第8話 島を眺めて思う
葵は聖と別れ、公民館に戻った。十分ほどの時間が経っていたためか、島長と鬼頭の姿が無かった。神倉に二人の居場所を尋ねると、葵が公民館を出てすぐに、二人で役所に戻ったことが分かった。
葵は、目を閉じながら足を座禅の時のように組んでいる只野に、恐る恐る声をかけた。
「只野さん、一緒に来ていただけませんか。私だけでは島の地理がよく分からないので」
ゆっくりと目を開け、返事をしようとする只野との間に、神倉が割って入った。そんな神倉の姿を見て、この空気を読まずに急に沸いて出てくる雰囲気は誰かにそっくりだ、と葵は内心そう思っていた。
「葵ちゃん。それなら、俺が付いて行くよ。こいつじゃ、役不足だ」
その言葉に対し、只野は語気を強めて反論した。その言い方は只野には珍しく、明確な敵意を帯びていた。
「お前が言いたいのは、役不足じゃなくて力不足だろ。教師の癖に、そんな初歩的なミスをするのか。レベルの低さが垣間見えるな。お前こそ、力不足だ。部屋の隅で“たいくすわり”でもしてろ」
「“たいいくずわり”、な」
二人の険悪なムードに耐えきれなくなった葵が、神倉に別の申し出をするという柔らかい厄払いをしたことで、その場は収集した。
「さすが三神神社の巫女さんだ、厄介払いが上手だな」
只野が小声でそんなことを言ってきたが、葵は無視した。幸い神倉にも聞こえていなかったらしく、喧嘩が再開することは無かった。
その後神倉が笑顔で手を振って見送る中、葵と只野は横並びで歩き始めた。少し歩いたころで、只野が葵に尋ねた。
「どこへ向かうんだ」
「災厄の鐘です。あそこは島のちょうど真ん中にありますから、地理に疎い私でも、状況を整理しやすいと思って」
そうこうしているうちに、災厄の鐘についた。改めて下から見上げると、中々の高さがあることに気付かされる。そのためか、櫓の麓まで来ているのに、葵が登るのを躊躇していることに只野は気付いた。
「どうした。上に登らないと、状況を整理できるというメリットがなくなるぞ」
「あ、いや。いつものくせで」
咄嗟に顔を伏せて、自分のズボンを手で押さえる仕草をした葵に、只野は苦笑いするしかなかった。話を聞くまでもなく、その内容が分かった。
「なんか、かんちゃんが迷惑かけいてるみたいですまないな。俺は大人だ。そんなことには興味無いから、安心しろ。それに、俺が後ろにいたほうが、いざというときに三神さんを受け止めることも出来るからな」
「え、いや。そういう意味じゃ……じゃ、じゃあ。昇りますね」
葵は、四角い櫓の外側を囲うように設置されている螺旋階段を、ゆっくりと昇り始めた。会談は左回りにあがるように設置されていて、右側には落下防止のためと思われる手摺があるが、左側は櫓に直結している。手摺は頑丈そうにできているため体重を安心して預けられるが、櫓は構造上材木の隙間も多いため、気を抜いて手を突こうとするとその隙間から落下してしまいそうだった。
葵は最初こそ軽快に昇って行ったが、半分を過ぎたあたりから足取りが重くなり、手摺に体重を預けるようになっていった。そして頂上が近づく頃には、時折足を止めるようになっていた。
「ひょっとして、高いところ苦手なの?」
只野がたまらず尋ねた。
「このくらいの高さ、平気です」
葵は、下にいる只野を一切振り返ることなく答えた。
「じゃあ、疲れたの? 情けないな。最近の若い子はこれだから」
「最初から櫓に手をついて昇っている人には、情けないと言われたくありません。櫓に手を突くたびに、コンコンといい音が鳴るので、すぐに分かりますよ」
「バレてたか」
只野がわざとらしい声で言うと、葵も微かに笑った。少しは緊張が解けたようだ。
しかし、もう階段を昇り終えるというタイミングで、葵は止まってしまった。視線はほとんど動かさず、両手両足は小刻みに震えていた。
しかし、その小さな震え以外は一切体が動いていない。まるで金縛りにでもあっているのかというくらい、動かない。そんな葵の姿を見て、只野がたまらず声をかける。
「三神さん、どうしたの? やっぱり高いところが苦手で、怖くて動けなくなった?」
「だから、高いところは平気です。その……私が駄目なのは虫です。気持ち悪い虫がいたから、入りたくなかっただけです。でも、もうどこかに行ったので、大丈夫です」
そういうと葵は、櫓の頂点である鐘のあるスペースに入った。内心そんなつまらない理由かよと少しイラつきながら、葵に続いて只野が入った。
そこは非常に小さなスペースで、屋根から吊るされた災厄の鐘以外は何もなかった。災厄の鐘のサイズはとても大きく、そのスペースの六割ほどを占領していた。そんな大きな鐘を避けて移動するために、体を横に開いて歩く必要があった。
鐘をぐるりと一周した後に、しばらく視線を下ろしていた葵は、意を決したように目線を上げて島を見渡した。東エリアを探し回っている時はものすごく広く感じられたが、こうして見渡すと、この島がそこまで大きくないことを改めて実感した。北東に目をやればあの整備された港が見えるし、森に囲まれて建物自体は見えないが、各方角にある神社の場所まで確認できた。
葵は島の構造全体を見てみると、何処か地理の教科書で見た、パリの街を思わせるものがあると感じた。この災厄の鐘とその周辺の広場が、パリでいう凱旋門のあるシャルル・ド・ゴール・エトワール広場。そしてそこを起点として、南北にまっすぐに伸びるメインストリートが、あの放射状に規則正しく並ぶ街並みに居ている。
違うところは、この隠鬼の島ではメインストリート以外の道が整備もされずに不規則に伸びていて、入り組んでいるところ。そして西側には工場のような、景観を崩しかねない建物が見えることだった。
「あの北西に見える、なんとなくこの島の雰囲気に似合わない、新しい建物は何ですか?」
「あれが役所だね。今、島長たちがいる所だ。三年前に建て替えたから、ピカピカでしょ」
「……只野さん。この事件、只野さんはどう考えていますか?」
唐突に葵が尋ねた。只野は少し面食らったような反応をしたが、左手で髪の毛を整えるようなしぐさをしてから、落ち着いて答えた。
「俺は、神倉が鬼の力を使ったと思ってるよ」
「なんでですか?」
「この事件には、半年前の清家清美さん殺人事件が絡んでいると思うんだ。その事件の犯人が鬼の力を使って、自分にとって不利な証言とかを消そうとした。つまり、証拠隠滅のために島民を消した」
「じゃあ、只野さんは半年前の事件の犯人が、神倉さんだと思っているんですか」
しまった、と言わんばかりに口を大きく開けて驚きの表情をした後、只野はゆっくりと頷いた。
「実はあの頃、駐在所に何度も同じ内容の通報が入っていたんだ。――清家清美さんが、娘を虐待しているってね」
「へっ……」
葵が、素っ頓狂な声を上げた。自分でも思いがけない声が出たのか、葵は少し恥ずかしそうに只野から顔を背けた。
「通報があった以上、僕も捜査しないわけにはいかない。だから調べたけど、虐待の事実はなかった。それどころか、清美さんはどこに出しても恥ずかしくないような、理想のお母さん像そのものだったんだ」
「それなら、なんでそんな通報が……」
「僕も、それが不思議だった。だから、通報者が誰かを調べたんだ。匿名の通報だったから時間がかかったけど、つい最近、通報者が神倉だと突き止めた。だから僕は、神倉に直接問い詰めた。でもあいつは、僕を睨みつけて、捜査には協力しないと一言言ったっきり、何一つ話そうとしなかった。
だから僕はあいつの口を割らせようと、何度も神倉の務める学校に行って聞き込みをしたんだ。そんな時、その教え子だという女子生徒が声をかけてきたんだ。それで……えっと、なんて言ったんだっけな」
只野はしばらく天を仰いで考えた後、思い出したように話し始めた。
「そうだ。事件の直前、神倉が清家聖を誰もいない教室に何度も呼びだしていた、と証言してくれたんだ。更に別の生徒はいたずら心で、二人が教室に入っている時に耳を澄まして、何の話をしてるか聞こうとしたことを証言してくれた……」
只野は、意味深なところで話を切った。葵は気になるところで話を途切れさせられたことに少し苛立ちながら、只野のほうを向き返した。
只野は何度も葵のほうに目をやっては、下を向いたり頭を搔いたりして、その先を言うのを躊躇っているようだ。
「あの、話の内容が分かりませんが、気を使わないで大丈夫ですよ」
葵がそう言った後も、只野はしばらく頭を抱えて考え込んでいたが、やがてその重たい口を開いた。
「……服を脱げ……って、言ってたらしい」
「……」
二人は、思わず押し黙ってしまった。
葵は、聖はどれだけ不幸の星のもとに生まれたのかと、憂いていた。自分と似た境遇であることが、心をより深く抉る材料となった。
「その……年頃の女の子にこういうことを話すのは、どうかと思ったんだけどね」
「……お気遣い、ありがとうございます」
しばらくの沈黙が流れた後、葵は、この狭い空間にいるのが耐え切れなくなり、ゆっくりと階段のほうへ向かった。そんな葵に、只野は声をかけた。
「なあ、三神さん。中学生だって自己紹介してから、神倉が妙に馴れ馴れしくなったと思わないか」
思わず、足を止める葵。明らかに、動揺していた。
「気を付けたほうがいい。あいつとは、絶対に二人きりで行動しないこと。いいかい」
葵は力なく頷き、階段を下りて行った。只野も後に続いた。二人の間に会話は無く、ただ階段を降りる音と手で手摺を擦る音だけが聞こえた。
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