第2話 出港

「俺、絶対鬼の目の敵にされてると思うんだ」

 六月五日。港に向かう車中の中で、西田が愚痴をこぼしていた。かれこれ三十分近く話し続けており、車はもう間もなく港に着こうかというとこまで来ていた。

 しかし、いつもならそれに文句を言う葵も、今日はなぜか黙って話を聞いていた。

「三神さん、さっきから俺の話聞いてる?」

「え、うん。聞いてるよ。怒られてばっかりで、大変だね」

 葵の生半可な返事に、西田はどこか違和感を覚えた。今日は何か、雰囲気が違う。それに、朝迎えに行った時に目を合わせたきり、自分とほとんど目を合わせてこない。

「三神さん、なんか様子変だよ。今日あんまり目合わせてくれないし、体も頻繁に動かして落ち着かない様子だし。何か言いたいことあるなら、はっきり言ってよ」

「じゃ、じゃあ、言わせてもらうけど……その……やっぱり行くの止めない?」

 葵は、戸惑いながら答えた。相変わらず、西田と目を合わせようとしている様子はない。手を揉みながら、うつむき加減で話していた。

 いつものはっきり自分の意見を言う葵とは違った様子に、西田は少し困惑した。まだ、何かを隠しているように見えた。

 そうこうしていると突然、車を運転していた西田の母親が話しかけてきた。

「今から楽しく旅行しようっていうのに、なに喧嘩なんかしてんのよ。ほら、着いたよ。早く降りて、手続き済ませてきなさい」

 葵はバックミラーのほうにちらりと視線を移した後、ドアを開けて車を降りた。

「きっと大丈夫。私が一緒に居れば、きっと……」

 車を降りるときに葵が小さくそう呟いたのを、西田は聞き逃さなかった。

 車を降りると、葵はすぐにお手洗いのほうへ向かっていった。それを見て西田は、少し安心した。

「なんだ、トイレ我慢してただけか。そりゃあ、俺の前では言い出せないな」

 西田は送ってくれた母親に感謝と別れを伝えた後、チケットを持ってフェリーの手続きを済ませた。普段ならチケットを見せるだけで乗り込むことが出来るが、祭りがあるころには、島民証明と同伴申請書が必要だった。

 同伴申請書とは島民以外の人間を祭りに参加させるために必要な書類で、滅多に通ることがないが、今回は葵が三神神社の娘だということで、特別に許可が下りた。

 実は三神神社は、厄除けや厄払いでご利益のある神社として日本全国に名を轟かすほど有名で、島の外にほとんど関心のない、隠鬼の島の島民たちも知っているほどなのだ。

「島のみんなには悪いけど、三神さんに巫女として働いてもらう気はないよ」

 判が押された同伴許可証とチケットを見て、西田は呟いた。


 それから十分ほど経って、二人が乗船したフェリーは、大きな汽笛とともに出港した。葵は初めてフェリーに乗るからか、頻りに辺りを見渡していた。

「三神さん、そんなに怖がらなくていいよ。なんといっても、この俺がついてるんだからね。大船に乗ったつもりでさ」

 西田は腕を組み、頼りがいのある男を演じながら言った。しかし、足が震えていた。何度乗っても、このフェリーの大きな汽笛には慣れなかった。

 足の震えに気付かれたら、また何か嫌味を言われる。そう考えた西田は、葵の死角のほうに足を持っていった。幸い、葵はまだ辺りを見回していたので、気付かれた心配はなさそうだ。

 出発した港がフェリーから見えなくなった頃、西田は重大な問題に気付いた。これからフェリーで過ごす1時間弱の時間、葵と話す話題をなにも用意していなかったということに。そして何より、少し前から葵が、つまらなそうに無言のまま俯いていることに。

 西田は、頭をフル回転させて考えた。この二人きりの時間を盛り上げることが出来れば、自分の葵からの評価がうなぎ上りになることは間違いない。だがそこまで考えが至っただけでも上出来で、気の利いた話題など、西田の脳みそが考え付くはずもなかった。

 西田が頭を抱えて困っていると、葵が俯きながら、ゆっくり話し始めた。

「……この船に乗っている人って、みんなあの島に行って祭りに参加するんだよね」

「あ、ああ。そうだと思うよ」

「なんか皆、表情が暗い気がする」

 葵にそう言われ、西田も船内を見回してみた。船内には祭りを楽しみにしているのであろう子供たちの笑い声が聞こえるものの、大人は皆一様に暗い表情をしていた。西田には、その理由がすぐに分かった。

「皆、心配なんだよ。明日、何も起こらずにいつもの朝を迎えることが出来るのか。身内は、無事なのかって」

「どういうこと?」

「あれ、知らなかったの? 隠鬼の島の鬼伝説」

 ようやく顔を上げてこちらを見た葵に、西田は少し興奮した様子で話した。ようやく、話題が見つかったからだ。

「今から千年位前の話、日本各地には悪鬼が蔓延っていた。それはそれは、とてつもない悪さをする鬼たちだったそうだ。そんな鬼の中で、鬼の頭領とも言うべき、最強の鬼がいたんだ。そいつを倒せば、他の鬼たちの力も弱くなる。そう考えた昔の人は、幾度となく戦いを挑んでは、多大な犠牲を出していたらしい」

 話しながら西田は、葵の様子を確認した。葵は、身を乗り出して、話を聞いていた。これまでのどんな話題よりも興味を持っていることは、明らかだった。西田は、調子に乗って話を続けた。

「そんな中、正体不明の陰陽師たちが、その鬼を封印することに成功したんだ。そしてその封印された場所が、俺の生まれ故郷である隠鬼の島ってわけ。だから漢字で、鬼の隠れる島って書くんだよ。鬼伝説を観光資源として活用してるから、名前を変えるつもりはないらしいよ」

 自信満々に話し終えた西田に、葵が尋ねた。

「そこまでは、テレビの特集で見たことある。それで鬼に勝った六月六日に、お祝いのお祭りをすることになったでしょ。でも、その鬼伝説とお祭りの翌日を心配することに、何の関係がるの?」

「そうか、一般的にはそこまでしか知られてないのか。実は、この鬼伝説には続きがあるんだ」

 西田は葵のほうに身を寄せ、少し声を小さくして話し始めた。それを心配する人たちの前で話すのは、少し忍びないと考えての行動だったが、幸運にも二人の距離を縮めることに役立った。

「鬼を封印した陰陽師たちは、島民たちにこう言い残したそうだ。六十六年に一度、一日だけ鬼の力が復活することになる。その時は、島民の誰かが鬼を力を宿され、なんでも一つ願いを叶えられるらしい」

「まさか……」

「そう、明日がまさに、六十六年に一度の鬼が復活する日だ」

 西田がそう言うと、葵はひどく取り乱し、だんだん語気を強めていった。

「なんでそういう大事なこと、もっと前に言わないの。そういうところが嫌いなのよ!」

 そういうと葵は、デッキのほうへ出て行ってしまった。西田は動揺しながらも、すぐにその後を追った。

 デッキに出ると葵は、手すりに肘をついて体を預け、前のめりになる形で海のほうへ身を乗り出していた。西田は、そっと後ろから声をかけた。

「三神さん、意外にこういう系統の話苦手だったんだ。神社の言い伝えとかで、もっと怖い話聞いてるのかと思ってたから大丈夫かと思って……その、ごめん」

 葵からの返答はなかった。

 今まで見たことない葵の姿を見て、西田はどうしたら良いのか分からなくなっていた。今日は一日、葵の普段見られない一面ばかりを見ていた。

 普段の芯が強くて、凛とした姿で歩く優等生の姿はそこに無かった。有るのは、か弱い少女としての姿だけだった。

「三神さん、その……」

 西田が何か言いかけた時、それを遮るように葵が話始めた。

「西田、絶対守ってほしいことがあるの」

「あ、うん。」

「約束、守れる?」

「ま、守れるよ。俺を誰だと思ってるんだ。この漢の中の漢の西田様が、約束を破るわけないだろ」

 西田は戸惑いながらも、自分の胸を叩き、精一杯心強い男を演じた。船内では自分の下心からの演技だったが、ここでは違った。そうしないと葵が、本当の意味で安心することが出来ないと、直感で思ったのだ。

「じゃあ、言うよ。」

「お、おう」

「お祭りに参加してから帰るまで、絶対に私から離れないで。ずっと、そばにいて」

「うん、分かった……ん?」

 あまりの急展開に、西田の脳みそは機能停止寸前にまで追い込まれた。

「えっと……その……ずっとって言うのは、ずっとってこと?」

 ショートした西田の脳みそでは、この意味不明な言葉を紡ぎだすのが限界だった。学校に通学する時の葵なら、間違いなく強烈な一言が待っていただろう。しかし今の葵は体制を何一つ変えることなく、呆然と海の方を眺めて、ただ話を続けるだけだった。

「そう、ずっとってこと。絶対に、私の隣に居て」

「お祭りの夜店を回るときは――」

「一緒」

「寝るときは――」

「隣で」

「トイレは――」

「ドアの前で待ってて。話しかけるから、その時は絶対に返事をして」

「お風呂は?」

「……一緒に入る」

「それは色々駄目だろ」

 そんな問答をしていると、葵が振り返った。目には涙を溜めて、頬は赤らんでいた。

「私と離れるほうが駄目! 絶対一緒に居てもらう」

 興奮した様子で、葵が叫んだ。西田の脳みそは、数秒前にショートして使い物にならなくなっていたので、もはや同じようなテンションで返す以外の応答の仕方が分からなくなっていた。

「あー、もう。どうしたんだよ三神さん、突然。俺たちもう中学生なんだよ。トイレの時にドアの前で待つのはまだしも、お風呂なんて一緒に入れるわけないでしょ。冷静になってよ。いつもの三神さんに戻ってよ」

 言い終わったところで、西田は言ってはいけないことを言ったことに気付いた。理由ははっきりわからないが、ここまで取り乱すほど追い詰められている葵を、更に責めるような発言をしてしまった。

 西田が後悔しながらもどうしたら良いか分からなくなっていると、少し落ち着きを取り戻したように葵が言った。

「そうだよね、ごめん。私らしくないね。しっかりしないと、三神家の人間として」

 そういうと葵は、船内の自分の席へ戻っていった。いつもの葵が戻ったと少し安心した西田だったが、それでも一抹の不安感は残った。

 今日の朝からの様子、先ほどの興奮具合。祭りを楽しみにしているということや自分との旅行が嫌かもしれないということでは、明らかに説明がつかない。葵は何か、大きな隠し事をしている。

 西田はそう確信して、席に戻った。席に戻った葵はわざとらしい狸寝入りをしていたが、西田はそっとしておいた。

「寝顔もかわいいな」

 狸寝入りと気付いているのに、ショートした西田の脳みそは、思い浮かんだその言葉を言うことを止めることが出来なかった。

 西田は葵と反対側に向き直り、同じくわざとらしい狸寝入りを始めた。葵は、頬や耳を赤らめながら狸寝入りを続けていた。

 二人とも、相手に自分の心臓の音が聞こえないか心配するくらい心拍数が上昇していた。

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