十二月のアイスコーヒー
惣山沙樹
十二月のアイスコーヒー
待ち合わせ場所のドトールには、すでに
「待った?」
あたしは聞いた。
「さっき着いたところ」
「あたしも飲み物買って来るよ」
大樹の隣の席にショルダーバッグを置き、スマホだけを持って、あたしはカウンターに行った。ホットコーヒーなら、家を出る前に飲んできてしまったから、十二月ではあるがアイスコーヒーを選んだ。
「アイスにしたの?」
「うん」
大樹はスーツ姿で、いつも通り出勤を装って、昼間のコーヒー・チェーンに来たようだった。あたしはというと、黒のダウンジャケットに白のパーカーというラフな格好だ。
まだ紙ストローでは無いんだな、等と思いながらアイスコーヒーを口に含み、あたしは大樹に話しかけた。
「お子さん、元気? 何歳だっけ?」
「上の子が小学二年生。下の子はもうすぐ五歳」
「そっか、そんなになるんだ」
それからあたしは、大樹の子供たちの話を一通り聞かされた。上の女の子は、将来研究者になりたいらしく、工作が大好きなのだと。
「女の子なんだから、もっと他の選べばいいと思うんだけどね」
「いいじゃない、男の子だから女の子だからって、別にさ」
大樹はこくこくとゆっくりカフェラテを飲んでいた。時間が惜しいな、とは思いつつ、あたしは言った。
「タバコ吸ってくるよ」
「行ってらっしゃい」
ドトールには区切られた喫煙スペースがある。自動ドアを開け、あたしはタバコを取り出した。ここからだと、席に座っている大樹の姿は見えない。とりあえずあたしは喫煙を楽しんだ。
「
戻ってきたあたしに大樹は言った。
「うん、そうだよ。大樹は禁煙して長いね?」
「ああ。毎年罹ってた扁桃炎にならなくなった。禁煙した意味はあったよ」
大樹が禁煙したのは子供ができてからだ。元はと言えば、君が吸うからあたしもこの銘柄にしたのに、と思ったが、口には出さないでおいた。
「この後どうする?」
あたしは足を組んだ。
「前に行った所にしようか」
「了解」
白昼堂々、ラブホテルに行こうかなんて言えるはずないものね、と考えながら、あたしは一気にアイスコーヒーを飲み干した。それを見て、大樹もカフェラテを飲み終えた。
ドトールを出て、十分ほど歩けば、そういう類の店が集まる界隈に来る。スーツ姿の男性と私服姿の女性。手など繋がない。周りからは、どのような男女に見えているのだろうか?
「そういえばさ」
大樹が前を向いて歩きながら言った。
「
「えっ、あの新藤が?」
「うん。確か真理と同い年じゃなかった?」
「そうだね。あいつも三十五歳」
やけに大樹は早足だった。それに何とか追い付きながら、あたしは大樹が次の句を出すのを身構えた。
「真理は結婚とか考えないの?」
「うん。独身なのが気に入ってるんだ」
それは半分本当で、半分嘘だった。大樹と出会ったときにはもう、彼は既婚者だった。何か一つでもボタンのかけ違えがあれば、彼と結婚していた未来もあったかもしれない、と思いつつ、あたしは口をきゅっと結んだ。
「昼間なのに、けっこう埋まってるな」
ラブホテルの部屋のことだった。どうせ長居しないのだから、内装などどうでもいい。あたしは大樹にボタンを押すのを任せた。一階の部屋に彼は決め、チカチカと点滅するランプを頼りにその部屋に向かった。
靴を脱ぎ、ダウンジャケットを脱いで床に置いたあたしは、早速タバコに火をつけた。ジャケットをクローゼットにかけた大樹は、洗面所に行き、歯を磨き始めた。相変わらず、無駄の無い動きだ。まあ、そういう所が気に入っているのだが。
タバコを吸い終わり、あたしも歯を磨いて、二人でベッドのふちに腰かけた。大樹の体温がすぐそばで感じられた。心地いい。セックスなんて別にオマケのようなものだから、ずっとこうしていたい。そう感じたが、彼はあたしにねちっこいキスをした。そうして、服を脱がせ合い、あたしたちは交わった。
「最近、奥さんとはしてるの?」
大樹が達した後、答えが分かっていたにも関わらず、あたしは意地悪く言った。
「いや」
「そう。他の子とは?」
「してない」
それは本当なのだろうと思った。このところ、大樹は仕事に忙しく、誘いも目に見えて減っていた。
「真理こそ、他の男とはしてるの?」
反撃がきた。
「うん、たまにね」
それは嘘では無かった。大樹と会えないから、その埋め合わせをしたくて他の男を誘うことはあった。それはとても虚しい時間だった。
大樹にとってみれば、あたしは性欲を満たすだけの都合の良い道具なのだろう。それでも良かった。こうして二人で居るときだけは、彼をこのあたしが一人占めできるのだから。
二人とも仰向けに寝転がり、肌を触れ合わせないまま、しばらく無言の時が過ぎた。何分経ったのかは分からなかった。ただ、それに耐えきれなくて、あたしは言った。
「タバコ吸うよ」
部屋に備え付けられていた、健康診断のときに着せられるような簡単なガウンをクローゼットから取り出し、身に付けた。それからあたしはタバコに火をつけた。
「新藤の話だけどさ」
天井を見つめたまま、大樹は語りだした。
「一応、同期一同からってことで、結婚祝い金を出すことになったんだ。真理もよろしく。五千円でいいから」
「わかった。ここの支払いのときについでに渡すよ」
狭い部屋にタバコの煙が充満し始めた。肌寒さを感じたあたしは、エアコンの設定温度を上げた。
ガラスの灰皿にタバコを押し当て、火を消したあたしは、大樹の横に滑り込んだ。今度は彼の肩にくたりと頭を乗せてみた。彼は拒絶しなかった。
「真理の髪、いい香りする」
「そう? 何もつけてないから、きっとシャンプーのだよ」
それからあたしたちは、実のない会話を続けた。大樹はまた、子供たちの話を始めた。それしか話題が無いのだろうと感じた。
お互いに会社を休んで、こんなことをしておきながら、あたしには大樹の奥さんや子供たちへの罪悪感というものが無かった。初めはあったのかもしれない。それすらも、よく覚えていないのだった。
「そろそろ出ようか」
大樹が身を起こし、さっさと肌着を身に付け始めた。あたしもそれにならい、元通りのパーカー姿になった。
フロントに電話をして、出ることを告げた後、あたしたちは靴をはいた。もう一度キスをせがもうかと思ったが、大樹はマスクをつけてしまっていた。ホテル代は彼が持った。
「これ、新藤のやつ」
「ありがとう」
ちょうど五千円札を持ち合わせていたあたしは、大樹にそれを渡した。彼が財布にしまい終わるのを見届けてから、あたしは歩を進めた。
駅までは、一緒に歩いた。しかしホームは反対側だ。改札を抜け、少し行ったところであたしたちは立ち止まった。
「真理、またな」
「うん」
エスカレーターの方へと去っていく大樹の後ろ姿をなるべく見ないようにしつつ、あたしも自分のホームに向かった。
きっと大樹は今夜、あたしを抱いた腕で子供たちを抱き締め、あたしにキスをした唇で嘘を紡ぐのだろう。そうして、日常に戻っていく。
対するあたしは、帰ってもがらんどうのワンルームしか無い。待っているのは、集めているウイスキーの瓶くらいだ。
(コーヒー飲もう……)
あたしは駅のホームを歩き、自販機まできた。電車が来るまで十分ほど余裕があった。少し迷ったが、アイスの缶にした。
腹の奥には、大樹の感触がまだ残っていた。冷たい液体が胃を流れ、それを打ち消すかのように身体中を凍えさせてくれた。
家に帰る前に、スーパーに行き、つまみか何か買ってこよう。そう決めたあたしは、スマホを取り出し、大樹とのラインの記録を消去した。
十二月のアイスコーヒー 惣山沙樹 @saki-souyama
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