第8話「なぜ障害者は特別なのか」

 こんばんは。


 障害者を創作で扱うにあたり、現実の出来事や自分の経験も交えて色々なことを話してきました。


 書いていく内に、サブタイのような疑問が浮かびました。


 そう、「なぜ障害者は特別なのか」。


 もう少し細かく言えば、「なぜ障害者は特別な存在となってしまうのか」。




 特別。それは、「普通」という基準があるからこそ生まれる概念です。100メートルを12、13秒で走れる人もいれば10秒以下で走れる人もいる。それこそオリンピック選手並みの記録を叩き出せる人も。


 そういった人は良い意味での「特別な存在」として扱われることが多いです。創作においてはその人なりの悩みやコンプレックスも、いいスパイス・ギャップになるでしょう。


「普通」とは? ここでは「平均的」に近い意味合いで用いることにします。つまり五体満足で、勉学やスポーツを行うのに支障がなく、点字や字幕・手話通訳やスロープといったバリアフリー的な要素・設備を用いる必要がない……そういった人たちですね。


「普通」は一種の基準となり、その基準から外れる・こぼれてしまう人たちはどうしても存在する。なぜ? とそこまで考え出したらキリがないので、ほどほどに……。




 基準から外れた人、「普通」ではない人、普段の生活を送る上で様々な制約を受ける人……それは何も障害者に限った話じゃないはずです。そういった人たちを扱った作品もあります。


 しかし、こと障害者となると……扱いが極端になりがちなのです。つまり、「頑張ってる」か「差別を受けてる」か。


 某テレビ番組で苦難に挑んでいる姿を撮ったりとか。


 あるいは福祉施設が解体されそうになって、行き場がなくなるかもしれないとか。


 ドラマや映画で活躍して、新聞に載るとかニュースになるとか。


 障害者採用枠で採ったはいいものの、簡単な仕事しか任せないとか。




 上記は現実のことなので、創作に持ち込むにはヘビィ過ぎます。読者の多くはヒキますし、自分もちょっとためらいます。


 扱いがここまで極端な例になってしまうのは、障害者と健常者との関係性、歴史、それによって生じた意識にあると自分は思っています。


 障害者はその特性ゆえに馬鹿にされ、差別されてきた。


 時代が変わるごとに障害者への風当たりは弱まり、バリアフリーが掲げられるようになった。施設も法律も整備され、新しい世代の中には己の障害のことを、当然のように受け止めている者もいる。


 大っぴらな差別を受けることが少なくなってきたからかもしれません。


 昔ながらの差別をしようものなら、SNSで叩かれてしまうことでしょう。




 今、街中で障害者を見かけることが珍しくなくなりました。白杖の方は親友・家族・ヘルパーの腕を持って歩いているし、スティックで操作できる車椅子を扱っている人もいる。スタバで手話で対応できる店員さんなんかも、話題になりましたね。


 徐々に、徐々に、「特別」という垣根が取り払われていく。


 それはいいことだと自分は思います。ただし、創作の中においてはまだ遅れているのかもしれない……というのが個人的な感覚です。


 出版社の意向・傾向はわかりません。読者がどのような形で求めているかも。


 ただ、現実とフィクションとの違いというのも大きな理由でしょう。書き手の知識や技量というものも多少は関係あるかもしれません。




 今のところはですが、自分は聴覚障害者(とろう者)を小説に出す気持ちはほとんどありません。「見る言語」である手話を文章のみで表現するには、あまりにもページを食いすぎるからです。「お互い手話で話しています」ということを前提条件にすればいいでしょうが、片方が手話のことを知らないと、会話が成立しにくくなってしまうのです。


「では、筆談という形で話を進めては?」→これはアリですが、やや状況が限られてきます。紙とペンといった道具、落ち着いて書いて話せる環境なども必要になってきますしね。


 ならばお互いに「スマホに文字を打ち込む」というのは? 今風ですね。十分アリですし、自分も毎度のようにやっています。LINEでやっちゃうと、文字数がえらいことになりますが。


 遠く離れた人ともzoomとか通話アプリでつながれるし、いやはや便利になったものですね。




 横道に逸れました。失礼しました。




 障害者が「特別」である時代は終わった、と自分では思っています。ただし、人の意識というものは簡単には変わらない。出版社も含めて、会社や世間や社会の傾向も。これを読んでいる皆さんも、「どう書いたらいいだろう」と思い、書きあぐねているかもしれません。


 どこに焦点を当てて、どんな風に描いていくか……いっそ出さない方がいいだろうか? こんな具合に。


 それでいいと思います、たぶん。




 自分は障害者を代表して書いているわけでもないし、そこまで面の皮が厚いわけでもありません。障害者が出ている作品をひとつひとつチェックしようなんてのは色々な意味で無理ですし。


 一人の障害者として、人間として、物書きとして、思うことを記すだけです。




 障害者も世代ごとに意識が変わっており、その多様性はもはや当事者でも把握しきれないほどです。例えば健常者に対するスタイルひとつとっても、一人ひとりの意識が異なっているのです。


 親愛か、憎悪か。


 上の例えは極端ですね。グレーな感情……「好きでもないが、嫌いでもない」というスタイルの人もいらっしゃいます。健常者の方でも、「好きでもないが、嫌いでもない」というスタイルの人もいらっしゃいます。


 多様性、結構なことじゃないですか。


 嫌いじゃないですよ、自分は。そういうの。


「特別」の垣根が崩れ、「人間」を問われる時代になったということですから。




 創作というか、障害者そのものに焦点を当てた話になってしまいました。


 またしても長文になりましたので、一旦ここで締めくくります。


 もし思うことなどあれば、どしどしご意見お寄せ下さいませ。




 ここまでお読み頂き、ありがとうございました。

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