第7話「障害者にとっての壁とは?」

 こんにちは。


 現在進行中で波紋を広げつつも、マイペースで石を投げております。




 読んで頂いている人それぞれに思うところはあるでしょうが、それはどんな作品を読もうが同じことではないかと思っています。何も感じないかもしれないし、もしくはざわざわするかもしれないし、あるいは全く別の感情を引き起こされるかもしれない。記憶を掘り起こすことにつながるかも……。


 本題に入る前に注意書きのようなものを記しておくと、この本エッセイにおいては「障害者を作中に出せ」とか、「出すな」といったことを伝える気持ちは毛頭ありません。どういったキャラを出そうが、どんな障害を抱えていようが、それは書き手の自由だからです。


 自由である分、どこまでならOKでどこまでがNGなのか、その線引きが難しいところです。表現のさじ加減ひとつで怒る人もいれば、そうでない人もいる。人を全く怒らせない、気持ちにさざ波ひとつ立てないような作品などあるでしょうか……。


 読んでいて嫌な気持ちになる作品なんて他にもあるのに、どうして「障害者」がテーマとなると、ややこしくて面倒で腰が引けてしまうような事態になってしまうのでしょうか……。


 本エッセイを通じて、自分も模索しているところです。




 では、長くなりましたが本題に入ります。


「障害者にとっての壁とは?」ですが、色々とあります。身体的な制約、移動手段、施設設備、システム、サービス、そして人の心……


「バリアフリー」という言葉がもはや一般化して久しい令和です。補聴器や人工内耳じんこうないじといったツールの数々は日々進歩を遂げ、比較的新しい建物にはスロープやエレベーターがつくようになり、障害者向けのパンフレットも作成されてサービスを把握・利用しやすくなっています。テレビにも字幕がつくのが当たり前になりましたし、ネットフリックスのような動画配信サービスでも字幕あったりなかったり。


 記憶に新しい人もいるかもしれませんが、コロナ騒動で「手話通訳者がマスクをしていない!」といった話がありました。あれは口の形と表情とで手話がどういった意味を持っているかを合わせて伝えるためのものですが、存じない方にとっては不謹慎・無警戒にも程があると思われたかもしれません。


 無知も、ひとつの壁だといういい事例ですね。


(現在は手話通訳者はクリアマスクを着用しています)




 上記のように社会的なバリアフリーは少しずつ進んでいます。そのため、障害者である自分としては「昔よりはマシになった」という感覚を抱いています。


 ただ、それでも足りないというお方はいらっしゃいます。下手に触れると火傷しそうなので、ここでは書きませんが。


 令和……今の時代、障害者の存在はもはや珍しいものでも、隠匿するものでも、排斥するものでもなくなってきています。



 では、この時代に書く・書ける・書くべき「壁」はあるのか? 答えはYESです。



 社会的な~が云々よりも、人の心が大きなウエイトを占めています。古い住居にスロープかエレベーターをつけてくれ! と言ってもすぐには難しいし、コストもかかるし、それなら別のところを利用して下さい……となりかねません。


 訴え出た人が横柄なお方だったら、担当者はさぞ渋るでしょう。謙虚なお方でも、やはり上記のような理由で話を進めることは難しいでしょう。ただし、「なんとか力になれないだろうか」と何かしらの提案をもらえるかもしれません。希望的観測ですが。




 もし、これから創作をするにあたって障害者を出す場合、図書館などで調べるのはいいのですが……基礎知識はつきますが、「最新」に近い知識はどうしてもネットの方が強い。特にツール系は。


 補聴器って、昔はコンパクトなラジオみたいなのを胸ポケットに入れて、そこから伸びるケーブルの先にイヤホンがあるといった形でした。しかも、色は一色のみ。


 今ではワイヤレス当たり前、カラーも自分で選べる! あら、おしゃれ!!


 ただし。ネットでも得られないものがあります。それは「当事者の感触」。


 令和の補聴器はどうなっているか、聞こえはよくなるのか、つけてみてどうか、人工内耳もあるけれど補聴器にしている理由は? といった具合に、そこまで踏み込んだことを知るのは難しいです。



 となると、今の時代で障害者を書くのは難しい? YESでもあり、NOでもある。



 最新の知識で今を生きる障害者を書こうとするのは一向に構わないのですが、ツールなどは物語の要素のひとつでしかないはずです。ツールに焦点を当て、それが時代と共に発展していく……というような物語ならアリですが、需要ありますかね……?


 それなら壁に挑む話を書く? どんな壁で、どんな風に? 自分一人の力でやるのか、人の力を借りるのか。そこにも必ず壁があるはずで、それを乗り越えるかどうかのドラマもあるはず。


 障害それぞれに壁の種類も数も異なります。ひとつだけ乗り越えるか、いくつか、もしくは全部乗り越えるか、むしろ乗り越える気がない……といった具合に、「壁」に対しての姿勢がそのままキャラクターの個性にもつながるのではと。



 障害への理解ではなく、そのキャラへの理解を深められる。



 そうすれば主人公として据えやすくもなるし、人間関係も浮かび上がってくる。どんなことでサポートしてもらい、また自らサポートすることはあるのかということに思いを巡らすこともできる。


 知識も、経験も、確かに大切ではあります。


 ただ、本当に重要なのは「障害者を書きたいのか、人間を書きたいのか」に尽きると思っています。


 障害は個性だなんて言うつもりは、一切合切ありません。


 むしろそのせいでどんな苦労をしてきたか、そしてどんなものを得られたか、つまびらかに書き起こしていくべきです。それは障害のせい(おかげ)なのか、その人のせい(おかげ)なのか、あるいは両方なのか。




 ぶっちゃけ、障害者の苦労話なんて聞きたくないでしょう?




「そこまでして書きたくないし、出す予定もないし……」と思ったあなた。別に咎めておりませんよ。別に構いませんし、大丈夫ですよ。


 無理やり引っ張り出して、活躍させる方がどうなんだって、個人的に思ってるだけなので。




 さて、今回も長くなってしまいました。もっとコンパクトにまとめたいのですが……実体験も交えてとなると、難しいものです。


 次回(があれば)更新は未定です。


 今回もお読み頂き、ありがとうございました。

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