王の代替え




 松明を片手に地下後宮の暗闇を進むシュリンは物音にその足を止める。

「誰?」

 腰に提げた剣の柄を掴み誰何の声を投げると「おう」と気安い声が返ってきた。

 知っている声に剣から手を離さないままにシュリンが松明をそちらに向けると、若く美しい獅子の乙女を抱きかかえて石の壁にもたれるように座り込むバルシェの姿が照らし出された。

「生きてたか」

 口角を持ち上げて笑い捨てるバルシェにシュリンは眉間に皺を寄せる。そこからは石が放つ冷気に混じって生暖かい血の匂いが立ち昇っていた。

 確かめるように「バルシェ」と名前を呼ばれて獅子の男は同僚の青年を手招きする。腕に抱える乙女の顔をシュリンに見せつけて、驚く彼にバルシェは勝ち誇った。

「狐族ってだけでリズが目立つが私設軍の中じゃ、獅子では俺が一番強いんだ」

「そんなこと宣言しなくともわかってるよ」

 誰と張り合おうというのか。この場に居ない人間に向けて負け惜しみにくだを巻くバルシェにシュリンは肩を竦めた。

「お前は前王の息子だろ? 騒ぎが落ち着くまで身を潜めてろ。殺されるのがオチだ」

「僕はそこまで強くないから王の座の決闘なんて受けたら数に負けるよ」

「親が強くても子がそうだとは皆わかってるはずなんだがなー。獅子ってのは本当に馬鹿だ」

 強さの証明をいつでも行いたい。機会があるのなら是非お手合わせ願いたい。おまえも同じ考えだろ。獅子族はそんな考えの人間ばかりなのだ。種族の習性にただふたりで嗤い合う。

「それ自分が賢いって言いたいの? それよりバルシェ。妹を……カリンを守ってくれてありがとう」

「陛下からのお達しだよ。リズから賓客達を守れと言われただけさ」

 ほら持っておけとバルシェは抱える姫を兄に差し出し、シュリンは同僚から妹を受け取る。乙女の息に混じる花の香りに薬で眠らせられているのを知ってシュリンは安堵した。夜が明けるまで彼女は眠っていてくれる。

 妹の痩せこけた頬を撫でて乱れた襟元をなおすシュリンは緩く首を横に振った。

「隊長はどうしてこんなことを?」

 城中に死体が転がって、あちこちで火の手が上がっている。

 事切れる寸前の衛兵が叫んでいた。狐が自分達を殺し回っていると。

 その瞬間を目撃していないシュリンはその報せを俄には信じられない。

「ラウル陛下が毒を飲んだんだ」

「……嘘、でしょ?」

 言葉を失くしたシュリンにバルシェは姫を渡して胸の圧迫がなくなったことに息を大きく吸い込み、咳き込んだ。隠しに手を伸ばし煙草の箱を取り出す。

「嘘じゃない。殺された方がまだマシだった。悪いことに陛下は後継者を指名してなかった」

 これでは強者で在りたい者たちがこぞってやってくる。それが容易に想像できるからバルシェはシュリンに騒動が収まるまで隠れていろと忠告するのだ。

 今後を心配してくれる年上の同僚にシュリンはそれでも現状があまりに飛躍していて理解が追いついていかず、手慰みに妹の頬を何度か撫でて自分を落ち着かせる。

「なら……隊長が獅子の王……僕らの陛下に?」

 ハルウェットは死んだ。他の元帥達はリズを殺すだけの実力はない。強さの序列なら毎月の軍の行動演習の時に示されていたではないか。〝王の座〟の公式戦で誰が次の王に相応しいか自ずと導き出されるというのに、獅子を殺して歩いているというリズの行いは自ら否定しているも同然だった。実力は獅子も認める強き狐の、名実ともに次代の王となる器を持つと考えられるリズの辞退がシュリンには不可解だった。

 強き者に従う。シュリンも獅子族であるから、リズの実力を知っているから尚更、王になるのは心底より納得し、忠誠を誓うことも厭わない、その気持ちはあった。

「あれが〝陛下〟に成れるかよ」

 バルシェが鼻で笑った。

 あからさまにリズを馬鹿にするバルシェにシュリンは鼻に皺を寄せる。

 シュリンが疑問を口にするより先にバルシェは箱の底を床に打ち付けて浮き上がった一本の煙草を咥えた。視線が地下後宮を照らす蝋燭を探し当てるが、バルシェは手がそこまで伸びず、諦めを吐く。

「陛下は玉座が空になればリズがどうなるか、知ってたんだよ」

 獅子族への襲撃という行動に出た。その意味を誰よりもわかっていた。

 獅子から〝陛下〟を探し出そうと、自分を殺して王になってくれる獅子を探しにリズは凶行に出ると確信していた。

「次代の王が不在とわかっててラウル王は自死なさったと?」

「それもリズの目の前でな」

 状況が飲み込めてシュリンは怒りに顔を染めた。

「お戯れというのか!」

 曲がりなりにもラウルの私設軍に籍を置いているだけシュリンはあまりの馬鹿馬鹿しさに両手を握り込んだ。

「陛下ご自身のお命まで使って遊ぶ価値が隊長のどこにあるんだよ!」

 獅子が狐をおもちゃにするには度が過ぎている。経過も結果も死んでしまっては見届けることもできないだろうに。

「価値がなければ実行しないだろ?」

 見ろよとバルシェは自分を見るように促す。

「リズが獅子の国を滅ぼすことが可能だという証明になるんだから」

「そんな……隊長がそんな馬鹿な事をする――」

「するんだよ。実際そうなりかけただろ? レン・ア・ネードがここから逃げることを選択をしなかったら城の中の人間は皆殺しにされていたさ」

「レン・ア・ネードが? 逃亡の協力を隊長に願ったって事?」

 シュリンの眉間の皺はより深くなった。バルシェはリズが陛下を探していると言っている違和感にようやく気づいたのだ。

「……レン・ア・ネードが隊長の……〝リズの陛下〟になったの?」

 獅子の王などこの会話の中でさして重要でないことを察するシュリンにバルシェは頷いた。

「さあな? けどリズの殺戮が終わったってことはそういうことだろうな。それにあのお姫様はずっと逃げ出したかったからな。ふたりで逃げたって考えなくても想像できる」

 バルシェが大きく息を吸って、吐いた。

「シュリンは陛下からどんな命令が下ったのか想像がつくぜ? どんな内容だかまでは知らんが結論リズから離れてろってことになっているはずだ」

「当たっている。けど、どうしてわかるの?」

「リズはシュリンの前では〝普通〟でいたかったんだよ。アルエには知られたからな。だから自分の事情を知らないシュリンの前では殊更普通に振る舞っていた。自分はまだ大丈夫だと虚勢を張ってたんだ」

 沈黙にバルシェは頷いた。

「〝自分は壊れている〟だなんて、〝普通の人間〟なら認めないだろ?」

「僕が隊長を人間にしていた?」

「それも理性あるまともな人間にな? シュリンはさ、俺達の中で自分は劣るって常々ぼやいていたけどさ、リズにとっちゃ最後の砦で最後の良心だったんだ」

 何も知らないから知られないように振る舞う緊張感こそリズをリズたらしめていた。

「バルシェ……」

「……たく、ひとり守るのがやっとだった」

 獅子の中に〝陛下〟がいなかったから、ラウルが選んだ賓客ならばとリズは地下後宮へと下った。

 ラウルの予想が尽く当たるものだからバルシェは思わず笑ってしまう。レンが逃げようと提案しなければ、リズがどんな行動を起こすのかそれは火を見るより明らかだ。

 獅子は兎が理由で絶滅させられる。その史実がレンの裁量ひとつで現実に成るところだった。

「陛下は僕には守れだなんて一言も……アルエは?」

 ひとりずつ指示を出していると知らされたシュリンは残る同僚を思う。

「アルエは謁見の間の玉座に座っている」

「それって〝王の座〟を受けるって、こと?」

「互いに生き残って再会することがあればあいつも報われるだろ」

 〝陛下〟しか愛せないとリズに宣言されて、アルエはムキになっているだけだと、若さゆえの行動力に、しかし、男は今度は笑い飛ばさなかった。生きていれば、叶う想いではあるのだ。

「……めちゃくちゃだ」

 嘆くシュリンに、自分もそう思うとバルシェは同意する。

「陛下は試したかったんだよ。リズが獅子の国を滅ぼせるか、ずっと何年も試したがっていたんだ」

 ついに実行されただけだと事態を大事に捉えるシュリンをバルシェはだから冷静に自分の話を聞けと嗜める。

「猫族が呪われた身代わりの一族と呼ばれるように、狐族は主と認めた者に権力を与えると言われているらしい」

「それは古い言い伝えじゃないの?」

「なんだ知ってたのか。さすがに前王の息子だな。俺もラウルの時代が七年も続かなきゃ信じなかったぜ」

「子供だましの昔話でしょ。なら、獅子族は不滅の種のはずだろ……って、そういうこと!」

「……そーゆーこと」

 合点して愕然とするシュリンにバルシェは追い打つように首肯する。

「個人ではなく〝陛下〟に固執するリズと、正しく〝王〟であるレン・ア・ネードは、ラウルにとって格好の実験材料だったんだよ。

 兎が復讐心にかられず、逃亡を選んでくれて俺達は喜ぶべきなんだろうな」

 戦争を仕掛けて無慈悲にも兎の国を滅ぼしたラウルは、この結末を予見していただろうか。確信していたからこそ、レンを捕らえて他を根絶やしにしたのだと、バルシェは煙草を咥えて自嘲した。

「王となった獅子は狂うと聞いていたが、違うな。国政に本当に興味が無いんだと証明されただけだな」

 拡大自殺とはバルシェは断言しない。常に上から見下ろしていたラウルの目を思い出して、自分も同じ立場で、可能性があるというのなら試していただろうと気持ちは理解できていた。

 剣を振るえないことに絶望するほうが遥かにマシだ、と。

「さ、てと……。 もう、行けよ」

 促すバルシェにシュリンは強く妹を抱きしめる。

「もう一度言うよ。バルシェ、妹を守ってくれてありがとう」

「俺の姫様でもあるからな当然だろ?」

 シュリンと、バルシェは呼びかけた。

「お前は生きろよ」

 ただの友人としての言葉にシュリンは松明を一度置いて、代わりに蝋燭を手に取り、揺らめく火をバルシェが咥える煙草に近づけた。

「言われなくても生き延びるよ」

 煙草に灯る火に誓うように囁いて、さよならを告げる代わりにシュリンは背を向ける。

 下された命令はそれれぞれと異なっていたが、ラウルの目的は〝獅子族の繁栄と滅亡への時間稼ぎ〟に集約されている。

 時間稼ぎどころか、兎が逃亡を図ったおかげで、獅子族は滅亡を免れて、内乱の時代へと加速気味に突入するだろう。

 最後に強者ひとりだけが生き残る、そんな前時代的な思想に心躍らせながら、皆が争いに身を投じていくのだ。

「……厄介なもんだな」

 去っていく姿を見送る紫煙は吐息に霧散する。

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