第7話 少女は苦悩する

 葵は状況を整理しようと、公民館の外に出た。すると、少し離れた物陰に、聖の後ろ姿らしきものを発見した。右半身が隠れていてよく見えないが、背中をかなり丸めた状態で体育座りの体制をとっているように見える。

 葵はその丸まった背中を目指して、足音をたてない様にそっと近づき、こちらに気付いていないことを確認してから聖に声をかけた。

「こんなところでなにしてるんですか。聖さん」

 聖は肩を痙攣させた後、ものすごい速さで後ろを振り返った。そして相手が葵であることが確認できると、大きな溜息とともに全身の力が抜けて、落ち着きを取り戻したようだった。

 振り返った時の聖の表情は、目を大きく見開いて少し怯えた様子にも見えた。だが落ち着きを取り戻してからは、顔の筋肉が不動だった。能面――という言葉でも足りないくらいに表情を読み取ることが難しかった。

「鬼を捕まえるって啖呵切ってた人が、鬼の私と仲良く話してていいの? 皆に疑われて、協力してくれなくなるかもよ」

「心配してくれるんですか? 優しいですね」

 葵のその言葉を聞いて聖は葵を一瞥したが、すぐに目を逸らした。

「でも、安心してください。皆もきっと分かってくれます。私が一番心を開いて話すことが出来るのが、性別が一緒で、年齢も生い立ちも近いあなただってことを。……あなたが、本当は鬼じゃないってことも」

 その言葉を聞いた聖は、即座に鼻で笑った。そして葵の方に顔を向け、いかにも悪役らしく、憎たらしく話し始めた。

「驚いた。まさか、本気で私を疑っていないなんて。半年前に母親を殺されて、その犯人が捕まっていない。その後突然、生き残ったその娘が姿を消した。“必ず罪は償わせる”と書かれた、置き手紙を残して……そして島民が消えて、消えたはずの娘が姿を現した。どうみても、私が島民を消した鬼でしょ。この平和しか取り柄の無い島で、その平和を壊した張本人でしょ」

 葵の目には、聖が感情的になっているように見えた。まるで葵に、その考えを肯定してもらいたいようだった。

 だが葵は、どれだけ御託を並べられたところで、その考えを肯定する気にはなれなかった。むしろそんな聖の様子を見て内心、益々鬼の可能性が下がったのではないかと考えていた。

「その平和は、嘘によって守られていたんでしょうね」

 葵のその言葉を聞いた瞬間、先刻まで憎たらしかった聖の表情が変わった。目を丸くした聖の表情がそこにはあった。どうやら根は素直な性格のようで、相当意識しないとあの能面のような顔にはなれないらしい。

「なんで、そう思うの?」

「だって、今生き残っている皆さんに嘘をついている人がたくさんいますもん」

「……それも見えるっていうわけ? 便利な能力ね、羨ましいわ」

「いえ、視えるわけではありません。考えれば分かることです。例えば日向さん。災厄の鐘で目を覚まして真っ直ぐ広場に来たと言っていましたけど、服が汚れていました。不自然です」

 自信満々に話す葵と、少し呆れた表情の聖。

「まだまだ子供ね。広場に走ってくるときに、転んだだけかもしれないじゃない。そういう、色々な可能性を考えないと……」

「服についていた汚れは、泥のようなものでした。そして、それは完全に乾いていました。もし聖さんの言う通りなら、少なくとも泥が完全に乾くほどの時間は無かったはずです。つまり日向さんは、服に着いた泥が乾くくらいの時間、何処かに居た可能性が高いです。これは、明確な矛盾です」

 葵と聖の間を、少し湿った風が通り過ぎた。少しの間をおいて、聖はくすくすと笑い始めた。

「ずいぶん冷静なのね。島民じゃないから、他の皆と抱えているショックの大きさが違うのかしら」

 いたずら好きの子供が、いたずらをした後にバレないかと心配している時のような表情をする聖。横目で斜め下から覗くように、葵の顔を見た。

 だがその視線の先には、さっきまで自信満々に推理を披露していた時とは明らかに違う、思いつめた葵の表情があった。聖はそれを見て忍びなくなり、無言で葵に背を向けた。

 しばらくの沈黙が流れ、再び葵が話し始めた。

「確かに、私は島民ではありませんから、皆さんと同じ悲しみは背負っていないと思います。でも、これから被害に遭うと分かっている人たちを助けられないのは、また別の悲しみがあります」

「どういうこと?」

「三神家の人間が代々見えるのは、成仏し損ねた人だけではありません。人々に降りかかる災厄も見えます。つまり、これから何らかの被害にあう可能性がある人も、事前に分かるということです」

「まさか……今回のことが起こるって知っていたのにこの島に来たの?」

「いえ、詳細までは分かりませんでした。ただ、私を誘った勘二郎には災厄が……血染めの手が見えました。その手が濃く、はっきりと見えるようになればなるほど、災厄が間近に迫っていることを意味します……」

 葵は聖の隣に体育座りの体制で座りこみ、少し下を向きながら、遠い目をして答えた。その小さくか弱い体が、小刻みに震えていた。

 聖は葵に体全体の向きを変えて向き直り、膝に手をついて話を聞き始めた。その目には、ほのかに光るものがあるように見える。

「私は、なんとかしてその災厄から勘二郎を守ろうと、お祭りに行かせないようにしようとしました。でも、彼からそれが消えることはなかった。だから、私が付いて行くことにしたんです。私には、血染めの手が見えなかったから」

 葵は、シャツの裾を強く掴んだ。シャツの真ん中に描かれたお気に入りのキャラクターの顔が情けなく伸びたが、今の葵には取るに足らないことだった。

「何度も、確認しました。自分にそれが出てないか、勘二郎のそれが消えていないか。でも、何度確認しても私には何も出てなくて、勘二郎にはずっと出ているんです。それが日に日に濃く、はっきりとした輪郭を持っていくんです。それだけじゃありません。フェリーやお祭りで見かけたほとんどの人に、それが見えるんです。それも、全員同じくらいの鮮明さで……。最初は地震でも起きて、島が沈むのかと考えました。それくらいじゃないと、あり得ない被害者の数だったから。でも、それだと私や只野さんに何も見えないのがおかしい。だから、どうしたらいいのか分からなかったんです」

 葵は、いつの間にか泣いていた。そのことに気付いた聖は、そっと葵の肩を抱いて、身を寄せた。

「私も、人に見えないものが見えるときがあるから分かるよ。不安だったよね。怖かったよね」

 葵は、しばらく泣いていた。聖は、ただ黙って側にいた。さっきまで二人の間に吹いていた少し湿った風は、いつの間にか止んでいた。ただ、温かい日差しが二人を包んだ。

 そうした時間がしばらく流れ、やがて葵の涙が止まった。葵は、聖に寄りかかりながら、静かに話し始めた。

「聖さん、私はどうすればいいのでしょうか? なにをすれば、皆を助けられるのでしょうか? 他の人から見たら簡単に答えが出せる問題かもしれませんが、今の私にはそれが分からないんです」

「……きっとあなたは、自分が何をすべきか分からないんじゃないと思うよ。多分、覚悟が決まらないだけなんだよ」

「覚悟……」

「そう、何をすべきかは分かっているでしょう。鬼を見つけ出し、島民を取り返すこと。それがきっと、皆が――あなたが望む平和なんだから。その道を信じて進めばいい。ただ、そのためには自分や他の人が嫌がることもしなきゃいけないだろうし、誰かに抵抗されたり、怖い思いだってするかもしれない。その覚悟が足りない。だから今あなたに必要なのは、困ったときに頼りになる、暗闇の中で周りを照らして安心感を与えてくれる、そんな存在を作ることだと思う」

「じゃあ、聖さんがそうなってください」

 葵からの思わぬ提案に、聖の思考は一瞬停止した。

 聖の思考が再開し、ようやくその意味を理解するころには、葵が更に畳みかけて頼み込んでいるところだった。

「お願いします、聖さん。今の段階でこんなことを頼めるのは、あなたしかいません。私を助けてください」

「ちょっと待ってよ、なんで私なのよ。自分で何度も言うのもあれだけどさ、私一番怪しい立ち位置の人間だよ。なんでそんなに信頼できるの」

「神に仕えるものとしての直感……とか。とにかく協力してください」

「……ごめん、できない。でも、あなたが真実にたどり着いたと分かったら、私も本当のことをすべて話す。それは約束する」

 聖は目に涙を溜め、下唇を嚙んでいた。

 葵にはそれが、心の中で何かが葛藤しているように感じられた。そしてそれに答えを出すのは聖さん自身でなければいけないと考え、それ以上深入りしないようにした。

「話を聞いてくれて、ありがとうございました。こんなこと、聖さんにしか話せないから。おかげで、少し頭が冴えてきました」

「それって、日向さんの嘘は、冴えてない頭でも見抜けるほど馬鹿げた話だったってこと?」

 聖が、またいたずら好きの子供の目をする。葵は、少し口角を上げて、明るい声で答えた。

「はい。そういうことです」

 二人は、声をあげて笑った。

「でも、本当に話せてよかったです。……みんなを助けられなかった自分を責めていたけど、それよりも今は、自分にできることをしよう。そう思えました」

「前向きになれたなら、よかった。あなたには私みたいに、不安と恐怖と後悔でまみれた人生を送ってほしくないから」

 聖は笑顔で話していたが、葵にはその笑顔に、どこか悲しみが紛れているような気がしてならなかった。

「……じゃあ、聖さん。協力じゃなくて、私のこと、応援してくださいね」

「……うん、頑張ってね」

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