第6話 生存者はかく語りき

 災厄の鐘から五分ほど東に歩いた場所に、公民館があった。そこは古くから島の人々が集う場所として機能していたことが伝わるような古ぼけた外観をしていたが、一転して中の雰囲気は落ち着いた現代風の内装にアレンジされていた。子供が遊んで過ごせるように設置されたであろう、真新しい遊具なども置かれていた。

 どの世代でも安心して公民館に集まれるようにする、そんな島長の心意気が伝わってくるようだった。公民館の一室に全員が集まると、只野が葵への自己紹介や情報整理を兼ねて、全員が名前と直近の行動を話そうと提案した。

「じゃあ、まずは言い出しっぺの僕から話します。名前は只野正。皆さんはご存じの通り、この島唯一の駐在です。今日の朝、いつもなら帰る人でにぎわうはずの港に誰もいないことを不審に思って、しばらく島を見て回り、あまりの静けさに何かあったのだと直感しました。だから災厄の鐘を鳴らし、こうして皆さんに集まってもらったというわけです」

 只野は緊張からか、頻りに左手を動かしながら話した。いくら駐在といえど、ここまでの事件に動揺しないわけがなかった。いつもは完璧に着こなしている制服のシャツが、右側だけズボンから出ていることが、その動揺をよく表しているようだった。

「じゃあ、次は私が。神倉真、教師をやっています。教師と言いながらお恥ずかしい話ですが、朝はとても苦手で、あの鐘の音で目が覚めました。そこから、真っ直ぐあの広場に向かいました」

 神倉は、自己紹介の間ずっとジャージの裾を引っ張りながら俯き加減で話していた。一度だけ聖のほうへ目を向けたが、その意に介さない表情を見て、またすぐに目を伏せていた。

「じゃあ、次は俺。日向文彦、漁師だ。直近の行動は、この女々しい教師に同じ」

 日向は、気怠そうに後頭部を掻きながら話した。頻りに葵のほうに目をやっていて、何らかのネガティブな感情を抱いていることが明らかだった。

「では、続いては私が話させていただきます。名前は鬼頭一。こちらにおられる島長、鬼頭権蔵の息子であり、秘書でもあります。直近の行動としましては、島長の朝の支度に励んでおりました。島長は朝食にかなりのこだわりを持っていますので、準備に時間がかかるのです。島の静けさは気になりましたが、外には出ていないので、異変には気づきませんでした。鐘が鳴るころには、島長とともに朝食をとっておりましたが、災厄の鐘が鳴った以上我々が後れを取るわけにはいかないと考え、朝食を途中で切り上げて、島長と共に馳せ参じた次第です」

 鬼頭は、何度か眼鏡を上げながら話した。完璧に着こなされたスーツや鈍く輝く革靴には、一切のしわや汚れ等がついておらず、その几帳面で正確さを重視する性格が滲み出ているように感じられた。

「わしは、鬼頭権蔵。先ほど息子が言った通り、島長です。朝の行動は、息子が説明してくれた通りです」

 和服の良く似合う老紳士である島長は、一人称こそ威厳を感じるものの、その腰の低さや言葉遣いの丁寧さからは、すべての人に分け隔てなく敬意を持って接していることがよく分かった。

「私は、三神葵。三神神社の一人娘で、今は中学生です。祭りの前日に島に来ました。今朝は九時くらいに目を覚まして、町の異変に気付きました。鐘が鳴ってからは皆さんと同じく、一目散に駆けつけました」

「え、中学生だったの」

 神倉が、素っ頓狂な声を上げた。

 葵は、喰いつくところそこかよ、と内心思いながら、少し困ったような表情を神倉に向けた。

「あ、いや。大人びた雰囲気だったから、もうちょっと年齢が上なのかと思っていたからさ……」

「そうか? 俺は、小学生かと思ってたぜ。霊的なものが見えるとかふざけたこと言うし……それに、シャツのセンスも」

 神倉が恥ずかしそうに言い訳をした後、日向が嫌味たらしく、葵の着ていたシャツを指さしながら言った。葵は極限状態だったので何も気にしていなかったが、寝間着のまま出てきたことに今気付いた。

 そしてそのど真ん中に、可愛い子供向けアニメのキャラクターが大きく印刷されていたことを。葵は、咄嗟にシャツのキャラクターを隠した。

「そういえば三神さん。さっき言ってた、成仏し損ねた人がどうとか言うのは、なんだったの?」

 変な方向に進みそうになっていた話を、只野が軌道修正した。

 葵は、少し恥ずかしそうにしながらも、前を向いて答えた。そうしないと、誰も話を聞いてくれないような気がしたからだ。

「三神家の人間は代々、人々に降りかかる災厄や成仏し損ねた人……いわゆる霊的なものが見えるんです」

「三神さんにも、それが見えるってことか。それで、この島には、その……霊的なものが見えないってこと?」

「はい。まだ西側を見ていないからはっきりとは言えませんが、少なくとも東側では見えませんでした。もし、本当に昨日の夜のうちに全員向こう側の世界に送られたなら、島中それで溢れていないとおかしいと思います」

「つまり、まだ全員、何処かで生きてるってこと?」

「あるいは、まだこちらの世界へ戻す方法があるかもしれません」

 葵と只野の問答が終わった後、全員が島長を見た。島長はおもむろに、懐から古びた本を取り出した。表紙には、“結界島鬼伝承譚けっかいじまおにでんしょうたん七”と書かれている。

「はるか昔、この島が結界島と言われていた頃に書かれた書物です。ここに、島民にも知らせていないことを含めて、鬼伝説のすべてが記されています」

 島長は、秘書の鬼頭に書物を手渡した。鬼頭は、その場にいる全員で確認できるように大きな声で、一つ一つの文章を丁寧に読み上げた。所々葵には難しい言葉で書かれていたため困っていると、神倉が近づいてきた。

「言葉、難しかったでしょ。嚙み砕いて説明するから、よく聞いておいてね」

 葵は頷いた。教師というだけあって、神倉の説明はとても上手だった。神倉が葵のペースに合わしながらゆっくり話してくれたので、葵はひとまずすべてをメモに取ることが出来た。その内容は、次の通りだった。


 其の一:鬼の力は、六十六年に一度復活する

 其の二:鬼はその姿を現すのではなく、一人の島民に、一度だけどんな願いでも叶える力を授ける。力を授けるのは六月一日で、行使できるのは六月六日から日付が変わる、前後五分間である。

 其の三:鬼の力が行使されると、五人の英雄がその時島にいる人間から選ばれる。英雄は、鬼の力への抵抗力を持ち、その力の影響を受けない。

 其の四:六月七日の日没までに、英雄は鬼の力を授けられた島民を見つけて、島の四方向の神社のいずれかに沸く聖水を飲ませる。そうすれば、鬼の力は効力を失い、願いはすべて無かったことになる。

 其の五:鬼の力は、島にいる島民のみに影響を及ぼし、島外の人間には一切影響を与えない。

 其の六:聖水は、一人分しか沸かない。


 鬼頭が読み上げた内容は、それだけだった。昔の言葉遣いが難しかったからか、鬼頭自身も最後のページで言い澱む様子を見せていた。

「つまり、この生き残った七人の中から鬼の力を使った張本人を見つけられれば、消えた島民たちもみんな戻ってくるってことか」

 日向が、目を輝かせながら言った。その左手の薬指には、その目の輝きと同じくらい、きらりと輝くものがあった。

「じゃあ、簡単ね。私に早くその聖水を飲ませたらいいわ」

 部屋の隅で今まで無言を貫いていた聖が、挑発するようにそう言った。それを睨みつけながら、日向が徐々に声を荒げて言った。

「そうだ。お前以外が鬼だなんて、そんなことはありえない。さっさとこいつを引き連れて、聖水の沸いている神社を探しに行くぞ」

 そう叫ぶ日向の姿には、鬼気迫るものがあった。そのあまりの気迫に、全員がその意見に賛同しそうになった――ただ、一人を除いて。

「聖さんは、鬼ではないと思います」

 そう言ったのは、葵だった。日向は、葵を睨みつけた。それでも折れそうにない様子を見て業を煮やした日向は、大声で喚き始めた。とにかく思いつく限りの聖が鬼である理由と、大人げない罵詈雑言を。

 だが、葵は折れなかった。日向が息を切らして静かになってきた頃、葵は言った。

「本題に入る前に確認しておきたいのですが、島の外の人に助けを呼ぶことはできないのでしょうか?」

「難しいだろうね。フェリーがこの島を出発するのは、一日に二回。朝の九時と昼三時だ。ここから本土まで一時間ちょっと位だから、四時過ぎくらいにはフェリーは本土に戻って停留される。祭りの前後くらいしかほとんど利用客がいないからとはいえ、フェリーの運転手が今日の昼間に来た時に島の静けさに違和感を覚えて助けを呼んでくれる可能性はほとんどない。それに、仮に助けを求めたとしてどうこの状況を説明するの? 僕たちは現実に起こっているからそう信じざるを得ないけど、鬼の力で三万人近くいた島民が姿を消しました。生存者はここにいる七人だけです。……なんて話、外部の人間の誰が信じるんだ。百歩譲って助けが来たとしても、俺たちが全員逮捕された終わり。大量殺人者か誘拐犯として、一生を終えることになるのがオチだ」

 神倉が優しい口調で厳しい話をする。確かに、今のこの状況をすべて吞み込んで、ここにいる七人に味方する外部の人間など、想像できない。

 葵は少し肩を落としたが、意を決したように生存者全員の目を見つめた。

「日向さん、いえ、ここにいる皆さん。私がこの事件を解決するのに、協力していただけませんか」

「なんで、島民でもないお前なんかに協力しなきゃいけないんだ」

 葵の言葉に日向が食って掛かったが、葵は一切動じずに答えた。

「島民ではないから、協力してほしいんです。さっき聞いた鬼伝説にあったように、鬼に選ばれるのは“島民だけ”なんです。つまり、今ここにいる人間の中で、私だけが鬼の可能性がないということです」

 日向は、押し黙った。葵の言うことは、今考えられ得る中で最も確からしいことだったからだ。

「皆さん、どうか私に協力してください。そして、結論を急がないでください。聖水は、一人分しか沸きません。間違えることは許されないんです」

 しばらく、沈黙の時間が流れた。

 やがて只野が協力を申し出たことを皮切りに、次々と協力者が名乗りを上げた。最後まで協力を申し出なかったのは、日向と聖だった。

 協力を申し出なかった二人は、いつの間にか公民館の一室から姿を消していた。その行動を怪しむ声もあったが、只野が制止した。

「ひとまず、皆さん落ち着きましょう。三神さんは中心人物とはいえ、まだ中学生です。そんな幼い子が自分を戒めてここに立っているのに、大人の我々が慌ててどうするんですか。彼女を、我々大人が導いてあげるんですよ。完全な日没は、きっと午後七時ころでしょう。それまでここにいる全員で、力を合わせましょう。過去の遺恨などは、すべて水に流して」

 神倉のいかにも教師らしいその一言で、一同は落ち着きを取り戻した。神倉は葵のほうを見て、右目でウインクをした。

 葵には、悪寒が走った。

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