその神主と言える清家清美さんが殺害され、その半年後に鬼の力によって島民が姿を消した――この二つの事件は、本当に無関係なのでしょうか? ……何か知っていることがあるなら、教えていただきたいのですが。まさか、あなたがこの件に関わったりしていませんよね?」
「そんなこと、あるわけないでしょ! いい加減にしてください!」
鬼頭は珍しく声を荒げてそう叫ぶと、二人に背を向けて歩き始めた。葵と只野、どちらが呼び止めてもその歩みを止めることはなかった。
「なんで、あんな詰めるような言い方したんですか。協力を止められたらまずいって言ってましたよね」
葵がそう尋ねると、只野は落ち着いた様子で答えた。
「僕は祭りの日に、島長からの伝言だと言われて、一さんから突然本土に行くよう言われた。表向きは、清家清美さんの件で根を詰めすぎているから、そのことを忘れる時間を作るという理由からだった。でも、その日に何者かが殺害され、島民は姿を消した。大きな事件が二つも起きたんだ。“偶々僕が本土に行っている”、そんな日にね」
「島長を疑っているんですか?」
「……少なくとも、祭り当日に僕がこの島に居ては困る、そんな事情があったんだろうね」
しばらくの沈黙。葵も只野も、この状況で何を切り出せばよいのか、迷っているようだった。
「あの、只野さん。お願いがあるんですが……」
「お願い?」
葵は只野に耳打ちでお願いを伝え、只野はそれを了承した。
「じゃあ、行ってくるよ」
「あ、一人じゃ大変ですよね。私も手伝います」
「いや、大丈夫。力仕事は、男に任せておいてくれ」
只野はそういうと、足早に去っていった。
「確実に嘘をついている、あの人が鬼だと思ったんだけど。これは……違う可能性も出てきちゃったな」
そんなことを言いながら、葵はため息交じりに肩を落とした。そしてそのまま、公民館に向けて歩き始めた。その足取りはとても重く、亀を想起させるような歩行スピードだった。
――そんな葵の姿を、物陰からじっと見つめる人影があることに、誰も気づいてはいなかった。その人影が、後をつけ始めても――
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